23 クリティカル
――アルフォンス視点――
まずった――と思ったところで後の祭り。
万全を期したつもりだったけど、それでも気づかれてしまった。
向こうに地の利もあったことも事実だけど、想定以上に赤髪の女の能力が高かった。
っていうか、それ以上に、ユノが人前には滅多に出てこないダークエルフとかケンタウロスとか鬼とかアラクネーを呼んだのが悪い。
普通に考えたら、間諜だらけのこの町でバレないわけがない。
さすがに、王国が魔物や亜人を扇動するとまでは考えないはずだけど、警戒はされるってーの。
どれだけ姿を隠しても、魔力っていうか妖気っていうか、駄々漏れだしな。
目視だけが観察手段じゃない――ユノは自分も超チートな観測手段を持っているはずなのに、そういうところに気が回らない。
いや、回らないのは頭かもしれない。
そういうところもあざと可愛いんだけど、TPOをわきまえてほしい。
いや、あいつにとって、これくらいは日常と変わらないのか?
とにかく、赤い髪の女――今は、背中には蝙蝠のような翼を、尻には槍の穂先のような細長い尻尾を生やしていて――予想はしてたけど、これで確定した。
いろんな所で何度も戦って、そのたびに逃げられてしまった悪魔族の女だ。
人間に化けていても、ステータスを偽装していても、何となく分かる。
もっとも、それは向こうも同じだったようで、《認識阻害》の仮面程度では誤魔化せずに、先制攻撃を食らうはめになった。
予定とは違う形になってしまったけど、元々ルークと分断する予定だったので、その手間が省けたと思えば悪くない。
ただの強がりだけど、戦場で弱気になったら、勝利の女神様に見放される。
この女悪魔族の面倒なところは、素の状態でも、強化魔法を掛けた俺に対抗できる身体能力の高さがひとつ。
それと、俺と同じ――ではないけど、直接身体に刻まれた刻印を使って、詠唱無しで《転移》することだ。
刻印魔法は、俺の使う紋章術の原型ともいうべきもので、自らの身体を直接触媒とすることで、効率や威力は段違いになる。
ただ、汎用性という意味では劣るけど、《転移》自体の汎用性が高いので、それを補って余りある。
残念ながら、俺には貴族という肩書きがあるので、身体に彫り物を入れるわけにはいかないのだ。
それに、今だとユノに風呂から叩き出される。
あいつ、変なところでマナーにうるさいから――と、そんなことを考えてる場合じゃないな。
悪魔族の女の厄介な点のもうひとつは、自分と契約している悪魔を、これも《無詠唱》で召喚することだ。
といっても、召喚される悪魔は小型悪魔だけど。
小型といっても、人間の倍くらいのサイズはあるし、山羊のような頭と足に筋肉質な4本の腕、ついでに蛇のような細長い尻尾と、人間を畏怖させるには充分な異形の姿だ。
一体一体はそう強くはないし、悪魔の最大の脅威である増殖力も封じられている。
まあ、基本的に、召喚された悪魔は仲間を呼べないように制約を加えるんだけど。
召喚した悪魔が呼んだ悪魔に召喚主が殺されちゃ堪らないからな。
それは、あの女悪魔族も例外じゃないっぽい。
とにかく、一体二体じゃ俺にとって大した脅威にはならないけど、それでも肉の壁としては優秀だし、爪や牙には麻痺毒もあるから油断はできない。
熟練の冒険者パーティーでも、油断すれば全滅することもあるしな。
だけど、今日はいつもの遭遇戦とは違って、入念に対悪魔、悪魔族用に準備を調えていて、万全の態勢で挑むのだ。
しかも、今回はソフィアさんの召喚したデュラハンの援護がある。
ユノの使い魔のような、突然変異種でもなければ小型悪魔同様微妙なものだけど、多少なりとも小型悪魔の足止めをしてくれれば充分だ。
それに、女悪魔族の方も、デュラハンの《死の宣告》は警戒しなきゃいけないから、ものすごいやりにくそうにしてる。
ざまあ!
