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うたた寝棺桶

作者: 一唐

 春眠暁を覚えず、なんて古い言葉がございますように、春先の陽気の中での眠りというものはとかく心地の良いものでございます。できれば、時間を忘れて心置きなくぐっすり眠りたいなんて誰しもが一度は思う事ではございましょう。

 さて、昔々のある所に、そんな願望に頭の呆けた男が一人おりまして、名を与次郎と申します。一人前の大工ではございましたが、少々、いや、だいぶんなまけ者のきらいがございまして、三度の飯より好きなものがごろんとだらけるうたた寝という始末、何かにつけては仕事なんかほっぽり出して、日がな一日ごろ寝を決め込めやしないかとそんな事ばかりを考えている、そんな男でございます。

 季節は春、すっかり冬の寒さもどこかに消えてぽかぽかとした春日が続きますと、当然のように与次郎の頭の中は仕事をさぼってごろ寝をして過ごすにはどうすればいいのかなんてしょうがない考えばかりでいっぱいになります。ところが、大工の棟梁も同僚もそんな与次郎のさぼり癖には慣れたものでございますから、与次郎があれやこれやと言い訳を考えて来ましても、とたんに本音を見透かされ、与次郎は苦しい嘘にあっぷあっぷさせられる顛末になるばかりです。

 大っぴらに仕事をさぼって誰にも邪魔されずに眠るにはどうしたらいいものか、そんな事ばかりをつらつらと考えながら仕事の帰り道を眠気をこらえてよたよたと歩いていた与次郎はあるものを見て、はたとひらめきます。与次郎が目にしましたのは誰とも素知らぬ葬式の様子でありました。それから与次郎は何を思ったのか桶屋に行って、人が入れるくらいの大きな樽を買って、ひいこらひいこら借りた押し車にそれを乗せて長屋に帰ったのでございました。

 翌日、仕事場に顔を出さない与次郎に棟梁は顔が真っ赤のかんかんになりまして、同僚の一人にどうせ長屋で寝過ごしているだろうから、行って叩き起こして来いと命令します。しぶしぶながらも与次郎の長屋を訪れた同僚はそこにある物にびっくりします。

 部屋の中に与次郎の姿はなく、代わりにあるのが大きな樽のような棺桶一つだけ。同僚が恐る恐る棺桶のふたを開けてみますと、中には青白い顔をした与次郎が入っているではありませんか。同僚は慌てて棟梁の元に飛んで帰ります。今度は二人で部屋に入り中を確かめますと、やっぱり棺桶が部屋の真ん中にどっしりと居座って、中には青白い与次郎が入っています。

 そう、つまり、さぼりの与次郎が考えましたのは、棺桶に入って死人のふりをしていればずっと眠っていたって誰にもとがめられないやという事でした。

 それを知らない棟梁たちはおっかなびっくりの大仰天、昨日まで元気に仕事場に来ていた姿を見ていたものですから、驚きもひとしおでございます。

 初めは驚いて立ちすくんでいた棟梁たちですがいつまでもこうしてはいられません。中に入ってる与次郎を調べてみようという事になります。本当はうすうすはどうせ質の悪い冗談だろうという考えもあっての事でございます。

 さて、いざ棺桶の中身を調べてみようとなりましても、死人を触るなんて誰だって薄気味悪くてなかなかには出来ません。お前がやれ、いやいや棟梁がと、さんざん押し付け合いをしたあげく、しぶしぶ順番に触って確かめる事になりました。

 ですが、普段は仲間の手前気丈にふるまっている棟梁と同僚でありますが、実のところは小心者。死体なんて怖くってまともに見る事なんてできません。ですから、棺桶のふたをわずかにずらしてそこから腕を突っ込んで中を探る体たらくでございます。

 まず、棟梁が、脈は、脈はと指で探ります。すると、ひぇ冷たいと驚きます。おまけに何だかぶよぶよするぞ、こいつはだいぶ傷んでらと声を上げます。

 棟梁が触っていましたのは当然与次郎の体ではございません。きっとそう来るだろうと予想していた与次郎が用意していた豆腐でありました。ですが、きちんと中を見ていない棟梁にはそんな事は分りません。すっかり与次郎にだまされてしまいます。

