39 桃のゼリー
「おい、トレス。昨日はどこに行ってた? 侍女に呼びに行かせたが居なかったそうじゃないか」
ドニエマーロが2年生の教室までやってきてトレスに文句を言っている。
「ドニエマーロ様、申し訳御座いません。急用の為に家に帰っていました」
トレスはいつもの張り付けた微笑みで、口角をあげようとしたが、今日はずり下がってくる。
「今日は呼びに行かせるまでちゃんと部屋で待っとけよ」
ドニエマーロの言葉にトレスの笑みは消え去った。
父の『学校ではドニエマーロ様の用事を優先しろ』と言う呪文が重くトレスにのし掛かる。
「はい、承知いたしました」
もう一度笑顔を作ろうとしたが、吐き気がしてきて、出来なかった。
授業が終わりトレスが長いため息をついていると、教室の後ろから控え目にトレスを呼ぶ声が聞こえた。
振り返るとカイルが後ろの扉から顔だけ出して笑っていた。
トレスは教室の机を蹴飛ばしてでも早くそこに行きたいと思った。
「トレス、今日も自主勉しにくる?」
「私を誘いに来てくれたんですか?」
トレスは今すぐにでも『行きます!』と言いたかったがドニエマーロが頭をよぎる。
「貴族校で2年生の友達って初めて出来たから、嬉しくって迎えに来ちゃたよ。でも知らない教室ってドキドキするよね」
カイルの口から『友達』と言う二文字を聞いた途端にトレスは嬉しさの余り、ドニエマーロの事も父のサーガイル公爵の事も全部吹っ飛んだ。
「今日も行きます。じゃなかった行くよ」
と返事した瞬間廊下の向こうからドニエマーロ本人が来るのが見えた。
トレスはドニエマーロとカイルを合わせたくなかった。
「ダメだ。行きたかったけど、行けなくなった。カイル本当にごめん。今度また遊びに行くよ」
トレスは言うなり自分の教室を飛び出してドニエマーロの視線がカイルに向かないように遮った。
「ドニエマーロ様、わざわざお迎えくださったのですか?」
トレスは今出来る精一杯の笑顔を作った。
カイルに見せたくない顔だった。
「そうだ、今日はお前の家の金で下町に遊びに行こうと思ってな」
人のお金を当てにして遊びに行こうと言うドニエマーロにも嫌気が差すが、こんな奴の機嫌を取れと命令する父にも嫌気が差した。
街に行く馬車の中でも、ドニエマーロはずっと人の悪口と蔑んだ発言を繰り返しいた。
街に着いてもトレスの気持ちは晴れない。
(昨日カイル達と話してた、たわいもない話は面白かったな。私はずっと笑っていたな。自然と出る笑顔と違って、義務で作り笑顔になるのとではこんなにも心が違うのか)
今まで濁った水しか飲んでなかったのに、山の清流の水を飲み干した後でまた濁った水が飲めるだろうか? 絶対に無理だ。トレスはまたもや吐き気がしてきて、顔色は真っ青だった。
しかし、ドニエマーロに人の苦しみや痛みは分からない。
見かねた侍従が声を掛けた。
「トレス様 少し休憩になさいますか?」
「なんだ、トレス具合が悪いのか? 遅いから俺が待たなくてはならないだろう。休憩はいらないぞ」
トレスの我慢もここまでだった。拳を握って立ち上がった。
しかしトレスの侍従が、トレスの前に遮るように立ち、ドニエマーロに金貨の入った袋を渡した。
「我がトレス様はこれ以上歩けそうにないようです。こちらをお渡し致しますので、今日はこの辺で下がらせて頂きます」
金遣いの荒いドニエマーロは、親から渡されたお金を使いきっていたため、袋の中の金貨を確かめると、舌なめずりをした。
「ふん、これで許しといてやるよ」
トレスを見向きもせず、次の店に消えていった。
侍従がトレスに手を差し出した。
「トレス様、大丈夫ですか?」
その手を支えに立ち上がる。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
侍従の目が僅かに驚きを持って瞠目した。
トレスも今まで誰かを気遣ったり感謝した事がなく、使用人の気遣いは仕事であり、それにいちいち礼を言う事もなかった。
だから、侍従はトレスの口から『ありがとう』と言う言葉が出た事に驚いたのだ。
次の日トレスは学校を休んだ。家には帰らず、そのまま寮で寝ていた。ドニエマーロの声を聞くだけで気分が悪くなりそうだった。
侍従がドアをノックして入ってきた。
「カイル様とそのお友達がお見舞いにいらっしゃってますが、どうされますか?」
(私のお見舞い?)