それより何より、ソフィアさん自身の逃走妨害効果があるので、あの人がこいつを意識している間は、逃がす心配もほぼない。
《転移》での逃走は100%妨害することはできないそうだけど、それでも咄嗟にできるのは、有視界範囲の《転移》くらいのはずだ。
さらに、俺もユノの酒のおかげで、良い感じにドーピングも効いている。
《鑑定》で見たあいつの魔法名のセンスはどうかと思うけど――《鬼殺し―アメリカン―》を飲んで、今日こそあの悪魔族を殺します!
今日は負ける気がしない。
先手を取られたせいで、序盤こそは小型悪魔と女悪魔族の連携攻撃にタジタジだったけど、そこを凌げば徐々に俺のペースになってくる。
そもそも、俺も一対多も苦手じゃない。
もちろん、そういう状況に陥らないことが一番なんだけど、レベル差のおかげもあって、どんな状況でも対処できなくもない。
でも、ユノとの模擬戦以来、格上との戦いになると、手札が足りないことに気がついた。
といっても、あれはイベント戦闘のようなものだったし、例外と考えるべきなのかもしれないけど。
だけど、一対一での戦闘なんて、対集団用の戦術の応用と、《時間停止》で充分だと慢心していたのも事実だ。
その対集団用の戦術っていうのも、ただ使い勝手のいい範囲魔法やスキルを撃つだけで、ユノみたいな「間合い操作」なんて技術の極致とは全然別ものだったしな。
今まではそれで充分だったとしても、ユノだけじゃなくて、ユノの周辺でも、人間最強の肩書なんて何の意味も無い。
ミーティアさんやソフィアさんといった、個人レベルじゃどうこうできないような存在は元より、アイリス様やリリーちゃんにも、うかうかしていると追い越されるかもしれない。
今正に、少年誌ばりの強さのインフレが起こっているのだ。
このまま慢心を続けてると、「王国の英雄? そんなのもいたね(笑)」と言われる日も遠くない。
思考速度が加速した状態の、ゆっくりと流れる景色の中、真正面から襲いかかってくる小型悪魔に聖剣を突き立てる。
アンデッドや悪魔に特効を持つ聖剣は、硬い外皮を持つ悪魔でも難なく切り裂く。
この聖剣は、俺の奥の手のひとつだ。
一応、神剣も持ってるけど、こっちは真の力を解放するには大きな代償が必要になるので、簡単には使えない。
下手すれば、その代償で自分が死ぬし。
小型悪魔は、胸を貫かれながらも、その4本の逞しい腕で俺を拘束しようとする。
それを、そんな趣味はねえよと、短距離《転移》で斜め後方へ下がる。
ほぼ同時に、ついさっきまで俺がいた場所のすぐ後ろに、もう1体の小型悪魔が出現していた。
ワンテンポ遅かったな。
魔力の無駄遣いご苦労さん。
ちなみに、そこには置き土産の火属性魔法《爆裂》を設置してあるんだよな。
それが合図と同時に炸裂して、小型悪魔2体が爆発に巻き込まれて肉片になる。
本来なら、《爆裂》のような特級魔法でも、悪魔にはレジストされてしまうこともある。
だけど、ユノとの模擬戦以降に獲得した《魔法防御貫通》スキルのおかげで、無効化や反射、吸収、低減されづらくなった魔法は、このとおりの威力を発揮する。
もちろん、相応の魔力を余分に消費するけど、それもドーピングのおかげで問題にはならない。
このドーピングが一番の反則だな。
飲めば飲むほど強くなる。
とにかく、不意打ちからの一連の流れをどうにか凌いで、ようやく仕切り直し。
ここから反撃開始――といきたいところだったけど、女悪魔族が槍を構えて突進してきた。
休ませるつもりはないらしい。
それでも、態勢が整った今なら怖くない。
小さな《魔力盾》を作り出して、繰り出される槍の方向を逸らす。
続けて、体勢の崩れた女悪魔族を取り囲むように、同様の《魔力盾》を作り出して抑え込もうとしたけど、寸前に《転移》で逃げられた。
女悪魔族が《時間停止》に対応できるのは、以前の交戦経験から知っている。
大規模な魔法や禁呪などが使用できない状況だと、小技でチクチク削るしかない。
相手の動きを封じられれば有利になるけど、そうそう上手くはいかない。