 次は、同僚の番でございます。びくびくしながら棺桶の中に腕を入れますと、ああこいつはいけねえやと声を上げます。腐った汁が出てますぜ、ああ酸っぱい、酸っぱいと慌てて手を洗いに井戸まで走ります。昨日か今日に死んだばかりなのにずいぶんとおかしな事ではあるのですが、物の見方というものはどうしたわけか立場のある人の言った事に流されがちになるものでございます。棟梁の傷んでるという言葉に乗っかって、同僚はとんだ見当違いをしてしまうのでした。その実、同僚が触ったものは、与次郎が腹の足しに棺桶に持ち込んだ漬物だったのです。

 そうして、すっかり与次郎が死んだものと思い込んだ二人はどうしたものかと悩んだ末に、とりあえず葬式だという事になります。死体は傷み始めているようですから、ほおっておくと後が大変です。

 急いで坊主を呼びに走りますが、急な用事とろくなお布施なんか期待できない貧乏長屋の与次郎の蓄えですから、まともな坊主は捕まりません。結局、しょうがなくやってきましたのが、まったくもっての生臭坊主、昼間から酒の匂いを漂わせてろれつの怪しいはげ頭でございました。

 そんな有様でございますから、お布施なんてすぐに酒代のツケに消えてしまい、りんも木魚も質屋でとうに流れています。当然に、手伝いをしてくれるような小僧さんも養えません。ですが、生臭坊主はもうすっかりろくでなしが板についておりますので、実にふてぶてしくも与次郎の部屋に転がっていた割れ茶碗に鍋のふたをひょいと拾ってから棟梁と同僚たちにそれを押し付けて、それで拍子をとるように命令します。それから、自分は涅槃に入られる仏様のお姿のように、ごろんと腕を枕に横になって、ごろ寝念仏を決め込むのでした。

 ですが、事は急ぎます。式の体裁もほどほどに長屋の連中に声をかけ形ばかりの葬式が始まりました。

 形ばかりにしんみりと居並んだ棟梁をはじめとした弔問客たちを背にして、生ぐさ坊主がお経を読み上げ始めます。しかしこれがまたど下手くそ。詰まるは、かむは、読み違えるは、終いには同じところをぐーるぐる。おかげで無駄に長ったらしくて退屈です。初めは真面目に並んでいた面々も何だか眠くなってきて、めまいを覚えるありさまでした。

 そして、眠気に責め立てられているのは何も弔問客だけに限りません。元より思うさまうたた寝をするつもりで棺桶に入った与次郎が起きていられるはずもございません。

 しばらくすると、気のない生臭坊主の念仏の音に混ざっていびきの音がぐーすかり。まさか棺桶の中から音がするとも思いませんから、みんな不思議そうに顔を見合わすばかりでございます。

 そんな弔問客たちをゆであがったタコのような顔色で生臭坊主はにらみます。生臭のくせして一丁前に気位だけは立派な坊主のつもりでありますから、居眠りなんて許しません。だるまさんが転んだと子どもが遊びますように、居眠りしている不心得者に振り返ってきっとにらみを利かせますが、いるのは箸で割れ茶碗をちんとて叩く棟梁と、しゃもじで鍋ぶたをぼくぼく叩く同僚に、あくびをかみ殺して目に涙をいっぱい貯めた長屋の連中だけでした。にらみを利かせていた生臭坊主が棺桶に向き直りますと、みんな一斉に貯めたあくびを吐き出して、生臭坊主が振り返ってにらみを利かせますと、あくびを噛んで涙がぽろぽろこぼれます。なんともしめやかな葬儀の風景でございます。

 業を煮やした生臭坊主は次第に読経の声を大きくして、終いには雄たけびのような声でがなり立て始めました。そして、あんまり声が大きいものだから、自分でもどこを読んでいるのかよく分からなくなってきて、南無阿弥陀、南無阿弥陀とおんなじ所をぐるぐる行って戻ってを繰り返します。

