51 成人
舞踏会当日。
リリオと一緒に蘭と葵とアイラは会場に入った。
蘭のドレスは濃い青色に銀の刺繍の蘭の柄が入ったドレープが美しいドレスだった。
陛下が作ってくれたドレスだが、生地と柄はカイルが決めたのだった。
陛下とカイルが二人で何日も考えてくれたのだと思うと蘭は嬉しかった。
アイラのドレスも陛下がリリオに作るように申し付けた。リリオと葵が理数系の頭をフル回転させて作った・・と言いたいが、二人の脳みそではとてもじゃないが、まともな色のドレスが作れないと判断した仕立て屋さんのデザイナーが殆どを決めた。
陛下が開会の挨拶とカイルに成人の祝いの言葉を送ると、ご令嬢達の熱が上がった。
我先にカイルの元にやって来て、手を差し出す令嬢がいた。
彼女は15歳とは思えない色っぽさでスッと手を差し出した。
彼女は以前にポールの家でカイルに「汚い」と罵った人物だったが、気にすることなくカイルに「踊りましょう」と言う。
カイルには後ろ楯がないから、彼女のように身分を傘にきて、カイルにすり寄って来る女が多いのだ。カイルが断るとまた違う令嬢達が押し寄せた。
貴族学校で、図書館でカイルとすれ違っても庶民だと思い、まるで汚い者を見るようにしていた令嬢が沢山よってくる。
どの子もカイルを見てはいない。
カイルの後ろに座ってる陛下を見ているのだ。
この会場の中でカイルをカイルだと認識して見てくれているのは、会場の中で蘭だけだった。
会場の中で、香水臭い令嬢が山のようにいたとしても、彼女がいるだけでここは特別な空間になる。
いつのまにか、カイルは自然に蘭の前に跪いて「踊って下さい」と声を掛けていた。
一斉に会場が騒ぎ出す。
「あの子って誰?」
「見たことがないわよ」
カイルの行動を後押しするように、陛下も蘭の傍に歩み寄る。
そして、宣言するように蘭を紹介した。
「彼女はラン・オーキッド・ディサ。ディサ家の公爵令嬢にして、私の孫カイルの婚約者だ。皆の者どうぞ仲良くしてやっておくれ」
パチパチパチとまばらな拍手の後に、大きな拍手が聞こえる。振り向くとロペスとサーガイル公爵と息子のトレスだった。
その拍手に誘発されるように、拍手は大きくなった。
二人は会場の中心まで来ると踊り出した。小さな頃から練習してきた蘭は誰よりも軽やかにステップを踏めた。
剣道で培った体幹はさすがの物だった。
「やっぱり、蘭は綺麗だ。そのドレスもとっても似合っているよ」カイルのハンカチーフは蘭の生地とお揃いで、それを見た人々はカイルと陛下の本気を窺い知る事ができた。
陛下のお陰でカイルは洪水のように押し寄せる令嬢達から逃れる事ができた。カイルの後には、蘭はリリオ、ロペス、トレスを相手にダンスをしていく。これで、蘭を探ろうとする人々から守れた。
カイルの成人のお披露目は、陛下も大満足の結果で幕を閉じた。
陛下がカイルの婚約発表をこんなにも急いだのには、訳があった。
最近、陛下は心臓が鷲掴みされたように痛む時があるのだ。
カイルには大好きな女の子と一緒に歩んで欲しいと願っていた。それには、自分が認めた女性だと死ぬ前に宣言しておかねばならない。
カイルが嬉しそうに蘭と踊る姿を目に焼き付けるように陛下は見ていた。
陛下はカイルと二人で、蘭の衣装を考えている時は楽しすぎて時を忘れる程だった。
人生の最後にこんなに楽しい事が起こるなんてと幸せを感じていた。
舞踏会後の陛下は僅かな時間を惜しんで、カイルや蘭と会った。
蘭と一緒にお菓子作りをした事もあった。
そして一度だけ、お忍びで春木家に遊びに来た事もあった。
百合はカイル、蘭、葵、アイラと一緒に鍋を食べる陛下の写真を撮った。陛下はカイルと二人の写真や陛下とカイルと蘭の写真を嬉しそうに眺めていた。
陛下は大事に写真をもって宮殿に帰った。
寒い冬が過ぎて、もうすぐ花見の季節に陛下に来てもらう計画を立てていたが、その矢先陛下が亡くなった。
国中悲しみに覆われた。
すぐに、アダン皇太子が即位して、アダン皇帝となった。
ここから、国の舵取りがおかしくなっていく。
アダンはいきなり、大掛かりな皇居の改築を行った。
