20 陰謀と誤算
私としては、可能な限り――世界の改竄には頼らない範囲で協力してあげるつもりになっている。
ただし、飽くまで努力目標なので、必要があれば改竄するけれど。
それでも、ひとまずはそんな素振りは見せずに、オリアーナさんの持つ情報を全て話させた。
彼女の話には、憶測などもかなり混じっていたものの、ひとまず時系列順に列挙してみる。
◇◇◇
十年前の西方諸国連合との戦争の直前、オリアーナさんのお父さん――前当主が病に伏せって、戦争勃発後すぐに死去した。
その死因が、長男【ケヴィン】さんによる毒殺だと、【ルーク】さん――現当主が告発。
決定的な証拠は無いままケヴィンさんは投獄されて、異を唱えた長女は不慮の事故で死亡した。
ルークさんは、そのまま戦争のどさくさに紛れて、自身が当主の座に就くことを宣言した。
恐らく、大まかな筋書きはは、戦前にルークさんに近づいていた何者かの手引きで仕組まれていたことだと思われる。
もしかすると、西方諸国連合との戦争も、筋書きの中のひとつだったのかもしれない。
少なくとも、公爵領での一連の事件はほぼ確定事項であるけれど、物的証拠は何も無い。
状況証拠だけでそこまで決めつけていいのかと思うものの、そう断定した理由は単純だった。
それまで欲望のままに、その場の感情だけで行動していたルークさんが、この一連の流れだけはあまりに用意周到すぎたこと。
それに対して、いずれはお父さんの跡を継いで立派な領主になると思われていたケヴィンさんが、不自然なくらいに異議を唱えなかったこと。
今にして思えば、ケヴィンさんも何らかの洗脳の影響を受けていたのは明らかで、突然の洗脳スキルや作戦立案能力の向上を勘案すると、ルークさんを唆し、力を与えた人がいることは明らかだ。
なお、ケヴィンさんを殺さず投獄しているのは、彼がお父さんの存命中から不真面目なルークさんに対して口煩かったことへの復讐のようなものだとか。
暇を見つけては、現在の惨めな状態を視察に行って愉しんでいるらしい。
実に器の小さい男である。
次女のオリアーナさんは、なし崩し的に当主の座に居座ったルークさんのせいで、決まっていた縁談が破談になった。
ルークさんが破棄したとかそういうわけではなく、婚約相手がルークさんを当主とするアズマ公爵家との縁を非常にいやがったらしく、あれこれと理由をつけて破談に持ち込まれたらしい。
そして、その後も嫁の貰い手が見つけられなくなった。
それからは、仕方なく王都に住まわせられて、ルークさんにユニークスキルを使われて命令を刷り込まれて、条件が揃えば実行させるように仕向けられていた。
命令の内容は、ルークさんへの敵対の禁止は当然として、アルフォンス・B・グレイの篭絡や、王城内の情報収集など。
アイリスの出家後は、アイリスの誘拐も追加されたらしい。
命令の大半は微妙な内容だけれど、この洗脳の面倒なところは、一見すると洗脳されているとは気づかない、気づかれても解除できないことにある。
指定した状況や、確実に実行できる状況下でのみ洗脳効果が発現して、それまでは本人ですら違和感に気づかないようなスキルらしい。
本来なら、オリアーナさんもこれらの命令を認識することはできなかったはずである。
しかし、彼女はケヴィンさんが投獄された辺りで、ルークさんの能力が洗脳だと当たりをつけた。
そこで、オリアーナさんは自身も洗脳されることに備えて、彼と会う時は記録を残すための様々な手配をしていた。
そして、自身のスキルに絶対の自信を持っていたルークさんは、そういった万一への備えはしていなかったため、オリアーナさんの目論見は見事に成功した。
そのおかげで洗脳されていることを自覚しているオリアーナさんは、ルークさんへの敵対とならない範囲で暗躍できるようになった。
オリアーナさんは、彼女の部下にこの事実を告げて、そのような状況を作り出さないように厳命するとともに、王国へも可能な範囲で報告させた。
王国としては、西方諸国連合との戦争の最中に、ゴクドー帝国とキュラス神聖国と国境を接する公爵領で内乱が起こるようなことは認められない。
ルークさんを当主と認めると、帝国や神聖国がルークの言動に言いがかりをつけて侵攻してくるのは目に見えていたけれど、後継者を巡ってのお家騒動や政治的空白を作るのは論外。
やむなく、これ以上の混乱をもたらさないことを条件に、ルークを当主とすることを王国は承認した。
