第9話 春華を救うために
直人とメルは春華と別れて自宅に戻っていた。
別れ際、春華はただ「ありがとうございました」とだけ言って、頭を下げた。その顔は寂し気で、悲壮感に満ちていた。表情が乏しくてもそれがはっきり分かるほどに。
「ボクはどちらでもいいと思ってるヨ。もともと春華の依頼は、お姉ちゃんを探してほしいってことだったからネ。消えてなくなってましたってことで依頼終了でもいいんじゃないカナ。そもそも報酬をもらわないんだから、依頼と呼べたのかも怪しいんだし」
「俺も春華さんも、冬華さんが消えてなくなるのを見てない。お前の言葉だけが根拠だろ?」
ふり絞るように言った言葉はむなしく宙を舞う。受け取り手のない言葉だった。
きっとメルの言うとおりなのだろう。少なくとも辻褄は合う。と直人自身、頭では理解している。だから、上滑りするように飛び出たその言葉は、誰のもとにも届かない。
春華が冬華に会いたいと願うならば、重彦の魔法を春華に相続させ、その魔法によって冬華を創りなおすしかない。人を生き返らせることはできないが、冬華は人ではない。魔法で創りだせる生命体だ。
そして、春華が冬華に会いたいと願わないわけがない。冬華が父親の魔法で組成された生命体であったことはショックだろう。けれど、それ以上にショックなのは、父親と姉を同時に失ってしまったことだ。人であろうとなかろうと、どんな形であっても家族を取り戻したいと願うのは、当たり前の感情だ。
それを口にしなかったのは、直人との当初の約束があるからだった。
『俺は君のお父さんの魔法相続手続きを引き受けることはできない。俺にできるのは、君のお姉さんを一緒に探してあげることだけだ。それでもいいね?』
重彦の魔法を相続するとなると、どうしても直人の力が必要となるが、直人は当初よりそれはできないと言い続けている。
直人が手続きをするとその魔法の効力が弱まってしまう。それで胃が痛むほどの辛辣なレビューを受けたばかりだ。
春華の依頼を断ったのは、レビューが原因だった。だが、今はそんなことどうでも良くなっている。
直人を悩ませているのは、重彦の魔法を相続させるのに失敗は許されないということだ。もちろん、仕事である以上、誰からの依頼であっても失敗は許されない。ただ、通常そこに依頼者に対する特別な感情はない。
しかし、春華の場合は違う。春華が相続したいと思う理由を知ってしまった。失敗したらどういうことになるかも想像ができる。誰かに同情することなどほとんどない直人は、春華に同情し始めていた。
「……なぁ、俺はどうしたら良いと思う?」
心からの言葉は、不明瞭でもしっかり受け取り手に届く。
「ナオはどうしたいのサ。むちゃくちゃなことでもいいから、どうしたいかを教えてヨ。そしたら、それを実現する方法をボクが一緒に考えてあげるヨ」
しばらくの静寂。
普段やかましいメルも、直人の気持ちに寄り添うように黙っている。長い間ずっと一緒にいるからこそ、直人が何を考えているのかが分かる。分かった上で自分の口からそれを言わせ、自覚させようとしていた。
「俺は……春華さんの力になりたい。このままじゃ春華さんは天涯孤独だ」
「それは哀れみからカナ? 自分の境遇を重ねてる?」
「そうかもな。でも、俺にはお前がいる。春華さんには本当に誰もいないんだ。なんとなく、本当になんとなくだけど、春華さんにとっての冬華さんは、そういう存在だったんじゃないかって思うんだ」
別れ際に見た春華の顔が浮かぶ。メルと出会う前の自分はきっとあんな顔をしていたんだろうと思う。
「それで、ナオの心配事は、重彦の魔法の効力が弱まることだネ?」
「30%だ。決して低い確率じゃないだろ? 弱まったらもう後戻りはできない。例えば、『生命体を創れる』だったのが、『虫ケラを創れる』に弱まったら……冬華さんに会うことはかなわない」
「まぁ、そうだネ。その可能性もあるネ」
「そうなったら本当におしまいだ。そんなリスクを軽々しくおかせないだろ? なぁ、どうして魔法の効力が弱まっちゃうんだろうな……」
もう何度目か分からないほど口に出した言葉だった。