 ちんとて、ぐーすか、ぼくぼく、南無阿弥陀。ちんとて、ぐーすか、ぼくぼく、南無阿弥陀。

 不細工なブレーメンの音楽隊の演奏に、長屋のねずみは不吉な何かを感じて毛を逆立たせて走り回り、それを見つけた猫はねずみを追いかけ飛びかかり、飛びかかった猫に驚いた老人は尻もちついて、尻もち付いた老人をよけようとした魚売りは天秤棒に提げた桶の中の魚をぶちまけて、ぶちまけた魚を盗もうとした盗人は四つん這い。四つん這いの盗人は赤ん坊と目が合って、赤ん坊は盗っ人の人相の悪さに泣き出して、泣き出した赤ん坊を母親があやそうと駆けよって、駆け寄った母親は盗っ人の尻を踏みつけて、踏みつけられた盗っ人はきゃんと鳴いた。盗人の鳴き声を聞いた犬は一緒に吠えて、犬に吠えられた馬は驚いて前脚を上げて棹立ちの姿になって、急に棹立ちになったものだから馬に乗っていた侍は落馬して、落馬した侍は腹を立て、腹を立てた侍は表の通りまで騒がしい与次郎の葬式にうっぷん晴らしに怒鳴り込んで、怒鳴り込んできた侍はにわか念仏に目を回して怪しい目つきをした弔問客たちに取り囲まれて、怖くなった侍は財布を捨てて逃げて行った。

 与次郎のぐーすか、ぐーすかといういびきに対して生臭坊主は南阿弥陀、南阿弥陀と何十回叫んだことでしょうか。ついに生臭坊主はせき込み始め、すくっと立ち上がりますと、今日はこのぐらいにしといたらぁとアコギな人々のような捨て台詞を残しますと、長屋の住民が香典代わりに供えていたしなびた大根をつかんですたすたと帰っていきました。

 生臭坊主が帰った後も、半眠半起のもうろうで棺桶相手にちんとてぼくぼくしておりましたが、ちらほらと参加者たちはようやく念仏が終わった事に気が付き始め、大あくびに伸びをして家でゆっくり眠ろうかと各々勝手に帰って行きました。後に残ったのは棟梁と同僚で、うつらうつらとしながらちんとてぼくぼくしていましたが、終いには力尽き座ったまま寝息を立て始めるのでした。

 棟梁たちが目を指しますともう長屋には西日が差し込む時間になっておりまして、万事一日の片付けにせわしない時間となっておりました。棟梁たちも葬式の片づけをしていますと、ふと足元に財布が落ちているのを見つけます。開いてみますと中には金に銀にとじゃらじゃらり。

 与次郎のやつこんなに香典置いて行ってくれる金持ちが知り合いにいるとは意外に人徳があったんだんだなあなんて言いながら、その金で酒と肴をどっさり買ってきて酒盛りを始めます。

 そんな棟梁たちに困ったのが与次郎でございます。棺桶に持ち込んだ食い物も尽きて来て、こっそり表に出るにも出られません。しかも、いい匂いをさせながら、棟梁たちがうまいうまいと飲み食いする音が聞こえてきますから、何だか腹が立ってくる。

 祟るぞぉ。

 与次郎は思わず声が出てしまいます。

 棺桶から聞こえた声に、棟梁と同僚は互いに赤ら顔を見合わせます。

 食い物供えろ、酒よこせ、祟るぞぉ。

 食い物の恨みとは言いますが、普段からまったくのほほんとした与次郎もこの時ばかりは、まるで本物の屍霊のごとく呪詛のこもった声音が出てきます。

 ところが、これを聞いた棟梁たちは怖がるどころか、ろれつの回らない声で祟るってよとお互いげらげら笑うばかりです。気の大きくなった酔っ払いからすればお化けなんて怖くもありません。

 祟るぞぉ、祟るぞぉ、本当に祟っちゃうからな、祟るんだぞ。なんて、与次郎は苦し紛れに繰り返しますが、棟梁たちは、おう、祟れ祟れと与次郎の恨み言すら肴にして酒盛りを続けます。酔っ払いの質の悪さに比べればお化けなんてそんなもんです。

 父ちゃん祟るぞぉ、祟れ祟れ。

 母ちゃん祟るぞぉ、祟れ祟れ。

 かみさん祟るぞぉ、祟れ祟れ。

 子ども祟るぞぉ、祟れ祟れ。

 じいさんばあさんも祟るぞぉ、もう死んだ。

 なんて、のれんに腕押しなやり取りを散々続けた後で、もはや打つ手がなくなった与次郎は仕方なく切り札を使います。

 花ちゃん祟るぞぉ。

 祟れ祟れと笑っている同僚をよそに、棟梁はすくっと立ち上がります。それから、食い物に、酒に、菓子に、次々と供え物を与次郎の棺桶に入れていきます。与次郎が団子を食べたいと言うと急いで買いに走りすらします。

