カッコよくて、かわいい人
「ねえねえ、のりちゃん」
『のりちゃん』というあだ名を私は気に入っている。
本名の則光楓は名字が堅苦しい感じがして、そんなに好きじゃない。
「どうした、晴野」
「ここ教えてー」
「どれ」
隣の席から差し出されたプリントを確認する。
数日前に配られた数学の課題プリントのようだ。
私はすでに終わっているから、解法がすらすら頭の中に浮かぶ。
「ここはだな……」
私は教科書に載っている公式を見せながら、晴野に説明した。
「じゃあ……こうなるの?」
「いや、ここでその式は成り立たないぞ。その前に……」
「……ああ、なるほど! ありがとう、のりちゃん!」
眩いほどの明るい笑顔の晴野。
そんな晴野の笑顔は私にとって憧れのものだ。
私もこんな風に笑えたら、と思う。
だが、表情の硬い私は愛想笑いも上手く出来ない。前にやってみたら『具合悪いの?』と心配されたのがトラウマになっている。
「剣道が出来て、勉強も出来るなんて、のりちゃんはかっこいいね!」
「そうでもない」
私は『かっこいい』という評価を受けることが多い。特に女子に言われる。
もちろん褒めてもらえるのは嬉しいのだが、私はどっちかというと『かわいい』と言われてみたい。
だが、周りのみんなからすると、私はそういうキャラではないのだろう。
自分でも似合わないと思う。
✳︎✳︎✳︎
剣道部の帰り道に、最近オープンしたアイスクリーム店がある。
初夏のこの時期にはピッタリだ。
私はそのアイスクリーム店がとても気になっている。
しかし、1人で入るのはなんとなく抵抗感がある。
かと言って、誰かを誘うのも恥ずかしい。
『アイス食べに行こう』なんて私のキャラではないだろう。
「則光よ、何を上の空になっているのだ」
「いや、なんでもない」
「はーはっはっ、遠慮する必要などないぞ! 貴様はこの紅丸様の盟友にして好敵手! 俺様の力を貸し与えるに相応しい存在なのだからな!」
1人だけ世界観を間違えたような言動をする男。
こいつと一緒に帰るのも、もう慣れてしまった。
竜帝紅丸という名前を聞いた時はフィクションだと思ったが、出席表にちゃんとそう書いてあったから驚いた。
1年の時に一緒に剣道部に入り、もう1年以上の付き合いになる。
「問題ない。練習で疲れただけだ」
「……ふん、あの程度で音をあげるとはな。俺様はまだまだいけるぞ」
「流石だな」
「はーっ、当然だ」
そうやって、紅丸と歩きながら会話をしていると突然、雨が降り始めた。
近くのコンビニに駆けて、ひとまずの雨宿り先を確保した。
「予報にはなかったのだが……」
目の前が閃光に包まれる。
そして轟音。
雷だ。
「俺様の強大すぎる力が神の怒りを買ってしまったか……!」
「どうしたものか」
「はーっ、案ずるな則光よ! 俺様はこの程度の事で屈しない! 出でよ、アイギスの盾!」
そう言って、鞄から折り畳み傘を取り出す。
紅丸はこう見えて、結構几帳面な性格をしている。
「貴様が盾を持たぬのならば、俺様のこの盾で守り通してやろう!」
ここでの盾は、傘の事でいいのだろう。
「すまないな。紅丸」
「ふははははっ、この程度の些事。どうという事はない!」
紅丸が差した傘の中に入れてもらう。
折り畳みだから、サイズは小さい。
紅丸と体を近付けて、傘からはみ出ないようにした。
「……則光よ」
「なんだ、紅丸」
「えーっと……その、もう少し距離置いた方が良いのではないか?」
「いや、そうしたらお前が濡れるだろう」
「少し肩が濡れるくらい問題では……」
「もっとくっ付いた方がいいな」
密着させるくらいが丁度いいだろうか。
「ま、待て! 貴様の内なる魔力が、俺様の中の獣を暴走させる危険性が……!」
何を言っているのかよく分からないが、嫌がっているのか?
「もしかして、臭うか? 汗かいたからな」
「いやいや、そんな事ないぞ! むしろいい匂い……じゃなくて! ほら、ええっと、その……アレがだな……!」
顔を真っ赤にして猛烈に何かを訴えてくるが、やっぱり何を言っているのか分からない。
「すまない。よく分からないが、混乱させたようだな。形を変えるか」
紅丸の横に並ぶのではなく、背中にくっ付く事にした。
この方が傘に収まりやすいだろう。
「ぐうっ……! 背中に……! しかし、さっきよりはマシか」
よく分からないが、こっちの方がいいらしい。
それにしても、大きな背中だ。
私も同じくらい鍛えてるはずなのだが、性別の違いはやはり出てくるのか。
紅丸の背中。
なんだか、暖かくて心地が良い。
その暖かさをもっと感じたくて、頬も背中にくっ付けた。
微かに紅丸の音が聞こえる。
雨の音が邪魔で仕方がない。
「すまない。駅まで送らせてしまった」
「はっはっはっ……気にするな……」
紅丸はいつもより覇気がなくなっていた。
2人で1つの傘は歩きにくかったのだろうか。
「今度、何か礼をさせてくれ」
「ふん、見返りなど必要ないわ! さらばだ、則光!」
紅丸は忙しなく、水溜りを弾けさせながら去って行った。
「ああ、また明日!」
もう背中が遠くなっていたが、声は届いただろうか。
夏の雨はそこら中を蒸し暑くして気持ちが悪い。
だが、私は紅丸の背中の温かさが名残惜しかった。
✳︎✳︎✳︎
昨日とは打って変わって、今日は快晴だ。
日差しがコンクリートを存分に熱したおかげで、部活帰りの夕方でも暑い。
そんな時にいつもアイスクリーム店が目に入る。
入りたい。
冷たいアイスを食べたい。
今なら暑いって理由で誘えば自然なんじゃないか?
