表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/52

01  壁が

薄暗く冷たい部屋に踞る男の子。

足に嵌められた足枷が鈍く光っている。

痩せ細った顔に、生気のない目。


男の子が呟く。

「誰か・・」




春木(はるき) (らん)は小学校からの帰り道、とぼとぼとランドセルの赤い肩ひもをグッと握り締めて歩いていた。


(どうしよう。算数のテスト、お母さんに見せたら怒られるよね)


幼稚園は良かった~と、しみじみ振り返った。

1年前は園内でお砂場やブランコで遊んでても何にも言われなかった。教室では、折り紙やお絵かきをするだけだった。


小学校1年生の今は、お勉強が一番大切な事に変わってしまった。


5歳年上の兄は、成績優秀で運動も出来て、自慢の兄だ。


しかし、この兄が蘭にとって厄介な存在となるのだ。なぜなら、比較対象としてとても格差があるからである。


今日も兄は100点のテストを母に見せるだろう。

蘭はポケットの52点のテストをどうにか出来ないだろうかと考えながら、ため息をついた。


蘭の家は小学校まで子供の足で歩いて15分、新興住宅が150邸が建ち並ぶ、比較的新しい住宅地である。


まだ新しい玄関ドアを開けて、さっさと階段を上がる。

ポケットの中の物を母に見つかる前に、机に隠そうと急いで自分の部屋のドアを開けた。


「!!」


いつもの見慣れた部屋の壁の向こうに、別の暗い部屋が伸びている。

そーっと近付く。

暗い石造りの部屋は、冷たそうな汚れた床に、何かが動いた。


恐る恐る、更に一歩。更に一歩。

丸まっていた物が、蘭の気配を感じて、バッっと立ち上がった。


それは最近読んだ、絵本の中の王子様の様に綺麗な男の子だった。


金髪で碧眼。自分と同じくらいの年だ。目が離せないほど、素敵な顔立ちに、蘭は暫く体が動かなかった。


壁の向こうの男の子も、全く動かずにこちらを見ている。


蘭がもっと近くで見たいと、話し掛けながら小走りで近寄る。


「ねぇ、お名前は何て、デフッ!」

ドォンっと見えない壁に激突した。

「いったーい」

蘭は突き指とおでこを強打という痛みで、踞る。


痛みより、綺麗な男の子の名前を聞く方が、大事だ。

今の自分のがさつな行動に、嫌気をさして、逃げられるかも知れない。


おでこを擦りながら、顔を上げる。

男の子は、驚いた顔のまま、まだそこにいてくれていた。

ほっとした。


蘭は再度失敗しない様に、ゆっくり以前壁があった場所を目指し、にじり寄る。


蘭は男の子が怖がらないように、にっこり微笑みつつ、両手を前に近付く。


ゴンッ!


