02話 解放と思惑
千年樹の若葉のリース、精霊の涙が入った杯、サンクトゥスの森に伝わる特別な装飾が施されたマント。
現在ワシは、とある儀式の為に必要な物を集めている。
あの後アーラに急かされ、急遽旅に出るを準備をさせられたのだ。
普段から家の中を綺麗にしていて良かった。
アーラは普段大人しいが、一度熱中してしまうとワシでも止めるのが難しい一面があった。全く、誰に似たんじゃ……。
「[気付く事も、知る事すらも無い
真実は我だけが知っているのだから__ハイド]」
そう唱え終わると、淡い光が地面に残っていたワシの足跡を包み込む。
数秒と経たずに淡い光は消え、足跡も綺麗さっぱりと消えていた。
これは追っ手を撒く時や、狩りなんかをする時にも大変役に立つ、幅広く使える簡単な隠蔽魔法の一種である。
本来は[ハイド]と唱えるだけで良いのだが、しっかりと詠唱する事によって、魔法の痕跡さえも消す事が出来るすごい魔法なんじゃぞ!
まぁその分消費する魔力は多いが……。
何故ここまで痕跡を消すかというと、アーラのとある一言が原因だった。
「全てが終わる前に誰か一人にでも見付かったら、一生サンクトゥスの森から出られませんよ」と、さも当然の様に言われたのである。
なんじゃそれ、怖すぎんか……?
三百年間長をしているが、そんな話は一回も聞いた事が無い。
ワシが知らぬ間に、新しいしきたりでも出来たのか?
長のワシが知らんのは流石に可笑しいとは思うがな。
若干の気味の悪さを感じながら、アーラと共にひっそりと計画を進めて行く。
儀式や祈りの日等、特別な日にしか使わない部屋の床に魔方陣を丁寧に記す。
そして窓に布をかけ、薄らと互いの顔が見える位の暗さに調節した。
部屋に入った途端に計画がバレてしまってはいかんからな!
……これで、準備は出来た。
「アーラ、レフィを呼んで来てくれるか?」
「はい、シルヴァ様。絶対に上手く行きますよ」
アーラは再び楽しそうに、にこりと微笑んだ。
「シ、シルヴァ!」
大きな音を立てながら、部屋の扉が開かれる。
急いで来てくれたのか、レフィの額には汗が滲んでいた。
あれからずっとエレネと喧嘩していたらしく、レフィの体には生々しい傷が増えている。相変わらずエレネは容赦ないのう……。
瞳に歓喜の色を滲ませながら、レフィはワシの方に早足で近付いて来た。
な、なぜそんなに嬉しそうなんじゃ?
あまり見た事が無い、レフィの心から嬉しそうな笑顔に良心が少しだけ痛む。
けれどここで怖じ気付いていては、ワシは一生ここから出られん。
これから何が起こるか知らない彼奴には悪いが、ワシの為に犠牲になって貰おう!ワシを抱きしめてふにゃふにゃと笑っているレフィと、視線を合わせる。
ニヤけそうになるが我慢じゃ!唸れワシの表情筋!
「レフィ、ワシな……」
「なぁに? シルヴァ」
「お主に長を継承する事にした!」
「……は?」
ワシを抱きしめているレフィの口から、間抜けな声が出たと同時に、部屋の中が明るく照らされる。アーラが窓にかけていた布を取り払ったからだ。
何が起きているのか分かっていないレフィに、素早く千年樹の若葉のリースを被せ、特別な装飾が施されたマントを羽織らせる。
そこまでされれば、ワシが何をしようとしているのか気付いたらしく、彼奴は逃げようとした。が、レフィの体にはいつの間にか魔法で作られた鎖が絡み付いており、逃げようとすればする程体に巻き付く。
「ちょ、ちょっとシルヴァ! 冗談キツイって……」
「冗談でも何でもないぞ! ワシはレフィ……いや、マレフィキウム。貴殿に長を継承する事にした」
「~~~ッアーラ! お前の差し金だな!!」
「いえいえ、そんな差し金だなんて……お父様がコソコソと何かしていらしたので、私も混ぜて貰いたいと思った次第ですよ」
にこにこ、うふふ……とアーラはレフィと何か話している。
昨日会ったばかりだというのに、二人のかなり仲良くなっている姿に「やはり家族なのだな」とほっこりした。
アーラがレフィを押さえていてくれている内に、小さなナイフで指先に傷を付ける。ぽたりと垂れた血が、杯の中に入って精霊の涙と混ざり合う。
うむ!これで準備おっけーじゃな!
「[我は導かれず、我こそが導く
この地に宿る全ての聖霊と神に告げる
刮目せよ! 今此処に、新たな長の誕生を!]」
「い、嫌だ…! やっとここまで計画を__むぐっ!」
レフィの口に、杯の中身を流し込む。
なんか計画とか言っておったが、今直ぐ行動していないという事は、そんなに大切な事でもないんじゃろう!
それに抵抗するかと思っていたが、案外すんなりレフィは杯の中身を飲み干した。薄っすら甘い精霊の涙と、鉄臭い先代の血が混ざり合い、お世辞にも美味いと言えない代物なのになぁ……。
ま、とりあえずこれでワシは無事長から解放されたという訳じゃな!