「それはサ、ボクが魔女だからなんだヨ……」
小さくつぶやくような声に直人はうつむいていた顔を上げる。「こんな時に冗談はやめろ」という気力はない。
「……分かったヨ。ボクが見てきてあげる。だから、今ここで春華の依頼を受けるって決心してくれヨ。そうしたら、未来では手続きをやっているはずだろ? 未来に行って魔法の効力が弱まるのか。弱まるならどんな風に弱まるのかを見てくるヨ」
「良いのか? 今日、2回目だぞ。疲れるから嫌なんじゃなかったのか?」
「春華にもらったチョコの借りを返すヨ」
すっかり忘れていた、チョコレートの貸しを思い出す。直人は静かにうなずくと、自宅と併設してある事務所に移動した。そこで時間移動をしなければ意味がない。手続きをするなら事務所だからだ。それは未来でも過去でも変わらない。
「ちゃんと春華の依頼を受けるって決心したネ?」
そんな曖昧なことで未来を固定できるとは思えなかったが、直人は一応言われたとおりに決心する。
「あぁ、一応そう心に決めてる。これで未来がどうなるのかは分からないけどな」
「もし決心が足りてなくて、未来で手続きをやってなかったらボクは何度も行ったり来たりしなくちゃいけないからネ。まぁ、大丈夫だと思うけど……」
もしそうなったら、チョコレート1つの借りにしては、大きなお返しだ。
「それじゃ、ちょっくら行ってくるヨ」
そう言って消えた次の瞬間には、再び同じ場所に現れる。メルは、親指を立てて「バッチリ」とだけ言うと、さっさと自宅に戻ってしまった。
「それで、どうだったんだ?」
はやる気持ちを抑えてメルの後を追う。
「うん。やっぱり魔法の効力は弱まるみたいだネ。でも問題はないヨ」
「問題ない? 具体的にはどう弱まるんだ?」
「術者の寿命とは無関係に、組成した生命体の寿命が4年になるってサ。問題ないだろ? 4年ごとに組成すればいいんだから。安心してヨ。生命体の質や種類自体には効力の弱まりはなかったヨ」
「ちょっと待てよ。それじゃ、春華さんは4年ごとに家族を失う痛みを味合わなきゃいけないってことか?」
「そういうことになるけど、すぐに慣れるヨ。一生失ったまま生きていくよりずっとマシだろう?」
「そんなの……慣れるわけない。そんなのダメだ」
「どうしたんだヨ。ナオらしくない。やけに春華に入れ込むじゃないか。春華を救うためには、他に方法がないんだから仕方ないだろう? 失うかどうかも、失うタイミングも自分で決められるんだからいいじゃないか」
直人の反応が予想していたよりも悪く、メルはだんだん不機嫌になる。せっかく疲れるのを我慢して朗報を届けたのに、とむくれてしまった。
一方の直人も譲れない。メルの言う方法では、春華の心を救うことはできない。
「ダメだ。そんなの……残酷すぎる。……なぁ、メル。ほかに方法はないのか? お前、時間移動ができることを俺に隠してたよな? 他にも何か隠してる魔法があって、それを使えばなんとかなるとか、そういうのないのか?」
「隠してたわけじゃないんだけどネ。どっちにしても、そんなに都合のいい魔法はないヨ」
突き放すような言葉に悪意はない。若干不機嫌ではあるが、いじわるで言っているわけではなく、メルはただ事実を言っているだけだ。
「本当にないのかよ。生き物の寿命を延ばす魔法とか、隕石の落下をなかったことにできるとか。そんなレベル5並みに強力で便利な魔法はないのかよ」
「唯華の魔法を使えば?」
不機嫌そうなまま言葉だが、それを聞いて直人の目は輝きを取り戻す。
「そうか!! 唯華さんの魔法は、レベル5だな。どんな魔法かは分からないけど、もしかしたら今の状況を打開できるかもしれない」
「時間操作系で間違いないから、たぶん役に立つと思うヨ。詳細を知るには唯華の生年月日と暗合情報が必要だネ。ボクの予想では、重彦の暗合情報と一緒に書いてあったあれが、唯華のものなんじゃないカナ?」
「それじゃ、あとは生年月日か。それは春華さんに訊けば分かりそうだな。明日、早速訊いてみよう」
希望の光が微かに見える。その光は本当に存在するのかすら怪しかったが、今のところはそれにすがるしか方法がない。