氷1
『真珠』の港町クルースから『氷』の自由都市アイルまでの距離はそれほど長くない。とはいえ、アイルの北には秘宝のある『氷龍の洞窟』が、南は森に囲まれ東には山脈があるため、大きな回り道を余儀なくされる。
挙句、山には山賊、森には盗賊がおり、地理的な面からも帝国が手を出しづらく、傭兵業や護衛を生業とするものが多かった。
馬車はガタゴト、四人を乗せて揺れる、揺れる。
クルースからアイルに行くには、山を通る場合、森を通る場合、それらを迂回して西から入る場合がある。アルコが選んだのは森であった。
「なんで森? なんでなんで?」
「馬車の護衛をしたらお金がもらえる傭兵コースだ。お前らにも働いてもらうぞ」
クルース発アイル着の馬車で賃金を払って移動するのではなく、宿代や食料も出してくれるかわりに森で護衛をしろ、という依頼があった。都合がよかった、というだけである。
アルコは日銭に困っているわけではなく、むしろ轟く名が仕事と金を与え続けているほどだ。それでも体がなまらないように、かつ退屈しないようにとこういう荒事を望んでいる節があった。
「しかしこれだけ栄えた大陸にこれだけの森があるとは思わなかった。『蜜』と『目玉』も驚くほどデカい森にあるらしいが」
「ここの南にある領主の所領だから、皇帝じゃなくてその人が森を保護しているらしいの。アイルの独立性を高めて自分たちだけ貿易で甘い汁を吸っているわけね」
ドラッグが丁寧にその政治的な事情を語るが、アルコには皇帝と領主の違いもわからない。なんで同じ国の人間が競っているんだろう、くらいの疑問は持つが。
「あ、そういうことね完全に理解した」
「……本当に?」
「ほんとほんと。じゃ寝るから」
知らないことは知らない。どうでもいい。と言わんばかりにアルコは荷馬車の中の樽にもたれて寝息を立て始めた。既にロッコンも似たような姿勢で寝ているため、ケーキとドラッグが取り残される形になる。
全員眠っては護衛にならない、とケーキが馬車から御者の隣に座る。
御者は商人であり雇用主であった。灰色の髭を蓄えて緑色の服に身を包んだ初老の男性で、隣に座る少女を興味深そうに見つめた。
「あの、お守りしますので」
「ふぅむ、変なやつだな」
「え、えっと」
堂々と、変なやつ呼ばわりしてきてケーキが戸惑う。変なやつを目にしても動じない男も、なかなかに変なやつだと思うが。
「悪口のつもりじゃないよ。『大会』なんかが始まってからこの大陸には変なやつが増えてね、昔ながらの盗賊さえ減ってしまったよ」
「……あのぅ、それはやっぱり悪口では?」
「はっはっは! 変なやつには変なやつを戦わせるんだよ」
楽し気に笑う御者に、ケーキはなんとか愛想笑いを返した。妙な気まずさも気にせず呵呵大笑するのも、それなりの年月を生きた年の功だろうか。
荷馬車の中ではドラッグが後方を警戒している。しかし、おそらく戦力として一、二の二人が眠りこけているというのは頼りない。
ただ、森は静かだった。
静かに、静かに木々が風に揺れ、枝がしなり木の葉が擦れる音しか出さない。馬の蹄鉄が湿った柔らかい土を踏みしめ、傍にいる動物の臭いと木々の爽やかな緑の臭い、あとは馬車の荷物である甘い香りがする程度。
その小気味良さに、ケーキは足を揺らして自然を満喫するように楽しんでいたが、真っ先に異変に気付いたのはロッコンと御者であった。
ロッコンは起きるや否や御者とケーキの間に立ち、見通しの悪い森の中で視線を伸ばした。
「ロッコンさん、どうかしましたか?」
「静かすぎる。普段はもうちょい動物の声がするもんだが……」
御者が訝しんでみせるが、その疑惑は確信には変わらない。
いかに盗賊や、例えば盗賊すら皆殺しにする謎の刺客がいたとして、森の中に住む動物や魔物、はばたく鳥たちまで全てを殺し静かにする者などいるだろうか?