その他にも、大きなパーティーや舞踏会を頻繁に行いだした。
まだ、この頃は国民もアダン陛下を期待の目で見ていた。
しかし、今年の初夏に葵が天候で気にかかることを言い出した。
太陽観測をしていた葵の友達である以前寮長だったスタン・パルミアが平年よりも黒点が多く、大きいと教えてくれた。
地球でも、太陽の黒点が増えたり大きくなった年は冷夏による不作が心配される。
今でこそ備蓄米などがあり、対応できるが、昔は飢饉が起こった。
しかし、この世界では備蓄米の機能がない。
葵はカイルとリジュールとサーガイル公爵と連絡を取って、飢饉に備える準備を訴えた。
しかし、アダン陛下の回りにいるのは、役に立たない胡麻すり役人しかいない。
リジュールもイサベルト陛下の第1側近だったが、冷飯を食わされている。
サーガイルは宰相に近いと噂されていたが、自ら政治から退いた。
「アダンはいつか落ちるだろう? その時に巻き添えを食らうのはごめんだからね」
とあっさり領地に退いていた。
アダンはまだ基盤がないにも関わらず、自分勝手な政策を押し通していた。
アダンが皇帝になっても、未だカイル人気は平民の間で加熱していた。
そのカイルが冬に備えて今ある食べ物を大事に備蓄していて欲しいと訴えた為、庶民はそれに従った。
回りの国々にも、自国で食べられる食料の冬に向けての保存、備蓄を徹底するように通達した。
春先から雨が多く、初夏にかけても長雨が続いた。そして、恐れていた赤カビが発生。多くの国で小麦の被害が報告されだした。
米を作っている国も、夏に気温が上がらず秋に実るはずの穂の中は空っぽだった。
冷夏の影響が著しい中でも、気にする事なくアダン陛下の浪費癖は治らなかった。
財務担当官がとうとうアダン陛下にお金がないと告げると、帝国学校の一般校を廃止にしろと告げた。それで浮いたお金を舞踏会に回せと言った。
アダン陛下の告示1ヶ月後に一般校が廃止になった。
庶民の怒りは浪費を繰り返すアダンに向かう。
冬には収穫できる穀物がなく、寒さも平年をかなり下回る気温になった為に庶民は飢えと寒さに苦しんだ。
カイルは自分の屋敷に葵、サーガイル公爵、リジュール、リリオ、庶民代表でフランコ・ターナを集めて会議を開く事が多くなっていた。
この会議で各国に救済所を開いてもらい、備蓄していた食料を飢餓に苦しむ人達に分けるように通達した。
各地で救済所を開いた結果、餓死者はかなり抑えられてがそれでも、村自体にもともと蓄えがなかった所では死者がでた。
暖かい地域から暖を取る為の木材を輸入し、寒さの厳しい地域に送りたいが、カイルが独断でできる金額ではない。財務担当官を呼んで話を聞く為に屋敷に呼んだ。
また、食べ物がなく盗みを働く人が増えたが、アダン陛下は「捕まえたら牢屋に入れておけ」と言うだけで根本の対策を取らない為に牢屋が満杯になった。
それにも対処する為にカイル達は法務省トップのドニール侯爵を屋敷に呼んで、一時的な法的措置を取ったりした。
そのうちに宮殿には役人がおらず、アダンの執務室に来るのは胡麻すり役人だけになった。
今や政治の中心はブルーオーキッド邸だった。
それに気がついたアダン陛下は、反逆罪でカイル達を捕まえようと画策し始めた。
人々を救うのに必死なカイルは、それに気が付かなかった。
ある日の昼頃、アダン陛下の密偵がブルーオーキッド邸にリジュール、リリオ、サーガイルが集まっているのを確認すると、合図を送った。
まず、侍女を人質に取った。優しいカイルの抵抗をなくす為だ。
アダン陛下の肝いり第1騎士団は、弱い庶民の敵のような卑劣な行動ばかりが目立つ集団だった。
だから、侍女に刃を向けて人質にする事は、何の躊躇いもなく出来た。
「おい、カイル出てこい。出てこないとこの女が一番始めに死ぬことになるぞ」
騎士の一人が玄関先で叫ぶと、その声を聞いた家令のとクロフォードが出てきた。
「あいにく、当家主人は外出中です。お帰りになってからそちらの用件をお伝えしますので、一先ず我が屋敷の侍女をお返し下さい」
クロフォードは大声で答える。この声を聞いた使用人が、カイルに伝えてあの壁のある部屋に行くまでの時間を稼ごうと思った。
