07 Tシャツ
朝、カイルが目覚めると、暗く冷たい牢屋の部屋に戻っていた。
寝ていたのは、固いベッドだった。
カイルは昨日の出来事が夢だったのか?とパニックになる。
「カイル!」
蘭の呼ぶ声がして、壁を見ると、3人が心配そうにこっちを見ている。
壁に駆け寄り、手を付く。向こうには行けない。
壁を叩く。叩く。
このまま、チョーカーも足枷も着けていないカイルを見られたら、カイルに危険が及ぶ。
「チョーカーと足枷を着けろ」
葵が必死に叫ぶ。
壁際に葵がこちらに押し込んだ、チョーカーと足枷があった。
カイルが頭の中で叫ぶ。
(何で僕を喜ばした? どん底に突き落とす為か? そうだ、魔法でこの馬鹿げた建物を破壊してやろう)
震える手の先が、青く光ってくる。
「カイル、落ち着いて! 私が見えるでしょ? まだ繋がってるから大丈夫!」
蘭の言葉に、壁を見る。
蘭が泣きながら、こっちを見ている。
少し冷静になったカイルは、震える手でチョーカーと足枷を着ける。
それから、幽霊のようにぶつぶつ言って、下を向いたまま歩き出す。
ガチャッとドアが開く。いつもの侍女は、ぶつぶつ歩き回るカイルを、気持ち悪そうに見ると、二歩入っただけで、入り口付近にご飯を置いて、さっさと出ていった。
「ウワッ」「キャー」
ドン。ドサッ。
カイルが蘭の叫び声に振り返る。
「こっちに蘭と葵がいる?」
「イテテ」
壁に凭れてたら、急に壁が消えたのだ。葵が肩を擦る。
「カイルー」「蘭」
蘭は立ち上がると、直ぐにカイルに抱きついた。
冷静沈着な葵が、この現象の分析を始めた。
「きっと、あの侍女が来るからカイルはこの部屋に戻されたんだ。カイルだけでなく、僕らもこっちに来たのには、理由があるはずだ。あー、お母さんはこっちに来ないで、朝御飯の準備してきてね」
葵がウロウロと部屋を見て回る。
ドアを調べるが、鍵がかけられてこの部屋しか見れない。
「今の所、この部屋は改造してもいいという事か」
「ヨシッ、カイルも蘭も戻ろう」
「お兄ちゃん、何かするんじゃないの?」
「道具を揃えてから、この部屋をあの侍女の使いやすい様に変えてやろう。でも先ずは朝御飯。そして学校だよ。蘭は今日も休むつもりなの?」
「休まないよ・・カイルと居たいけど・・」
葵の考えた通り、カイルはすんなり蘭の部屋に戻れた。
3人ともダイニングに揃った時、百合はほっとした。
朝御飯の納豆を混ぜている葵を、驚愕の表情で見るカイル。
「それは、食べ物ですか?」
「あー、そうなんだけど、匂いと粘りで嫌いな人が多いから、無理しないで」
「何事も挑戦よー」
蘭がそう言って、小さなカップを渡す。
カイルは言われる通り、タレを入れて混ぜてみる。
粘る。粘る。
ちょっとだけご飯にのせる。
箸がまだ使えないので、スプーンで食べる。
どお?とみんなが目で聞いている。
ここは、美味しいと言うべきか、と迷ったが、
「美味しいのか美味しくないのかもわからない味です」
正直に感想を言う。
「はは、そうだよね。カイル、正直が一番だよ。うっかり美味しいって言ったら、お母さんは毎日納豆を買ってくる所だったよ」
「え? 毎日? それは困る」
嘘を吐かなくて良かった。
カイルはほっとした。
二人が学校に行ってから、百合が『買い物行くから付いてきて欲しい』とカイルに言った。
家の外に出るのはワクワクするけど、不安もある。
葵の提案で、遠縁の、訳あって登校拒否の子を預かっているという設定になった。
出掛ける時は黒のカツラを被って人目を避けよう、と言うことになった。
外に一歩出るとそこから驚いた。
綺麗な家がずらっと並んでいた。
道は固くて灰色で、全然デコボコしていない。これなら馬車でも揺れないなとカイルが思っていると、百合が変な物の前で待っている。
ドアを開け、「乗って」とカイルに手招きしている。
カイルが戸惑いつつもそれに乗ると、動き出した。
「馬は?」
カイルはキョロキョロしている。
「説明してなかったね、ごめんごめん。これは自動車って言って馬は要らないのよ」
馬車だともっとガタガタ揺れて、
お尻も痛くなるのに、自動車は乗っててもお尻がふかふかだった。
それに町も全然違った。道の両側には木が並んでいるし、人が歩く道は一段高くなっている。素敵だなーとずっとカイルは外を見つめていた。
すると、お城の様な大きな建物が現れた。
沢山の自動車が列をなして、その建物の中に入っていった。そして順番に線の書いてある枠の中に、どんどん止まっていく。
百合は車を止めると、ちょっと薄暗くて不安顔のカイルを車から連れ出して、明るい店内に向かった。
ここは大型ショッピングモール、で、百合はここにカイルの服と、生活用品を買いに来たのである。
吹き抜けの3階建てで、店舗数も多い。
「迷子になるから、手を繋いでお店を回りましょう」
そう百合に言われ、カイルは素直に手を繋ぐ。
母とさえ手を繋ぐ事がなかったカイルは、百合の手が温かくて嬉しかった。
百合が嬉しそうに、とある店の前で立ち止まった。
「ここの服、絶対にカイル君に似合うと思うのよ。それにここなら、葵の服のサイズも置いてあるし。私、一度やってみたい事があったのよー。うふふ、夢が叶うわ」
百合がハイテンションのまま店に入る。
「先ずは長袖Tシャツね。カイルはどんなのが好き?」
急に聞かれてカイルは困った。ここにはそのシャツだけで、沢山並んでいたから、どうやって選べば良いのか、全く分からなかったのだ。
文字の書いてあるシャツが、多くて困った。
『キスして』
『私に不可能な事は一つもない』
など、書かれているのだ。
それを来て歩く何て恥ずかし過ぎる、とカイルは店内を探し回っていた。
漸く、真っ白なシャツの胸元に、にっこり笑顔が描いてあるのを見つけた。
(これ、かわいいなー。でも百合はいいって言ってくれるかな?)
