真珠6
貝魔王の貝が開かれる。
「貝って開いたら死ぬんじゃなかったっけ」
酒のつまみのことしか考えていないようで、アルコはギョブの体を蹴って強引にあおむけにして、彼が窒息しないように配慮した。
ただ、踏み台にはしているが。
担いだランニングマンの腰を揉んで意識を確認する。
「……なんだ?」
「やっぱり見殺しにしそうだ。お前を担いであれの相手はできない」
「……なら、『真珠』を一つ寄越せ」
「葬送用の宝石を求めるとは結構粋なやつだな。安らかに、ランニングマン」
どこかの国では死体になった人間に、人形や花やお金を捧げるという。そういう風習だとアルコは思いこんだが、違う。ランニングマンの末期に近い息が告げる。
「……もっと口に」
「口?」
含ませるのか、とアルコが口内に『真珠』を入れてやると、確かに彼はそれを噛み砕いた。
そして、アルコの腕を振りほどき、自らギョブの上に立った。
「なっ……」
「『真珠』は滋養強壮剤としての力もある。あの奴隷の女も齧れば泳げるようになると思って渡したつもりなんだが……どうでもいいな」
虫の息であったはずのランニングマンが自らの足で立ち、平然と喋る。その回復力にはアルコさえ閉口してしまう。
「もともと体は丈夫な方だ。骨は、少し折れているが、岸まで走っていくくらいならできるよ。ありがとよ」
そう言ってまた海を走り出そうとするランニングマンの、肩を掴んで止めた。
「おい……」
振り返ったランニングマンは、自分の死を感じた。
貝の開かれた口から、二本の触手が襲い掛かる。遥か遠くに見える貝から伸びてきた肉が、しかしギョブの一撃以上の衝撃を与えてくることは見ればすぐにわかる。
それをアルコが切って、守ったのだ。
ただその速度、貝の本体は動かずとも、固い貝殻という鎧で身を守り、柔肉のような触手で攻撃を仕掛けてくる貝魔王の攻撃をランニングマンに躱せるのか。
答えは不可能である。遥かに上回る速度は生物としての格の違いがあった。しかも、既に数十本もの触手が再び貝魔王から出てきている。
「おい、おいおいおい! 早く逃げねえと……!」
痛む腹を抑えながら慌てて叫ぶランニングマンに、しかしアルコは笑顔を向けた。
「いや、いやいやいや。回復したなら話は別だ。あの貝殻をぶった切るための足が欲しかったんだよ。なあランニングマン、走れるんだろ? 行先変更だ」
「つったってよ……!」
数十本の触手が今にも飛び掛かってくれば、それは恐ろしい。きっと絶対殺されてしまう。
逃げなければ死ぬ、そんな状況なら誰だって逃げるものだ。
だが、再び襲い掛かってきた触手はまたも二本のみ。
ほかの数十本は他の人間に襲い掛かったのだ。
叫び声、泣き声、悲鳴、死を恐れる恐怖がその海に広がった。
「そこまで逃げたいならもう止めないが、その場合は私も逃げるよ。こいつも放ってな」
げしっとその地面をアルコは蹴った。ぷかぷか浮かぶギョブは呑気に意識を失っているが――アルコが触手を切って守っていたのはランニングマンだけではない。
救える人の命を、全て守っていた。
「……クソわかったよ! どう担いでほしい!? おんぶか!? だっこか!? お姫様だっこか!?」
「はっはー! アンタいい男だよ。肩車がいいな」
ヤケクソになりながら、ランニングマンはしゃがんでアルコを待つ。そんなアルコは妙に笑みを浮かべて剣を握っていた。
「魔人ヘルローズ以来の大捕り物だ。腕が鳴る」
「あれをどうにか出来たら『真珠』、もう一つもらうからな」
「二つや三つくらいやるよ。一掴み分手に入れたからな」
ただ二人、貝魔王へと挑み、走る。
一人、意識を保っていたロッコンは『真珠』によるドーピングでなんとかケーキをドラッグを引っ張り、クロスボウの鎖が巻き付いた大きいボートの上に二人を乗せるまでできた。
「やーい起きろ起きろケーキー、ドラッグー」
二人の頬をぺちぺち、お腹を押し押し、鼻をつまみ、それで先に目覚めたのはケーキであった。
ひどくせき込んで水を吐き、辺りを見回せば倒れているドラッグに水浸しのロッコン、そして戦々恐々の海岸。
既に砂浜の近くまで波で戻されてしまったが、遠くに貝魔王が視認できるほどの距離ではある。
「えっと、あの」
「カナヅチならそう言ってよね」
「……う。泳げると思ってたんです……」
自分が溺れたことをようやく思い出して、しかも泳げるという思い込みをしていたことも含めてケーキは恥じらい顔を真っ赤にするが、ロッコンはそれをほほえましく思う余裕もない。
