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アベンエズラ城内にて

 

「…………」


「こ、これは……何とも」


 アルバヌス以下家臣団を伴い入城したソルを待ち受けたのは、そこかしこに血にまみれ倒れ伏したテラ王国軍兵士の姿だった。あまりの惨状にアルバヌスがたじろぐ。

 城内の制圧に戦闘は無かったと報告されている。つまりこれは七日間の攻防戦による負傷者ということだろう。

 かろうじて息がある者もいれば、既に天上へと旅立った者もいるようで、城内は鼻が曲がるような酷い腐臭で満ちていた。死体の処理が追い付いていないのだ。

 これらは全て侵略者であるアルファルド帝国軍の、ひいてはソル自身の手によって引き起こされた惨事だ。その傷付いた魂、失われた魂の全てに、ソルは礼を持って応えた。


「……赦せ、とは言わぬ。しかし未だ生ある者は何としても命を繋げ。必ずや厚遇を持って応えよう。生なき者はその名を欠かすことなく石碑に刻み、未来永劫語り継ごう。貴殿らの勇猛さ、誇り高さをこのソル・レグナスは生涯忘れぬだろう!」


 家臣にテラ王国兵への手厚い救護を言い付けると、ソルは足を進めた。

 道中、彼の姿を捉えた王国兵は皆一様に殺気だった目で睨み付けて来たが、ソルの足取りはブレず緩まない。出来ることなら被害は最小限に留めたいと甘い考えも抱いていたが、こうなる覚悟も決めた末に戦を仕掛けたのだ。

 ここで足を止め、自らの行動の結果を悔いるのは簡単だ。だがそれは、心身を削り戦った自軍の将兵に対しても、敗軍の彼らに対しても侮辱に他ならない。

 ゆえにソル・レグナスはこの戦争の幕を引く為に謁見の間に向かった。


「どうした、何事か?」


 しかし到着した謁見の間の前では、先んじて謁見の間を制圧していた近衛師団が何やら右往左往して慌てふためいている様子だった。


「へ、陛下! お待ち申し上げておりました。王城内全ての制圧は完了しております。武装解除も済んでおり、反抗の危険性は低いかと。……しかしながら、なのですが……」


 いち早くソルの姿に気付いた近衛師団団長ガイナスが駆け寄った。しかし普段は老齢の巨木のように泰然自若としているこの男ですら、何やら落ち着きがなく歯切れが悪い。


「ガイナス、お前がそうも取り乱すとは珍しい。それほどの事態か……今分かっていることだけで良い、申せ」


 ソルがそう促すと、ガイナスは意を決したように言葉に出来ずにいた報告の続きを口にした。


「はっ、申し上げます。我ら近衛、城内の隅々まで捜索致しましたがーーテラ王国国王テルーモ・アクシアス陛下の御姿は王城のどこにも見当たりませぬ!」


「なにッ!?」


 ガイナスの報告は、ソルを驚愕させるには十分であった。

 この謁見の間の扉を開けた先に、自分を待ち受けているとばかり思っていたテルーモ・アクシアスの不在。いや失踪と言うべきか。

 一国の王同士、さらには隣国という間柄上、自然とテルーモ王とソルの交流は深かった。

 個人的な好悪の感情を抜きにすれば、比較的良好な関係を築けていたはずだ。

 そこに今回の派兵とくれば、裏切り者と罵られるくらいの覚悟はして来ていたのだが。


「テルーモ陛下がいない……だと……?」


「正確にはテルーモ陛下含め、王族の方々は全て確認が取れておりません……ルーナ・アクシアス姫殿下以外は、ですが。また、現在調査中ですが王家派の貴族もそのほとんどの所在が不明でありまして……まことに、真にッ! 面目次第もございませぬ!!」


「ソ、ソル陛下。ガイナス師団長も御自身の役割は十分に全うされたかと。これは敵方の計略が見事であったと言う他ないと、私は愚考致しますが……如何致しますか?」


 王族を取り逃がすという失態にソルが怒るものと彼の気性を知る者達は感じたようで、ガイナスは床に平伏して首を差し出し、アルバヌスはそんなガイナスを取り成した。

 だがソルは彼らに取り合わなかった。

 それは城内の制圧と捜索を任せたガイナスに腹を立てている、という訳ではない。ソルは周囲の声が耳に届かないほどに深く考え込んでいた。

 七日間の攻城戦が始まって以降ずっと、ソルは小骨が喉に刺さっているかのような違和感があった。その正体が、ガイナスの報告を聞く内にソルの脳裏でぼんやりとしていた輪郭が定まって見えて来たのである。


