37 自転車
日曜日に百合がカイルを連れて自転車屋に来ていた。
カイルが学校まで歩いて40分掛かると言うと、百合はすぐに自転車を買いに行くと言い出した。カイルは『歩くから必要ない』と言ったのに、開店と同時にここに連れてこられて入店していた。
「電動自転車がいいわよね?」
百合の言葉に大袈裟に手を降って断る。
店員さんに聞こえないように小声であちらとこちらの事情の違いを説明する。
「向こうでは自転車がないんだよ。それなのに電動自転車なんて乗ってたら大変な事になっちゃうよ」
「それなら、魔法だって言えばいいじゃない」
「ダメだよ。そんな魔法ないよ。それに学校まで坂道もないから歩いても平気なんだって。だから・・」
こそこそ話ていると、店員さんが近寄って来た。
「息子さんのをお探しですか? 今ならこちらの雨ガッパもお付けしますよ」
百合が生き生きとしてくる。
「あら、しっかりした雨ガッパだわ。すみません。このグレーの5段変速の自転車を試乗できるかしら?」
カイルは慌てて止める。
「お母さん、変速なんて要らないから」
「なんて良い息子さんだ。息子さんは安いのを探しているんだね」
勝手に勘違いした店員さんは、安いママチャリを探してくれた。
「変速は付いてないけど、軽い自転車だから、普通の道ならスイスイ走るよ。前籠も大きめだよ」
店員さんとカイルが話ていると、向こうで百合がスタイリッシュで変速付き電動自転車を指差している。
ヤバイと思ったカイルは、店員さんに「これがいいです」と普通のママチャリに決めた。
「お母さん、こっちこっち。もう決めたから」
地味目の自転車に納得が行かない百合だったが、「この籠がいい」「この紺色が気に入った」と褒めまくって納得してもらった。
「やっぱり、お母さん想いのいい子だ」と店員さんがチェーンの鍵をサービスに付けてくれた。
防犯登録やら保険を付けて、カイルは自転車で家まで帰った。
一足早く車で着いた百合から聞いていた葵が玄関で待っててくれてた。
「カイル。お母さんに聞いたけど地味な自転車選んだんだって?」
「お兄ちゃん、聞いてよ。お母さんが電動自転車を買おうとするんだもん。向こうには自転車もないのに、買ってもらったけど、自転車乗っていったら大騒ぎになりそうだよ」
「自転車ないの?」
葵が驚く。しかし、葵の頭が回転しだす。カイルは葵の脳が動き出すと必ず顎に手を当てて顰めっ面になる事を知っている。
こんな時は大人しく待っているのが一番だ。
葵が顔を上げる。
「カイル、お友達に馬車を作っている人がいないか聞いてみてよ。その人と共同で自転車を作って売り出すんだ。そうすれば、みんなが自転車に乗っていたらカイルの自転車が例え電動になっても誰も気が付かないよ」
「流石に電動自転車はばれると思うよ」
ムリムリと笑い出す。
そんなカイルに葵はまだ真剣な表情のまま話を続ける。
「その話合いの時はリリオ先生に付いていってもらうんだよ。共同経営でもなったらきちんと契約してもらわないといけないからね。それから、タイヤの大きさは規格があるからちゃんと作ってもらってね。俺が廃棄のタイヤ見つけてくるから」
「うん。。。」
カイルが葵の説明に押されて、まだはっきりと理解していない顔で曖昧に返事をした。
「カイル、今度リリオ先生にも説明したいから、連れてきてよ。ここできちんとカイルの収入源があれば、カイルがポールの家を出ても食っていけるんだからな!」
「!!!」
将来の事まで考えてくれる葵に改めて感謝した。
取り敢えず自転車創業計画はリリオが来てからになった。
自転車が出来るまでの間はロペスの馬車に屋敷の近くから乗せてもらって、帰りも屋敷の近くで降ろしてもらう事になった。
学校全体の実力テストが始まるので、歩いて帰るより少しでも勉強する時間を取った方がいいとリリオの意見でそうなった。