「あの大きな貝、なんですか? あとドラッグさんは……」
まず気になった二点をすぐに質問すると、ロッコンはそれに真剣な表情で答える。
「ドラッグも少し水を飲んでいるけど、たぶん先に意識を失っているから命に別状はない。そのうち起きる。で、問題はあれ」
貝から伸びる触手が人を襲っているのは、そこからでも見えた。
「『貝魔王』、近海の主で引き潮の原因っていう魔物。あれが『真珠』を生み出しているんだけど、ちょっと沖に出すぎたやつのせいで怒ってしまったのかな」
「どうするんですか?」
真剣ながら、ロッコンの表情は淡々としていた。何を考えているのか傍のケーキにさえわからず、不安から質問をさせるほどにだ。
が、ロッコンはオールを差し出してきた。
「逃げる。この調子だと『真珠』はその辺に浮かんでるし……ほら」
と海面からとって見せたそれは紛れもなく『真珠』だった。
「たくさんのボートが転覆して、泳いでいる人も溺れて、貝魔王の起こした波でだいたいが砂浜に打ちあがってる。逃げながら戻れば命も助かり『真珠』もゲット。バンバンザーイ」
ワーイとロッコンは手を挙げて、無表情なりに喜んだ素振りを見せるが、流石にもうケーキは騙されない。怒ることもせず、じっと見つめた。
根負けしたロッコンは素顔で溜息を吐いた。
「あんな化け物、倒しようがないよ。しかも、私の武器はもう壊れかけだし」
クロスボウの素材をガタガタ揺らす、ネジも外れかけ。一発一発の威力が高く、鎖を巻き取るみたいに多機能にしている分、次の一発が撃てるかどうかすら怪しい。
「でも浜辺に一応予備を持ってきて隠している。それを使えば……援護と人命救助くらいは?」
「それならそうと言ってください」
「私あのキャラ気に入ってるんだけど……」
「えぇ……本気ですか……?」
ケーキとしては、素のロッコンの方が、強くて賢くてずっと素敵なのだ。ちょっと弱いアルコのようで。
「素の自分を隠している自分、が好きなのかもね」
「はぁ……」
「とにかくコゲコゲ~!」
結局ロッコンはからから笑いながらオールをぶん回す。でもその場には三本しかないから、結局ケーキは見守っている。
「イヤイヤ、重要な役目がケーキにはあるんだよ」
「それは、いったい……」
「敵」
即座にロッコンが言うや否や、海中から触手がボートを囲むように現れた。
だがそれより驚くべきは、ケーキの反射。彼女は即座にその触手をナイフで切り落とした。
これにはロッコンも息を巻く。多少慌てるなり驚くなりで少しの負傷は覚悟した。なにせこれだけ早く、ここまで貝魔王が攻撃をしてくるとは思わなかったからだ。それを反撃し、敵を撤退せしめるとは。
「こういうことですね?」
「オーケーオーケー! ばっちり上出来だよケーキちゃん! あの貝の化け物はどうせ魔人殺しがなんとかするだろうし、適当にやろう」
さて、ロッコンとドラッグは、いや二人だけでなくほとんどの参加者がアルコを知っていた。海を割り、ギョブを倒した彼女の姿と振る舞いを、当然。
しかし溺れて、ランニングマンに投げられた船で気絶していたケーキだけがいまだに気づいていなかった。
「あっ! アルコって、師匠がですか!?」
言いながら、貝魔王の方をよく注視すれば、確かに人が、空を飛んで戦っているような。
ただただ驚くケーキに対して、ロッコンは冷静に、思い返す。
「……いや、ケーキって珍しい名前だからまさかとは思っていたけど、魔人殺しの奴隷ケーキか」
視線も合わせず呟くロッコンは、結局また素の姿であるらしかった。
「私のこと、知っているんですか?」
「エイムに会うための情報収集に余念がないからね。でもアルコの奴隷の溺愛ぶりも有名だから別行動とは思わなかった」
「で、溺愛……」
そんな噂が流れている、と考えるとまた無性に恥ずかしくなってケーキは頬を赤らめるが、事態は切羽詰まっている。
「あの、師匠を助けに……」
「行きません。ここで引き返したら武器を持っているケーキはともかく、私とドラッグは間違いなく死ぬよ」
それは、そうだ。今でさえケーキがこのボートを守らなければいつ触手の攻撃で三人まとめてやられるかわからないのだ。
「今はとにかく戻るもどーる!」
岸に戻れば戻るほど、『真珠』や船の残骸、泣きながら逃げる人々などが増えていく。
ただアルコとランニングマンだけが貝魔王と戦っていた。