 何故、結局は降伏を受け入れたのにも関わらず、七日もの間徹底交戦の構えを見せて勝ち目のない戦に挑んだのか。

 何故、王都の大部分を放棄してまで王城に立て籠もったのか。

 何故、ルーナ・アクシアスは前線に姿を見せたのか。


 そしてソルが城内に突入した際にも違和感はあった。

 血溜まりに沈む王国兵の姿に惑わされ今ままで気付かなかったが、城内には()()()()()()()()姿()()()()()()


「ーーなんと、そういうことか。してやられたわ! はっはっはっはっはっ!!」


 深い思考の海に沈んでいたソルは、唐突に哄笑を上げた。実に愉快で堪らないといった風に。

 しかしソルが怒りに打ち震えているものとばかり思っていたアルバヌスからすれば、その姿は気が触れたようにしか見えなかった。


「へ、陛下……? ご乱心を……?」


「馬鹿を言うなアルバヌス、今の俺はすこぶる冴えているというのに。ガイナス! お前もいつまで膝を付いている。俺はお前を裁く気などないぞ。此度の件で責められるとするなら、まんまと嵌められたこの俺よ。さっさと立て、聞きたいことがある」


「ーーははっ、何なりと」


 立ち上がり佇まいを正した老将軍にソルは満足気に一つ頷くと、頭の中で何か整理するかのようにこめかみを指で叩きながら、一見この時この場には関係が無いように思える質問を投げかけた。


「してガイナス、お前はアベンエズラ城内の虜囚すべてを把握しているか?」


「いえ。深手の者が多く下手に動かせず、王族方の捜索を優先した為に全員を検分するには時も足りず……概算で、よろしければ」


「それで良い。では、お前が把握している中に非戦闘員はどの程度いた?」


「非戦闘員でありますか? 城内におりましたのはそのほとんどが武装した王国兵でありました。尤も、非戦闘員も若干名はおりましたが……」


「ほう、では城内に()()()()()()()()()()()()()()()()()のだな?」


「はい。女中や医師、料理番などはおりましたがそれも数少なく。申し訳ありません陛下、某には一体どのような意図の問なのか理解が及ばずーー」


 その場にいる近衛騎士達やアルバヌス含む家臣団もソルの問の真意を見抜けずにいた。老練の兵であるガイナスをもってしてもお手上げのようで、主に答えを求めようとした瞬間、彼の顔が強張った。長年の戦訓がガイナスをソルと同じ結論に導いたのである。


「ーー陛下ッ、これは!!」


「うむ、そういうことだろうよ。我らは王都イネス全域を包囲していたのだ、それこそ蟻一匹も這い出る隙間もないほどにな」


「で、ありますな。考えられるとするならば……王都より北に十五キルメムトほど行くと、創乱期時代の『大王』セレンの居城スネリウス城跡がありまする。山城ゆえ人目にも付きにくいかと」


「なるほど怪しいな。ガイナス、城内の探索は別の者に任せる。お前は捜索隊を組織してスネリウス城跡へと向かえ。交戦の可能性も否定出来ん、編制はお前に一任する」


「はっ、しかと承りましてございます。このガイナス、必ずや陛下のご期待に応えてご覧にいれます」


 卓越した戦術家同士の語らいに無駄な言葉は必要無い。ものの数十秒で今考えられる可能性の中から最も確度の高い選択肢を選んだ二人は早速行動に移った。後手に回っているのなら、どこかで相手に先手を打つ必要があるからだ。