もちろん、帝国や神聖国にはそんな事情は関係無く、隙を見て、公爵領を足掛かりにして王国へ侵攻するつもりだったのだろう。
彼らの誤算は、西方諸国連合との戦争の早期終結と、その立役者である若き英雄アルフォンス・B・グレイの出現だ。
ごく少数で砦を落とすような――砦の地勢的な欠陥であったとしても、実際に落とされるまで考慮していなかったような偉業は、彼らに二の足を踏ませるのに充分な出来事だった。
人間の限界を遥かに超えた英雄が存在するとなれば、計画を一から見直さざるを得なかったのだろう。
下手に手を出すと、大火傷の上、無傷な方に攻め込まれることも考えられる。
そんな理由もあって、やむを得ず現状の形――王国を内部から荒らす形に落ち着いたのだろう。
現在のオリアーナさんは、絶賛洗脳の影響下にあって、ルークさんと敵対することはできない。
今回の行動も、ルークさんから「監獄にいる兄の様子を見てこい」と、意味の無い命令をされたことによるもの。
その程度のことでも断れないけれど、私にお願いできたのも「兄弟を助けてほしい」と、ルークさんの害にならないギリギリのところである。
なお、オリアーナさんがルークさんから無意味な命令をされるのは珍しいことではないらしい。
彼は、思いどおりにいかないことがあってフラストレーションが溜まると、その解消のためにあれこれと嫌がらせのような命令をするらしい。
ちなみに、オリアーナさんがアルを見ると殴りに行くのは、 彼の理不尽な命令の原因は大半がアルによるもので、その報復という意味合いが大きい。
また、ルークさんをどうにかできる可能性があるのがアルだけだとも考えていて、万一にも篭絡しないようにという配慮だったらしい。
今回の嫌がらせは新年会の件が原因で、ケヴィンさんの哀れな様子を報告させて留飲を下げようとでも思ったのだろう。
そして、オリアーナさんはそれを拒否することができない――できても精々が時間稼ぎくらい。
しかし、オリアーナさんがルークさんに洗脳されていることを認識していて、それを他人に話すことはルークさんの想定外だろう。
しかも、それがルークさんと敵対しているとは看做されない緩さである。
ある意味、彼らしい詰めの甘いスキルである。
同様に、オリアーナさんが、私に兄妹を助けてと頼むことも敵対にはならなかった。
これについては、確証など何もない賭けだった。
もちろん、初対面の私に話すことも賭けだったのだけれど。
喜ぶといい。
貴女は賭けに勝ったのだ。
◇◇◇
事情はおおむね理解した。
まずは、洗脳をどうにかできないかと、じっとオリアーナさんを見詰めていると、彼女はなぜか顔を真っ赤にしてモジモジし始めた。
照れているのだろうか?
どこにそんな要素が?
もちろん、肉体と魂が必ずしも同じ空間座標上に存在しているというわけではないので、彼女を見ずに魂だけを見ることも可能なのだけれど、人と話しているときに虚空を見詰めるのはマナー的にどうかと思う。
やはり、人と話すときは本人の方を見ながらの方が、問題が少ないように思う。
「ちゃんと見せて」
しかし、見ているのは魂であって、身体の方は関係無いとはいえ、妙な動きをされると気が散って仕方がない。
オリアーナさんの魂に異物が混じっているのは分かる。
精神が汚染されていないのが救いだけれど、そんなことをいっても慰めにならないような気がする。
異物に干渉することも簡単だけれど、干渉した結果どうなるかまではよく分からない。
最悪の場合は改竄になってしまうので、それが人格とかだと非常にまずい。
朔が手伝ってくれればいいのだけれど、朔はまだ魂や精神の認識が上手くできないようなので、今は私が頑張るしかない。
「あ、あの、そんなに見詰められると私……」
「私たちは外しておりますので、終わりましたらお声かけください」
「二時間くらい休憩してきます」
何を恥ずかしがっているのか分からないオリアーナさんと、意味不明な気遣いをして席を外した従者さんたち。
「あ、あの、私、……初めてなので、優しくお願いします。………ノーマルですけど、頑張りますね」
そう言って服を脱ぎ始めたオリアーナさんの顔面をがっしり掴んで、アイアンクローの要領で締め上げる。
「あだだだ!?」
「なぜ脱ぐの!?」
「いたた……。アイリス様とそういう関係ではないんですか?」
アイリスと爛れた関係?
それとも解呪の関係?
何それ?