ユノくらいの戦闘技術があったら、流れの中でスキルに頼らなくても致命傷を与えることも可能なんだろう。
スキル頼りの近接戦闘は、お手軽だけど効率的じゃないって知ってたつもりだったけど、本当のところを理解できてなかった。
といっても、技術はそう一朝一夕で身につくものじゃないし、今は手持ちの駒でやりくりするしかないけどな。
「アルフォンス・B・グレイ! まさか貴様の方からのこのことやって来るとは思わなかったぞ!」
完全に仕切り直しになったところで、女悪魔族が吠えた。
不意打ちは失敗したものの、ここは奴の庭も同然。
まだ自分にアドバンテージがあると思っているのだろう。
残念だったな。
今日の俺の手札は反則だらけだ。
勝利の女神ってか、邪神がついてるからな。
だけど、油断はしない。
「俺のためにサプライズ歓迎会を用意してくれるなんて嬉しいね。――と言いたいところだけど、生憎と予定が詰まってるんだ。手早く終わらせるよ」
「ほざけ!」
俺の態度がお気に召さなかったのか、女悪魔族が驟雨のように《炎矢》を撒き散らしながら突進してきた。
弾幕で相手の動きを制限して、物理攻撃で仕留める――魔法剣士の基本のひとつだ。
弾幕が上級に分類される《炎矢》で、さらに、密度を高く見せるために下級の《火矢》を混ぜていることが、奴の実力をよく表している。
魔界からこっちに出てくる悪魔族は、みんな戦い方が上手い。
レベルは俺の方が高いけど、種族特性の差でMAGやMPでは完全に負けているので、まともに撃ち合っては分が悪い。
それでも、弾幕など《転移》で躱してしまえば何の意味も無い。
女悪魔族が弾幕に使った魔力より、俺が《転移》で使う魔力の割合が多ければ、その攻防においては女悪魔族の勝利になるというのが、女悪魔族の――いや、スキル頼りの戦闘の基本的な考え方だ。
当然、魔力をケチってダメージを受けるようだと論外で、そのときは弾幕で受けるダメージより大きなダメージを相手に与えなければいけない。
肉を切らせて骨を断つという有名な戦術だけど、この後にアズマとも戦わなければいけないので、深手をもらうわけにはいかない。
アズマは大して強くはないけど、どんな手を使ってくるか分からないしな。
半身になって弾幕の当たる面積を減らして、直撃コースの《炎矢》だけを、聖剣と《魔力盾》で逸らす。
さすがにユノのように回避だけでとはいかない――雷撃を避けるような変態と一緒にされても困るけど、やってみると案外簡単だった。
弾幕のひとつひとつの精度が低いことと、誘導もされていないこともあるだろう。
あの模擬戦は、レベル以外でも参考になることがいっぱいあった。
本当に、いい経験になった。
今までにない俺の対応に、少し動揺して甘くなった女悪魔族の突きを、剣の腹で受け流す。
すぐさま、用意していた高出力の魔法の矢を撃ち出す――と同時に聖剣を手放して、女悪魔族の背後へと《転移》する。
残念ながら、《転移》には空間の揺らぎという形での予兆があって、更に《転移》術者はそれに敏感なんで、背後からの新たに取り出した聖槍での不意打ちは、女悪魔族の引き戻された槍によって防がれてしまう。
もちろん、魔法の矢も防御されていて、大したダメージは与えていない。
「聖剣よ、戻れ!」
だけど、女悪魔族の前に――今は背後に置いてきた聖剣を手元に引き寄せると、女悪魔族の脇腹を浅く斬りつけながら、俺の手に戻る。
もちろん、使い手の手にない聖剣で与えられるダメージなんてたかが知れてるけど、今度は、ほんの一瞬怯んだ女悪魔族の腕に聖槍が深く突き刺さる。
本当は、その薄っぺらい胸を狙ったんだけど、身を捩られる形でギリギリ防がれてしまった。
残念ながら、更に追撃する前に、《転移》を決行されてしまったので止めは刺せなかった。
まだまだ詰めが甘いなあ。
ま、奴の利き腕に深手を負わせただけでもよしとしよう。
やっぱり、俺、成長してる。
レベルを上げるだけが成長じゃないなんてことは分かってたはずだけど、やっぱりそれを直に見ると価値観が変わった。
