24 Just a moment
ケプッという、咳とも曖気ともつかないものと共に、口から真っ赤な素敵な何かが吐き出される。
見事に心臓を貫かれた激しい痛み――それ以上に、神に犯されたような屈辱感と不快感に襲われる。
目の前にいるのがアルでなければ、ぶち殺していたところだ。
当のアルは、私を貫いたきり固まってしまって、ピクリとも動かない。
どうやら、魂を見る限りでは完全に洗脳されたわけでもないらしい――とはいえ、重ね掛けされたりすると、支配されてしまうかもしれない。
「ユノさん!?」
異変を察したリリーが、赤く染まった私の姿を目にして、悲鳴に近い声を上げた。
私の姿にかつての父親の姿を重ねたのだろうか。
リリーは魂の状態から異常は無いと分かっていたけれど、それ以外のところにも本当に被害が無いようなので、ひとまずは安心だ。
「クソッ、莫迦が! 何をやっているんだ!? ――俺は死体を抱く趣味はないぞ!」
「……グレイが手に入って、女なんて他にも手に入るんだからいいでしょう?」
ぜいぜいと荒い息を吐いていて、辛うじて生き残ったという感じの赤髪の女の人が、憤慨するルークさんを宥めている。
「その女が手に入ればグレイなんか要らなかったんだよ! 王国どころか、世界までもが俺の手に入ったかもしれないものを――くそっ、支配できても忌々しい奴だな……」
ルークさんは、悪態を吐きながら歩み寄ってくると、無抵抗のアルを蹴り飛ばした。
ルークさんとアルのレベル差なのか、それとも洗脳が解けない程度にルークさんが手加減したのかは分からないけれど、アルは私の胸に神剣を残して数歩後退しただけだった。
「この女にそんな力が? いえ、そんな化け物だっていうのが本当だとして、どうやって支配するつもり?」
「俺様には《独裁者》とコレがある!」
そう言って、いきり立った股間を指差すルークさん。
かつては私にも付いていたものだけれど、そんな特殊効果がある危険なものとは露ほども知らなかった。
少し興味はあるけれど、さすがに彼に身体を許すつもりは毛頭ない。
「呆れた……。まだ微かに息があるからそれで我慢なさい。ほら――」
赤髪の女の人がそう言いながら私に手を伸ばそうとするけれど、その手はリリーによって阻まれて、私に届くことはなかった。
「ぎぃいああっ!?」
「ユノさんに触るなっ!」
珍しく、リリーが怒りと共に大きな声を上げて、躊躇なく赤髪の女の人の腕を握り潰す。
そして、私の手の中から抜け出すと、メキメキと音を立ててリリーの身体が変化していく。
「なっ!?」
ルークさんと赤髪の女の人は、ノーマークだったリリーの行動と変貌に驚いて、初動が遅れた。
そして、彼らが手をこまねいている間に、リリーは三メートルほどの大きさの、金毛九尾の妖狐に姿を変えた。
「ま、魔王!?」
赤髪の女の人は、その驚愕の言葉を最期に、炎を纏った槍と化したリリーの9本の尻尾に串刺しにされて、一瞬で焼き尽くされて灰になった。
火力的には、女子力で灯る月光に迫るくらいだろうか。
維持はできないようで一瞬で消えたけれど、瞬間火力としてはなかなかのものだと思う。
それにしても、みんな油断大敵だ。
私も含めて。
とはいえ、アルが梃子摺っていた相手を一瞬で仕留めてしまうとは、やはり子供の成長は早いものだ。
まさか、成長して獣になるとは予想外だったけれど、私やミーティアのように、変身する存在に影響を受けていたのかもしれない。
赤髪の女の人を処分したリリーは、いくつもの《狐火》を発生させながら、ゆっくりとルークさんの方へ歩を進めていく。
途中、呆然と立ち尽くしているアルを、尻尾でひと薙ぎして壁に叩きつけると、腰を抜かして這うように後退するルークさんを、部屋の隅へと追い詰めていく。
「お、俺に従え! 跪け! 来るな! お座り! うわあぁ!?」
追い詰められたルークさんが、半狂乱になりながらも必死でユニークスキルを乱発しているようだけれど、妖狐となったリリーにはまるで通じない。
最後の望みの、女性の命を奪った短剣を投げつけるも、焦りのせいか明後日の方向へ飛んでいって、リリーに当たることすらなく地面に転がる。
「ひっ、く、来るなあ! ぎゃあああぁ――――」
リリーを寄せ付けまいと突き出していたルークさんの手に、《狐火》の青白っぽい炎が灯る。
ルークさんは、火を消そうと必死に手を振るものの、消えないどころか残りの四肢の末端にも同様の火が灯る。
「ぐ!? あああぁぁぁあ、あ、あ!」
あれ?
