14 ティッシュペーパーいります
クリスマスから3日後、朝から蘭が部屋で冬休みの宿題をしていた。
葵とカイルは近所のおじいさんに、剣道の指導を受けに行っていた。
2人がいないと、蘭の集中力は5分も持たない。
机の上に冬休みの宿題プリントは広げているが、その上にはかわいいシールが散乱していた。
お気に入りのシールを探していると、壁から消え入りそうな声がする。
「あの・・蘭さん」
「!!」
びくっと体を跳ね上げた蘭の手から、シールがこぼれた。
「・・あーなんだ、アイラさんかぁー。お母さんかと思った」
蘭は壁の向こうのアイラを確認して、胸を撫で下ろす。
「すみません。びっくりさせてしまいました」
申し訳なさそうに、壁の向こうで立っている。
「どうしたの? あッどうぞ、入ってきて」
蘭に言われて、アイラが蘭の部屋に入ってきた。
「あの、カイル君の事や色々調べてきた事を書いてます」
小さなメモに、小さな字でびっしり書き込んでいる。
「今、カイルもお兄ちゃんも剣道を習いに行ってていないから、帰ってくるまで待ってて」
葵がいないと聞いたアイラは、ホッとした感じに見て取れた。
「これを渡しに来ただけなので、戻ります」
「失くすと困るから、お母さんに渡して欲しい。きっとお兄ちゃんは、後1時間は戻らないから安心して。それとも、すぐに戻らないとまずい?」
蘭は葵が戻らない事を強調して、アイラを誘った。蘭もアイラが兄を苦手に思っている事に気付いている。
「いえ、少しなら大丈夫です」
「やった! じゃあ下でちょっと何か食べる?」
蘭は勉強から解放されたとばかりに、大はしゃぎでアイラと1階に降りていく。
「お母さん、アイラさんが来たよ~」
「いらっしゃい・・こっちに来て座って」
アイラの顔色の悪さに気が付いた百合が、ソファーに座らす。
「顔色が悪いわ。どこか具合が悪いの?」
「多分、ちょっと疲れてるだけです。今日からポール様を始め、ご一家が新年を祝う為に御用邸で御過ごしになられます。それで昨日までバタバタしてましたが、今日はもう落ち着いています」
「あら、それならここで、ゆっくりしていったら?」
「じゃあ、少しだけ」
そう言って、アイラはチラっと時計を見た。
「まだお兄ちゃんは帰ってこないから安心して~」
アイラが心配そうに時計を見た事を、蘭は見逃さなかった。
「いえいえ、そういう訳では・・」
手と顔を思いっきり横に降って否定したが、肯定したようなものだった。
「葵って無愛想だし、言い方がキツいところがあるもんね」
百合がお茶とお菓子を運んで来た。お菓子の匂いに、アイラがごくんと唾を飲み込んだ。
「お腹空いてるのね? ちょっと待っててね」
百合がキッチンに行こうとするのを、アイラが止める。
「大丈夫です。お腹空いてはいません」
「私ね、我慢強い子の『大丈夫』は、信じない事にしてるの」
うふふと笑いながら、フライパンをIHに置く。
「ところで、まだ残っている仕事は何?」
牛乳と卵を混ぜながら、それとなく聞くと、アイラが答える。
「アイロン掛けです。火属性魔力がある人はアイロンを適温に保ちつつ、素早くアイロン掛けを出きるんですが・・その・・私は魔力が弱く、炭のアイロンを使うので時間が掛かるんです」
魔力がない事が、余程恥ずかしいのか少し声が小さくなる。
「じゃあ、私も一緒に手伝うから全部持っておいで。アイロンはあるから持ってこなくていいよ」
「め、め滅相もございません。そんな事頼むなんて出来ません。私の仕事ですから」
また、大きく頭を降って断るアイラを、百合が強引に「早く持ってきて」と促した。
「分かりました」と渋々壁の向こうに取りに行ったアイラが戻ってくる頃、丁度ホットケーキが焼けた。
籠いっぱいの服を持って来たアイラが、鼻をクンクンしながら匂いを嗅ぐ。
「先にホットケーキを食べましょう。それから、その山積みの服を片付けようね」
百合に言われて、ホットケーキの前に座ったアイラは、キラキラ光るメープルシロップに目を奪われた。
「さぁさぁ、食べましょ」
百合の言葉で、蘭とアイラが食べ始めた。
ふわっふわのホットケーキに流れ落ちたメープルシロップを、吸わせて口に運ぶ。
アイラの脳内に幸せホルモンが充満する。辺り一面黄色いお花畑になった。
(バターとメープルシロップが今口の中で、ジュワーっと噛み締める程に出てくる~)
「「ただいまー」」
葵とカイルの声が、玄関から響いた。
アイラの顔が固まる。
幸せホルモンは脳内から一気に水洗トイレの如く、流され消えた。
もちろんさっきのお花畑は枯れ果てた。
(まだ、1時間経ってないのに・・なぜー?)
