15 おみくじ
仕事のあるアイラが帰って行った。
カイルが落ち着いたのを確認してから、アイラが置いていってくれたメモを再び皆で見る。
「お祖父様 皇帝陛下 イサベルト・デ・アルフォン」
葵が読み上げた後、暫く沈黙になった。
「皇帝陛下・・・」
百合がもう一度呟く。百合と葵が顔を見合わせてため息をついた。
「こーてーへいかって何?」
蘭が明るく聞く。
「そうそう、僕も何かな~って思ってたんだー」
「カイルもかっ!」
2人が同じ調子で、何故かわくわくした感じで聞いてくるのを、呆れながらも葵が説明する。
「幾つかの国をまとめて統治している一番偉い人だよ」
「へぇ~」
よく分かったような、分からないような返事を蘭がする。
「あっ、その国の1つに、僕のお母様の国のレイヨル王国があったんだ」
それからカイルはとても複雑な顔をして考え込んだ。
「どうしたの?」
蘭が心配そうにカイルの顔を覗き込んだ。
「お祖父様は僕の事をどう思っているんだろう?」
「カイルは年に一度会ってる筈だけど、覚えてる?」
「年に一度って・・あの大きなお城で会うあの人がお祖父様なのかな?」
カイルは唸りながら顔を思い出そうとしたけれど、殆んど俯いて挨拶をしていたので、思い出せない。
「お会いしている時、僕は俯いたままだから、きっとお祖父様も僕の顔は見たことないね・・きっと・・」
顔をあげなさいと言われた事がないのだから、お祖父様も僕には興味を持っていないのだろうと、カイルは結論付けた。
偉い人だという事は分かったが、あまりにも遠すぎて、テレビで見る日本の首相の方が身近に感じた。
「今度1月15日にそのイサベルト陛下に会う事になるかもだから、気を付けてね。その時に顔を見られるといいね」
そう葵に言われたが、やっぱり興味を持てなかった。どこかで何かしら声をかけてもらえるかもと期待して、がっかりする方が嫌だったのかも知れない。
後、紙には、父の正妻とその子供達の名前と、おばあ様の名前が書かれていた。
でも、カイルはすっかり興味を失っていた。
カイルの表情がどんどん『無』になっていくのを見た百合が、
「じゃあ、この辺でこの話は終わりにして、掃除をしまーす」
「カイル、私たちは何があっても家族です」
百合がカイルの背中をポンポンと叩く。
「そうだね。お母さんも蘭もお兄ちゃんもいる。よし、窓を全開にして掃除始めよう!」
いつも通りの元気なカイルに戻った。
「沢山窓を開けた人が勝ちね~」
蘭が一番近い窓のクレセント錠に手を掛け、勝手に窓開けゲームを始めた。
蘭に続いてカイルも葵も「よ~し開けるぞ」とどんどん窓を開けていく。
部屋に充満したどんよりとした空気が、サァーッと冷たく綺麗な空気に換わっていくようだった。
大晦日。
大掃除も終わり、子供3人が和室のこたつでゴロゴロしていると、百合の携帯電話が鳴る。
「はい。どうして・・?この前も・・分かりました」
電話を切った百合は明らかに不機嫌になっていた。
「また、お父さん帰ってこれなくなったんだね?」
葵がいつもの事じゃないかと言わんばかりに、さらっと流す。
「そうなんだけど・・きちんと葵の事を話したかったのに」
百合はその後もまだ恨みがましく、「あの時だって・・」と、ぶつくさ文句を言っている。
蘭は2人の会話を聞き流して、ゴロゴロしている。
こたつの中で、カイルが蘭の足をチョンチョンと蹴る。
「うん?」
カイルの方に顔を上げる。
「蘭のお父さんってどんな人?」
百合に聞こえないように小声で聞く。
「んーとね。あんまりお喋りはしなくて、私たちとお話する時は、ここに眉を寄せて怖い顔になるの」
蘭が自分の眉間を指して教えてくれた。
(蘭の話だと少し怖そうな人なのかな? お父さんというとレンのお父さんを想像したけど、ちょっと違うのかな?)