「ふん、この堅物爺めが。無理だけはしてくれるなよ、教育係のお前を失いたくはない」


「……陛下はいつの間にか某の手から羽ばたいておりました。もう某が教えることも無いでしょうに」


「いいや、まだまだ沢山あるともさ。お前には俺の子の教育係も任せようと思っているのだから」


「ほっほ、それは光栄の至り。しかしながらそれにはまず、陛下に妃殿下をお迎えしていただきませんと。独り身のままでは御子は為せませんぞ?」


「くくっ、言うではないか。老いさばらえても口の滑りは変わらんな。まあ見ていろ、今にお前も腰を抜かすほどの上玉を妃にーー」


「あ、あのう……」


 軽口を叩き合う師弟二人に対し、今まで全く話に入れていなかったアルバヌスがソルの話を遮る形で手を挙げた。


「何だ、どうかしたかアルバヌス」


「いえ、どうと申しますか。お二人だけ通じ合われましても、私共には話がまるで見えないのですが」


「なに……?」


 アルバヌスに言われて気付いたが、ガイナスが自力で答えに辿り着いて話が成り立ってしまったため、ソルは自分の考えをつまびらかにしていなかった。他の者もアルバヌス同様に事態が呑みこめていないようで目を向けると気まずげに俯く。これは説明を怠ったソルの手落ちだ。

 とはいえこの場にいるのはアルバヌスを始め、皇帝たるソル直参の部下達でアルファルド帝国軍の頭脳とも言える参謀陣もそこに含まれる。それがこのざまとは……ソル、ガイナスと目を見合わせてため息を付いた。


「……はあ、お前は机仕事をさせる分には優秀なのに、戦働きとなるとどうしてこう今一つなんだ。俺の右腕なのだからしっかりしてくれ」


「なぜそこで私っ!? いえ、そもそも文官志望だった私を無理矢理武官に引き立てたのは陛下でーー」


「そうですぞ。今は某含め、先王陛下の臣下もソル陛下をお助け出来ますが、寄る年波にはこの身も勝てませぬ。いずれはアルバヌス殿ら若き臣下が中心となって、ソル陛下の周りを固めてお助けするのですからな。かような体たらくでは、とてもお任せ出来ませぬ」


「が、ガイナス殿まで!?」


 ソルに続き、先王の懐刀でもあった名将ガイナスにも窘められて分かりやすいほど動揺するアルバヌスに、ソルは彼に師事していた時の自分を重ねて同情した。

 アルバヌスは気付かないようだが、よくよく見ればガイナスの口元は僅かに緩んでいる。真面目一辺倒に見えるあの老人は意外に悪戯好きで人が悪いのだ。

 いい加減哀れになったので、ソルは助け船代わりに事の次第を説明してやることにした。この場にいる部下達を引き締めるのに気心知れたアルバヌスを利用したことへの罪悪感も少しあったが。


「考えて見れば簡単な話だアルバヌス。城内に足を踏み入れた時、そこにはいるべき者たちがいなかった。行方をくらました王家の人間や貴族共の他に、だ」


「他、ですか?」


「『民』だよ。思い出してみろ、我が軍がイネスを攻めた際に王国軍は早々にこのアベンエズラ城まで後退した。我々は抵抗の無くなったイネスの城門を打ち壊し、悠々と市街に進軍したがーーそこに王国民の姿はあったか?」


 そこまでソルが語ってようやく、アルバヌスも他の者達もソルとガイナスが語っていた内容を理解したようで、顔付きを一変させた。


「そうか! 我が軍が王都を包囲していたのだから、都市の外に民が逃げ出せるわけがない。だとすればーー」


「残す王城に避難した民がいないのは不自然、ということだ。民を湖の底に沈めたのでもなければ、おそらくは城内のどこかに隠し通路でもあるのだろうさ。テラ王国兵が何としても七日間王城を守ったのは、民が避難しきるまでの時を稼ぐため。今になって降伏してきたのは、避難が完了したということなのだろうな」


 ソルはまるでその現場を見たかのように語って見せたが、彼の推理は概ねで正しかった。

 ()()()()()の指示により行われた、王都内に取り残された王国民全てを都市外に退避させる撤退作戦。それが七日間続いたアベンエズラ城攻防戦の真相だった。


「都市を捨てて民ごと退避するとは、敵ながらなんて豪胆な策。これをテルーモ王が差配したと?」


「さてな、そればかりはこの俺にも分からぬ。--が、以前に彼の王と語らった所感から言えば、おそらく違うだろう。奴は悪知恵の回る古狸ではあるが、民を守る気概などさらさら持ち合わせんよ。むしろ民を囮にし我先にと逃げ出すような輩だ。奴や貴族共が逃げ出したのは、民が避難したのとは別口ではないかな」


