10 現場検証
――第三者視点――
赤竜と銀竜がまた衝突した。
こういった情報は、知性を持つ者が一切存在しないような僻地での出来事でなければ、自然と、速やかに広まるものである。
特に、気紛れな古竜の移動や、野望を抱いている魔王の軍事行動などは、その周辺に住む者にとっては一大事である。
自分たちだけでは対処できない問題に対して、できることはそう多くない。
自分たちの居場所を守るとか、逃げる時間を稼ぐための行動の一環として、少しでも周辺の国家や組織を巻き込もうとして、情報を拡散するのだ。
とはいえ、赤竜と銀竜の衝突は、これが初めてのことではない。
いつもなら軽い衝突を経て、赤竜が銀竜を怒らせて終わるだけの、定例行事のようなものだった。
ふたりの事情を知る者とっては、「またか」と思う程度に起きる出来事でしかなかった。
だとしても、古竜のような強大な魔物の動向は、各勢力とも絶えず警戒している。
万が一にでもイレギュラーが発生した場合に、対応する用意ができているといないでは、その初動の早さで免れる被害に雲泥の差があるのだから当然である。
そして、今回はそのイレギュラーが発生した。
戦場はいつもの銀竜の棲み処付近ではなく、遙か南にある未開の森で、しかも、今回は銀竜が圧勝した。
赤竜は重傷を負い、衝突から数日経った今でもその場に留まって傷の回復に努めている。
そして、銀竜もそれまでの棲み処を捨てて、その近くに居座っていることまで判明している。
魔の森に縄張りを持っていた銀竜が、なぜそこに移動していたのか。
その森は、【死の森】と呼ばれる地域で、魔の森以上に危険な、若しくは生物の生息に適さない水源の乏しい場所である。
古竜であれば、魔物も水源もさほど苦にはならないが、それでも、そこに古竜が満足するような魔素に溢れた場所など無かったはずである。
また、森の中央部付近には、古竜をも恐れぬ存在が古くから生息している。
圧倒的な戦力差はあったとしても、煩わしさを考えると、新しく住処とするメリットは無いに等しい。
であれば、デメリットを上回るだけの、何かしらの理由があると考えるのが道理である。
とはいえ、直接的に影響を受ける勢力は少なく、調査するにも難しい場所であるため、「触らぬ神に祟りなし」と静観を決めるところが多かった。
逸早く確認に訪れたのは、有翼人の魔王の配下だった。
有翼人といっても、長い進化の末に、飛行能力はそのままに翼は小型化していて、畳めば外見上は人間とほとんど変わらず、翼を一杯に伸ばしても肘の少し先程度の長さしかない。
元々、翼の力や物理法則に従って飛んでいるわけではないので、真っ当な進化だといえるだろう。
竜は、彼らのように、空に生きる種族には甘い。
甘いといっても、進路を妨害したり、縄張りを荒らしたりすれば容赦なく攻撃されるが、ただ飛んでいるだけで、飛行船のように異常な敵意を向けられることはない。
しかし、今回は少しばかり事情が違う上に、力ある者特有の気紛れにも注意を払わなければならない。
ただでさえ、有翼人の魔王の支配地である、現場より南東に約一千キロメートル地点、赤道直下にある浮遊島は、比較的現場に近い――竜の感覚でいえば、そう遠くない距離である。
巻き込まれることも、充分に考えられる。
それに、空の覇者である竜の動向は、彼らにとっての最優先で確認するべき事項のひとつである。
銀竜ミーティアがひとりの英雄に倒されたと、棲み処を離れてその英雄と行動を共にしているいう噂を聞いた時から広範囲を警戒していたし、赤竜アーサーが彼女を追いかけることも予想していて、警戒を厳にしていた。
いかに魔王であっても、竜を相手にするのは容易なことではない。
むしろ、竜に対抗できる魔王は、人々が思っている以上に少ない。
それが古竜であるならなおさらだ。