とにかく、アイアンクローのついでに、洗脳が機能しなくなる程度に破壊しておいた。
綺麗に除去できればよかったのだけれど、異物も一応は魂である。
それを除去してしまうと、オリアーナさんがどう変化するかが予想できなかったので、安全策を採ったのだ。
これでルークさんの洗脳効果が発動することはないと思うけれど、異物は混じったままなので、特定の条件を満たせば意味不明な行動を取るかもしれない。
一応、彼女自身にも他人にも害にならないようにはしたはずだけれど、保証と補償もしない。
「もう終わった。服を着て」
オリアーナさんは、しばらく口を半開きにした間抜けな顔を晒していたけれど、すぐさまホッとしたような、残念なような複雑な表情で乱れた服装を直すと、姿勢を正してから頭を下げた。
洗脳をどうこうしたとは言っていないのだけれど、自身の魂のことだし、何となくでも気づいているのかもしれない。
◇◇◇
オリアーナさんの洗脳を解いてから1時間ほどで、砂上船が監獄に到着した。
施設に入るには、厳重な警備がされた所で検査を受けることになるものの、港にいる間は不審な様子を見せない限りは基本的に制限は無い。
なので、私は船室でのんびり待たせてもらう。
オリアーナさんが、監獄に入るために過剰なまでの検査を受けているのを領域で観察する。
興味が半分だけれど、一応彼女の保護目的の面もある。
しかし、お尻の穴まで確認されているのは、さすがに度を越しているのではないかと思う。
そんなところに一体何が入るというのか、何ができるというのか。
とはいえ、ケヴィンさんは大貴族嫡流での尊属殺人――国家の根幹を揺るがしかねない犯罪者である。
そんな彼と面会しようとする人にも、充分な警戒がされるということだろうか。
まあ、これが嫌がらせのひとつになっているのかもしれない。
それでも、何度もやらされて慣れてしまったのか、堂々と大股を広げているオリアーナさんは、何だか男前だった。
ちなみに、《固有空間》も、魔法無効化空間とやらでは無効化されてしまうらしく、オリアーナさんの私物が余すところなく衆目に晒される。
プライバシーなどどこにもない。
ただし、羞恥心も失くしている人には大して効果が無い。
彼女の《固有空間》にはエッチな本が数冊入っていたけれど、「実用書です」と貫いていた。
私の前で照れていたのは何だったのだろう?
とにかく、危険物は何も無いとして、危険人物が通された。
いいのか、それで?
◇◇◇
長兄のケヴィンさんは、思いのほか快適そうな生活を送っていた。
もちろん、独房内からは出られないし、何かしらの効果がありそうな首輪は付けられていたけれど、それ以外は本を読んだりお酒を飲んだりも可能らしい。
なお、先ほどのエッチな本は彼への差し入れらしい。
手紙などと同様に検閲は入るらしいけれど、緩いなあ。
しかし、さすがに面会は魔法無効化空間で、ガラス越しの上に監視までもがつく念の入れようだ。
オリアーナさんは何度も面会に来ているので慣れているだろうし、変な真似はしないと思うけれど、出発前にひと言だけ忠告をしている。
油断するな、と。
面会が始まって、いつもとさほど変わらない近況を報告し合った後、私の話に移行していく。
天使のように可憐な少女が竜を倒して従え、ついでに死神までも従えて、神前試合ではセブンスターズですら子供扱いして、戯れに大地を抉りとって湖を造ったこと。
最早、子供の見る夢の話である。
それと、私と天使を混同しないように釘を刺しておかなければ。
そんなことを考えている間も、話は続いていた。
私の正体は、グレイ辺境伯の召喚した天使だとも、新しい愛人だとも噂されていること。
「何を言っているのかと思われるかもしれませんが、そのお姿をひと目見れば、全て真実だと――グレイ辺境伯のことは除いて理解できるはずです。事実だとしたらあのクソ野郎を許さない。ぶっ殺してやる! あのお方はマジで天使。っていうか女神様です。誰にも解除できないと考えられていたクソのアレも解除してくれましたし、間違いありません! そんな女神様に、あのボケは手を出そうと――」
オリアーナさんが興奮しすぎて、監視の人に取り押さえられそうになっていた。
ふむ、とひとつ頷く。
本人の前だと、オブラートに包まれていたらしい。
女性であることは事実になったものの、天使とか神とかは否定したい。
説明のしようがないけれど。
否定できるのはアルとの関係くらいか?