パッと見で《狐火》かと思ったけれど、対象の身体に直接発生させたことや、魂までも燃やしている炎はそれとは似て非なるものか?
最近リリーが私に依存してしまっているような気がしていたので、状況を利用して少し様子を窺っていたのだけれど、しっかりと成長していたようで安心した。
いや、安心していいのか?
末端に火をつけたのも、長く苦しめるためなのかもしれないし。
そうだとすると、その辺りの意識は改善する必要があるとして――ひとりでも生き抜ける力を身につけさせようと思っていただけなのに、いつの間にか、王国最強の7人のひとりに完勝するまでに成長していたとは……。
だからといって、アルより強いとか、対抗できるという単純な話ではないけれど。
アルの強さは、単純な戦闘能力だけではないと思う。
元日本人なことか、それとも本人の資質なのか、あるものを利用するのがとても上手い。
それは、魔法や道具のような目に見えて分かりやすいものから、人との縁とか機会とかの目に見えないものまで、多岐にわたっているように思う。
私との模擬戦でも何かを感じたのか、すぐに戦術の幅を広げてきたこともそうだ。
いろいろと忙しかっただろうに、そういう努力家なところは大変好感を覚える。
それ以前に、同郷の誼があったとはいえ、私たちとの縁をきちんと繋いでいるし、頼りきらず、頼らせすぎず、上手い具合にバランスを取っている。
その辺りの距離感も、とても心地いい。
そして、今回は両者の思惑が噛み合ったとはいえ、お互いに都合の良い形での共同作戦になった。
アルにとって信頼の厚い奥さんたちやテッドさんを使わなかった理由は分からないけれど、結果として、アルが洗脳されるような現場でも、余計な被害を出さずに済んだのは幸運だった。
神前試合の時のサムソンとの立ち回りもそうだし、こういった幸運に恵まれることが、アルを主人公たらしめているのではないだろうか。
しかし、このままだとリリーに殺されて幸運も尽きてしまいそうな感じなので、そろそろ止めた方がいいかもしれない。
「私は大丈夫だから、もういいよ」
私が声をかけると、リリーが超反応で振り向いて、そして人型のときと同じようにタックルしてくる。
さすがにこの巨体のタックルは受け流すのは骨が折れそうなので、素直にアンカーを打ちこんで私を世界に固定する。
「ユノさん! ……大丈夫?」
我に返って私の姿を見たリリーが、妖狐の姿のまま首を傾げるのも無理はないだろう。
何しろ、いまだに私の胸は神剣に貫かれたままで、口から胸から出血――いや、出素敵な何かが続いているのだから。
今の私の身体は、お砂糖とスパイスと素敵な何かで構成されているらしいので、お砂糖でもスパイスでもなければそれしかない。
マザーグースかよ。
「私はこんなことでは死なないから」
真っ赤になってニッコリ笑っても説得力に欠けるような気もするけれど、それで納得したのか、リリーはするすると人型に戻った。
ただ、ミーティアのように、変身前後に服を《固有空間》に出し入れするような芸当はできなかったのか、元に戻ったリリーは素っ裸だった。
もちろん、すぐに私の中にあった服の予備を出して着せてあげたけれど。
その直後、リリーが目にいっぱい涙を溜めて抱きついてきた。
リリーからしてみれば、父親を亡くした時と重なって見えたのかもしれない。
実際のところ、死ぬほど痛いのだけれど、それで死ぬ――どころか、日常生活にも影響なさそうな感じだ。
むしろ、痛みも人間性が残っているからだと思うと、それほど悪いものでもない。
そんなことより、リリーが元の姿に戻ったことに安心した。
獣の姿もモフモフしていて可愛かったのだけれど、やはりあのサイズだと一緒に行動しづらくなってしまう。
異世界では、ペットお断りどころか、獣人や亜人も入店禁止のところが多いのだ。
力をつけたといってもまだ子供。
重要なのは、力の運用に必要な知識や経験。
それに、力の行使が本当に必要なことかどうかを知るための判断力だ。
なので、もっといろいろなものを経験させてあげなければいけない。
力があるだけの子供――目の前で口内にまで火を灯されて、声にならない叫びを上げている彼のように、力に振り回される人になってはいけないのだ。
「ぐグレイ、そのチビをこゴブォ!」
手足の半分ほどが炭化しつつも、それでもまだ息のあったルークさんが、最後の力を振り絞ってアルに命令を出そうとしたところ、どうやら喉まで焼かれてしまったようで、完全に沈黙させられてしまった。
これでは命令どころか、呼吸もできなくなるだろう。
よくできました――と褒めていいのかどうかは分からないけれど、ひとまずリリーの頭を撫でながら、ルークさんが息を引き取るのを待つ。
もう、アルに彼を処分させるという、当初の作戦は破棄せざるを得ない状況だ。
なので、アルを実験台に、ルークさんが死ねば洗脳が解除されるのかを調べるため、観察を続けている。
これはアルが言い出したことでもあるし、他に洗脳状態の人をキープするのを忘れていたので、致し方ない処置だといえる。