あれがイベント戦闘で、本当に運が良かった。
あれのおかげで、俺の戦術にも深みが出た。
まだまだ発展途上だけど、何も知らないお前が戸惑ってるのがよく分かるぞ。
「クソが……」
久し振りに聞く汚い言葉遣いに、元日本人の俺に微かに残ってた、女性に暴力を振るう――という罪悪感も薄れる。
これだけはいつになっても慣れないと思っていたけど、この世界でそんなことを考えていれば、やられるのはこっちの方だ。
「お嬢さん、落とし物ですよ――つってな」
女悪魔族の落とした槍を拾い上げながら、挑発する。
当然、奴もそんな簡単には乗ってこないけど、それよりも――クリーンヒットを狙って入れられた。
まあ、クリティカルヒットを狙ってクリーンヒットに化けたんだけど、それでも防御判定がされていなかったのは大きい。
まだユノのように上手くはやれないけど、こいつに通用したことで、俺にもできるんだって自信がついた。
それに、もっと上を目指せる予感もある。
それでも、とりあえずは目の前の女悪魔族と、アズマを片付けてからだ。
特に、ここまでは上手くいってるけど、女悪魔族に空中に逃げられてしまうと、地上と同じような駆け引きをするのは難しくなる。
《転移》メインでの戦いでは誤魔化しが利かないし、《飛行》魔法は《飛行》スキルの半分くらいの性能しかないから、翼を持つ相手に空で戦いを挑むのは、よほどのレベル差がないと自殺行為に等しい。
毎度それで逃げられていたわけだけど、今回はその心配も無い。
有利かというと微妙なところだけど、魔法の撃ち合いになっても、ユノのいう「間合い操作」ができれば、不利にならない程度には立ち回れるはず。
最初から上手くできるとは考えてないけど、意識してるだけでも訓練になるだろう。
まあ、女悪魔族に大きな隙ができたり、逃げ腰になったら、時間を短縮するためには、どこかで空に上がる必要があるけど。
遊びや訓練に来てるわけじゃないからな。
攻め急いで雑にならないように気をつけながら、手を変え品を変え、着実に女悪魔族の体力を削っていく。
やっぱり、一度この目で実際に見て、体験してるってのが大きい。
ある程度手の内が知れてることもあるけど、そこそこ誘導できる。
「クソッ! クソッ! クソが!」
以前までの俺との戦いとは違って、ひとり空回っていることに焦っていた女悪魔族は、今更ながらに逃げられないことに気づいたらしい。
悪態を吐いて、正に悪魔のような形相で俺を睨んでいるけど、もうそれくらいしかできないのかもな。
ここからが正念場だ。
魔法使い同士の戦闘では、位置エネルギーはあまり重要じゃない。
もちろん、上を押さえた方が多少なりとも有利だけど。
それでも、変に町に被害を出さないためにもこの位置関係が望ましいんだけど、使える魔法に縛りがある状態では、そう簡単に有効打は当たらない。
ユノたちは既に目標を達しているようで、今はルークの包囲にかかっているっぽいし、時間がかかりすぎている自覚もある。
いっそユノにヘルプでも頼もうかとも考えたけど、何となくのプライド的なものと、ユノに頼むとどこかで皺寄せがきそうな気がして踏み切れない。
そんなことを考えながら、ユノの酒を煽って魔法攻撃を続けていると、遙か上空から超高速で落下――急降下してくる存在に、《危険察知》の警報が頭の中でけたたましく鳴り始めた。
「ワイバーンか!」
女悪魔族の騎竜だろうか。
主人の危機に駆けつけたか?
羨ましい――じゃなくて、どうする!?
ワイバーン一匹なら脅威でも何でもないけど、魔法の誘導を振りきる速さと機動力は面倒臭い。
迎撃は難しいけど、避けるだけなら簡単。
だけど、可能な限り地上には被害を出したくない。
それに、その後で空中で女悪魔族とワイバーンを同時にやり合うのも少々しんどい。
このまま撃ち落としたいところだけど、女悪魔族とやり合いながらってのがきつい。
何もしないのは論外だけど、魔法を使って撃ち漏らしたときのことを考えると分の悪い賭けか?
先に女悪魔族を仕留めるか?
