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09 慣れ

 もう少し深く牙が埋まれば致命傷になる――というところで、ミーティアが戦意を失った赤竜を止めを刺すことなく吐き捨てた。


 赤竜は、翼を一度弱々しく羽搏かせたものの、飛行する力も失ったのか、ゆっくりと地上に落下していく。


 そして、汚い物を咥えてしまったとでもいうように、ぺっぺと唾を吐いているミーティアの肩に飛び乗ると、「お見事」と短く労いの言葉をかけた。



 さておき、竜の素材は貴重だと聞いているので、戦闘中に剥がれ落ちた鱗や流れ出た血などは回収しているのだけれど、ミーティアの吐いた唾はさすがに途轍もなく汚いものが混じっているような気がして、躊躇ってしまう。


 まあ、これくらいの損失は許容範囲ということにしておこう。


 もちろん、赤竜の傷口から大量に流れ出ている血は回収しておいたので、後でアルかクリスにでも進呈しようと思う。




「なぜだ……」


 肝心の赤竜だけれど、再び空に上がる力も失っているのか、地面に這い蹲っている。

 ただ、喋る力くらいは残っていたようで、空に留まったままの勝者を見上げながら、繰り返し呟いている。


 自分が負けたことが信じられないのだろうか。


 むしろ、最初から勝負のつもりではなかったのならそうかもしれない。

 タダより高い物はないことを知らなかったのだろう。


 異論はあるかもしれないけれど、ひとつの真理だと思う。


 本当にタダであるかどうかは重要ではなく、タダである――リスクが存在していないと思い込むことが危険なのだ。


 何げなく貰ったポケットティッシュに、実はいかがわしいお店の広告が入っていて、行ってもいないのにそれを目敏く見つけた妹たちに糾弾されるようなことだってあるのだ。


 やはり、何かを得ようとするなら、相応の代価が必要だという心構えが重要なのだと思う。



「お主から見ればまだまだなのじゃろうが、儂も随分と腕を上げたじゃろう? ――ということで、褒美でも貰えんかのう」


 上を見ればきりがないけれど、ミーティアの言ったとおり、さきの戦闘は、今の段階では上出来といっても差し支えない内容だったと思う。


「せっかくの綺麗な鱗がボロボロじゃないか……」

 しかし、ミーティアの惨状を見ると、手放しで褒める気にはなれない。


 確かに、勝負には勝ったけれど、どう見ても満身創痍である。

 いつもは空を映す綺麗な鱗も、汚れて歪んで見る影もない。


 それとも、傷は勲章とでも思っているのだろうか?

 確かに、それも人生だとか歴戦の証ではあるのかもしれないけれど、そういう外面的なもので誇ってどうするというのか。


 本当に大切なものは、心の中とか経験にあるものだ。


 そもそも、みんなもっと暴力に頼らずに解決する努力をするべきだと思う。


「これくらいならアイリスに治してもらえばよかろうて。で、褒美じゃが」


 アイリスもいい迷惑だろう。


 しかし、今日は妙にご褒美に拘っているな。


「お酒でいいの?」

 もちろん、程度にもよるけれど、ご褒美くらいは構わない。


 ミーティアの口ぶりからすると、初勝利なのだろうし。

 もっと先読みの精度を上げて、勝負を急がずじっくりとやれば傷は浅かっただろうとか、思うところはあるけれど、初勝利の余韻に水を差すのは今でなくてもいいだろう。


 とはいえ、ミーティアが欲しがりそうな物はお酒くらいしか思い浮かばない。

 それはご褒美とか関係無く、いつも飲んでいるような気もする。



「当然、勝利の美酒も良いものじゃがな、こういうときは、美女の口付けも良いものではないか?」


 ミーティアの言葉に、赤竜が口惜しそうに顔を歪める。


 なるほど、その発想はなかった。

 半殺しにした後に、更に精神攻撃とは恐れ入る。



 というか、美女というのは私のことだろうか?

 状況を考えれば私しかいないのは明白なのだけれど、ミーティアは雌――女性だし、私より他の男性の方が効果的なのではと思う。

 いや、古竜も私同様に雌雄の概念が薄いのだろうか。


 私が逡巡していると、早くやれといわんばかりにミーティアが顔を近づけてくる。

 まあ、ほっぺにするくらいなら問題は無いだろうし、これで赤竜がミーティアを諦めるなら安いものか?


 もっとも、そんなに簡単に諦められるなら苦労はないのだけれど。

 どうでもいいけれど、ら行が連続する言葉は混乱するね。


 それに、よくよく考えると、彼を餌付けするつもりはないので、お酒を出して興味を惹くわけにもいかない。


 ということで、とりあえずバケツを外す。

 そこで、ふとした思いつきで、そのバケツを月桂冠よろしく竜型のままのミーティアの頭の上に乗せる。


 サイズが小さすぎて、何だかよく分からない儀式になった。


 とにかく、ミーティアの口の端辺りに軽く口づける。

 地方によってはただの挨拶なので、何も疚しいことはない――私は誰に言い訳しているのだろう?