さすがに、この館にいた人だけならまだしも、全国に散ったルークさんの洗脳被害者を捜しだして――なんて面倒なことは御免被る。
リリーと一緒に、燃えゆくルークさんをキャンプファイヤーよろしく眺めていると、作戦が終わったことを察したアイリスとミーティア、そしてソフィアも合流してきた。
もちろん、ケヴィンさんとオリアーナさん、そしてロープで拘束されたエドワードさんも一緒に入ってきたけれど、燃え盛るルークさんではなく、私に刺さった剣に注目が集まっている。
特に、ソフィアの視線が爛々としていて少し怖い。
ミーティアが羽交い絞めにしていなければ、襲いかかられていたかもしれない。
そういえば、ソフィアは吸血鬼だったか。
私から流れる素敵な何かは、違う意味で少々刺激が強かったかもしれない。
「何をしているんですか!?」
もちろん、常識人のアイリスにはきっちりと怒られた。
「串刺しマジック? ――ちゃらららららーーん」
そう言って誤魔化すも、アイリスどころかみんなから白い目で見られてしまった。
「お主を傷付け得る剣――神剣など持っておるとは、侮れん男じゃな。じゃが、お主も油断しすぎじゃろう? いや、これで何のダメージもないのであれば、油断ではないのじゃろうか……?」
「アンタの血を見てると理性が飛びそうになるわ……。早く抜いちゃいなさいよ」
血ではなくて素敵な何かなのだけれど、そんなことを真面目にいえば、正気を疑われるのは避けられないだろう。
『下手に触ると壊しそうだから、アルの目が覚めるの待ってるんだよ。壊して責任とれとか言われても困るし』
「……私、外の空気吸ってくるわ」
そう言ってソフィアが席を外した。
吸血鬼なのだから、血――はアイリスに禁止されていたか。
素敵な何かは血ではないので飲んでもいいと思うのだけれど――刺されてからずっと流れっ放しの素敵な何かは、床に落ちる前に回収しているものの、かれこれ百リットルくらいは貯まっているし、使い道がないのももったいない。
というか、最初こそ驚いてしまったものの、すぐに心臓も止めているのに結構出るものだ。
そういえば、母乳も血液からできていると聞いたことがあるのだけれど、吸血鬼は母乳でもいけるだろうか?
そうなると、吸乳鬼?
語呂が悪いな。
まあ、おっぱいから直接飲みたいとか言われても困るので、《鬼殺し》でいいことにしておこう。
◇◇◇
「はっ!? 俺は一体……?」
ルークさんの完全な死――復活不能状態になると同時にアルの意識が覚醒したようで、その瞳にも生気が戻った。
私の目には、アルの魂に侵食しようとしていた異物は消えているように見えるけれど、念のために、後遺症がないかなどを確認しなければならない。
それに、リリーに薙ぎ払われた時にも激しく頭を打っていたので、そっちも経過観察が必要だ。
「頭、大丈夫?」
「――大丈夫だ。俺は正気に戻った」
私の言い方が悪かったせいか、アルは少しムッとしたようだけれど、すぐに必要な自己診断を済ませて、無事を報告していた。
もちろん、こういうことの自己申告ほど信用できないものはないのだけれど。
「でも、少し記憶が飛んでるな。――状況を説明してほしい」
「その前に抜いて」
そう言って、剣の刺さったままの胸を突き出す。
というか、私の胸に刺さったままの剣をスルーしている時点で大丈夫には思えない。
「あれ? え? 何でそんなことに――何で生きてんの!? いや、ちょっと待て、すぐに――」
今更ながらに私の状況に気づいたアルが、慌てて駆け寄ろうとして、盛大に足を縺れさせる。
「あ――」
リリーから受けた攻撃で、足にきていたのだろうか。
ゆっくりとダイブしてくるアルを、今度こそ受け止めるために、今度は気合を入れて待ち構える。
避けてしまおうかとも思ったけれど、新年会から――その前からずっと頑張ってきたアルを、受け止めてあげるくらいはしてあげたいと思った。
ただ、見た目的には大したことのないものに見えても、高レベルのアルには、どんな補正がかかっているのか分からない。
最大の誤算は、アルの能力を見縊っていたことだろうか。
アルの虚空を掴むように伸ばされた手を取ろうとした瞬間、主人の危機を感じ取ったかのように、神剣が激しく振動した。
この駄剣は、私がアルを攻撃するとでも思っているのだろうか。
とにかく、アルと神剣の保護を優先して、伸ばしかけた手を引っ込める。
できることは、このまま流れに身を任せるか、若しくは世界を改竄することだけれど、この程度のことで改竄とか、下手に能力を使うのはまずいよね――と考えている間に、アルが突っ込んできた。
とりあえず、飛ばされないように、アンカーだけ打ち込んでおく。
神剣は、アルが触れると同時に消失した。
壊れたような様子は見えなかったので、恐らくアルの《固有空間》にでも収納されたのだろう。
剣が消えた瞬間に、私の傷や血も消えているのは、私の回復能力――というより、あるべき姿に戻ったというか、どう表現していいのかよく分からない。
代わりに――といっていいのかどうかは分からないけれど、私の胸にアルの顔が埋まっている。
なるほど、確かに柔らかいし、クッション替わりにもなるのか?