体にあった長の証の文様は、今はワシではなくレフィに刻まれている。
目に見える形で現れた自由の証に、自然と頬が緩む。
自由!あぁ、なんと素晴らしい響き!
いそいそと残りの荷物も鞄に詰め込み、森の皆に長をレフィに継承した事と、旅に出る事を手短に伝える。
相も変わらず、皆に行かないでくれと止められたが知らん!
今直ぐワシは旅に行きたいんじゃ!ぜっっったいにな!!
ワシのあまりの剣幕に驚いたのか、皆は渋々といった様子で送り出してくれた。
今此処から、ワシの旅は始まる。さて、何をしようか?
世にも珍しい中性のハイエルフは、新しい旅路に胸を高鳴らせた。
「はぁ~~~~……アーラ、どうして邪魔したんだよ。折角ここまで計画を進めたのに全部パァじゃん」
ムスリといかにも不機嫌です、という表情をさせているのは、私の父親のマレフィキウムだ。……この人は、正直言って回りくどすぎる。
欲しいモノがあれば、さっさと手に入れてしまえばいいのに。
全部知らないまま笑っていていて欲しいだなんて、なんて生ぬるい考えなのだろう。私にはそんな風に考えられない。
今まで私は、自分の力で全てを手に入れて来た。
あの人に見て貰いたくて、あの人の傍に居させて欲しくて、勉学も魔法も他のエルフ達の何倍も頑張って、体だってあの人を守れる様に鍛えた。
地位も、お金も、この場に立つ権利すら全部私は掴み取って来た。
……きっと、あの人だって手に入れてみせる。
「ぷっ……あはははは! それは無理だよ」
父の方を見ると、彼は私と目を合わせてニヤリと笑った。
その下劣な顔、シルヴァ様が言っていた通り、見ているだけで凄く腹が立つ。
うっかり何発か殴ってしまいそうだ。
というか、勝手に人の思考を読むのは止めろ。
冷笑嘲笑を含んだ笑い声に、無意識に拳を握る。
「おいおい、そんな怖い顔するなよ。アーラ、お前だって本当は分かってるんだろ?」
「何がだ」
「あれ? 猫かぶりはもう終わりなのか? ……シルヴァが、誰のモノにもならない事だよ」
またニヤリと父は笑う。嘲る様に、揶揄う様に……。
その笑いには、自分の詰めの甘さを後悔している事も含まれているのだろう。
父は、シルヴァ様が好きなのだ。ここで一言言っておくと、シルヴァ様は世にも珍しい《中性》のハイエルフである。
要するに性別は男でも女でもないし、逆にどちらでもあるという事。
本人曰く「どちらにでもなろうと思えばなれるぞ!」との事だ。
シルヴァ様は女の私から見ても、それはそれは美しく凛々しい顔立ちをしている。絹糸の様に艶やかな白銀の髪、大きく澄んだ青い瞳は宝石よりも美しく、服からのぞく白い肌の四肢は艶めかしくしなやかだ。
このサンクトゥスの森で一番だと言い切れてしまう程、シルヴァ様は美しい。
まぁ勿論中身もだが。
あの方は肩書きや見た目で絶対に人を判断しない。
更には困っている者を放って置けないお人好し。
悪意や下心を持って接して来る訳でもない。
私達の喜ぶ顔を見て、心の底から嬉しそうに笑う。
そんな優しく、温かい人だからこそ私も父も、シルヴァ様が欲しいのだ。
そんなお優しいシルヴァ様を、私は父にだけは渡したくなかった。
……シルヴァ様を縛り付ける為だけに先代の長の娘と結婚し、私を儲けた男だぞ?何度考えても、頭が可笑しいとしか思えない。
が、私も男だったら父と同じ方法を取る気がするので、思うだけに留めるが。
結局は血は争えないという事だ。
母が可哀そうだと思うだろうが、実際はそんな事は無い。
母も母で好きな者がいて、今は共に暮らしている。
正直娘の前で毎日ベタベタするのは勘弁して欲しい。
そう、父と母は互いを隠れ蓑にしたのだ。
シルヴァ様の前でした喧嘩も全て演技。
まぁ父はシルヴァ様が好きだという事を、皆に隠さなかったが。
むしろ聞かせて脅sンン゛ッ……お願いしていた程だ。
これがシルヴァ様がサンクトゥスの森から出られなかった理由である。
長の決まりやしきたりなどと、嘘も甚だしい。
他人の命と自分の命、どちらを選ぶ?と問われ、皆は自分の命を取った。
可哀そうで、可愛らしいシルヴァ様……。
皆に見捨てられ、独り孤独に長の仕事をこなす姿は孤高で美しかった。
けれど自由になれずに苦しむ姿だけは見ていられなかった。
だから私はシルヴァ様を長から……父から解放したのだ。
あの方はこの様な場所で閉じ込められて良い方ではない。
「アーラ、お前はなぁんにも分かってないな」
「分からなくていい。シルヴァ様が笑ってくれるならそれで……」
「やっぱり俺とお前は似てるよ。俺も昔、お前と同じ事をしたんだ」
瞳を細めて、父は笑った。
「きっと後悔するぞ」と言いながら。