手負いの赤竜に接近するのも、非常にリスクが高い。
いかに瀕死の状態といえど、埋め難い力の差は変わらず存在していて、余裕が無い状態では慈悲や気紛れも期待できない。
だからといって、もう一方の当事者の銀竜を含めて、確認しないわけにはいかない。
事が事だけに、調査に向かったのは魔王の側近の有翼人2名と、【ハーピー】という種族――人間の女性の胴体に腕の代わりに大きな翼を持ち、足は鳥のような鉤爪を有した魔物の精鋭が6名。
一行は、事前の報告にあった地点に向かう途中、一年ほど前は何もなかったはずの場所に、巨大な町ができていることに目を疑った。
恐ろしいまでに整然とした街衢は、この町の支配者、若しくは指導者が高い知性を有していることを示していて、城壁が無いことから察するに、いまだに発展途中である。
そして、町の東端、真っ白な砂浜が続く海岸線の中の、不自然に隆起している高台の上に、神殿らしき巨大な建築物が完成している。
さらに、その町の規模もさることながら、神殿から東に、「洋上に島が生えている」としか表現できない巨大で不自然な島が存在していて、その東端には神殿以上に巨大な城が建っている。
ふと、町の方に目を戻すと、目的の古竜ではないものの、縄張り意識の強いはずの竜――下位の海竜と中位の火竜が仲良く共存しているではないか。
彼らは、幻覚でも見ているのかと自身を疑った。
再び海上の城に目を戻すと、城壁内の庭園に、数多の精霊に交じって九尾の妖狐が水浴びをしているのが見えた。
それとほぼ同時に、妖狐に気づかれた――ように感じた。
彼らと妖狐の距離は、距離にして五キロメートルほど。
彼ら有翼種族の優れた視力でどうにか見える距離で、狐の視力で見える距離ではないはずである。
それなのに、妖狐の視線は、じっと彼らのいる方角を向いている。
あまりに非常識な光景に、狐に化かされているかのような気分になったが、彼らは不審な城の調査は後回しにして、本来の任務を優先することにした。
◇◇◇
赤竜は、およそ情報どおりの場所で、じっと傷を癒していた。
ただ、不審な点がいくつか――否、不審な点しかなかった。
古竜同士の戦闘であれば、小競り合いだったとしても周辺の被害もかなりのものになるだろうと予測されていた。
しかし、付近には戦闘の痕跡すら見当たらず、赤竜の傷も、確かに重傷だが喉元にあるひとつだけ。
しかも、既に塞がっている。
その赤竜も、敗戦のショックからか、有翼人たちに気づくはずの距離にもかかわらず、呆然として空を見詰めているだけだ。
彼らは、様子のおかしい赤竜に警戒しながら周辺を隈なく調査してみたものの、何ひとつ状況を示すものは見つからない。
いつまで経っても、赤竜が傷を負ってそこにいる事実以外は何も分からない。
途方に暮れる有翼人に遅れてやってきたのは、元人間の魔王と、その相棒の白竜だった。
有翼人たちがそれに気づいた時には、もう手遅れだった。
逃げようが隠れようが、白竜の速度には敵わない。
彼らは無駄な抵抗を諦めて、堂々とした態度で成り行きに任せることにした。
白竜の背に乗ってやって来たその魔王は、元人間――異世界から召喚された勇者であったがゆえに、情報の重要性をよく理解していた。
むしろ、勇者としては凡庸で、魔王としては弱小だった彼には、情報こそが生命線だった。
だからこそ、彼は自分たちの情報を隠す方向に重点を置いていたのだが、今回の件は古竜同士の戦闘で、しかも大番狂わせという、非常に有用な情報が得られる可能性がある。
彼らには特殊な情報収集手段があったことも手伝って、危険を冒す価値は充分以上にあった。
魔王と白竜は、有翼人たちを一瞥しただけで、彼らを無視して状況の確認作業に入った。
こんな僻地に調査に来れるのは、彼らのように翼を持つ者だけだ。