 吐き捨てるようにソルはテモール王を罵倒した。隣国の王同士という関係上、社交の場では親しく振る舞って見せていたが、テモール王の人となりは悪い意味で平民が想像する王族の姿そのものであり、ソルの好むところではなかったからだ。

 だがしかし、そうなると一つの疑問が生まれる。テモール王が民をないがしろにするような王ならば、王都に残る民の全て逃がしてのけたこの計略を実行させたのは一体誰なのか。


「では誰がこの策を命じたのでしょうか?」


 至極当然の疑問を抱くアルバヌスであったが、ソルは既にその答えを得ているようだった。


「それは本人に直接聞く方が早かろう。隠し通路の存在を知る立場にあり、テモール王が逃亡するに合わせて国民を逃がすしたたかさ。そして、自ら矢面に立ち退避が済むまでの時間稼ぎを買って出る勇敢さと慈愛を持ち合わせる人物など、俺には一人しか心当たりがないな」


「なっ。そ、それはまさかーー」


 その場にいる全員の脳裏によぎったのは一人の女性の姿だった。敵軍の中にあって一際目を惹いた、月の光のごとき銀糸を靡かせていた麗しくも勇ましき、月の姫。

 ソルは謁見の間の扉を親指で差し、ガイナスに確認した。


()()のだろう?」


「ーーはい。身支度を済まされて先ほどから陛下をお待ちです」


「そうか。女人を長く待たせるのも失礼に当たるな。では些事は後にして謁見と行こう」


「某も、でありますか?」


「うむ。どうせ部隊の編制はすぐには終わらんし、ある程度は部下に任せよガイナス。お前の後任も育てねばな。それに、お前も将として彼女が気になっているのではないか?」


「見抜かれておりましたか。ならば、某も拝謁を許されたく」


「宜しい。では俺に続けガイナス、アルバヌス。ーー扉を開かれよ、余こそアルファルド帝国第十七代皇帝ソル・レグナスである!」


 ソルが名乗ると、ややあって両開きの扉がゆっくりと左右に開いた。

 鉄靴を鳴らし足を踏み入れれば、荘厳な装飾が為された謁見の間の中央にソルの求め人の姿があった。

 傍らに老齢の、しかし一目で只者ではないと分かる濃密な『気』を放つ老兵を伴った彼女は、『太陽王』ソル・レグナスを前にしても全く怖じ気付く様子も見せず、着飾ったドレスの裾を乱さずに優雅に一礼すると、ソルに名乗り返した。


「お待ちしておりましたわ、ソル・レグナス皇帝陛下。ご機嫌麗しゅう。テラ王国第一王女、ルーナ・アクシアスが今宵の御相手を務めさせていただきますが、いかが?」


 二人は知らぬ仲ではない。親しいとさえ言ってもいい。

 国境を隔てているとは言え、数日も馬車に揺られれば互いの国の王都を行き来出来るほど身近な隣国の王族同士であり、歳頃も近い。だから将来のことを視野に入れつつ、二人が引き合わせたのは必然だったと言えよう。

 父王の元を訪れたありし日のテモール王の背に隠れていたルーナが、おずおずと姿を現したその瞬間を、ソルは今でも鮮明に記憶している。

 彼女の工芸品の人形のような、幼くも完成された美しさに一目惚れしたソルは、それは積極的に話しかけたものだった。……子供の時分は胸の想いを持て余して素直になれず、大喧嘩に発展したこともあったが。

 とはいえ、長い積み重ねの中でルーナもまた自分を憎からず想ってくれているとソルは信じていた。

 そのような間柄だからこそ、ルーナが名乗り台詞に潜ませた茶目っ気に気付いたソルは、彼女の望む通り歌劇の登場人物のように大仰な仕草で応えた。


「おお、麗しの月の姫が相手とは、これ以上の栄誉がこの世にあろうか! このソル・レグナス、喜んでお受けしよう!」


 加えて婦女子に人気のある舞台俳優のように片目を瞑って気取って見せると、ルーナは虚をつかれたのか目を丸くし、『月の姫』ではなく素顔の年頃の少女のように笑顔を浮かべるのだった。


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