12 洗濯物
「あの~・・。ここはどこですか?」
女の子の質問に、百合がたじろいだ。
「え~と、どこって言われても・・」
(お母さん、さっきはあんなにテキパキ動いていたのに、同一人物とは思えないな)
葵が残念に思いながら、女の子の前に座る。
「俺の名前は春木葵。こっちは弟のカイル。で、こっちが妹の蘭。そして母の百合です。君の名前は?」
葵の真っ直ぐな黒い瞳でハキハキ言われ、少し気圧された女の子は焦って返事をする。
「あッ、あッ、私の名前はアイラ・クルスです」
「いつもご飯を持ってくる人ではないけど、どうして今日は君が持ってきたの?」
「あの・・その人は休暇を取ったので、今日から私がここの係りになりました」
自分の質問の答えは聞かされないまま、どんどん質問されてアイラは尋問されているみたいで、また怖くなってきた。
「それと、これは大事な事なんだけど、君は壁の向こうに何が見える?」
葵に言われて、可愛い部屋の壁を振り返ると、どんより薄暗い牢屋が見える。しかし、見たままを言って何か恐ろしい事になるのではないかと、躊躇った。
「見たままを言って欲しいんだ」
葵の真剣な眼差しを見て、アイラは意を決して言う。
「薄暗い牢屋が見えます」
アイラの答えに、4人が「オォー」と声が漏れた。
葵はいきなりアイラの腕を付かんで、壁の向こうに行き、今度はそこから壁を見せ、同じ質問をした。
「ここから見た壁の向こうは、どう見えてる?」
「さっきの可愛い部屋と皆様が見えてます・・・えーと」
アイラは壁の中央にキラキラ光る真珠の指輪が見えた。しかしそれを言う前に、壁の向こうの3人は、またもオォーと嬉しそうなので、アイラはホッとした。
そして、その事は言わずにいた。
葵は相変わらず複雑そうな顔をしている。
「君をここから自由にしてあげるのには、幾つか条件がある」
目の前の葵は、子供なのに大人よりも落ち着いていて、怖かった。
「ここで見た事は、一切他言無用。つまり君はこの部屋には入らず、あの台にご飯を置いてきたという事にして欲しい」
アイラを信頼して頼むしかない。
葵は、この目の前の壁がアイラを通したのは、何かしらアイラがこの約束を守ってくれる人間性を持っているから通したに違いないと確信していた。
「あの、私はぜったい、グーキュルキュル・・・」
アイラのお腹が盛大に鳴った。
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、顔を隠す。
「誰か、今日、アイラちゃんが運んで来たご飯を持ってきて」
百合が、ふと思い出したように言うと、蘭が扉の外に放置されていたご飯を持ってきた。
「ねぇねぇ、いつもとご飯が違うよ」
蘭が皆にみせると、いつもの野菜のクズや残りカスを集めたご飯とは違って、パンとスープがお盆にのっていた。
「これはあなたの朝ご飯よね?」
百合が聞くと、アイラが頷く。
「どうして自分の朝ご飯を、見ず知らずの子にあげようとしたの?」
百合は答えを知っていたが、3人に知って貰う為に、敢えて質問をした。
「牢屋に子供がいるって、噂で聞いた事があるんです。もし本当なら、あの酷いご飯を食べさせる訳にはいかないと思って、自分の朝ご飯を持ってきました」
アイラが答えを言い終わるやすぐに、ガバッと百合がアイラを抱き締めた。
「くっ! なんて良い子!」
「お母さん、抱き締め過ぎたら、アイラさんが苦しそうだよ」
カイルが慌てて注意する。
「アイラ、聞いてください。ここの人達は、カイルにまともな食事も与えず放置してるんだ。だからきっと神様が助け出せる様に、この壁を僕たちの世界と繋げたんだと思う。他の人はこの壁の向こうは見えないんだ」
葵の説明に、始めは眉をひそめて聞いていたアイラも、最後の方は納得して、熱心に頷いていたが、急に何かを思い出し、立ち上がった。
