表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/76

45.誰も寝てはならぬ

「ねぇゴウくん……。あのね……」


 弁当箱を保冷バッグにしまった先輩が、改まった様子で俺に向き直る。だから俺も慌てて片付けて、おっかなびっくり先輩に(なら)った。


「ど、どうしました?」

「あのね……以前、なにかできることがあれば言ってください、って言ってくれたよね」

「はい」


 一瞬にして緊張して、ごくりと唾を飲み込む。少し前、俺が本心から告げた言葉を覚えていてくれたんだ。そして、実際に頼りにしてくれようとしている。


 そう思うと嬉しい半面、どんなことをお願いされるのか、不安でもあった。けれど、どんな無理難題を出されても、絶対に拒否なんてするものか。


「ゴウくん……わたしね……」


 先輩は深くうつむき、ひどくもじもじしたような様子で言う。


「わたし……ゴウくんに料理を教えて欲しくって……」

「へえっ?!」


 俺の口から、素っ頓狂な声が飛び出した。先輩の頬が林檎みたいに真っ赤になっているのを見て、慌てて口元を押さえる。


 先輩は髪をいじったり、スカートの(ひだ)を触ったりと落ち着かない様子だったけれど、やがて意を決したように顔を上げる。瞳の中には真剣な光が宿って、俺を真っ直ぐ見つめてきていた。


「なにもかも全部、基礎の基礎から知りたいの。スーパーでの買い物の仕方、食材の選び方、ご飯の炊き方、お味噌汁からおかずの作り方まで……」

「え、ええと……はい、もちろんお安い御用ですけど……うぉえ?」


 今の正直な気持ちは、『これって現実に起こっている出来事なの?』だ。


 憧れの女性と、スーパーで一緒にお買い物して、一緒にメシ作って……って……え? そんな夢みたいな話あるか?

 俺は白昼堂々、妄想が具現化した夢を見ているんじゃないだろうか。

 もしくは、俺が了承した瞬間、『ドッキリでした~テッテレー♪』みたいな展開になるのでは?


 無表情のままあれこれを思いを巡らせる俺に、先輩はさらに言う。


「ゴウくんの家に行っちゃダメ……かな。わたしんちに来てもらってもいいんだけど、料理道具がちゃんと揃ってるかわかんなくて……」


 あーなるほどね、確信した。これやっぱり夢だわ。


 先輩が頬を赤らめながら、どことなく上目遣いで、『ゴウくんの家に行っちゃダメかな?』なんて言うわけないじゃん。ハハッ。

 一度、自分の横面にビンタを入れて、現実に戻ろう。


「ごめん、やっぱ迷惑だよね。ご家族もいらっしゃるだろうし」


 心底申し訳なさそうに引き下がろうとする先輩を見て、俺の理性より先に本能が動いた。


「いえっ、むしろご家族は誰もいらっしゃいましぇんので……! それでもよろひければ、ぜひいらっひゃってください!」

「本当にいいの?!」


 先輩の表情に笑顔が戻る。


「は、ははい! 俺なんかでもよければ、誠心誠意お伝えいたします!」


 俺は両手でズボンの生地をぎゅうっと掴んだ。こうでもしなくては、興奮しすぎて先輩の手を握ってしまいそうだったから。


 乱れた息を整えながら、ゆっくりと理性を回復させる。

 先輩は純粋に料理を習いたいだけだ。だから俺も、その気持ちに真剣に応えよう。

 そのついでに、ちょっとだけカップルごっこを楽しんでも(ばち)は当たらないだろう。


「俺、いつか先輩に、弁当以外のごはんも食べてもらいたいって思ってたんです。だから、その夢が叶って嬉しいです……!」


 感極まった俺は、つい本心を告白してしまった。すると先輩も、俺を見つめたままキラキラした瞳で言う。


「うん、わたしも、ゴウくんが作る、お弁当以外のごはんを食べてみたいって思ってた……!」


 二人の気持ちが交わったーーーー!!


 今この瞬間、狭い生徒会室にみっしりと管弦楽団、そして一人のテノール歌手が出現する。彼らが俺たちのために奏でてくれたのは、オペラの名曲『誰も寝てはならぬ』だ。

 最後に、トゥーランドット姫の代わりに俺が叫ぶ。

 ──彼の名は、『愛』です!


 はい、妄想終了です。

 以前のデート(仮)のときも思ったけれど、調子に乗った言動をしてはいけない。先輩が家に来るからって、まかり間違っても変な気を起こしてはいけない。

 俺は至極冷静になって、先輩へ提案する。


「あのぅ……水曜日はどうですか? 毎週水曜は、うちの母親が会社の人たちと飲んで帰ってくるんで、いつも一人分の晩飯しか作ってないんです。でも、一人分だと食材が中途半端に余っちゃうから、大したものが作れなくて。だから先輩が来てくれれば、いつも通り二人分作れるから、ちょうどいいです」 

「うん、水曜日なら大丈夫。ちなみに、一回きりじゃなくて、何度かお願いしてもいいのかな……?」


 またもや上目遣いで尋ねられ、冷静さが吹き飛びそうになる。


「ももも、もちろんです! 一回じゃ、教えきれないですからね」

「やったー!」


 先輩はぱんっと両手を打ち鳴らし、そのままバンザイした。

 俺も万歳三唱したい気分だよ。だって、先輩とカップルごっこができるうえに、何回もその喜びを味わうことができるんだから。


 けれど、先輩の頼みごとが、生徒会活動に関することじゃなく、料理に関することだったのは少しだけ寂しい。俺はまだ、生徒会長としての先輩の力にはなれそうにない。

 でも今は、できることをコツコツとやっていこう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ちょっと追加です。 たしか中国では、冷えたご飯と言うのは考えられないもの。日本のコンビニ弁当そのままとかいうと、馬鹿にしているのかと思うそうです。 インドにもお弁当を運ぶ仕事とかあるそうです…
[一言] あったかい作り立てのご飯は、やっぱりお弁当とは違うものねえ。一層惚れ込む、か。冷めてもおいしいおかずを工夫して、冷えたお弁当を食べるって、比較的珍しい国みたいですよね。日本って。 でもやっ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