今年と明日とまた来て今年
今年もまた死んだ。
死んじゃったよ。
誰が死んだって? 『今年』だよ。
一年というのは一体どういうものなのだろうね。彼なりし彼女は僕らのそばにいて、僕らが瞬間には知覚できない存在だ。
見れないし、聞こえない。触れられないし、味わえない。
『今年』というのは死に際に、去り際にこそ感じられる。或いは過ぎ去った日々の中に。
新しい年を家族と迎えたこと。
去年の友人とともに新しい学年になったこと。
花火を見ながら好きな子に告白して振られたこと。
落ち葉に孤独を感じて本を読み耽ったこと。
雪の降る聖夜に多くの仲間や家族と過ごしたこと。
そして、いつも来る12月31日に時の流れが遅くなり、やがて秒針が12に全て揃うまでの刹那の瞬間を慰め合ったこと。
その中に微笑ましくも、寂しく雑草の花のようにあったんだ。
思い出してほしい。
『今年』は君らに看取られながら死ぬということを。
君らが、僕らが『今年』とともに歩んできた道を。
空白だっただろうか、新鮮だっただろうか、絶望だっただろうか、派手だっただろうか。
そんな気難しい言葉を使うまでもなく『あたりまえ』だったというのが無難か。
後悔しても取り戻せない。
あの時のことを懐かしめても、取り戻そうという努力はできない。
失ってしまった期間は、それすらも愛おしく思うことが唯一の救いとなるだろう。
さぁ、悲しみを超えて丘へと至れ。
新しい日の出は頂上より上り出す。
そして、迎えよう新たなる『今年』を。
Happy new year.