第8話 春華と冬華
煙が完全に消え去ってしまうのを見届けたメルは、当初の予定より早く魔法を解いた。
目の前に直人と春華の姿が見える。メルが魔法によって過ごした一時間ほどは、直人と春華にとっては一瞬のできごとだった。
白い雪と灰色の空は晴れて、代わりに天井に開いた穴からは青く高い空が見て取れた。魔法を使う前には気にも留めなかった日差しの温かさが心地いい。
「メル? ……戻ったのか?」
直人は半信半疑だった。
直人は幼いころからメルと一緒にいる。だからメルのことで知らないことはないと思っていた。知らないことはないはずのメルが、直人の知らない魔法を使えると言う。それは当然のようにいつものおふざけだと思った。
メルのことで知らないことはないと自負する直人だが、一つだけ見誤っている。メルは嘘をつかない。言うべきことをあえて言わないことはあっても、嘘を言うことは決してない。
「うん。戻ったよ」
「それで何か分かったかのか?」
直人の隣で春華もメルを覗き込む。メルの脳裏に冬華の顔が重なった。不安そうな顔。頬を膨らませて怒った顔。冬華の豊かな表情は、春華には見られないものだ。それなのにそっくりな双子なんて言葉では処理できないほど良く似た二人の顔。
メルの中である仮説が生まれていたが、まずは確実に分かったことから2人に伝えようと口を開く。
「重彦と冬華は、どうやら春華に誕生日プレゼントを用意していたようだヨ。ここに隠してたみたいだネ」
「誕生日……今日です」
春華は口に手を当てる。メルの言葉でどうやら本当にメルが5日前に行っていたらしいことが春華には分かった。
「そうなの? それは残念な誕生日になっちゃったネ。プレゼントも隕石にやられて粉々だったヨ。もはやどれがそうなのかも分からないネ」
「その誕生日プレゼントってなんだったんだ? 見てきたんだろ? 物はもうなくなっちゃったかもしれないけど、それがなんだったのかだけでも伝えてあげろよ」
メルの身もふたもない発言を直人は必死でフォローする。
「十時唯華って書かれた紙だヨ」
「十時唯華……」
「重彦はキミの母親の本名だと言っていたヨ」
「は? それがプレゼントなのか? それだけ?」
フォローと聞き役に徹しようとしていた直人は思わず声をあげた。誕生日プレゼントに母親の名前が書かれた紙を渡すなど常識的に考えればありえない。
「正確には唯華の魔法が誕生日プレゼントだったみたいだけどネ。そうそう。唯華の魔法は、レベル5なんだヨ。どうやって春華に受け継がせるつもりだったんだろうネ」
楽しそうにクスクス笑う。
「お母さんの……。父と姉はそんなものを用意してくれたいたんですね」
「うん。冬華はキミが喜ぶか心配していたヨ」
「どんなものでも私は嬉しいです」
父親を失い、姉は依然行方知れずだからこその言葉かもしれないが、春華の本心だった。
「おい、ちょっと待て! やっぱり5日前ここに冬華さんもいたのか?」
再び直人が割って入る。今度はフォローではない。重要なことを確認するためだ。
「いたヨ。いたけど……」
二人に話す前にメルは自らが立てた仮説を再度頭の中で検討する。
十時重彦の魔法は何であったか。
『自分の自然寿命と同じだけの寿命をもつ生命体を一体生成できる。ただし、術者が自然死以外の理由で死亡した場合にはその生命体は消滅する(認定レベル4)』
メルが見た冬華は、見た目だけに限って言えば、春華そのものだった。あれは春華を元に、春華そっくりに創られた何かだったのだ。つまり、メルが見た冬華は、目の前の春華を元にして十時重彦が魔法によって生成した生命体だというのがメルの仮説だ。
そしてもう一つ——。
「……あれは、きっと冬華じゃないヨ」
「どういうことだ? お前は5日前にさかのぼって重彦さんと冬華さんを見てきたんじゃないのか?」