ベッドからガバッと起き上がる。
「カイルが? ここにお通しして。その前に、私の服を出して欲しい。流石にパジャマではダメだろう?」
誰かがお見舞いにきてくれるなんて事がなかったから、トレスは舞い上がる。
侍従は少し微笑んで、「ご病気のお見舞いですよ。トレス様はそのままのパジャマで良いですよ」
とカイルを呼びにいった。
「トレス、大丈夫?」
カイルとフィオとサハラが豪華な部屋に恐縮しながら入っていく。
「うん、ありがとう。君達の顔を見たら元気になったよ」
「こんな顔で元気を出してくれるなら、いくらでも出しにくるぜ」
フィオが変顔で笑かす。
「そうそう、カイルが用意してくれたんだけど・・これ食べて元気になって」
サハラが持っていた袋を渡すとタレスが、大事そうに受け取った。
袋から取り出したのは桃のゼリー。しかし、この国には未だゼリーが無いために、食べ物かどうかも分からずトレスは光に当てて眺めている。
「綺麗だね」
「それ、食べ物だよ。吐き気で食べられない時に、いつも蘭が買ってきてくれたんだ」
(らん?)
トレスはそれは誰?と思ったけれど、目の前の宝石のように透明でキラキラしている食べ物が気になって聞き漏らした。
「食べ物なんだ・・・今食べてもいい?」
トレスはお客様の目の前で食べる事がはしたない行為だと知っているが、すぐに食べたかった。
この普通ならば止められる行為も、侍従は何も言わずにすぐにスプーンと器を用意してくれた。
開け方を知らないので侍従が苦戦していた。カイルは慌ててトレスの侍従に開け方を説明した。
トレスがプルプルしているゼリーを一口食べる。
「くうう」
と言ったきり悶絶するから侍従が慌てて駆け寄る。
「美味しい~!! こんなの今まで食べた事ないよ」
トレスがゼリーを次々口に運ぶ。
隣で見ていたフィオがゴクンと生唾を飲む。
その音に気付いたトレスがスプーンを咥え、空いた片方の手で袋をの中を確かめた。見るとまだまだたくさんゼリーが入っていた。
「カイルが良かったらなんだけど、ここでみんなと一緒に食べたいなと思うんだけどいいかな?」
トレスの嬉しい言葉に、フィオとサハラが期待を込めた目でカイルを見つめる。
「うん。勿論僕はいいよ」
「うぉー。よっしゃ。ここに来る前に見た時から気になってたんだよー」
フィオのはしゃぎっぷりに、サハラが引く。
「お見舞いの品に飛び付くなよ。トレス、ありがとうなトレス、カイル」
サハラのお礼にトレスが大いに照れた。
侍従の用意してくれたスプーンでトレスを囲んでゼリーを食べる。
そして、一口目はフィオもサハラも悶絶から始まった。
「美味しいのを分け合うってこんなに美味しいのが倍増するなんて知らなかったよ」
トレスが嬉しそうに笑う。
食べ終わってから、少ししたらあまり長居をしてはいけないとカイルが言い、それで名残惜しそうなトレスに「元気になれよ」「また一般寮で会おう」「明日な」と順番に挨拶をして、トレスの部屋を出た。
友達が去った部屋は寂しかったが、さっき食べた桃の香りが優しく残っている。
昨日のイライラが嘘のように無くなり、トレスはぐっすりと眠った。
◇ ◇ ◇ ◇
私は長年トレスさまにお仕えしている侍従です。
私は、サーガイル公爵様から信任厚いと自負しております。
その公爵様から直々に「カイル・フラン・アルフォンとの接触は避けるように」と言われていたのに、私はカイル様との接触を敢えて機会を壊す事なくトレス様とカイルさまを会わせています。
今回のお見舞いもトレス様にお伺いを立てる前に、『トレス様は就寝中です』と断われたのだが、私はトレス様の意向を聞きに行きました。トレス様は私が思った通り喜んでカイル様と庶民の友を迎え入れられた。これはサーガイル公爵様の意に背く行為であるとわかっています。
しかし、トレス様が幼い頃から仕えていましたが、これほどまでにトレス様に心許す友ができたのは始めでございます。幼い頃は無邪気に友達と遊んでおられましたが、大きくなってくるとアダン皇子の息子のドニエマーロ様と歳が近いという事で遊び相手として選ばれてから、トレス様の人を見る目がどんどん変わっていかれ、無邪気さがなくなり、ドニエマーロ様のまえでは卑屈になり、他の子供の前では尊大な態度になっていかれた。
ドニエマーロ様は幼少の頃から権力を振りかざし、トレス様は家を守る為に我慢しておられた。
