掌編「焼き餃子」
以前、水餃子という話を書いたことがあったので、焼き餃子をと作ってみました。
time is life だそうです。
一日摂取する野菜は三百五十グラム。栄養学の本に記載されていたこのことが頭に引っ掛かった。則幸は、普段から菜食を心がけていたが、自分が食べている野菜は少ないかもしれない、そう思った。野菜だけでない、果物も含めて彩りに溢れたものを摂るように書かれてあった。よし、買い揃えに行こうと、則幸は、スーパーに出掛けた。
スーパーは、祝日ということもあり、普段より人で賑わっていた。陳列されているものを吟味していると、店内のBGMが店のテーマソングに変わった。「毎日がんばろう~!」テーマソングを歌う少年もしくは声の主は、辛いことがあるけど、がんばるんだと自分を励ましていた。これを聞いて、則幸が連想するのは、震災のときに流れた公共広告機構のアニメーションだった。これらは商品ということではないが、頭のなかにこびりついてくるのだった。そして、非常時のときには、普段日常的に聴いている音楽、観ているテレビドラマよりも、より心に残るものに感じた。
「はいはい、私もがんばりますよー」
そう心のなかで唱えては、レジの透明なカーテンの前で会計を待っていた。いつもの帰るルートではなく、少し迂回してみることにした。迂回した路は歩道の両端に植物が囲んでいた。遥か遠くに次の道がまた引き延ばされるようだ。こういう道だったかと則幸は思った。以前にも歩いたとは思うが、季節が違ったのか、全く新しい道に思えた。こういうことはよくある。何遍も繰り返した道の中で、ある日にだけ視界から認識を消していた標識や、木々、看板などに気づく。自分は視界に映るものをまだまだありのままには捉えられていない、則幸はよく思っていた。真夏日のためか、大気に湿気を含んでいたため、植物や樹木が近くにあってもなんだかじめじめしていて、清々しさは感じなかった。
家に着くと、則幸は冷蔵庫から余った餃子の皮を取り出した。そうだ、この買ってきた野菜を餃子の具にするのは面白いかもしれないぞ。このあいだ、買っておいた水煮の大豆も余っていたので則幸はそれを具に餃子を作ろうと考えた。トマト、人参、ニラ、ナス、ゴボウ、それぞれの野菜を細かく刻んで、それらを潰した大豆に混ぜ合わせた。混ぜていくうちに餃子の具らしくなってきた気がした。ボールのなかが彩りに溢れてくる。赤、紫、茶、緑、橙、これら野菜の持つ色素はフィトケミカルといって、抗酸化作用に役立つという。この散らばった色合いを見ていると、則幸はSNSでどうしてベジタリアン達が作る料理が彩色に溢れているのか、その理由が分かった気がした。だが、独り暮らしの自分が毎日、これだけの種類や量を用意するのも、調理するのもなにかと大変だ。まとまった休みでないとできないかもしれない、あとはスープにまとめて煮込むのが自分の陥るところだろう、則幸はそう予感した。
まとめた具を皮に包んでいく。それを一度、お皿に並べてひととおり包み終わったらフライパンに油を入れた。フライパンに餃子を入れて、焼き目がつくまでじっと待つ。途中で水をかけて蒸し焼きにする。
全て完成したら、お皿に並べて、それを写真に撮った。これをSNSに載せたら、皆は食べたくなるかな、アメリカの人は、スウェーデンの人は、メキシコの人は、韓国の人は、ニュージーランドの人はどう思うかな、日本の友達やSNS上で相互に投稿を見てる人はなんて思うかな、心のなかで則幸は願っていた。
皆、家に招いて食べに来てくれたらな…そうしたら、少しは楽しくなるのに。休みの日に予定のない外出はせず、定期的に連絡を取らない則幸にとって、独りの時間は長く続いた。こういうときの対処法はとても難しい。頭の中で思い描いて、誰かとやり取りを、交わしてもそれが彼の想像通りであっても、心が晴れてくるわけでは決してない。
SNS依存と聞いたことはあるのだが、ひとり暮らしで外出を止められたものがコミュニケーションを、他者と図るのは携帯電話や、パソコンになってしまうのではないか、すなわち現在の実生活をSNSに共有する則幸の行為が依存なのか、則幸には自らを判断できなかった。出来上がった蒸し焼きの餃子をご飯に加えて食べてみると、その味わいは美味しくて則幸は頬張っては微笑んだ。
「おいしいなあ」
則幸がベジタリアンの生活を心がけようと思ったのが地球環境のためだというのは二次的なものに過ぎなかった。単に彼は畜産動物の悲鳴に耐えられなかったのだ。彼が農業実習で暴れた鶏、販売員として大量に捌いた魚の血が則幸の記憶に色濃く残っていた。ベジタリアンやヴィーガンは、環境保護や貧困の解決、畜産動物のアニマルウェルフェアの観点からも見直されつつあるが、そんな人々を唸らせる理由は彼にとっての不実にすぎなかった。なぜなら、この餃子を食べてるとき、則幸は罪悪感を感じなくて済んだから。彼はどこまでも動物の命に纏わり付かれていた。