表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

53/76

53.お子様舌のあなたに捧げるカレー その3

「肉、炒めてみますか?」


 先輩へターナーを渡すと、「うん」と緊張した面持ちでうなずいた。肉をほぐしながら炒めていく手際は、まぁ申し分ない。


「そういえば先輩の家のコンロって、ガスですか、IHですか?」

「ガスだよ。ゴウくんちと似たかんじのやつ」

「じゃあ、火加減を覚えておいてください。炒めるときは中火です。ちょっとしゃがんで、見てみてください」

「これくらいが中火なの?」

「はい、一瞬だけ強火にしますね。炎が鍋底いっぱいに広がったでしょう? 炎が真っ直ぐ立ち上がって、底の中心部だけに当たっている状態が中火です」

「……難しいかも」


 くちびるを尖らせながら、先輩は肉を炒める作業を再開した。だよなぁ、と俺も首をひねる。

 ベストな火加減を覚えるには、ある程度の慣れが必要だ。慣れてしまえば、いちいち火の様子を目視しなくても、具材の火の通り具合で判断ができるんだけれど。


「でもカレーは最終的に煮込むので、炒める段階では生焼けでも大丈夫ですよ。心配だったら弱火でじっくり炒めてください」 


 そう、カレーとは本当に素晴らしい料理だ。初心者でも、ズボラで不器用な人間でも、余計なことさえしなければ無難に仕上がるんだから。

 反対に、こだわろうと思えばとことんこだわれるし、様々なアレンジも可能だ。


 ある程度肉に火が通ったら、野菜をまとめて投入し、先輩にはひたすらターナーでかき混ぜてもらう。


「どれくらい炒めたらいいの?」

「そろそろ大丈夫ですかね。ほら、ジャガイモが透き通ってきてませんか?」

「す、透き通る?」


 先輩は不可解そうに眉根を寄せた。鍋の中のジャガイモの状態を確認したあと、はっとしたように目を見開く


「たしかに、表面が透明っぽくなってるね」

「これで煮崩れしにくくなりますよ」

「へぇぇ~、なるほどぉ~!」


 深く感心したように先輩は目を輝かせる。


「いったん弱火にして、水を入れましょう。水の量はルーの箱に書いてあるんですけど、これよりも少なめにするのがオススメです」

「どうして?」

「ルーを溶かし終わったあとに少しずつ水を加えて、好みのドロドロ具合にするのがいいですよ。使う野菜によっては水分が出たりしますし、最初から規定マックスの水を入れてしまうのは危険です」

「そうなんだ……」


 目を丸くする先輩の前で、俺は計量カップに水道水を注ぐ。


「箱には700って書いてありますけど、500にしておきましょう」

「うん、先生にお任せする」


 俺に向かってにっこり笑う先輩に計量カップを手渡し、鍋へ投入してもらった。ジュワッと音を立てたあと、温度が下がって静かになる。


「蓋をして、しばらく煮込みましょう。あ、ちなみに、追加するのは水じゃなくてトマトジュースでもいいですか?」


 冷蔵庫からペットボトルのトマトジュースを取り出すと、先輩にとっては青天の霹靂(へきれき)だったようで、ぽかんと口を開けた。


「い、いいけど、変な味にならない?」

「ほどほどなら問題ないです。フルーティーでマイルドな味わいになりますよ。甘めのカレーが好きなら、うってつけです」

「そっか、辛いものが苦手なわたしやパパにはいいかも!」

「生のトマトや、缶詰めでもいいんですけど、ジュースの方が量の調整がしやすいし、余ったら飲めばいいですし。一人暮らし向けだと思います」

「な、なるほど……!」


 先輩がずいっと身を寄せてきたかと思うと、両手をがっしり掴まれた。突然のことに、身体が硬直する。


「ゴウくんってほんとすごい、勉強になることばっかりだよ! 父の日のことも、一人暮らしするときのこともちゃんと考えてくれるし、バカにしないで丁寧に教えてくれるし! 思い切って相談してよかった!」 


 表情を輝かせる先輩に、俺はしどろもどろ。


「は、ははい、俺も先輩の力になれて嬉しいです。遠慮なく頼ってくださいね」

「ありがとう……。あ、でも、迷惑だったらはっきり言ってね」


 先輩は俺からぱっと身を離した。


「迷惑だなんて、そんな……!」


 今度は俺が先輩に迫る。ええい、勢い任せで言ってしまえ。


「お、俺、先輩のおかげで、毎日楽しい高校生活を送れてるんです。男の俺が料理することを肯定してもらって、俺の作る弁当を褒めてくれて、俺、すごく自分に自信が持てました。先輩に、その恩返しをしたいんです!」

「恩返し……恩返しかぁ」


 先輩が困ったように笑う。


「わたしはそんな大したことしてないんだし、そんなに気負わないで」


 なだめすかせるようなその物言いを聞いて、俺は『失敗したかも』と思った。


 俺がしたいのは、『恩返し』なんて他人行儀なものじゃない。

 先輩のことが好きだから、なんでもしてあげたい。もっと親しくなりたい、一緒にいたい、好感度を上げたい。

 いつか伝えたいその思いを、今の段階で『恩返しです』の一言で片付けてしまってよかったんだろうか。もう少しフラグを立てておくべきだっただろうか……。


 あー、恋愛って難しい!


「えっと、アク取りしましょうか……」


 迷った挙句、俺は料理の方へ意識を向けることを選択した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 時間を気にしなければ、全部突っ込んで弱火でトロトロずっと煮込んでいても、食べられる物にはなりますからねえ。 隠し味にりんごとはちみつはいれないのかあ/w 今買い置きしているレトルトカレー、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