壁があった所で、やっぱりその先には進めなかった。


映画のスクリーンの様に、壁の向こうに違う部屋が映っている。

でも、映画と違うのは男の子も、こっちの部屋の蘭を見ているという事だ。


蘭は、もう一度名前を聞いてみる。今度は慎重に、声の音量に注意して聞いた。


「こんにちは、私の名前は春木(はるき) (らん)です。あなたの名前を教えてください」


男の子は「?」という感じで、首を傾げた。

それから、口を開いてパクパクしている。

何か言ってるようだが、聞こえない。


蘭は耳に手を当てて、それから顔の前に手でバッテンを作る。


男の子は分かってくれたみたいで、ウンウンと頷いた。


男の子もおずおずとこっちに向かって、近付いて来た。


やっぱり向こう側からも、壁があってこちらには来られない。


近くで見る男の子は、とても痩せていた。首には黒いチョーカーみたいなのを着けている。

蘭が男の子の足を見たまま息が止まった。

足が鎖に繋がれている。鎖は部屋の真ん中にある、大きな黒いボールみたいなのから伸びているのがわかった。


蘭はワナワナ震えだした。

怒りで、頭が爆発しそうだった。

こんな綺麗な子を、鎖で繋ぐなんて、許せない。

でも、子供の自分じゃ壁の向こう側にも行けない。


ハッと、思い付いた蘭は、男の子に聞こえない事をすっかり忘れて、「待ってて」と言うと急いで部屋を出た。


階段を転げる勢いで、1階に下りていき、リビングで洗濯物をたたんでいる母の百合の手を取った。


「もう、帰ってきたら2階に行かず先に・・な、なに?なに?」


「いいから、お母さん上に来て! 男の子が大変なんだよ!」


「え? お友達が遊びに来てるの?」

百合は遊びに来ていた子供が、怪我をしたのだと思い、慌てて蘭の部屋に入る。


蘭の部屋にいる筈の、友達を探す。

立ち尽くす母の横をすり抜け、蘭は壁に立ち、指差しながら、叫ぶ。

「お母さん、この男の子を助けてあげて!」


「え?」


百合は、ポケ〇ンのポスターが貼ってある白い壁を指差す蘭を、見つめた。

「どうしたの? 蘭? そこに何があるの?」


蘭を落ち着かすように、優しく聞いた。しかし、蘭はますます大きな声で百合を急かす。


「お母さん、早く何とかしてあげて!」


ここで蘭は母が壁を見ずに、自分を困惑の目で凝視している事に気付いた。


「お母さん、何も見えないの?」


蘭が指差しているのは、

「それは、ピカチ〇?」


(見えないんだ。私にしか見えないんだ)

蘭は壁を見ると、男の子は大人が入ってきた事を怖がっているのか、さっきより離れた場所にいた。


蘭はもう助けてあげる方法が思い付かなくて、ポロポロ涙が出てきた。


「蘭、どうしたの? 学校で何かあったの?」


「何にもないよ。ぐすッ」

「本当に?」


蘭は心配そうな母の顔を見て、見えないんじゃ、仕方がないと諦めた。


「もう大丈夫。もうへーき」


そう言いながら、涙を拭こうとポケットに手を突っ込み、ハンカチを出した。


それと同時に、小さく折りたたんだテスト用紙が床に落ちた。


母と蘭が一緒のタイミングで、それを取ろうと屈む。

勝ったのは、母。

ゆっくりと開かれていくテスト。


さっきまで、あんなに蘭を気遣わしげに接してくれていた母の顔が、どんどん目がつり上がって変わっていく。


「ほーほー蘭ちゃん、このテストの点数どういう事?」


「キャー! テスト、ヒラヒラさせないで」

蘭にとって、今最も恥ずかしい事は、壁の向こうの綺麗な男の子に52点のテストを見られる事だった。


「このテストのやり直しが終わるまで、今日のおやつ無し!」


そう言い放つと、母はさっさと部屋を出ていった。


蘭は色々悲しかった。

男の子を助けてあげられない事。

テストを見られた事。


顔をあげて、悲しげに男の子を見る。

バカにされるかな?と思ってたけど、男の子の顔からは、心配してくれているのがわかった。


「あっ、そうだ!」


落書き帳を勉強机から取り出し、

ランドセルから筆箱を出した。


覚えた平仮名を落書き帳に、大きく書く。

『みえる?』


男の子に見せると、なぜかびっくりした顔で、コクコク頷いた。


それを確認した蘭は更に書き足した。


『わたしのなまえは、はるき らんです。らんってよんでください。あなたのなまえは?』


男の子は回りを見渡して、がっかりしたように首を振る。

どうしたのだろう?と考えながら蘭は、暗い部屋を覗き込む。


机も椅子もない。あるのは粗末なベッドがあるだけだ。

(あぁ、鉛筆も紙もないんだ)