アイラの硬直を見て、蘭が謝る。
「ごめんなさい。こんなに早く帰って来るなんて、思わなかったの」
ガチャッとリビングのドアが開く。
「うわッ! いい匂い」
カイルがダイニング近くまで来て、アイラがいる事に気が付いた。
「いらっしゃい」
カイルの言葉に、ゆっくり顔を向けてアイラも挨拶をした。
「すみません、またお邪魔してます」
葵と顔を会わせたくないなと思っていたのに、食べ物に釣られるなんて~馬鹿だったと後悔した。
「この大量のシャツは何?」
葵が籠いっぱいのシャツを見ていた。
「すみません! アイロン掛けをお手伝い頂けると言うお言葉に甘えて、ここまで持ってきてしまいました」
きっとまた、葵の冷ややかな目で見られているに違いないと、アイラは下を向いたまま謝った。
でも次に聞こえた言葉は、思い掛けず優しかった。
「ふーん。じゃあ、こっちでちょっとずつやっとくから、ホットケーキが冷める前に食べちゃいなよ」
「あぁ、そうね。アイラちゃんはゆっくり食べてて。葵はアイロン掛けが上手なのよ」
百合がアイラの肩を押して、椅子に戻した。
リビングの真ん中で、葵がアイロンをしている。
時々大きな音で、プシューと蒸気が出ては あっという間に小さなしわを伸ばしていく。
「 葵さん凄いです。 剣の修行もされたりして騎士様のようだったり、そうかと思えばアイロンがけは職人のような手際の良さなんて凄いです」
アイラが感心しきりで褒め称える。
「いや、アイロンなんて誰でも出来るから」
葵がいつものポーカーフェイスで答えるが、少し得意気な顔をしたのを母は見逃さなかった。
「ぷうっ」
吹き出す母。
「お母さん、何ニヤニヤしてるのさ」
キッと睨む葵だが、顔が赤い。
「葵とカイルのホットケーキが焼けたわ。葵、アイロン交代するから食べなさい」
「「はーい」」
葵とカイルが返事してテーブルに着き、アイラの前に葵が座った。
「そのシロップ取ってくれる?」
葵がアイラの前にあるガラス瓶を指差した。
「はい、どうぞ」
アイラが慌てて取ったシロップを、葵はそのままカイルに渡す。
「カイル、一気に出るから気を付けてね」
カイルに話す時の葵の声は、とっても優しい。
この時、アイラはポケットに入れていた、メモの存在を思いだした。
「あの・・これ、カイルさんの事やその他の事を調べたメモなんですけど」
アイラが差し出した紙切れを、葵が凄い速さで奪い取る。
葵はその直後、強ばった顔のままアイラを見た。まるで、アイラを睨んだようになってしまった。葵はしまったと思ったが遅かった。
アイラが泣き出しそうな顔で立ち上がり、蘭の部屋に駆け出した。
「葵! 追いかけて謝んなさい」
百合の怒声を背に、葵も2階に駆け上がる。
「ごめん! 本当にごめん」
葵が後ろ向きのままのアイラに、何度も謝る。
アイラの顔は見えないが、肩を震わせて、泣いているようだった。
「前にカイルのお父さんが生きているって聞いた時、カイルはショックを受けた。また今度も同じように苦しめる内容が書いてあったらって焦ったんだ。折角、調べてきてくれたアイラを傷付けてしまった。本当にごめんなさい」
アイラはハッとした。カイルへの配慮が足りなかった自分自身を、反省した。
そして、深々と頭を下げている葵を見ながらアイラはちょっとだけ寂しくなった。
これだけ心配してくれる家族が自分にはいないからだ。
頭を下げ続ける葵に声を掛けた。
「私の方こそ、気が付かなくてごめんなさい」