カイルが蘭のお父さん像を思い浮かべたが、うまくいかなかった。
今までカイルが見た男性は、自分に冷たく当たる下男の男や、花壇や庭で働く植木職人だったりと、身近にはいなかった。
「そんな事より少しでも、お昼寝していた方がいいよ。年を越す前に眠たくなるよ」
葵が2人の会話に割って入る。
カイルは少し前に蘭から、大晦日の過ごし方を聞いていたので、わくわくしていた。
夕食のお鍋の後も、トランプで遊んだり、テレビを見たりして楽しんだ。
カイルの最近のお気に入りは、こたつでみかんを食べる事だ。
スーパーマーケットに行っても、自分で吟味してみかんを買う程だ。
「あんまりミカンばっかり食べてると、年越しそばが食べられなくなるわよ」
百合がカイルの前に山と積まれたミカンの皮の量を見て釘を刺す。
「そうだった。年を越す為の特別なおそばを食べるんだよね」
「特別でも何でもない普通のそばだけどね」
葵が説明する。そのうち、キッチンからだしのいい匂いがしてきた。
「あら、普通じゃないわよ。お腹いっぱいの人の為に、具材をあまり入れない工夫をしているのよ」
百合がふふんと自慢げだ。
「それって・・いや、何も言わないでおこうっと」
葵が迂闊な一言を回避したところで、おそばが運ばれてきた。
お鍋もその後のお菓子もみかんもいっぱい食べたのに、お蕎麦もスルスル入る。
ばくばく食べるカイルを見て、百合は感慨深げにそれを微笑んだ。
百合以外の3人で、おそばを食べ終わった後片付けをした。百合がお腹をさすって、動けなくなったからだ。
そして、テレビでカウントダウンが始まり、12時を過ぎると春木家のみんなが正座する。
カイルもそれに倣う。
「「「「明けましておめでとう御座います」」」」
Nチャンネルを放送するテレビから、ゴーンと除夜の鐘が聞こえてくる。
カイルはここに来て、夜中の町に外出した事がない。
今から新興住宅街を出て、村中にある三都神社に向かう。
「寒くないように、着込んでね」
百合がもふもふのコートを蘭に着せようとしているが、友達に会ったら恥ずかしいとの理由で、それを拒んでいる。
カイルも葵も既に出掛ける準備をして、玄関で待っていた。
「女の準備って長いよなー」
葵が靴の紐を結び直し、鏡で服装チェックをしながら待つ。
「お待たせ~」
漸く出発が出来るようだ。カイルと葵がホッとした。
夜の町はいつもならシーンと静まり返って物陰から何かが出てきそうなのに、今日は人の気配があちらこちらでする。
それだけでもわくわくするのに、遠くからゴーン ゴーンと除夜の鐘がが聞こえるのだ。さらに気持ちが高揚した。
いつも遊ぶ公園に来ると、ぞろぞろと神社へ向かう人が増えてくる。
道なりに進むと、大きな鳥居が見えてくる。ここで人の列が出来てて前には進めなくなった。
紅白の提灯がずっと奥までぶら下がっていて、カイルはその幻想的な世界に目を奪われていた。
ゆっくり進んでいると、目の前の人たちがバラバラに散って、手を洗い出した。
「カイル、手水舎で両手と口をすすぐんだよ」
葵が柄杓の水で左手、右手を清め、口をすすいで残った水で柄杓の柄を立てて洗い流した。
蘭とカイルも同じようにしようとしたが、蘭は左手と右手を洗ったところでお水を使い果たし、お水の追加をしていた。
始めてだったのに、カイルは葵と同じように出来た。
「スゴいなー。カイルは何でも上手だね」
蘭が尊敬の眼差しでカイルを見ている。
「ありがとう。蘭はいつも素直に僕を評価してくれるから、僕も素直に嬉しく思えるんだ。それって凄い事なんだよ。だから、蘭、ありがとう」
少し照れたように、カイルが頭を掻きながら笑う。
また、列に戻ってゆっくり進んでいくと、大きな鈴が2つ付いた長く太い紐があった。
カイルは葵を見習って、鈴を鳴らし、2回お辞儀をして、2回手を叩いて、1回礼をした。
