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17.涙

須藤は足を引きずるようにフラフラと夜の国道を歩いていた。

一旦タクシーに乗ったが、吐き気をもよおして事務所まで数キロ手前で降りてしまった。

リクに殴られた痛みよりも、後から来た大女に殴られた頬と、そして言葉が重い疼きを残した。


分からなかった。

あんな事をした自分が今、なぜ解放されて、自由に道を歩いているのだろうか。

ボロボロになりながら、大型トラックが頻繁に通り過ぎる大通りの脇の選挙事務所の前に辿り着いた。


時刻は10時を回っていたが、カーテンをひいた簡易プレハブ事務所にはまだ灯りがついている。

決戦の日を3日後に控えながら行方が分からなくなった候補者に、運動員や後援会長は

青ざめているに違いなかった。

須藤は入り口横に貼ってある、笑顔の自分のポスターを睨みつけた。

一時間ほど前の記憶が頭の中を巡る。



「帰っていいよ」

縛っていたロープを解いて、戻ってきた大女が言った。

てっきり警察に突き出されると思っていた須藤は信じられない思いで「なぜだ!」と聞き返した。


「知らない。あのバカに聞いてよ。被害届も出さないし誰にも言わないってさ。それに・・・・」

女は心底不満そうに溜息をついた。

「あんたに謝っておいて欲しいって言われた」


須藤は言ってる意味が飲み込めず、眉間に皺を寄せて女を見上げた。


「自分があの時どうにかして止めてたら、あんたは苦しまずに済んだんだって。

だから、謝っておいて欲しいって言われたよ。

まったく何言ってんだかね。10歳のガキに何が出来たと思ってんだか」


目を見開いている須藤に仁王立ちしたまま女は言った。

「自分がやった事と、これからの事については自分で考えるんだね。

とにかく、ここから消えてちょうだい。二度とリクの前に現れないで。

もしまたあいつに手ぇ出したら、今度はその首へし折るからね!」


力強い自身と使命感に満ちたその女の顔を見つめながら須藤はジリジリと後ずさりし、

その後は転がるようにあの家から走り去った。

情けなさと自己嫌悪が胃液と一緒に胃の底から込み上げてくる。



カラカラと滑りのよいスチールの戸を開け、薄黄色の目隠し用カーテンを手で払いのける。

事務所に残って渋い顔を突き合わせていた5人が須藤を一斉に振り返った。


「須藤さん、一体何をしてたんですか!」青い顔で会長の樋口が大声を出した。

「何かあったんですか? 心配したんですよ」と、運動員リーダー山ノ上女史。

「どうして連絡もなく勝手な行動するんですか叔父さん。今どんな時か分かってるでしょう?」

美木多が怒りに震える声で詰め寄ってきた。


須藤はゆっくりとその場にいた5人の顔を疲れ切った目で見渡すと、

その視線をファックス横の紙の束に移した。

そこには何度も何度も見た、太いゴシック体の文字が忌々しく並んでいる。

その視線に気付き、山ノ上が口を開いた。


「ああ、そのファックスなら気にしないでいいですよ。

最初みんなビックリしたんですけどね、あとで管理委員会から連絡がありました。

他の候補者の事務所にも同じのが送られてきてたそうです。

誰がやったかは分かっていませんがね。明らかに選挙活動を混乱させようとする嫌がらせですよ。

まったく暇な人間も居たもんですよね」


山ノ上の声を耳鳴りのように須藤は聞いていた。

体の力が抜けていく。

自分が立っているのかどうかも分からなくなった。


5人の目がまた須藤に戻され、追求を開始するべく口を開きかけた。

けれどそれを待たずに須藤は膝から崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。

そして唖然とする5人を前に、ただ無言で土下座をした。


何よりも厳しい裁きを受けた。須藤はそう思った。


鬼と化した須藤の罪を、自分の罪だからと青年は責めることもしなかった。

後の始末は自分で考えろと女は言った。

法は何もお前を裁かない。わずかに人間の誇りがあるなら思い出せ、と。


須藤は額を地面に擦りつけたまま、喉を震わせて泣いた。


もう誰も口を開く者はいなかった。


ただ自分たちの戦いは、決戦日を待たずに終わったのだと、

その場の誰もが静かにそう悟った。

静まりかえった事務所に、須藤の込み上げるような嗚咽だけがいつまでも響き続けた。




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