「あッ! 私今日シーツを洗うように言われてたのに忘れてました。あのー。私は絶対に喋らないのでシーツを洗いに行って良いでしょうか?」
「あーそうだ。 そのシーツを持ってここにおいでよ。手伝うし・・それに君に頼みたい事があるんだ」
葵がにっこり笑っていうが、アイラは葵の目が笑っていないのが怖かった。
「いえ、手伝って貰うのは気が引けますし、それにここでは洗えませんし・・」
(貴方の頼まれ事が怖いです)
早くこの場から 逃げたいと思い、言い訳もそこそこに、立ち上がった。
「あー大丈夫だよ。洗えるんだよ。だから持ってきて。僕たちもお手伝いするよ~」
「うんうん、私も頑張る」
かわいいカイルと蘭に腕を捕まれて、せがまれたら断れなかった。
アイラがシーツを取りに行っている間に、百合が食事の用意を始めた。
アイラは他の侍女に見つからないように、シーツを持ってきた。
この時期、休暇を取って家に帰る者が多いので、なんとか見つからずに持ってこれた。
「あのー」
牢屋に戻ると、蘭が待っていた。
「こっちだよー。そこで靴を脱いで入ってね?」
アイラと入れ替わりに、カイルが牢屋の入り口の閂を閉めに行った。
蘭の部屋に入ると、どの屋敷にもない間取りで驚いた。
百合がアイラから大量のシーツを受け取ると、 それを持ってどこかの部屋に消えていった。
そして、アイラはカイルと蘭に促されるまま、椅子に座らされた。
甲斐甲斐しく、カイルと蘭は、こんがり焼けた食パンにバターを塗ってアイラの前に置いた。
それから葵が、もう一枚の白い皿に目玉焼きと薄切りのベーコンを乗せていく。
「飲み物は牛乳? 紅茶? コーヒー?」
葵に早口で聞かれたアイラは、ドギマギして、「コーヒー」と言ってしまった。
コーヒーを飲んだ事もないのに。
すぐに百合が戻ってきて、一緒に朝ご飯を食べようとした時、今まで座らされて、流されてたアイラが漸く発言出来た。
「あの、私は今から洗濯をするんですよね? 私の前に置かれているご飯は・・・?」
「アイラさんの分だよ」
蘭が ほらっという風に皿をアイラの方に寄せた。
「今、シーツを洗ってるから、ご飯食べましょう」
百合がニコニコしながら、食べ始めた。
「毒なんか入れてないから、早く食べたら?」
葵が面倒くさそうに言うと、アイラがしゅんっとなる。
「毒って・・そんなつもりなかったのですが・・」
見兼ねた百合が葵に注意する。
「言い方! きついわ」
言われた葵がそっぽ向く。
アイラは、早く食べてシーツも洗わないといけないと思い、コーヒーを急いで飲む。
「うっ!」
(にがーい。どうしよう・・折角入れてくれたのに、飲めない)
アイラが悩んでいたら、葵が砂糖を、蘭がミルクを、カイルがスプーンを持ってきて、アイラに渡した。
(3人が持ってきてくれたのを入れて飲むと、とても美味しくなったわ。カイルさんも蘭さんも優しい。葵さんは怖いけど、優しいんだ。それにしても、なんて美味しいんだろう)
そんな事で、アイラがはちょっとリラックスして、食事が出来た。
「食器を洗います」
食べ終わったアイラはキッチンに運んだが、百合が汚れた食器をそのまま大きな箱に入れて、ピッとボタンを押した。
「これで、食洗機が皿を洗うから大丈夫よ」
そう言ってキッチンから出された。
次にシーツの洗濯をしなければと、洗濯の洗い場を聞いたが、もうすぐに終わるよと百合に言われた。
何をどうすればいいのか分からず、部屋の中を右往左往する。
それを見て、カイルと葵がアイラを手招きして呼んだ。
呼ばれた方に行くと 白い箱がウィンウィン と唸っていた。
「 これは洗濯機と言って 、洗濯物を 洗ってくれる機械なんだよ」
カイルが説明をしてくれた。
よく見ると確かに、小窓から中を覗くとたくさんの水が バシャバシャと 動いているのが見えた。
「 魔法ですか?」
アイラは小窓を覗き込むように、張り付いて見ていた。