それから自転車は、多角経営しているフィオのお父さんが馬車の製造も手掛けていて、そこで相談する事になった。リリオもそこに来てくれるそうだ。
葵が友達の古くなった自転車を大量に貰ってきてくれて、フィオの父の工場に運んだ。
これを解体して部品を作ってもらおうと葵が考えたのだ。
フィオのお父さんのフランコ・ターナは豪快なタイプでホームセンターの店長のレンのパパに似ていた。テリーと葵は前世からの知り合いかと思う程に、気があった。
一度に沢山の事があって、カイルは大変そうだったが、『皇族を出て自立する』と言う新しい目標が出来て一生懸命だった。
だが、ポールの屋敷を出たいが牢屋の壁はカイルにとってなくてはならない物だ。
その問題をどうしようかと悩んだ。
問題は山積みだが、まずは目の前に迫っているテストだ。
実力テストは高等部は共通テストで中等部貴族校も共通テストである。だが、一般校の中等部1年生だけは下級・中級・上級の内から自分の実力にあったテストを選んで受けられる。
サハラは呑気にまずは下級テストを受ける。確かに小数点の計算で躓いている時点で下級のテストを受ける方が妥当な判断だ。
フィオは計算も速く、応用も利く。だがなぜか式が書けない。答えはあっているのに、とても惜しい。
3人は勉強会をフィオの家ですることになった。
フィオもサハラもカイルに勉強を教えてもらおうというのが目的だ。
学校の帰りにフィオの父が馬車で迎えに来てくれた。
ターナ家の馬車は、ふかふかのクッションでカイルは「乗り心地最高だな」と言ってフィオに引かれてしまった。
いつもの馬車はエルザが用意するので、ガタガタで古く、乗り心地は乗り合い馬車の方が断然に良いという物だった。
「やっぱりカイルって貴族じゃないよな」
フィオとサハラに少々呆れられた。カイルは「貧乏貴族」と思われないように頑張ったのだが、フィオの家に着いてそれがさらに悪化した。
フィオの家というか屋敷に着いてから暫く馬車で走る。そして、入り口は、馬車寄せの玄関がある。
更に通されたフィオの部屋は20畳と広かった。
あまりの広さにカイルが一言呟いた。「でかっ」
フィオとサハラは聞こえなかった振りをした。
でも心の中では(貴族って本当か?)と疑ってしまった。
勉強をし始めると、テリーが顔を覗かせた。
カイルの勉強をみていたテリーが驚く。
「お前の勉強って中等部の3年の勉強だよね?」
「アー・・言ってなかったけど、運動、魔法、歴史以外は中等部3年生の授業を受けているんだ」
これまで、隠してる訳ではなかったが、フィオやサハラとは校舎が別なのでわざわざ言い出しにくかったのだ。
「カイルってー何だか色々凄いな」
サハラが面白がる。
「カイルも凄いんだけど、カイルの兄ちゃんの葵も凄いぜ。俺より一つ年上なだけなんだけど、考えてる事がもう異次元なんだ。うちの工場長もどこの技術者が来たのか?って騒いでたよ。知識も図書館が頭ん中に入っているのかってくらいだったし。葵の事は尊敬してるんだ」
「兄弟揃って凄いなんて羨ましぜ」
フィオが自分の兄のテリーを見てため息をついた。
学校全体の実力テストが始まると、学校が緊張で静かになる。
ペンの走る音だけが聞こえる。
テストが終わると今までの鬱憤を晴らすように賑やかになった。
「やっと終わった。カイル様は今日はご用事があるのですか?」
ロペスが帰りの馬車の事でわざわざ聞きに来てくれた。
「ロペス、今日は一般校の友達の家に用事があって、そこから歩いて帰るから馬車では帰れないんだ。言うのが遅くなってごめん」
カイルが本当にすまなそうにしているのを、ロペスが「いえいえいえ、全然構わないです。ではまた明日」
と去っていった。
実は今日が自転車試作品の第1号が出来て、試乗する日なのだ。
フィオの父フランコが馬車で迎えに来てくれた。
「フィオ、テストは出来たんだろうな? カイルは・・・できたよな」