しかし、有翼人程度ならお目こぼしもあり得たかもしれないが、白竜までもが来た以上、いつまで銀竜が見逃してくれるか分からない。
白竜は銀竜と敵対しても勝つ自信はあると豪語するが、赤竜もそうやって挑んで破れたであろうことを考えると、白竜におんぶに抱っこの魔王としては、楽観視することはできない。
当然、銀竜と遭遇したからといって即座に敵対するわけではないが、可能な限り早く調査を終えてこの場を離脱したかった。
しかし、彼でもこの状況から何かを読み解くことはできなかった。
強大な存在同士の戦闘が行われたことを示す残留魔力はあった。
しかし、当然あるはずの痕跡が無ければ、詳細など知りようがない。
結果、有翼人たちと同じ結論――古竜同士が争った戦場跡には見えず、赤竜の傷も首にあるものだけで、それもほぼ治癒している。
状況が特殊すぎて、類推することさえできない。
しかし、彼と行動を共にする白竜は違った。
彼女の竜眼は、過去を見ることができた。
それこそが彼らの奥の手だった。
白竜の《過去視》で見えるのは人物の記憶ではなく、世界の記憶とでもいうべき、そこで何があったのかを見るだけの能力だ。
他人の記憶を覗くような能力の存在は定かではないが、あったとしても、他者に直接作用させる能力の成功率などたかが知れているし、他者の記憶に侵入できたとしても、自己を保つ難度は容易に想像できる。
しかし、彼女の能力ならば、自らを危険に晒すことも抵抗されることもない。
最大でも直前の新月までの間という制限はあるものの、他者の秘密を覗くことが趣味な彼女にとっては最良のスキルだった。
「銀に負けたの? ……莫迦ねえ。大方、自分の眼に振り回されたのでしょう?」
しかし、彼女は竜眼の能力を使わなかった。
彼女には嗜虐趣味があった。
打ちひしがれた者に、追い打ちをかけるのが大好きだったのだ。
パートナーの意向を酌むつもりだったが、赤竜の弱り果てた姿を見て、どうしても我慢できなかったのだ。
「それにしたって、銀みたいな若い竜に負けるなんて、恥ずかしくないの? それとも、色ボケ拗らせて、変な病気でも罹ってしまったのかしら?」
「おいおいおい、さすがに言いすぎだろ!?」
白竜のあまりの暴虐ぶりに、魔王が慌てて諫めるものの、赤竜は相変わらず視線を合わせることもなく虚空を眺めていた。
「お前、鬼だな……。魂抜けちゃってるようなのにまで追い討ちしてやるなよ……」
「こんなチャンスは滅多にないのに。……でも、これでは張り合いがなくてつまらないわね」
「まあ、そうだな。――お前ら、【ギルバート】のところのもんだよな? 何か知ってるのか?」
ここに来て、ようやく魔王が有翼人たちに意識を向けた。
魔王からしてみれば、自分たちと――白竜と遭遇して混乱している彼らの心の準備が整うのを待ったつもりなのだが、有翼人たちからしてみれば、相手にされていなかったと感じてしまったのも無理はない。
これに関しては、魔王が魔王らしく振る舞っていないのも一因であり、決して彼らが短慮というだけではない。
数多いる魔王同士の関係はそれぞれで、この魔王と有翼人の魔王の関係は悪くはない。
しかし、自分たちを無視され、ひいては自分たちの魔王を軽んじれたと感じてしまった有翼人たちの目は険しいものになっていた。
「――その目は何なのかしら? 貴方たちはただ聞かれたことに答えればいいのよ。――それとも、ギルバートは手下の躾もできていないのかしら?」
「お話しできるようなことは何も。――それと、この顔は生来のものですので」
白竜の脅しにも、有翼人は屈しない。
そして、彼らの言葉に嘘は無いので、魔王もそれ以上の追及はしない。
しかし、白竜は舐めた口を利く有翼人に、気分を害されたことを隠さない。
「【シロ】、ちょっと落ち着けって! お前らも敵対したいわけじゃないんだろう?」