何だよ、愛人って。
他人の家庭に波風立てるような、無責任な噂はよくないと思う。
これもあれも天使と神のせいか。
やはり、神なんて害悪でしかない。
そんな話の最中、突然ケヴィンさんが意識を失って、糸の切れた操り人形のように倒れた。
などと白々しくいっても、私の仕業なのだけれど。
ケヴィンさんの外観をまねた人形に仮初の魂を込めて、ケヴィンさん本人と入れ替えた。
さすがに意志のある人を、壊さない程度の強さで強制的に取り込んだので、若干のタイムラグはあったものの、人間には認識できないレベルのものだと思う。
慌てふためくオリアーナさんと看守さん。
急いで増援の看守さんやお医者さんがケヴィンさんを診察するけれど、ただ眠っているだけで、他に変わったところは見られない。
魂以外はオリジナルのケヴィンさんと全く同じものなのだから当然だ。
その気になれば、魂や精神だって複製できるのだし。
しないけれど。
そんな感じで、大声で呼ぼうが、揺すろうが、叩こうが、ケヴィンさんが目を覚ますことはない。
突然の事態に狼狽するオリアーナさんは、当然のように拘束されてしまった。
それから二時間ほどみっちり事情聴取などを受けた末に、嫌疑不十分で解放されたけれど。
◇◇◇
怒りを隠そうともせずに、大股で船室へ戻って来るオリアーナさん。
視覚や領域に頼らなくても、足音だけで分かる。
「やっと帰ってきたようだね」
私以外の人にも、その足音で理解できているようだ。
ほどなくして、「バン」と大きな音と共に、船室の扉が勢いよく開け放たれた。
「やあ、遅かったね。あまりに遅いものだから先に寛がせてもらっているよ?」
「何てこと……を……? どう、いうこと……なの?」
初めは強かった語気が、徐々に萎んでいく。
クレームのひとつでもつけようと、息巻いて帰ってきたのだろう。
しかし、船室で優雅にお茶を飲んでいた私とケヴィンさんを見て、混乱してしまったようだ。
「いつまでもそんなところで突っ立っていないで座ったらどうだい?」
「これは一体、どういうことですか!?」
オリアーナさんは、カップを片手に貴族らしく優雅に振舞っていたケヴィンさんに詰め寄って、ドンドンと強く床を踏み鳴らして抗議していた。
ウサギのスタンピングかな?
「ははは、オリアーナのお転婆は相変わらずだなあ。もう立派な淑女なのだから、それらしく振舞わないと駄目だよ?」
しかし、ケヴィンさんには妹の憤慨などどこ吹く風。
久しぶりの自由と妹いじりを満喫したい気持ちは分からなくもないけれど、こちらの用件が済んでからにしてもらおうと片手を挙げて遮る。
『見てのとおりケヴィンは連れ出したし、オリアーナが見てきたように身代わりの人形を置いてきたから当分はバレる心配も無い。それまでに用件は済ませるしね』
「それじゃあ、行こうか」
ケヴィンさんや従者さんたちには、この二時間で大まかな事情は話してあるので、「はい」と軽く頷くだけだった。
そして、事情の分かっていないオリアーナさんだけが、「え? え!?」と狼狽している。
それでは、瞬間移動――正確には移動ではないのだけれど、他に適当な表現が思いつかないので、他の人にも分かりやすいように、便宜上【瞬間移動】と呼称する――をしようと思ったのだけれど、やはり砂上船の時と同じく、瞬間移動させようとする全ての存在がそれに耐えられそうにない。
ちょっとだけ確認してみようと、ごく狭い範囲の世界を改竄してみる。
「「何!?」」
オリアーナさんとケヴィンさんの着ていた服を、それぞれパーティードレスとタキシードに、顔にもばっちりメイク――ケヴィンさんの方は歌舞伎の隈取に改竄することはできた。
つまり、改竄自体は問題無い。
そして、この程度では、神の怒りには触れないらしい。
神といえば気紛れなイメージなので安心はできないけれど。
「何ですか、そのお顔!? お兄様にはとてもお似合いですが!」
「ははは、オリアーナだって口裂け女みたいになっているよ!」
ふたりの姿は仮装にもなるし、しばらくこのままでいてもらうとして、次にテーブルに置かれていたカップを無理矢理瞬間移動させてみる――と、「バリン」と世界が割れるような大きな音と共に、カップが世界から消失した。
壊れたのではなく、消えた。
はて、どういうことだろうか。
「「何!?」」
当然のように慌てるふたり。
しかし、衣装とメイクのせいで緊迫感は感じられない。
それはさておき、人間でも無理すればああなるのだろうか。
やはり、移動ではないことがまずいのか、だからといってどうすればいいのか分からないけれど――警戒を続けるオリアーナさんとケヴィンさん、そして従者さんのふたりを朔に取り込むと、瞬間移動を発動することができた。
移動先ですぐに彼らを取り出してみたけれど、いきなり周囲の風景が変わって腰を抜かしている以外に異常はない。
理由は分からないけれど、私以外に瞬間移動は不可能ということなのだろうか?
便利なようで制約も多い、よく分からない能力だ。
オリアーナさんたちに状況を伝えて、今日はここで一泊する旨を伝えると、水や食料と帰りの船の心配をされた。
もちろん、どれもそんな心配は無いのだけれど、安心させるためにひとつデモンストレーションを見せることにした。
砂漠の真っただ中で、世界を改竄して何の前触れもなくオアシスを創ってみた。
特に難しいことはなく、これといった問題も見当たらない。
もちろん、神の怒りも落ちてこなかった。
今日はここで神の動向を窺って、明日になっても何事もなければアイリスたちと合流することにしよう。