確実性をとるなら、魔法より近接攻撃か――グルグルと思考は巡るけど、ワイバーンに気づいてから0.1秒も経ってない。
なのに、ワイバーンは姿を消していた。
突如、館の裏手から巨大な火竜が出現して、ワイバーンに食らいつくと、そのまま町の外れへ飛んで行ってしまったのだ。
「き、貴様それでも英雄か!? 卑怯だぞ!」
ちょっと前までは希望を感じていた女悪魔族が、逆ギレして人聞きの悪いことを言う。
俺はあんなの用意してない。
それ以前に知らなかったことなので、俺に責任は無い。
っていうか、犬猫みたいに竜を拾ってくるんじゃねえよ!
それでもまあ、助かったのは事実だし、チャンスなのも事実だ。
女悪魔族は、背後に消えて行った竜を気にして、注意力が散漫になっている。
今ならクリティカルをとれるチャンスだ。
上手くいけば、生け捕りも狙えるかもしれない。
と、《転移》を発動しようとした瞬間、地面が大きく揺れた。
この世界――地方では珍しい地震。
それだけなら地震大国に生まれた俺には大した影響はないんだけど、この僅かな揺れと酒による酩酊状態のせいで、《転移》がファンブルを起こしてしまう。
ただの不発で、大事故にならなかったのは不幸中の幸い。
だけど、この隙で女悪魔族が正気に戻る猶予を与えてしまったらしくて、ユノたちやアズマのいる館へと逃げ込まれてしまった。
とても嫌な予感がするけど、このまま見過すわけにはいかない。
意を決して、女悪魔の後を追う。
◇◇◇
――ユノ視点――
「揺れたね」
朔が『カリンの出番』と言って、勝手にカリンを解放した直後、大きく大地が揺れた。
震度は4か5くらいだろうか。
日本ではそれほど深刻な事態にはならない大きさだったと思うけれど、地震に対する備えのないこの町では、結構な物的被害も出ているようだ。
いや、この十年、ろくな手入れもされていなかったせいで、老朽化が進んでいたのかもしれない。
人が住まなくなった家は、傷むのが早いというし。
さておき、リリーも地震を経験するのは初めてなのか、すっかり怯えてしまって、力いっぱい私にしがみついている。
私でなければ潰されているかもしれない圧力に耐えながら、落ち着かせようと背中を優しく叩く。
そんな事情もあって、リリーの集中が切れたことで、またもや幻術も解けてしまった。
しかし、しつこいかもしれないけれど、私に幻術を掛け続けられるだけでも、偉業といってもいいくらいのことなのだ。
ただ、惜しむらくは、幻術が解けたのがルークさんの目の前だということ。
念のために、オリアーナさんやケヴィンさん、それと、お侍さん――【ランス】さんといった洗脳に掛かっていた人たちは、再洗脳されないように部屋の外で待機させるか、若しくは余所に回している。
つまり、私たちと彼らの間には遮るものが何もない。
そもそも、アルがさっさと決着をつけていれば――と思いはするけれど、私が見る限り、アルの能力的は集団戦向きだったように思うし、実力の近い相手との一対一だと決め手がないのかもしれない。
私との模擬戦でも、《時間停止》なる魔法に頼ろうとしていたし――全てがシステムの管理下にある世界では、ラッキーパンチ的なものも存在しないのかもしれない。
何にしても、アルはアルで頑張っていてこの結果なのだから、それを褒めることはあっても責めるのは違う。
――と、思考を逸らしても、目の前で一糸纏わぬ姿でいきり立っているルークさんの姿はどうしても目に入ってしまう。
サンドワームと同レベルで気持ち悪い。
さすがに愚痴のひとつも言いたくなるというものだ。
教育に悪いので、リリーには目隠しをしているけれど、こんなことなら、アルが来るまで彼の気でも惹いておこうと考えなければよかった。
「見ろ! ただの女じゃないとは思ってたが、まさか天使――いや、勝利の女神とはな! 俺のツキはまだ終わっちゃいねえ!」
誰が勝利の女神か。
そして、なぜ貴方に味方すると思っているのか。
もしここに本当に勝利の女神とやらが現れたとしても、つい先ほどまでの痴態の跡を色濃く残す部屋で、息も絶え絶えな女の人を傍らに引き寄せて、一糸纏わぬ姿で期待やらナニやら膨らませて、指を突きつけてくる人に味方をするとは思えない。
アル早く来てーと思ったからではないと思うけれど、窓の外を見ると、こちらに向かって飛び込んでくるアルの姿――と、赤い髪の悪魔? の姿が見えた。
赤い髪の悪魔はかなりのダメージを負っているけれど、アルの方に目立った傷はない。
これだけの実力差があって、更にこれだけ時間をかけていれば、勝負がついていてもよさそうなものだけれど。
やはり、この世界の人たちの間での戦闘は、私の知っているものとは違うのだろう。
とにかく、これ以上は待っていられる状況でもないし、アシストするくらいならいいだろう。
とはいうものの、どこまでがアシストで通るのか。
などと考えている間にも、赤髪の女悪魔が窓を突き破って突入してくる。
とりあえず、動きを止めればいいだろうか?