「馬を止めて静かに」
人差し指を唇につけて、おどけるような仕草ながらロッコンは真剣そのもので呟く。右手には既に彼女の武器であるクロスボウが握られている。
馬が止まり、そこからはますます音が無くなる。ただ木々のざわめきの中でケーキとロッコンは耳を澄ませて立ち尽くす。緊張感に御者は冷や汗を流すが、その静寂をかき乱すことはしなかった。場に包まれたプレッシャーのせいでできなかったのであるが。
一分、二分と時間が経ち、ケーキが焦れて声を出しそうになった時。
「ロッコン起きてんじゃん」
ドラッグが荷馬車から顔を出した瞬間と、風を切る音と共に左方向から苦無がロッコンの首めがけて飛んでくるのはほぼ同時だった。
「近い! ケーキ行けるか!?」
ロッコンは慌てずに、冷静に対処した。
その対処とは、右手のクロスボウで反撃しながら――左腕を犠牲にして苦無の攻撃を防ぐというものだったが。
苦無の飛んできた方向に真っすぐケーキは駆けた。露骨に木々が揺れて音を立て、その敵がどのように移動しているか程度は把握できる。
敵は馬車から離れて森の奥へ、北へ北へと進んでいるらしかった。奇しくも進行方向と同じだが、そこにある敵の意図を掴みかねていた。
「馬、走らせてもらっていいかな?」
ロッコンが御者に頼むと同時に、馬車からアルコが飛び出した。
「魔人殺し! おっそーい! ぷんすかぷんすか!」
「すまない! なんかスヤリスヤリしてた!」
アルコの顔には確かな焦りがある。こうなるつもりではなかったとそのあと先を考えない加速が物語っている。ともすれば、馬よりも速いほどの足で。
ケーキと敵に追いつくにはどれほどかかるか、それまでにケーキが戦闘になれば……そんな焦りが余裕すらも奪っていた。
ケーキが追いかけていると、突然敵は目の前に姿を現した。
全身を黒の装束に包み、顔には奇怪な狐の面をつけた、恐らくは男。
暗殺者然とした格好に、ここではない東方の意匠にケーキは少しの恐怖とますますの警戒をしたが。
「……魔人殺し以外にあれほどの猛者がいると……!」
既に息は荒く、先ほどロッコンに射抜かれた左肩を庇うようにして立っていた。
距離を離したから姿を現したのではない、既に限界が来たと感じたから彼は潔く諦めたのだ。
「何者ですか、あなたは」
「……鬼人衆暗殺部隊が一人、狐狢狸。魔人殺しとその奴隷よ、ゆめゆめ狙われていることを忘れるな」
同時に右手から苦無を投げて狐狢狸はケーキとの距離を詰めようとする。
だが万全ではない状態の攻撃は先ほどロッコンに向けたものより弱く、精度も安定しない。
同時に距離を詰めたケーキとすれ違いざまに、ナイフの攻撃を腹に、首に、顔にと連続で切り刻まれる。
一瞬で何度も攻撃をするケーキの技術が見事であるが、結果はなんであれ変わらない。その暗殺者は血を噴き出して倒れた。
(投擲技術だけなら私と同じかそれ以上……ロッコンさんが反撃してくれなかったら危なかったかもしれません)
ケーキは仮面の割れた男の顔も見ずに踵を返した。他の生物の声はいまだにしない。
「ケーキ! おお! 愛しのケーキ! 血まみれじゃないか!」
「返り血です。敵は殺しました。死んでますよ、確実に」
「えらい! 偉いね~ケーキ! 特に首の一撃、無駄がないね~、えーっと、腹から上へと切っていったのか。これなら顔を斬る必要はないけど……でも確実にやってやるっていうか執念みたいなのがあるっていうか」
「無駄な一撃は武器を痛めるとか、そういうことが言いたいなら言えばいいじゃないですか」
死体を検分しながら無理矢理に褒めようとするアルコに、ケーキが焦れて文句を言う。普段のアルコなら上達するための助言などもするのだが、今回はやけに褒めちぎっているのが気味悪いのだ。
当のアルコはケーキに好かれたいとか一緒にいたいという気持ちが先に出てきて、どうもそんな不気味な態度を取ってしまうのだが。それが良くないと気付いて、また無理矢理に話を変えようとする。
「あ、っと、こいつはなんか喋ったか? 狙ってくる理由とか」
「鬼人衆の暗殺者、とか言ってましたよ。狙いは主です。……ロッコンさんも依頼主さんにも迷惑をかけてしまいましたね」
「攻撃なんて受ける方が悪いんだって」
アルコが強気にものを言うのを、ケーキは睨みつけた。のどまで暴言が出かかっているが、いまだにアルコが主人であるためにそれを留め、あくまで奴隷と主人の関係を全うした。
ロッコンとドラッグは自分にとってできた初めての仲間で、特にロッコンは尊敬できる戦士だ。あの迅速な判断からの攻撃と防御があったからこそ自分が無傷で勝てたのに、そう文句も言ってやりたいが。
「……戻りますよ」
「は、はい」
結局アルコは何も言えずにケーキの後をついていくだけであった。
奇妙な攻撃があったものの、つつがなく一行はアイルの町へと着くのであった。