その後真剣にお祈りをした。
あまりに真剣に拝んでいたから、蘭が心配になってツンツンと袖を引っ張った。
帰り道の参道は提灯と、出店で幻想的だった。
「夏祭りは、この倍の夜店が出るから楽しみにしていてね
蘭が嬉しそうにカイルの手を握って教えてくれた。
それから、カイルを出店に引っ張ると、当て物屋の前に立つ。
「カイル、ここで今年の運勢を占うの。カイルはどれが欲しい?」
カイルが店の中に所狭しと吊ってある商品に目を向けている間に、蘭がお金を払って、くじが舞っている透明の球体の中に手を突っ込んでいた。
「これだ!」
蘭が、球体からくじを取り出して恐る恐る開く。
「・・外れた・・。あのピンクの指輪が欲しかったのに・・」
物欲しそうな目を向ける先に、キラキラ光るピンクの指輪があった。
「あれが欲しいの?」
カイルが聞くと、頷く蘭が可愛く見えた。
カイルもお金を渡して、球体に手をいれ、獲物を見つけた様にくじを掴んだ。
カイルのくじには番号があった。
「はい。蘭」
蘭がカイルの手を開くと、ピンクの指輪があった。
喜んでくれると思ったのに、蘭は困惑の表情で指輪を見つめていた。
「これ、カイルが魔法で取ったんじゃ無いよね? 偶然だよね?」
「・・・うん。偶然だよ」
カイルは嘘を付いた。
でも、カイルの言葉に蘭の顔が嬉しさで一杯になる。
もう、カイルは本当の事が言えなくなった。
「良かった~。カイル、これ私にくれるの?」
カイルが頷くと、蘭が手を差し出した。
「えへへ。大人の結婚式みたいに、カイルが指に嵌めて欲しいな」
カイルは蘭の小さな指に嵌めて上げた。
「ありがとう。絶対に大切にするね」
蘭が嬉しそうに指輪を眺めている。
カイルは自分の嘘がばれないかドキドキしながら、蘭を見ていた。
そんな時だったので、葵に頭をポンと叩かれた時は、心臓が口から飛び出そうな程驚いた。
「見てたよ」
葵の一言に、カイルが凍り付く。
「あの、僕・・どうしよう・・」
泣きそうなカイルに、葵が優しく言う。
「ここで、魔法を使う時は誰かを守る時だよ。カイルの大事な魔法はあんな事に使っちゃだめだ。もう、しないよね?」
コクンと頷くカイルを見て、葵がカイルの頭をくしゃくしゃっと撫でる。
「良し、もうこの話しは終わりだ。カイル、本当のくじを引きに行こう」
葵が、神社の横の人だかりの場所に連れてきた。
「ここで、おみくじを引くと、今年の運勢が占えるんだよ。ほら、あの筒の中に数字の書かれた棒が入っているから、あの紅白の服を着た巫女さんに言うと、おみくじをくれるんだ」
ようやく、前に巫女さんのまえに来る事が出来て、おみくじの筒を振る事が出来た。
「62番」
カイルが言うと、巫女さんが長くて薄い紙を渡してくれた。
すぐ隣の葵は「45番」の紙を渡されていた。
2人は其々のおみくじを見比べた。
「カイルは『吉』か。『助けを借りて前に進める』って書いてるね」
「助けって、みんなの事だよね」
カイルは嬉しそうだ。
「俺は、『大吉』、『良縁逃がすな』・・・関係ねーー」
葵が叫んでいると、「えっ? お前大吉なの? 負けたー」といつの間にか来ていたレンが叫ぶ。
葵がレンの手から、取ったおみくじを見ると、『末吉・回りを良く見て行動しろ』と書いてあった。
「その通りだ・・」
ついつい、葵が心のままに喋ってしまった。
「おい、どういう事だよ」とレンが絡んできた。
(そう言う所だよ)と葵は今度はきちんと心の中で思う事が出来た。
百合も蘭も、後からおみくじを引いていた。
蘭のおみくじ
『90番・吉・大事な人の手を放すな』
百合のおみくじ
『50番・末吉・夫婦の絆を結び見つめ直す時』
百合がこのおみくじを木に括り付けず握り締めたまま持ち帰った事は、誰も知らなった。