カイルはちょっとドキドキしながら、百合に見せた。
「あら、可愛いじゃない! よしカイル君のサイズと160のサイズ2着買うわよ」
百合は他にも色々買っていたが、どれも2着ずつだった。
「フフフ、兄弟でペアルック。やってみたかったのよー。夢が叶うわー」
店内ではしゃぐ百合に、店員の生温かい視線が降り注ぐ。
カイルはちょっと恥ずかしかったけど、百合がウキウキしてるのが嬉しかった。
カイルの母はあまり感情を表に出さなかった。他の女の人もそうだった。だから、蘭や百合の表情がコロコロ変わるのが、とても好ましかった。
百合はハイテンションのまま、靴、パジャマ、下着、生活用品を買った。ここで、お腹が空いたことに気付いた百合が、フードコートにやってきた。
「ここなら、好きなもの選べるから、取り敢えず一周回ってみよう」
端の店から順番に、百合はどんな食べ物か教えていく。
お好み焼きとたこ焼きのソースの焦げる匂いに惹かれたカイルは、それを頼んだ。
目の前でくるくる丸まっていくたこ焼きは、ずっと見ていられる程面白かった。
お金を渡して手渡されたのが、小さな小箱だった時はショックだった。
シュンとしていたカイルを見て、直ぐに百合が「それが鳴ると出来上がりの合図なの」と教えた。
思っていた以上の音がなり、びっくりした。百合が運んでくるのを、荷物番をしながら待っていた。
お好み焼きもたこ焼きも熱かったけど、とても美味しかった。
食べ終わった後、カイルが隣の子が食べているソフトクリームをチロチロ見ていた。
百合は早くカイルが甘えてくれると嬉しいなと思いながら、声を掛けた。
「カイル君、あれ食べたい?」
カイルはこれ以上、わがままを言っていいのだろうかと躊躇した。
「私もソフトクリーム食べたいから、一緒に食べよう」
百合はカイルが、もっと子供らしく、自由になるようにしたいと思う。
ソフトクリームを食べているカイルは、目を真ん丸にして嬉しそうに頬張っている。
百合は一つずつカイルの自由と尊厳を固めていこうと決意した。
食後、食料品売場まで来た。
「そうだ、カイル君なんか食べたい物ある?」
「食べたい物?」
「うん、そう。カイル君が今日食べたい物」
「僕が決めてもいいの?」
カイルは今まで食べたい物を聞かれた事がない。
百合は、カイルが何を言うか期待して待っている顔だ。
(焼き肉? 天ぷら? 唐揚げ? 何を選んでくれるかな?)
「あの、僕カレーが食べたい」
言った後、百合が嫌な顔をしないだろうかと見つめた。
「うっ、かわいい! 葵も小さい時は可愛かったンだけどね。うん決定! じゃあ今日の晩御飯はカレー」
百合が嬉しそうにガッツポーズ。
「じゃあ、カイル君がじゃがいもと人参と玉ねぎをかごに入れてね。私はレタスとトマトを入れるから」
「ハイ」
カイルは任されたのが嬉しくて、百合が教えてくれた場所ヘ走っていく。
じゃがいもと人参と玉ねぎは、並んで置いてあった。
野菜を選んで持っていくと、それを見ていたおばさんが、「お母さんのお手伝い、偉いわね」と誉めてくれた。
カイルは嬉しかったけど、百合の子供じゃないのに、嫌な思いをしたんじゃないかなと気になった。
「そうなの、うちの子よく動いてくれるので、助かるのよ」
百合が誇らしそうにしてくれたのが、自信を持つ切っ掛けになった。
そして、カイルは心の中で「うちの子」と言うフレーズを何度も繰り返した。