13.凶行
手に持った鉄パイプがズシリと重かった。
来る途中の廃材置き場に、まるで使ってくれとばかりに置かれていた。
---今夜でこのイライラした気持ちにケリをつける。もう誰にも俺の邪魔はさせない---
須藤は口の中でモゴモゴとつぶやきながらインターホンを押した。
事務所では残り二日となった戦いのさなかに消えた須藤を慌てふためいて探しているはずだが、今の須藤にはそれを気にかける余裕は無かった。
怒りを込めてもう一度ボタンを押す。
中から灯りは漏れている。
居留守を使うならドアをうち砕いてやるつもりだった。
数秒待って須藤は太く頑丈な鉄パイプを、同じく太くガッチリした手で握り、振りかざした。
まさに振り下ろそうとした瞬間。
カチャリと小さく音がしてドアがほんの少し開けられた。
須藤はすかさずドアレバーを力一杯引き、中へ押し入った。
そこには昼間会った青年が少し青ざめた表情で立っていた。
「リク!」
ドスの利いた低い声で須藤が叫ぶと、リクは怯えた目をして数歩後ずさりした。
逃がすものかと、須藤は素早く鉄パイプを振り下ろした。
ブンと風を切る音。一回目は交わされたが、壁際に追いつめて力一杯振り下ろした2発目はその脇腹を捉え、鈍い音をたてた。
小さく呻いて崩れ落ちそうになったリクの体を須藤の太い腕が乱暴に支え、
鉄パイプを投げ捨てた右手でその襟首をグイと掴んだ。
リクが苦しそうに顔を歪める。
「いったい何が目的なんだ!」
ガラガラにひび割れた声も形相も、昼間の須藤と同じ人物だとはとても思えない。
邪念に取り付かれた鬼と化していた。
「何であんな文章をよこした!」
執拗に体を揺すり、大声でリクに詰め寄る。
脇腹を強く打たれ、呼吸も困難な状態でリクは言葉を発することなど出来なかった。
けれど興奮状態の須藤にそんなことは通用しない。
「金か?それとも単なる嫌がらせなのか!」
須藤はリクの後頭部を掴むとその体を反転させ、壁に力任せに何度も頭を打ち付けた。
崩れ落ちそうになるリク体を掴んで引き上げ、もう一度打ち付けようとしたその時、
足元が赤く染まっているのに気づき、須藤は一瞬ギクリとして動きを止めた。
額が切れ、流れ出た大量の血がリクの頬を伝い、足元を染めていた。
須藤がひるんで動きを止めたその一瞬。
リクは思い切りそのみぞおちに肘鉄を食らわし、須藤の腕からすり抜けた。
けれど体に力が入らず咳き込んで、わずか数メートル離れただけでまたその場にうずくまった。
須藤は体制を立て直し、再びゆっくりとリクに近づいた。全く痛手は受けていなかった。
苦しそうに肩で息をしながらリクが見上げる。
その額の傷口からは止まることなく血が流れ、頬を伝い、床を濡らしていた。
けれどそれを哀れむ気持ちは須藤の中には無かった。
目の前の青年は、ただ邪魔な存在でしか無かった。
「あの時お前をガキだと思って見逃すんじゃなかった」
須藤の言葉にリクが更にクイと顔を上げた。
「いったい何が目的でお前は俺をおとしめようとする!」
一歩、須藤はリクに近づく。
リクは首を横に振った。
「おとしめようなんて思ってない。僕はただ・・・」
「じゃあ、何であんなファックスを送ってきた!」
「ファックス?」
心底驚いたようにリクが聞き返した。
「そうだ。お前が何度も何度も俺に送りつけたファックスだ!」
リクはもう一度首を横に振った。
「それは僕じゃない」
「お前以外に誰があの事を知ってるんだよ。いつも同じ文章だ!
『あの事を私は全て知っている。法は裁けなくとも、貴方をそこから引きづり落とすことは容易だ。
マスコミにバラせば面白いことになるよ』ってな!
出馬を取りやめさせて、また地の底に引きずり降ろして、そうやってあざ笑いたいのか。あの二人のように!」
声を出せば出すほど込み上げてくる怒りを須藤は制御できずにいた。
事件は解明されず、時間切れで迷宮入りにされた。
けれども、その目撃者が目の前にいて、自分をあざ笑っている。
逮捕されずとも犯罪者だと吹聴されれば周りの目は明らかに変わってくるだろう。
血を吐く思いで積み上げてきたものがまた無惨に崩されてしまう。その恐怖と腹立たしさに体が震える。
「そうさ、俺がお前の養父母の車に細工して殺したんだよ。うまい具合に車ごと炎上してくれてさっぱりさ。
あいつらにとってはあの時の俺なんて虫けらくらいにしか映ってなかったんだろうよ。
僅かな金のために俺らを追い払い、工場を奪ったって何の痛みも感じない奴らだ。
人を人とも思わない金の亡者には似合いの最後だろ。完璧だった。
お前に見られたのを除けば、完璧な仕事だった。なあ、そうだろ?見てたよなあ、あの夜」
リクは否定も肯定もせずに、ただじっと須藤を見つめた。
その瞳は静かで冷静だった。
これが返って何らかの裁きを受けているような焦燥感を沸き立たせ、須藤を苛立たせた。
「ずっと後悔してたんだよ俺は。あの夜のあのガキはいつかきっとしゃべる。
なぜ手を打っておかなかったんだってな。ずっと頭の隅で思いながら生きてたよ」
リクがハッとして何かしゃべろうと口を開きかけた、その時。
それを合図にしたように、須藤はリクに飛びかかった。まるでゴングを鳴らされた闘犬のように。
一度は転がるように身を交わしたリクを、その巨体に似つかない俊敏さで須藤は再び捉えた。
学生時代鍛え上げた自分のものと比べると、まるで少年のように頼りない白い首を両手で掴み締め付ける。
“これですべて元通りになる”
歯の根が合わない。手に力が入らない。
青年の首を染める血でヌルリと手がすべる。その感触に吐き気が込み上げてくる。
何か言いたげに震える唇から、須藤は目を逸らした。
“すべて終わらせるんだ”
吐き気をこらえて両手に力を入れる。
耳鳴りに紛れて、遠くで大型犬の遠吠えがひとつ、聞こえた。