いや、やっぱり恥ずかしい。
「はぁ……」
暑いのとストレスのと両方の意味でため息が漏れた。
「……」
「……どうした紅丸。急に立ち止まって」
紅丸は急に息を荒くする。
そして、掻き毟るように自分の胸を押さえた。
苦しそうだ。
「くっ、俺様の体はこれ以上この暑さに耐えられそうにない……!」
「大丈夫か、駅に着けば涼しくなるから、辛抱するんだ」
私の励ましも虚しく、紅丸は膝から崩れ落ちた。
「ぐぬぬっ、何か氷属性の体内に吸収出来る類の物があれば良いのだが、そんなに都合よく……! ぐはっ」
何も吐いてないが、何かを吐き出したような仕草をする。
「要するに冷たい食べ物があればいいんだな?」
「そうだ……!」
紅丸が苦しそうに喚く。
これ以上紅丸を苦しめて置くわけにはいかない。
通行人の目線が痛いしな。
冷たい食べ物……。
アイス……とか……。
……。
仕方ない。
これは不可抗力だ。
「あ、あそこにアイスクリーム店があるが……そこにするか?」
不可抗力とはいえ、やっぱり恥ずかしかった。
顔がじんわり熱くなる。
「おおっ、神は俺様を見放してはいなかったか!」
紅丸が急に元気になって立ち上がった。
なんだ、全然元気じゃないか。
このやろう。
昨日は神の怒りだとか言ってたが、敵対しているのか友好的なのかよく分からない。
✳︎✳︎✳︎
「はーはっはっはっ、俺様の胃袋は、さながらコキュートスだな」
ストロベリーのアイスを頬張りながら、意味不明な事を言っていた。
そんな紅丸を尻目に私もマスカットのアイスを口にする。
アイスの冷たさが火照った体に染み渡る。
店内の冷房もあって、体に籠った熱は完全に排除された。
「……」
「……紅丸、どうした。顔に何か付いているのか」
じっとこちらを見ていたので聞いてみた。
「いや、何でもない」
「マスカット味も食べたいのか?」
「む、そうではないが……。食べ比べもまた一興だな」
「じゃあ、一口」
コーンの先端のマスカットアイスを紅丸に向ける。
「よし、スプーンを貰ってこよう」
「ん? そのまま食べたほうが早くないか? 一口なんだしな」
「貴様……自分が何をしようとしているのか理解しているのか」
「……?」
「いや、いい。とにかくスプーン貰ってくるから待っていろ」
紅丸は席を立ち、カウンターへ向かった。
1人になると急に心細くなった。
店内を見回す。
私と同じ、女子高生の姿も見える。
みんな髪型とかおしゃれで、かわいい。
やっぱり、私はこういう場所には似合わないな。
この場所にいる事が急に恥ずかしくなってしまった。
「待たせたな。双聖器を発掘してきたぞ!」
プラスチックのスプーンを2つ、私に見せびらかす。
紅丸が帰ってくると、不安はどこかに行ってしまった。
似合わないとかは関係ない。
紅丸がいるから、私もここにいるんだ。
我ながらよく分からない理屈だが、そう思うと安心出来た。
互いのアイスを一口ずつ分け合った。
紅丸は相変わらず変な事言った。
楽しい時間だった。
✳︎✳︎✳︎
店を出ると、やっぱり暑かった。
体が冷やされている内にさっさと帰宅してしまおう。
「また明日な! 我が盟友よ!」
別れの時間が来るのはあっという間だった。
「紅丸」
「なんだ」
「今日は楽しかった」
「む、なんだ急に改まって」
「ふふ、なんでもない」
「……貴様にはやはり、輝きの形相が相応しい」
「ん、どういう事だ」
「え、ええい! 察しろ!」
「察しろ、と言われてもな」
「ええと……だから……」
紅丸の声が小さくなる。
「則光には、笑顔が似合う……っていうか……」
笑顔?
私は今笑っていたのか?
「だーっ! 今のは忘れてくれ!」
「……私は、笑顔が似合うのか?」
「え? お、おう」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ、かわいいから……みたいな?」
「かわいい……?」
え、私が?
かわいい?
「か、かわいいっ!?」
男子にそんな事を言われたのは初めてだ。
嬉しい。
と同時にものすごく照れ臭い。
「じゃ、じゃあな! 則光!」
紅丸は両手で顔を押さえながら逃げるように去って行った。
「紅丸……」
紅丸の大きな背中が遠くなる。
遠くなるにつれて心細くなる。
あの背中の温かさが恋しくなる。
「……ありがとう。また明日」
もう随分遠くなったから、声は届いてないだろうが。
ただ口にするだけでよかった。
それだけで、私は安心出来るから。