「――――」


「かっかっかっ! 今日は良い日じゃあ!」


 声も出ない赤竜と対照的に、すこぶるご満悦なミーティア。

 どうでもいいのだけれど、かっかっかっと実際に笑う人は初めて見た。



「今日の儂はとても気分が良い。このくらいで許してやるから、大人しく故郷へ帰るのじゃな」


 よほどショックを受けたのか、若しくは血を失い過ぎたか、表情が抜け落ち蒼白になった赤竜に、ミーティアがそう言い捨てる。


「いいの?」


「うむ。殺せば殺したでいろいろと面倒じゃしのう。まあ、これだけやれば当分は大人しくしとるじゃろう」


『これくらいって言うけど、出血ヤバくない?』


「残った力を回復に割けば大丈夫じゃと思うのじゃが。――あの莫迦は、いつまで呆けておるつもりじゃ」


 ミーティアが言うように、赤竜はいまだ大量の血を流し続けていて、頭をふらふらさせながらも、私たちを見上げ続けている。


 ふと赤竜と目が合うと、口からも大量の血を吐きながら起き上がろうとするので、不可視のままの領域で抑えつけて、身動きできないようにする。

 ミーティアにキスしたのが、そんなに頭に来たのか?


 というか、これくらいの意地を、ミーティアと戦っていた時に見せればよかったのに。


 とにかく、死なれるとまずいらしいので、傷口だけは再構築して塞いで出血を止めておくことにする。



「ミーティアが許したみたいだから今回は見逃す。でも、次はそれなりの覚悟をしてからおいで」


 私が口を挟むと、いつも火に油を注ぐことになるのだけれど、それでも警告しないわけにもいかない。

 とにかく、殺すのはまずいそうだし、その時は翼をもいで、二度と空を飛べなくする程度でいいだろう。


「ユノよ、そんな奴は放っておいて、早く帰るのじゃ」


『ユノの台詞はいちいちフラグ立ててるとしか思えない』


 フラグとは何のことだろう?

 いや、妹たちも言っていたし、意味は知っているけれど、これで何のフラグが立つというのか。

 朔の口調から、あまり良いものではないことは分かるものの、それを立てるとどうなるというのか。


 気にはなるけれど、いつまでもこんなところにいても仕方がない。

 ミーティアの言うとおり、さっさと帰ろう。


◇◇◇


「最近、ユノの色気というか、人を誑かす能力というか、なぜかは分からぬが少しヤバい気がするのじゃが」


 トラブルを片付けた後のお茶会の席で、ミーティアが突然そんなことを口にした。


「あ、それは私も思っていました。特に何が変わったわけでもないのに――」


 アイリスまでそんなことを言い出したのだけれど、当の私には何の心当たりもない。


 神との衝突を経て、私の種族が大きく変わったのは確かなようだ。

 何せ、私の身体は、お砂糖とスパイスと素敵な何かで構成されているようだし。

 名実というか、内外共に女の子になっているのだ。


 しかし、それ以外には――私が私であることは何も変わっていない。

 それに、みんなの前にいる平時の私は気配や魔素は放出していないし、ある意味ではみんな以上に人間であるはずだ。



「気のせいじゃないの?」


 なので、私としてはこういう結論になるのだけれど、みんながそういう風に感じているなら何か理由があるのかもしれない。

 私は、私自身を客観的に見れるのだ。

 物理的にも。



「それも気になるんだけど、ユノの身体ってユノの自由にできるんでしょ? それって、その姿はユノの理想像ってこと?」


「自由にできるなら、翼は仕舞うけれど……。理想――はどうなんだろう? 今は気に入っているけれど、男だったときの身体はコンプレックスの塊だったし」


 ソフィアが訊きたいのは私の整形疑惑? のようなものだろうか。

 私自身は私自身に手を加えた覚えはないものの、朔には耳とか尻尾とかの前科があるので、どう答えたものか迷ってしまう。



『みんなの前にいるユノは、100%嘘偽りなくユノだよ』


 胸や股間のものはともかく、耳や尻尾は!?


『分かりやすくいうと、ユノという存在が女性で、翼と猫耳と尻尾があればこうなりますよってこと。いずれは意図的に変化させることもできるようになるかもしれないけど、「ユノ」って枠は外れられないだろうね。ユノは良くも悪くも完成されてるから。それも、今はまだ食べすぎた天使が消化不良を起こしてるから、下手にそこに手を入れると逆流するかもだし、当分は無理だろうね』


 私の枠から外れられないというのは何となく分かるけれど、それ以外はよく分からない。


「まだ終わってなかったんですか?」


『なんか当初の予想より遥かに多いみたいで……、一万を超えても全く先が見えないんだ』


 そんなに喰っていたのか……。

 というか、実感も湧かない程度なら大した影響は無いように思うのだけれど、朔がそう言うならそうなのだろうか?

 翼や輪っかが生えてたのは事実だしね……。


 とにかく、それは妹たちを召喚するまでにどうにかなればいい。

 なるよね?