「残念だが、カイルが今日は朝から家にいるのは確認済みだ。お前も屋敷の者は全て捕まえろと指示されている。誰も逃がす分けにはいかない」
第1騎士団長が言うと、クロフォードも捕まった。
その後ろでカイルが怒鳴る。
「私の屋敷の者に手を出すな。私は何も悪い事をしていない。アダン陛下の前でそれをきっちり釈明させてもらう」
「カイル様いけません。アダンは釈明を聞く気はないです。カイル様の人気を妬んでの事、何をするかわかりません」
クロフォードが縄で縛られている体を使って騎士を止めようとするが、カイルは手で制する。
「大丈夫だ。アダン陛下はきっと分かって下さる」
カイルはそのまま、第1騎士団に捕まってしまった。
いつもの魔法無効化の首輪に、後ろ手に縄で縛られた。
沢山の騎士団がカイルの屋敷に突入していたのを見た人々は、カイルを心配するあまり、大勢押し寄せていた。
そんな彼らの目の前に後ろ手に縛られて歩かされているカイルが出てきたのだ。
アダンは見せしめにと宮殿までそのまま歩かせて、カイルを連れて来いと命令していた。それに従い第1騎士団はカイルを歩かせて連れ回した。
それを見た庶民にアダンは自分の権力を誇示させようと考えたのだが、実際にそれを見た庶民は、アダンへの怒りが倍増しただけだった。
「何て事だ。私達の食料の為に奔走して下さったカイル様にあんな仕打ちをするなんて・・・」
「カイル様は私達の希望の光だったのに・・」
カイルの姿に泣き出す者が多くいた。男達は拳を握り締めていた。
宮殿についたカイルは、アダンの前に召しだされた。
「アダン陛下、私は謀反や反逆等考えておりません。この危機的状況を乗り越えようと動いていただけなのです」
アダンに訴えれば分かってくれるかも知れないとカイルは期待の目を向けるが、アダンはうんざりした顔で、いつもの癖で爪を噛んでいた。
「危機的状況って何だ? お前が金を食料に変えたり毛布に変えたりするから、国庫が減ってしまったんだろう? そのために今度建設しようとしていた離宮の工事が止まってしまったんだ。この責任をどうするつもりだ?」
カイルは暫く声が出なかった。
(こんなにも国民が飢えて困っている時に離宮建設? え? 馬鹿なのか? ああ、サーガイルも馬鹿だって言ってたな。そう言えば『話をする時間が無駄になりますよ』って言ってたのは・・リジュールだったかな? みんなの意見は正しかったな)
カイルはサーガイルのどや顔が頭に浮かんで、肩を竦めた。
カイルの動じない態度に苛々したのはアダンの横に立っていたアダンの息子のドニエマーロだった。
「父上、早くこいつに処分を言い渡してよ」
息子の言葉に、アダンは薄気味悪い笑顔をカイルに向けた。
「お前の審議は今終わった。反逆罪は死を以て償え。処刑は明日だ」
言い終わった時、アダンとドニエマーロはカイルの恐怖に歪む顔を待ったが、いつまでたってもカイルの顔は変わらなかった。
カイルは、明らかにこの茶番に飽きていた。
「分かりました、じゃあもういいですか?」
カイルが縄で縛られたまま、よっこいしょと立ち上がり、牢屋に向かう。
ドニエマーロがその後ろ姿に慌てて声をかける。
「おい、お前は明日になれば自分がどうなっているのか分かっているのか?」
カイルが立ち止まる。
「明日も早いので、失礼します」
首だけちょっと向けてカイルが答え、歩き出した。
カイルは牢屋に入れられた。
となりの牢屋にはクロフォードや、サーガイル、リジュール、リリオ、そして、ロラン騎士団長とその騎士団、ドートレイン騎士団長とその騎士団。あの屋敷にいたものは侍女や使用人に至るまで、悉く捕らえられていた。
「ちょっと人数が多くないですか?」
カイルが人数の多さに驚く。
「まさか、全員無抵抗の人間まで掴まるなんて思っていませんでした。カイルの屋敷で働く者が全てここにいます」
ロラン騎士団長が笑う。
人数の多さに躊躇いながら、カイルはポケットから真珠を取りだし指に嵌めた。そして、真珠の指輪を壁に当てて呟く。
「愛しい蘭の部屋へ」