そして、トレス様はどんな時も心の中が読まれないように、笑顔を張り付けて感情を表に出さなくなっていかれました。
トレス様はドニエマーロ様の権力によって歪められた自分のプライドを守る為にあらゆる努力をして、勉学も遅くまで頑張り馬術も剣術も努力を惜しまなかったのです。
そのせいで、同じ歳の子供は全て自分よりも劣っていると判断し、高圧的な態度で突き放すようになったのです。
現に近寄ってくる子供達の多くは、トレス様ではなくサーガイル公爵様に取り入る為に親の意向を受けた子達だった。
そんなトレス様を見てきた私が驚いたのは、サーガイル公爵のパーティーに来る筈だったカイル様の事を何度も何度も「カイルという子が着いたら父に内緒で私に教えろ」と言われた事だった。
私が『カイル様が着いたらどうされるおつもりですか?』と尋ねると、人に無関心のトレス様が『守るためにずっと傍にいるようにする』と仰ったのです。
ドニエマーロによってトレス様が失った目の輝きが、その時再び光ったのです。
今年から学校にカイル様が来るかも知れないと聞いたトレス様は、長年仕えていた私が見た事のない微笑みでした。
しかし、学校に来られたのはカイル様以外にドニエマーロも通われるのです。同じ特別寮で日に日にトレス様の目の輝きが無くなり、『微笑み』という仮面を被られる事が多くなりました。
貴族寮を探されても、1年生のクラスを探されてもカイル様を見つけられず、その間ドニエマーロと一緒にいる時間が多くなり、遂に
トレス様から表情が失われたのです。
そんな時に嬉々として、私にカイルを見つけたと報告されたトレス様の表情。
サーガイル公爵様の命令は私の脳みその隅に追いやってしまいました。
3年生の教室でカイル様を見つけたトレス様は、真剣な表情で後を付けていました。
それから一般寮の前でカイル様に見つかり・・・というか目のまえまで出ていかれ漸くお話をと思っていたらまさかの『あなたと話がしたくて・・』と顔を赤らめて仰るではありませんか。
これはもう、カイル様にお断りをされてしまうと諦めたのですが、流石はカイル様です。
トレス様を伴って庶民のお友達お二人と一緒にお勉強会用の自習室に行かれました。
そこから帰ってこられたトレス様は私に自習室であった事を報告して下さいました。
本来トレス様は心優しき方です。ドニエマーロに従うようになられて、私共にも距離を置かれるようになってしまいましたが、以前は私共にもお声を掛けて下さっていたのです。
再びドニエマーロがトレス様のお金を目当てに、街に遊びに行かれた時に遂に仮面を被り疲れたトレス様の気持ちが壊れ、吐き気を伴い倒れそうになってしまいました。
ドニエマーロはトレス様を気遣う様子もなく私がお金を渡すとホイホイ受け取り去っていった。
その夜はトレス様は殆ど眠りに就く事がなかった。
しかし、翌日カイル様とご友人がお見舞いにいらしゃったのです。
トレス様に必要なものは心の安らぎです。私はお仕えする方の健康を何よりも重視する事を第1に考えて行動するようにしております。カイル様をトレス様に会わす事なくお引き取り頂く事はできません。それがサーガイル公爵様の意向に反している行為だとしても。
カイル様とお会いになったトレス様は安心しきったお顔でおしゃべりをしていらっしゃいます。
私も心なしか、顔が緩んでしまいました。相手を気遣う優しい会話に私までも心が癒されました。
カイル様が一度帰られた後、もう一度この寮に来られ、『トレスが起きたらこれをまた食べさせてあげて下さい』とゼリーが沢山入った袋を渡されました。
それともう一つ小さい袋を私に渡して、小声でこう言うのです。
『それから、これはあなたの分のゼリーです。さっきフィオと同じタイミングで、侍従さんもゴクッて唾を飲んでたのを聞いちゃったんです』
にへらっとカイル様が微笑まれた時、私もトレス様のお気持ちがわかりました。心を鷲掴みされました。
トレス様のお見舞いにいらしたサーガイル様がこの様子を見ていらしたようです。
私は公爵様がいらしたので、ゼリーを仕事終わりの楽しみに取っておいて、もうひと頑張り致しましょう。
言い忘れておりました。
トレス様の侍従としてではなく、私の個人的な思いにより、途中からドニエマーロ様への敬称を省略させて頂きました事、深くお詫び申し上げます。