「何をやっているんですか!?」
「ユノさんに触るなー!」
「お主、また油断をしおってからに……!」
私としてはこれは事故――というか、アルにも疚しい気持ちがあったわけでもないだろうし、そもそも触られても減る物ではないと思う。
しかし、アイリスたちは、神剣が刺さっていた時以上の怒声を上げて、なぜかオリアーナさんたちまでもが憤慨していた。
「いや、事故だと思うのだけれど……って、揉まれるとさすがに擁護できないよ?」
「ああっ!? すまん、心地良くて、つい!」
ようやくアルが私から離れる。
離れ際にしっかりひと揉みしていくのは、さすが英雄とでも言えばいいのだろうか。
「つい、じゃありません!」
「グレイ卿は不慮の事故で亡くなった――いえ、去勢されたと――」
「ちょ、まっ!? ――君らを助けるために頑張ったのに、それはあんまりじゃないか!?」
「名目上はともかく、実際に私たちを助けてくださったのはユノ様です」
「今日の貴方は女の尻を追いかけ回していただけでしょう? それだけでなく、ユノ様のお胸に破廉恥な! ――これだから男は!」
『でも、アイリスたちだってお風呂で揉んだりしてくるよね?』
「それは女の子同士のスキンシップといいますか――」
私を置いてけぼりにした、よく分からない言い争いが続く。
胸を揉まれた程度で大騒ぎする意味がよく分からないのだけれど、「触らぬ神に祟りなし」ともいうので大人しくしておく。
結局、言い争いは十数分続いて、最終的に生で揉んでいないので執行猶予処分ということになった。
私の服は私にしか触れないのだけれど、また揉めても面倒なので黙っておいた。
揉まれて揉めるとはこれいかに。
◇◇◇
後のことは、アルとアズマ家の人たちと、翌朝にでも王国から派遣される人員に任せるとして、私たちはノワールとの約束どおり、亜人さんたちを回収するために先に引き揚げる。
オリアーナさんには「私も連れていってください」と懇願されたけれど、最初に私に言った言葉を忘れたのかと問い詰めると、渋々といった感じではあったけれど素直に引き下がった。
領地を無事復興すれば遊びに来るとか、そのときにうはちに連れていくことも考えてあげると、エサをぶら下げたのも効いたのかもしれない。
館の敷地から出ると、ノワールを先頭に、亜人と魔物の集団に跪いて出迎えられた。
末席にはしっかりお侍さんのランスさんと、十歳前後の子供が二十人ほど、平伏――土下座していた。
つい先ほどまでアドンやサムソンが徘徊していたため、人の目はないにしても、子供に土下座をさせるのは気分も世間体もよくないので、できれば止めさせてほしい。
とりあえず、ひと仕事終わった後は打ち上げだろう。
論功行賞というわけでもないけれど、手伝ってくれた彼らの労を労う必要があるし。
「ご苦労様です。皆さんの自主性による協力はとても嬉しく思います。ささやかですが、食事と飲み物を用意しましたので――」
アイリスが気を利かせて私が言うべきことを代弁してくれた。
跪いている彼らにも、それに疑問はないらしい。
どちらも非常に助かる。
「乾杯!」
私の台詞はこれだけでいい。
それでも、みんな大喜びである。
もちろん、私の出した料理や飲み物のおかげもあると思うけれど、悪徳領主が討たれたという事実に思うところもあるのだろう。
私としては善悪に大した意味は無いと思うのだけれど、ルークさんという障害が消えたのは、ひとつの前進だと思う。
それで状況がどう転ぶかはまだ分からないけれど、私たちにできるのは、いつだって奪った命を無駄にしないように頑張るだけだ。