しかし、世界の改竄では大袈裟すぎるし、ここまで我慢してきたのだから、直接的な攻撃や接触も避けるべきだ。
ううむ、ほどよい力の使い方を思いつかない。
やはり、「赤髪の女の人がアルに殺される結果に収束する世界」に改竄するべきか?
いや、それだとアルが世界中の赤髪の人を殺すことになるかもしれない。
そもそも、そういった改竄は、アルやみんなのこれまでの努力を否定してしまうものではないか――などと考えていると、今度はもう目の前まで赤髪の女が迫っていた。
というか、なぜ私の方へ来るのか。
もしかすると、翼と尻尾があるから同類だとでも思っているのだろうか?
「《独裁者》よ! この女の命を贄に真の力を示せ! ――俺に従え!」
赤髪の女の人を、軽い前蹴りで制止したところで、ルークさんがやらかしてくれた。
確かに油断はしていた。
というか、油断するなという方が無理があるので、それは仕方がない。
ルークさんが、隣にいた女性の胸に短剣を突き刺すと同時に、ユニークスキル《独裁者》を発動した。
当然、私には何の効果もなかった。
私が抱っこしているリリーの胸元からは、白っぽい炎が上がった。
どうやら、リリーやみんなに毟られ――プレゼントしていた、私の羽根が燃えたらしい。
しかし、影響はそれだけらしく、リリー自身には何の変化もない。
何だったのだろう?
その一方で、アルは黒っぽい靄のような物に纏わりつかれていて、赤髪の女の人を追い越して、私に迫っている。
本来の実力差を考えると、ルークさんの洗脳が、倍以上のレベル差があるアルに掛かることはない。
しかし、ルークさんは、生贄を捧げることでスキルの効果を上昇させたらしい。
なるほど、システムと種子が同種のものならあり得そうな話だ。
そんなスキルの使い方があったとは――にしても、大口を叩いておいて引っ掛かるなど情けない、というのは酷か。
そんなことを考えている間にも、アルの剣が私に向かって突き出される。
しかし、今の私は右手でリリーを抱えて、左手でリリーの目隠しをしているので、両手は使えない。
蹴り飛ばしてやろうかとも思ったけれど、どう考えても剣の方がリーチが長いし、相討ちカウンターでは思わぬダメージを与えてしまうおそれもある。
そもそも、いくらアルでも、ただの剣で私に傷をつけることはできないだろう。
世話の焼ける人だなあ、と短く溜め息を吐いて、受け止めてあげるために、リリーの位置を少しずらす。
そして、アルの剣が無防備な私の左胸に当たって、弾き返す――ことなく、そのまま突き刺さった。
「え?」
確かに慢心していた。
リリーの幻術を受け入れるために、領域の展開も気合も入れず、レジスト能力も極限まで下げていた。
それでも、ただの物理攻撃なら弾き返せると思っていたし、それ以上に、計画の修正をどうするべきかを考えていて、いろいろなことの確認が疎かになっていた。
よく見ると、アルの手にあったのはただの剣ではなく、薄っすらと神域を纏っている――恐らく、神剣とかいわれるものだ。
というか、なぜ赤髪の女の人ではなくて、私を刺した?
いや、洗脳されたらしいのは分かるけれど、刺すにしてもなぜ私を?
解せぬ。