「そうだよ。でもボクが見たのは冬華じゃない。あれはネ、春華だヨ。いや、春華って名前かどうかも怪しい……というか、正式な名前があるのかどうか……」
「お前は1人で何を言ってるんだ?」
当然の感想だろう。メルの言っていることは本人以外が聞けば支離滅裂だ。メルはあまり説明が上手ではない。
「だから~、つまり、今ここにいる春華は春華じゃなくて、5日前、重彦と一緒に消えた冬華は冬華じゃないんだヨ。おそらく逆なんだ」
「逆ってどういうことだよ。頼むから分かるように説明してくれ」
直人は聞けば聞くほど訳が分からなくなっていた。何も言わないし、表情も変わらないが、春華の頭の上にもクエスチョンマークがくっきり浮かんでいる。
「重彦はサ、唯華の魔法を狙う人間がいると思ってたんだヨ」
いきなり話が飛んで、さらに混乱しそうだが、直人は、観念してメルに自由に話をさせることにした。すべて聞いた上で不明な部分を質問した方が効率が良い。
「唯華も生前からそう思っていたのかもしれないネ。とにかく、キミの両親はなるべく唯華の魔法を狙う人間からキミを守りたかったんだヨ。少なくともキミが成人するまでは……ネ。だから、その存在自体をキミには隠していたんだろう」
春華の頭の上には依然クエスチョンマークが浮かんでいる。理解できるところは今のところほとんどなかったが、一応、話を聞いているというポーズのためにうなずいてみせた。
「んん? あれれ? キミたち。なんだか、分からないって顔だね」
「最初からそう言ってるだろ」
「分かったヨ。結論から言うヨ。キミの本当の名前は十時冬華なんだヨ。十時春華じゃない。冬華と名乗っていたキミの姉の方こそが偽物だったんだヨ。だから、キミは嘘をついていたわけじゃないんだネ」
「結論がそれなのか?」
「そうだヨ。重彦はキミを守るためにキミの姉、冬華を創ったんだ。魔法でキミとそっくりの生命体をネ。そうして創ったそれに冬華と名乗らせた。代わりにキミには春華と名乗らせたんだネ」
「どうして、そんなことをするんですか……?」
春華のクエスチョンマークが薄くなる。メルの言っていることをだんだん理解し始めていた。
「本物の冬華、キミを守るためだヨ。だって、偽物の冬華なら何回殺されたって重彦の魔法でいくらでも創れるしネ。案外何度も死んでて、何度も創りなおしてるかもネ。実際にそこまでして唯華の魔法を奪おうとした人間がいたかは知らないヨ。あくまでも保険の意味合いが強かったんじゃないカナ」
「それじゃあ、姉は……どうなったんですか?」
「消えたヨ。重彦が死んだんだから、当然だよネ」
「そんな……」
「どうしたんだい? そんなに落ち込むことじゃないヨ。キミは、重彦の魔法を相続できるんだから。今度は、キミが偽物の冬華を創ればいいじゃないか。そっくりそのままとはいかないけど、キミの記憶を頼りに創れば、それなりに再現性の高いものが創れると思うヨ」
理屈の上では正しいメルの言葉を、春華は素直に受け入れることができなかった。魔法で創られた生命体をもやは人間だと思ってはいないメルと春華には、心理的に大きな隔たりがある。しかし、心理的にどうであれ、もう一度姉に会いたいと思うのなら、メルの言葉に従うしかない。
「ちょっと、待てよ。俺にそれをやれって言うのか……?」
そして、もう1人メルの言葉を受け入れられない人物がいる。直人だ。
「あれ? 絶対やらないって言うかと思ったけど、やる気になったの?」
「いや……それは……。……春華さん。申し訳ないけど、少し……考えさせてくれないか?」
直人は、喉の奥が痛くなるのを感じていた。
「私は、かまいませんけど……」
完全には事情を飲み込めていない春華は、無表情のままうなずいた。春華は当初、直人と結んだ約束を律儀に守ろうとしていた。