 もう女性でいることにすっかり慣れたし、女性でいた方が楽でいいとも思っているけれど、再会のときくらいはお兄ちゃんに戻っていたい。

 カミングアウトはまたいずれということで。



「少しは話に聞いていたが、君は一体何をやらかしてきたのだね?」


「天使の軍勢数万をペロリと食べちゃうなんて……、大食いキャラにも限度があるわよ?」


「食べたくて食べたわけじゃなくて。――そもそも、食べるというのも比喩なので、まあ、ちょっとやりすぎちゃっただけです」

 正確には侵食なのだけれど、侵食にも種類のようなものがあって、それを表現するのに「食べる」と言っているだけなのだ。


「ドジっ娘属性まで盛ってきたのだよ」


「どれだけ盛れば気が済むのかしらね……。それはともかく、ユノちゃんが最近綺麗になったのって、それが原因じゃないのかしら?」


「確かに、食べたものをエネルギーなりに変えていると考えれば――」


『それは考えにくいなあ。天使の持つエネルギーなんて、本来のユノからすれば塵芥以下で、山ほど積み上げてもやっぱり塵芥でしかないよ』


「それなら、なぜそんな塵芥以下の天使に苦戦してたのよ?」


『ユノが神嫌いを拗らせてたのが理由のひとつで、もうひとつはユノの能力に世界が耐えられないからだよ。みんなも世界が壊れたのを見たでしょ? ユノが使える力の上限はあんなものじゃないんだけど、世界が許容できる力の上限はあれくらい。まあ、あそこは《門》が出現してて、世界と世界の境界みたいなところだったから簡単に壊れたみたいだけど。だから、領域を使って効果の強さや範囲を制限しようとしてるんだ』


「しようとしてあれって――っていうか、結局壊してるじゃない」


「天使の神域が邪魔で、上手く力を調整できんから儂らを遠ざけたということじゃな」


『その時はそうだね。問題はその後の暴走寸前――いや、出力的には種子としても異常なくらいの力を解放した時に、ユノが変化した――ううん、本質がより強く出るようになったというか、何というか、ユノをギュッと濃縮した感じになったから、違って見えるというならそのせいかも』


 自分のことのはずなのに、みんなが何を言っているのかよく分からない。


 なぜかみんなは細かいことに拘ったり、難しい話をするのが好きなようだけれど、以前に朔も言っていたように、言語化すると本質とずれるのだし、受け取るときにもまたずれる。


 つまり、何となくとか感覚的に把握していればいいのではないかと思う。


 とにかく、話についていけない私には、同じく話についていけないリリーの頭を撫でるくらいしかすることがない。

 いつも撫でている気がする。



『ああ、でもそうなのか。そういうところもみんなには分かるのか。でもそれはユノを見慣れてるみんなだから分かるのかな? 初対面の人とかたまにしか会わない人はどうなんだろう?』


「初めて会った時から人間離れした美しさをしていたのだが、今では言葉通り神懸かっているレベルなのだよ」


「無駄毛どころか産毛すらない滑らかな白い肌、それと対を為す射干玉の髪、惹き込まれるような紅い瞳にピンクの唇、プロポーションも完璧――人体の構造を無視した左右対称な身体は、生物では届かない領域よね」


『ふたりにも分かるってことは、みんなにも分かるってことなのかな? それとも《鑑定》レベルの高さとかも影響してるのかな?』


「《鑑定》レベルは関係無いと思うのだよ。むしろ、以前のユノ君を知っているから心の準備ができていたが、初対面の時に今のユノ君と出会っていたなら、あの時ほど平静を保てていなかっただろうね」


「そうねえ……。むしろ、ユノちゃんのために、王国に文句を言いに行っていたかもしれないわね」


 私自身、私を女性として見ると、かなり可愛い部類だと認識している。

 それでも、ここまで過剰に褒められるとさすがに少し照れる。


「あ、ちょっと照れてる。ヤバい、私、ノーマルなはずなのにドキドキしちゃうわ!?」


「慣れているはずの私たちですらこんなにダメージを受けるのですから、初対面の人には危険ですね……」


「うむ。町――というか神殿では、あの出来の悪い石像にも大勢群がっとるようじゃしのう」


「あれ、あんまり似てなくてイライラします!」


「一般的にはものすごくよく出来てる部類に入るんだけどね。でも、あれがユノだって言われちゃうと、うーん? 実物見たことあるの? ってなるわね」


「バケツを被せてしまえばそっくりじゃがのう」


「それはそうでしょうけど――いえ、そうですね。やはりユノは初対面の人がいるときにはバケツを被せていた方がいいかもしれませんね」


「そうねえ。それはそれで相手を莫迦にしているようにも思えるけど、素顔を晒すよりはマシよね」


 あれ? 何だか話がおかしな方向に?


「ちょっと待って、顔を隠すならマスクとかでも――」

「そんなもので隠しきれるはずがなかろう。最初はただの莫迦じゃと思っておったが、今となってはお主の判断が正しかったのじゃと理解できたわ」


 何その嬉しくない敗北宣言?


『これでユノも箱入り娘だね。実際にはバケツだけど』


 上手くないから!


 などと、少し反感は覚えるものの、正直バケツを被るのにも慣れてきたし、みんなの総意なら仕方がない。

 それに、被っていると微妙に落ち着くんだよね。

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