蘭はぬいぐるみやおもちゃが溢れている部屋を、見られている事に居たたまれなくなった。


何とかノートと鉛筆を渡したい。

その二つを壁に押し付けた。が、壁に阻まれて、びくともしない。


「何で意地悪すんのよ! 渡してよ!」

誰に怒っているか分からないが、悔しくて怒鳴ってしまった。


スー・・ポトッ。バサッ。


壁の向こうに、鉛筆とノートが落ちた。


二人は暫く固まって、落ちたノートと鉛筆を見つめた。


恐る恐る、男の子がノートと鉛筆を拾う。手に持つと嬉しそうにノートを広げた。


蘭は待ち切れなくて、書くポーズで返事を欲しいとお願いした。


頷いた男の子は、鉛筆を珍しそうに見た後、ノートに書いた。


そして、壁に向かってノートを見せてくれた。


そこには、『蘭、こんにちは。僕の名前はカイル・フラン。カイルと呼んでください』


蘭は、カイルが初めて落書き帳の文字を見た時に驚いていたが、その理由が分かった。


カイルの文字は、見たことのない文字だったが、なぜか読めるのだ。


何より、意思が通じる喜びにブルブル震えてしまった。


嬉しさを爆発させて、

バイザーイ、バイザーイして跳び跳ねる。

そして、急いで落書き帳に

『カイル、おともだちになって』


蘭は直ぐにカイルが「いいよ」って言ってくれると思ってたのに、文字を見たまま、カイルが動かない。


(あれ? もしかして嫌だった?  私ってバカみたいに喜んでたけど、カイルは嫌だったの~?・・あぁ、やってしまった)


喜び勇んで、カイルに見せた落書き帳をどう引っ込ませたらいいんだと、笑顔が引き攣ってきた。


ゆっくり落書き帳を下に向けて、次のページを捲った。

「ごめん」って書こうとしたら、カイルが慌てて、何か書き出した。


「僕と友達になってくれるの? 僕の初めての友達だよ。とっても嬉しい」


カイルが満面の笑みで、返してくれた。


蘭はガッツポーズで喜ぶ。それを見てカイルが笑っていた。


またカイルが書く。

『さっきいた女の人はお母さん? それとも侍女?』


「侍女って何だろう。まあ後でお母さんに聞こう」

ぶつぶつ言いながら、

『お母さんだよ。とってもこわいの』


『そうだね、さっきすごく怒ってたけど、あの紙に何が書かれてたの?』


(しまったー! 自分からテストの事に話を持っていってしまった)

墓穴を掘った蘭は、渋々さっきのテストを見せた。


『てんすうがわるくて、おこられてたの』


カイルがジーッとテストを見る。


『蘭は凄いね! そんな難しい問題が解けるなんて! 僕は文字しか教わっていないから、全然分からないよ』


カイルが恥ずかしそうに、笑う。


(え? 私って凄いの?)

点数の事を忘れて、自惚れる。


『さんすう、おしえてあげようか?』


カイルがウンウンと頷く。

それを見た 蘭は俄然張り切った。


蘭は、学校で使っていたおはじきを、壁の近くに並べた。


『1+1=2』を見せて、おはじきを1つと1つ見せて、2つにする。

同じように、『2+1=3』『4+5=9』を同じように見せた。


カイルはふんふんと頷きながら、聞いている。ここで一旦、前にやった計算ドリルをカイルに見せて、やって貰う。


(あれ? 答え書くの速くない?)

カイルは、初めの数問は指を使っていたが、直ぐにさらさらと答えを書いている。


後2問という所で、カイルが止まった。鉛筆の先を見て、困っている。

『どうしたの?』

蘭が聞くと、カイルが鉛筆の先をこちらに向けて見せた。


「あぁ、鉛筆の芯がなくなったんだ」


鉛筆削りのコンセントを抜いて、壁に押し込もうとしたが、思い直した。


どう見ても、カイルの部屋にはコンセントをさす所はない。


蘭は兄の部屋に入って、ごそごそ探る。

「へへへ、やっぱりお兄ちゃん、いい物持ってる」


前から狙っていたフリクションのペンを、兄の部屋から持ち出した。


フリクションの黒いボールペンを、壁に押し付ける。

スー、、コン。


また壁を通過した。

「凄いじゃん! 壁、えらいぞ!」と壁を擦る。


ペンを見ているカイルに、ペンの出し方、書き方、消し方を、教えた。

カイルはどうらや、カチカチとペン先を出したり引っ込めたりするのが気に入ったようで、暫くカチカチ、カチカチしていた。


蘭が待っているのに気付いたカイルは、照れながら残りの答えを書いた。


「100点。カイルってめちゃくちゃ頭いい」

叫びながら、『ぜんぶ、あってる!すごいよ』と書く。


『蘭の教え方が上手だから、分かり易かった。ありがとう』


7歳の蘭、初めて謙虚という言葉を、理解する。





(ころも)裕生(ゆう)ともうします。どうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