「親父、俺もちゃんと出来たよ。テストが返って来るのが楽しみなくらいだ」
フィオが自慢げに鼻をふんすと鳴らす。
「まぁ、期待半分で待ってるよ。 ところでカイルの兄ちゃんはもう工場で待っているよ」
カイルは不思議だった。
葵はこの街は初めての筈なのに、誰の家がどこにあって、どこにパン屋があるとか細かい道まで知っているのだ。
先日も、「パン屋から奥の路地はややこしい連中がいるから入るな」とか、この街の住人並みに知っているのだ。
そんな時カイルは、「葵だから知っているんだ」と思うことにしていた。
工場の前には人だかりが出来ていた。
「ターナ社長。自転車第1号です。初乗りしますか?」
工場長に言われたフランコは、自転車に跨がったが、固まった。
「そう言えば、乗り方を知らんかった」
ガハハハと豪快に笑い、自転車を降りた。
自然とカイルにみんなの目が集中して、カイルが自転車に跨がる。
サドルを上に引き上げて、一気に漕いだ。
「おおぉおおおぉぉおお」
カイルの漕ぐ速度に合わせて、みんなの声が強まったり弱まったりする。
最後にキキキィーとブレーキを掛けて止まった。
「「「いやぁったぁぁぁー」」」
自転車が完成した。
フランコが自転車を降りたカイルと葵の元に走りより、体当たりのようなハグをしてきた。
「これで、カイル君、葵君兄弟と共同経営だね」
「「はい、宜しくお願いします」」
実は始めはこの事業に葵は参加しないと言っていたが、カイルが是非一緒にして欲しいと頼み込み兄弟ですることになったのだ。
自転車が出来たことにより、明日からカイルは自転車通学が出来るのだ。
フィオも広告の為に『自転車通学をしろ』とフランコに言われ、早速今から、自転車の猛特訓が始まっていた。
フィオは運動神経がいい。葵とテリーが交代で後ろを持って何回か練習をするとすぐに漕げるようになった。
それを見ていたテリーも頑張るが、テリーは右足で一回漕ぐと、次の左足を忘れてしまうらしい。
それでも、何度も諦めずに自転車の練習をして、夕方遅くにどうにか漕げるようになった。
これでテリーもフィオも動く広告看板の一員だ。
葵が余程嬉しかったのか滅多に見れないガッツポーズをしていたので、カイルが凝視した。
「カイル君は、いい兄ちゃんを持ったな。葵は遠いのに歩いて帰ってくるカイル君を心配して、一刻も速くこれを完成させたいって、何度もここに来ていたよ。今日は本当に嬉しかったんじゃないかな?」
カイルは葵が何にも言わないから全然知らなかった。
知らない街を歩くのは、葵だって怖いに違いない。でも、カイルの為に何度もここに来ては自転車の製造に携わっていたのだ。そのついでに街を知らないカイルの為に危ない道もチェックしてくれていたのだ。
昔、初めて公園のブランコを漕いで遊んでいた時に尾形兄弟達4人に苛められそうになった時も、立ちはだかって止めてくれた。
カイルにとって誰よりも頼りになって、カイルの事を親身に考えてくれる人なのだ。
「お兄ちゃん、帰ろう」
「おう、カイル。明日から自転車登校だな」
葵が益々上機嫌で笑う。
「うん。お兄ちゃん、有り難うね」
弟からのお礼の言葉で葵は嬉しそうにカイルの頭をくしゃくしゃとして微笑んだ。
「じゃあね、フィオ。また明日」
「おう、また明日な」
帰っていくカイルと葵を見送りながら、フィオが父に尋ねる。
「カイルと葵は血が繋がっていないよね? 見た目が全然違うし」
フランコは呆れた顔で自分の息子を眺める。
「見た目は違うが、あれは本当の兄弟だよ。いい兄弟だよ。あの兄弟は誠実で応援したいね」
「お父さんが貴族の応援だなんて珍しいな」
テリーはカイルと葵が嬉しそうに自転車を漕いでいたのを思い出す。「でも、気持ちは分かる。あの2人は本当に人間的に信頼出来る」
と言葉を続けた。
そして、2人が仲良く帰って行った方向を見ていた。