白竜はただの八つ当たりだが、有翼人たちも主に不利益を齎したいわけではないにしても、主人のためにも舐められるわけにはいかない。
そうして、なぜか魔王が一番平和主義だという、何とも奇妙な状況が生まれる。
「シロが来た時点で気づかれてるだろうし、お互い協力して、銀竜が出てこないうちにさっさと済ませて帰ろうぜ」
「何じゃ、そんなに慌てずとも、ゆっくりしていけばよかろう。歓迎するぞ?」
「――銀!?」
魔王の心配を余所に、先ほどまで何もいなかったはずの場所に銀竜がいた。
《転移》のような前兆はなく、《時間停止》による干渉もなかった。
いつの間にか、あるいはずっとそこにいたのに、気づいていなかったとしか表現のしようがない。
当然、そんなことはあり得ず、これには有翼人たちはもちろん、魔王や白竜までもが驚き、警戒感を露わにした。
銀竜が、自分たちの知らない能力を身につけている――そう勘違いしても無理はない。
彼らが警戒し、戦闘態勢を取るも、銀竜はまるで動じず、それが余計に彼らの警戒感を煽る。
今まで呆けていた赤竜も勢いよく反応して、見上げようと首を持ち上げたが、その瞬間に貧血を起こして意識を失った。
「その顔、愉快じゃのう」
「くっ」
白龍が忌々しげに銀竜を睨む。
相手を小莫迦にしたり、甚振ったりするのは大好きな彼女だが、自分がされることには慣れていない。
白竜は、ふと、その背によく分からないものが乗っているのに気がついた。
バケツを被って、メイド服を着た女である。
背には立派な翼――彼女の知る有翼人や堕天使のものよりよほど大きな翼があり、ついでに尻尾も生えていた。
長い時を生きた彼女にも、こんな生物には心当たりがない。
「貴女、それ、何を乗せているの……?」
「良いじゃろ? やらんぞ」
白竜も竜である以上、竜が背を許すことの意味はよく知っている。
彼女が背を許した魔王は、彼女の宝である。
そして、銀竜の背にいるそれは、確かにいろいろな意味で只者ではなかった。
強さどころか、存在感すらまるで感じさせない。
正直、その辺りの村娘の方がまだ生命力に溢れている。
しかし、人ごみの中では埋没してしまうであろうその透明感は、この場ではとても不自然なものにしか映らない。
そんな矛盾の塊ような存在は、白竜の竜眼でも違和感の正体が分からない。
なぜこんな生物――かも怪しい存在が銀竜の背に乗っていて、銀竜はそれを誇っているのか。
白竜には全く理解できない。
魔王の見解も白竜とほぼ同じだった。
生活感のない家とか部屋なら目にしたことはあったが、生活感のない人間というのは初めて――ではなかったが、限度を超えている。
顔はバケツで隠されているので分からないが、充分に発育した体つきを見るに、恐らく二十歳前後の女性――それが、こうまで何にも染まっていないことがあるのだろうか?
物語から飛び出してきたといっても、全く違和感が無い。
『思ってたより遅かったけど、せっかく来てくれたお客さんに、ボクたちのことを知ってもらいたいと思ってね』
これまたいつの間にか、バケツの上に黒い子猫――の人形が姿を現していて、その場にいた全員に語りかけた。
腹話術か、若しくはバケツを被ったメイドも含めて銀竜の人形なのだろうか――と考えた白竜は、それはそれで銀竜の精神状態がヤバいと頭を振る。
「どうした?」
「いえ、何でもないわ。気にしないで。――でも、油断をしては駄目よ」
魔王が、様子のおかしい白竜を心配して声をかけた。
白竜は、それを嬉しく思いながらも、素直に話すことはできずに口を噤んだ。
性質の悪い夢のように脈絡のない展開。
歴戦の魔王や白竜ですらも理解できない事態に、危険はあれども単なる調査のつもりだった者たちは、ようやく表面に見えていた以上の事態であることを認識し始めた。