「違うよ。この世界には魔法はないんだ。だから機械が発達しているんだ。僕も初めて来た時は、びっくりしたよ」
「え・・? 世界が違う?」
「そう、ちょっと来て~。見た方が早いよ」
カイルがアイラの手を取って、玄関に走っていく。
「そのサンダル履いて」
言われた靴を履いて、カイルの後を付いて、ドアの外に出た。
かわいいお家が一軒一軒建ってて、綺麗に整備された道を、馬に繋がれていない箱車が走っていく。
「服がこっちの服じゃないから、もう家の中に入ってくれる?」
後ろから葵の声がするまで、アイラは目の前の光景に驚いて、動けなくなっていた。
葵に促されて、家の中に戻る。
ショックのあまり呆然としているアイラを気遣って、百合が
「お茶でも飲む?」
と声をかけてくれた。
「は・・い」
ボーッと返事をしてしまったが、家の奥様にお茶を入れて貰っては申し訳ないと、急いでキッチンに行く。
百合が火も出ていない板の上で、火を沸かしているのを見て、更に仰天してしまう。
「これは電磁波って言うのを使ってるらしいんだけど、私にもよく分からないのよね~」
百合が説明してくれたが、何が何だかアイラはもっと分からない。
リビングのソファーに座り、出されたお茶をじっと見つめた。
「取り敢えず、凄い世界に来てしまったのは分かりました。それと、あんな酷い部屋にご飯も与えずに、カイルさんを押し込めている酷い人達から、あなた方が守っている事も分かりました。私は絶対にこの事は誰にも言いません」
アイラは心から、カイルがここで幸せになって欲しいと思った。
「「「ありがとう」」」
皆、ホッとした。
「そこで、アイラにお願いがあるんだ。どういう訳か、カイルが時々向こうの世界に戻ってしまうんだ。だから向こうの世界に付いて色々知りたいんだけど教えてくれない?」
葵がテーブルを挟んだ向こうの席から、凄い圧をかけてくる。
(やっぱりこの子苦手~。お願いって言いながら、命令に近いじゃない)
アイラが葵の目をそらしながら、「はい。分かる事なら・・」
「あの家は誰の家なの?」
「え?」
アイラは、そこから?と内心驚いた。でも、牢屋からでは何も情報を得られなくて仕方ないな、と思い直した。
今まで情報がなくてもどかしかったのだろう、皆から必死さがひしひし感じられた。
「ここ、コーエン離宮の主はポール・ドルテ・アルフォン様です」
「へー、凄い長い名前だね。偉い人なの?」
カイルが関心が薄そうに聞くと、アイラが目を見開いて、驚く。
「貴方のお父様ですよね?」
「「「?」」」
(カイルってお父さんいたのに、ここに入れられてたの?)
百合が鬼の形相に変わる。
(え? 私まずい事言ってしまったの?)
アイラが戸惑った時、ピーピーピーと機械音が鳴った。
「あッ、洗濯が終わったみたい」
蘭が呑気に立ち上がって、アイラの腕を掴む。
カイル、葵、百合が吐き出す異様に重苦しい空気の中、アイラはどうしようと躊躇った。
「洗濯が遅すぎると、不審に思われるね」
葵も席を立って、洗面所にある洗濯機に向かう。アイラは不審な空気を感じつつ、葵の後を追った。
葵がガチャッと洗濯機の蓋を開けると、中からとっても綺麗になったシーツが何枚も出てきた。
「あの量を一気に洗えたんですか?」
「そうだよ。取り敢えず、それ、干しておいでよ」
「でも、皆さんまだ知りたい事一杯あるんじゃないですか? 私で役に立つんなら、幾らでもお話しします」
「うん、ありがとう。でもあんまり長い間ここにいると色々怪しまれるから気をつけてね」
葵がアイラを気遣って優しく微笑む。
(あれ? 葵さん優しい?)
「そうだ、後1つ教えて。カイルのお父さんは王族なの?」
「はい、第2皇子ですが・・王位継承権は3位の方です」
アイラは悪くないのに、すまなそうに答える。
「そうか・・」
カイルを壁の向こうから切り離せないのは、そういう事なのか?
葵はなんとなく浮かんだ事情を、嫌な思いで考えていた。