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5.過去に触れる

「こんな所でなにしてんの?」

ふいに背後から大きな声で話しかけられ、玉城は椅子から飛び上がりそうになった。


「何バケモノ見たような顔してんのよ」

気分を害したように眉をしかめた長谷川が、コーヒーの入った紙コップを2つ持って立っていた。

1つを玉城の前のテーブルに置き、自分もその正面に座った。

「どうも」玉城は礼を言う。


昼下がりの大東和出版のラウンジは大きな窓からの柔らかい光に満たされて、

ここだけはゆっくりと時間が過ぎてゆくようだった。玉城のお気に入りの場所だ。


「今日は何用?」

浮かない顔をしていた玉城を変に思ったのか、長谷川は覗き込むようにして尋ねた。

長谷川の大きな手にすっぽりと包まれたカップは、ミニチュアのように小さく見える。

そんなことをぼんやり思いながら玉城は女編集長の手元を見つめていた。


「グルメ雑誌が発行を再開するそうなんです。それで僕にまた書いてくれって依頼がありました。

記者としてコラムも持って欲しいそうで、今日はその雑誌の打ち合わせです」

ボソボソと玉城は長谷川に説明した。


「ふーん」

コーヒーに口を付けながら長谷川は玉城をじっと見る。

「良かったじゃん、忙しくなりそうで。あと2回リクの記事を書いたら終わるところだったもんね。

ここの仕事。・・・・それにしても、浮かない顔してるのは、なんで?」


玉城はやんわりと顔を上げて長谷川を見た。


「長谷川さんって、リクの事、詳しいですか?」

「は?」

「ほら、いつもリクって呼び捨てにしてるでしょ。実は長い付き合いだったりとか・・・」

長谷川は肩をすくめてみせた。

「ジョーダンじゃない、あんなやつ。半年前偶然画廊で会っただけよ。

なんて呼んでもいいって言ったから名前で呼んでるだけ。私は下の名で呼ぶ主義なの」

玉城のことは「玉城」って呼ぶのにと頭の隅で思ったが、あえて突っ込みはしなかった。


「そうなんですか。じゃあ、あまり詳しくないんですね」

「知りたいとも思わないね」

吐き捨てるように言った長谷川を玉城はどこか釈然としない気持ちで見つめた。

「そんなに嫌な男じゃないと思うけど」

「あんたは何?リクと仲良くする会でも発足させたわけ?

それなら残念だけど私に声を掛けないでね。仕事上のつきあいでいっぱいいっぱいなんだ」


長谷川は不機嫌そうにコーヒーを飲み干すと席を立ち、何も言わずその場から立ち去ってしまった。

「じゃあ」とか、そんな声もない。あっさりした人だと玉城は思った。


長谷川に好かれるのは大変だが、嫌われるのは実に簡単なのだろう。

リクはきっと出会って数分で彼女の逆鱗に触れたんだろうな、と玉城は推測する。

どちらともが気の毒で玉城はクスリと笑ってしまった。


聞く相手を間違えたな、と反省しつつ席を立とうとした玉城は、

またもや背後から呼び止められた。


「あの・・・・玉城さんですよね」


聞き慣れない声に振り向くと、背の低い人当たりの良さそうな初老の男性が

ニコニコしながら玉城のそばに立っていた。


「グリッドでミサキ・リクさんの記事を書かれた方ですよね」

まるで親戚のおじさんのような、なごみのあるしゃべり方の腰の低い男だった。


男は里井と名乗った。

所用でたまたまここへ立ち寄り、待ち時間にディスプレイスペースに並べてある雑誌の表紙を眺めていた。

その雑誌の表紙にリクの名前を見つけて貪るように読み、記事を書いた記者に会いたくなった。

通りがかった社員に尋ねたところ、ちょうどその指さす先に玉城がいたのだ、と里井は興奮気味に説明してくれた。


いろんな運をここで使ってしまったのですね、と玉城は純朴な里井をねぎらいたい気持ちだった。

けれど、正直言って自分の記事を読み、会いたいと思ってくれたことはとてもうれしい。


「リクの絵がお好きなんですか?」

きっとファンなのだろうと思い玉城がそう聞くと、里井は首を横に振った。

「私はリク君が絵を描いていたことも知りませんでした」

「え?」

「写真が載ってなかったので同姓同名の他人かと思いましたが、プロフィールの生年月日と

出身地を見て間違いないと確信しました。私はリク君が住んでいた地区の民生委員をしていましてね。

小さな頃のあの子を知っています。

あの子がこうやって絵を職業にして暮らしていると知ってびっくりしてるんですよ」


「そうなんですか。・・・・・あの・・」

玉城はその偶然の出会いに、興奮気味に身を乗り出した。

「あの、リクはどんな子だったんですか?」


いきなり玉城の方から、しかも漠然とした質問をされて里井は少し戸惑ったような表情を浮かべた。

「それは記事にするためですか?」

ほんの少し警戒したように里井の声がトーンダウンした。

ニコニコとリクの思い出話を語ってくれるだろうと期待していた玉城は少し慌てた。


「いえ、個人的な質問です。・・・ちょっと人と距離を置きたがる人だな、と思って。」

「ああ、・・・そうですか。そうですね。そうかもしれない。」

里井は少し言葉を選びながら自分の手を見つめていたが、ゆっくりと正面に顔を上げて

ポツリポツリと語り出した。



「小学校に上がる前にリク君は両親を事故で亡くしましてね。

父方の親戚の夫婦に引き取られてきたんですよ。私の家のすぐ近くです。

民生委員でもあったし事情が特殊なので私も何となく気にはかけてたんです。

私の妻は、あの子をなぜか嫌っていました。声を掛けても怯えた目で見る。

時々何もない空間を見て、何かと対話しているように見える。気味が悪いと」


「ああ、それは」

と言いかけて玉城はやめた。

人に見えないモノが見えると、ここで話を広げても意味のないことだった。


「私は逆にあの子を引き取った夫婦が気に入りませんでした。

ゲームセンターか何かを経営していて一時は高級車を数台所有するほど羽振りが良かったみたいですが、

倒産してしまいましてね。

友人知人に借金して回っていたらしいんです。

そんなさなかでした。あの夫婦がリク君を養子として引き取ったのは」


「優しいじゃないですか。自分たちも苦しいのに」


里井は何の邪心もなくそう言ってきた玉城に優しげに笑いかけた。

「リク君の亡くなった両親は資産家でした」

玉城は一瞬動きを止めた。


「あの子を養子に迎えると言うことは、その資産ごと受け入れると言うことです」

里井は物語を朗読するように、穏やかな声で続けた。


「でも・・・」

「ええ。考えすぎですよね。

現にあの子が20歳になるまでは管財人が資産を管理することになっていましたから。

あの夫婦がその金を自由にすることはできないんです」


「じゃあ、じゃあ、良かったじゃないですか。何の問題もないですよ」

玉城はホッとしたように里井に笑いかけた。

昼ドラのような展開は聞かずにすんだらしい。


「死んだら、別ですが」


「え?」


玉城は目を見開いて里井の顔を見た。


「犯人は結局捕まらなかったんですがね」

里井は、さも、そこが一番重要であるかのように前置きしてから言葉を続けた。


「殺されかけたんですよ。あの子は」


イラストボードに塗り込められた赤が玉城の脳裏に広がった。

握った手が汗ばんでいる。

それでも里井は淡々と穏やかに話を続けた。

感情を入れない話し方だ。


玉城はそれを有り難いと思った。



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