 実は、棟梁は奥さんと子どもがいながら、居酒屋の若い奉公娘のお花という子とこっそりといい仲になっていたのでした。あけすけに申しますと不倫です。その事を、与次郎が未練を残して口外されたら棟梁はたまりません。与次郎を何の未練も残さずに墓場まで送り出そうという気持ちになるのは当然です。

 意味が解らずにきょとんとする同僚をよそに、真摯な弔いの気持ちに突き動かされた棟梁はあれやこれやと与次郎の望む物を持ってきて、祈るような気持ちで棺桶の中に入れるのでした。

 当分飲み食いに困らないないほど供え物を棺桶に入れられた与次郎は、お腹いっぱいのいい気分でまたぐっすりと眠るのでした。

 そして、次の日。前の日の酒が残っている与次郎が遅々と目を覚ましますと、何だか棺桶ががたがたと揺れています。葬式の後とくれば埋葬でございますから、与次郎の棺桶は棟梁たちの引く押し車に乗せられて、墓場に向かう道の上でした。

 このままでは死人と思われたまま生き埋めにされてしまいますから、与次郎は慌てて棺桶から出て種明かしをしようといたしますが、ふたを開けて飛び出そうとしても、頭をがつんとぶつけるだけ棺桶のふたは開きません。それもそのはずです、前の日に棟梁が与次郎が化けて出ないように釘でしっかりと棺桶のふたを留めていたのです。

 与次郎は急に怖くなって棺桶のふたをがんがんと叩きます。ですが、棟梁の打った釘はそれぐらいでは緩みません。

 出せ出せと与次郎が中で暴れるので棺桶はがたがた揺れて、それを見た棟梁たちも怖くなって押し車から手を放してしまいます。

 すると、押し車の上でろくに固定されていなかった与次郎の棺桶は、揺れた拍子に押し車から転がり落ちて、そのまま坂道をごろごろと転がり落ち始めます。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりを繰り返しながら、棺桶は跳ねながら坂道を転がって、ついには川にどぼんと落っこちます。それから、川に落ちた棺桶は昔話の大きな桃のように、どんぶらこ、どんぶらこと川を下って行きます。職人の技でしっかりと接がれた棺桶はまるで船のように水を漏らさず浮かんで川を流れて行き、やがて河口から海へと至ります。

 初めは威勢よく暴れていた与次郎でありますが、どうにも出られそうもない事を悟りますと、もう腹をくくったのか、こうなれば寝られるだけうたた寝を決め込んでやろうと決めて、棺桶の中でぐーすかといびきをかき始めたのでした。

 海に出た与次郎の棺桶は潮に流され、風に揺られ、どこまでも、どこまでも流れていきます。魚に突かれ、北前船に引っかかり、ふたの上で海鳥たちが一休み。嵐に揺られ、くじらの潮吹きでぽーんと飛んで、右も左もありはしない無尽の海原をあっちにこっちに。眠る与次郎を抱いたゆりかごは行くあても定まらぬまま、流れ流されどこまでも進んでいくのでありました。

 やがて与次郎の棺桶は一つの島に流れ着きます。島の住民の一人が浜に流れ着いた与次郎の棺桶を見つけますと、興味を抱いたのかふたの釘を引っこ抜きます。すると、中からすくっと立った与次郎が飛び出して、大きな伸びで体のこりをほぐしてから、大の字で砂浜に寝っ転がり、太陽の光に目を細め、やがてげらげらと大笑いをします。

 与次郎が流れ着きましたのは隠岐の島でございました。隠岐の島といえば日本古来よりの流刑の地。そんなわけでありますから、興味深そうに与次郎を眺めていた島の住民も、与次郎の奇矯なふるまいから、流罪にでもなった輩だろうと推し量ってこう話しかけました。

「お前さん、こんな所に流されてくるなんてどんな悪さをしたんだい?」

「へえ、ちょいと盗み食いをいたしまして」そう、与次郎は返します。

「盗み食い?盗み食いで流罪なんていったい何を食えばそうなるんだい」

「物はありきたりでございますが、なにぶん量が悪かった。ちょいと食べ過ぎてしまいました」

「食べ過ぎったってねえ。そりゃ、いったいなんなのさ」

「へえ、一生分のうたた寝でさぁ」

 そう言って与次郎は太陽のぬくもりを確かめるように心地よさそうに砂浜で体をのばすのでありました。

 その後、与次郎は隠岐の島に住み着いて、働き者として知られる大工になったのでした。

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