「ねぇねぇ、春木家のみんながいるから、僕は大丈夫だよ」
葵とアイラが2人で頭を下げ合う後ろから、カイルが声をかける。
「・・じゃあ、下に行こうか」
カイルの様子にホッとした葵が言うと、アイラが頷いた。
リビングでアイラの書いてくれたメモを、皆で確認しながら見た。
先ず始めにカイルの名前だが、
カイル・フラン・アルフォンと書かれていた。
カイルは不思議そうに見つめて、「アルフォン・・・」と声に出して呟いた。
カイルはずっと自分の名前はカイル・フランと教えられてきたのに、いきなり「アルフォン」と付けられても違和感しかない。
次にお父様の名前 と書かれた下には先日も聞いた通りだった。
ポール・ドルテ・アルフォン
その下にお母様の名前
サシャ・リア・アルフォン
(レイヨル王国)と付け加えられていた。
「カイルのお母様はレイヨル王国と言う国から嫁いで来られたのね?」
百合は他国から嫁いで来たのに、夫に愛情も掛けてもらえず、虐げられていたサシャを思うとやりきれなかった。
「はい。レイヨル王国の第3王女で、あの・・政略的なご結婚でした」
葵は政略的という言葉に引っ掛かったが、今は質問を飲み込んだ。
「カイルさんのお母様は現在、レイヨル王国で療養中だとお聞きしています」
「「「「えっッッッ?!」」」」
4人が一斉に大声と共に立ち上がる。
「サシャ様はカイルさんもご一緒にと願っていたのですが、騙し討ちのような形で引き離されてしまったようです」
カイルはアイラの後半の説明を聞いていなかった。
「・・生きてる」と小さく呟き、目から大粒の涙がポタポタと溢れ出す。
蘭が箱ティッシュをカイルの前に差し出す。
カイルが鼻をかむ。その様子を皆が暖かい眼差しで見守る。
もう1人箱ティッシュに手を突っ込み、盛大に鼻をかむ者がいる。
百合だ。
「うぅぅ、ほんどうにぃぃぃ ヒック・・よがっだぁぁ」
ブオーッと鼻をかみヨレヨレな姿に、当人のカイルも笑い出す。
「僕より泣かないでよ~ふふふ」
「ごべんねぇぇ カイルぅぅぅ」
そう言いつつティッシュの箱の底をごそごそ探る。百合以外が笑い出す。
「もうお母さんたら~」
蘭が新しい箱ティッシュを差し出した。
仕切り直して、アイラが説明する。
「カイルさんにお母さんが亡くなったと言ったのはポール様の奥方様のエルザ様だと思います。薄いピンク色の髪の毛を縦ロールにしている方ではありませんか?」
「うん。そうだった。その人は僕のお母様に嫌みを言いに来るんだ。その後、いつもお母様の具合が悪くなってた」
カイルは母が何一つ言い返さずに耐えていた姿を思い出して、顔が強ばっていた。
「でも、お母様はなぜそんな待遇に我慢していたんだろう?」
子供にとってはもどかしかっただろう。しかし、母親にとって黙って耐える事がカイルを守っていたのかもしれないと百合は思った。
「エルザ様は元々第1王子つまり、皇太子様のお妃候補に上がるくらいの家柄だったのですが、傍若無人な行いが酷く、出自の低いポール様の奥方になりました。その後、小国のレイヨル王国から政略結婚でサシャ様が嫁がれましたが、王家の扱いが・・」
アイラは言葉を選んでいたが、見つからず詰まってしまう。
「人質で側室扱いだったんだ」
カイルが自分で言いながら、
納得していた。そして、耐える事で自分を守ってくれていたんだと気付いた。
「カイルのお母さん、体が弱くても必死でカイルの事を守ってたんだね」
百合の言葉に、カイルは俯いて頷いた。