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 瞳の中にぐるりと丸い金の輪が見えたら、その相手は自分を破滅へと導く悪い運命の人だ。

 その輪が見え隠れする度に未知の暗がりに私を誘う。

 それは芳醇な香りがして淡い風が背を押すような、艶めかしい誘惑だ。

 出会ってしまったら抗えない。

 だから現れないで。

 永遠に私の前に姿を見せないで。

 あなたはきっと、私をひどい未来へ連れ去って、底の底まで沈めてしまう。

 でも私は、金の輪から、逃げ出す術を持たないだろう。

 だから、永遠に現れないで―――




「という話を私は母から腐るほどされましてね」

「何の話だ」

「母はそんな金の輪の瞳を持った男に会ったのだそうです」

「そうか…、それで何の話なんだ」

「私も何度もそう聞きましたが母は答えてくれませんでした」

「お前の父親はお前の母親を破滅へと導いたのか?」

「いえ、母はその人の金の輪に嵌らず真っ当な父を選んだので無事でした!」

「………つまり、抗うこともできるんだな」


錬成術のお手伝いも少しずつ慣れてきた。

 素材の収集もお手の物だ。

 ただそこら辺の物を拾ってくるだけだけれど。


「これは何ですか?」

「アラームだ。一個やる」

「目覚ましですかあ。重要ですね」

「いや、人が近付いてきたかどうかを知らせるアラームだ。このシールを人に貼っておいて、その人物が近付いてくると、もう一つが音を出す。人のいる場所に侵入する際などに使えるかと思って」


 春はルゥマから手の平サイズの硬いお餅のような固形物と、指の腹に乗る程度の小さなシールを受け取った。

 夜中にも忍び込んでくる妖怪に、隙を見て貼るつもりらしい。


「今日は夜に行く。夜仕事は初めてだから気合を入れろ」

「私はお留守番でもいいのですが」

「その内お前も一人で仕事をするようになるんだから勉強しておいた方がいいだろう」


 いつか春は人殺しをしなければならないらしい。

 ルゥマの中でそれは決定事項のようだった。

 それまでになんとしても帰り道を見つけなければいけないだろう。裏方でも助力しているのが後ろめたいのに、実際に手を下すことなどとても春にはできそうになかった。

 でも衣食住を面倒見てもらっている手前、そして頼れる相手が一人しかいない手前、マイナスなことは言い出せず冷や汗をかいただけで口答えはしないでおいた。


 今まで堂々と正面から入っていくのが多かった中、今回は深夜に忍び込むかたちだった。

 とても大きなお屋敷だと思っていたけれど、どうやら図書館だそうだ。シャリアールで最も大きく権威のあるシャリアール中央総合学園の敷地内に設置されている。とても背が高いのに窓は一つもなく、壁という壁が本棚となりあらゆる書物が詰め込まれている。

明かりらしい明かりはなくてすごく暗い。春は壁に手を付きながら、前を行くルゥマにぴったりついていった。


「よし、じゃああそこら辺の机で適当に本を開いていてくれ」

「えっ、別行動ですか? 無理です」

「学園警備隊の見回りが来ると思うから、足止めしておいてくれ」

「おいていかないでください」

「なんのためにわざわざそんな制服を用意してやったと思っているんだ。しっかり頼むぞ」


 むべもなくルゥマは暗闇に消えてしまった。

 確かに今日は何故か出掛ける前に黒いローブを渡された。暗闇に紛れるためかと思ったが、それにしては裏地が赤いのが気になってはいた。このローブがこの学園の制服らしい。それ以外の服装については指定がないようだ。

 魔法使いも使うという手燭をもらったとはいえ、土地勘のない場所で一人でうろつくのもそれはそれで怖い。

 春は仕方なく入り口近くの本棚から適当な本を取って、適当な椅子に腰かけて、そわそわしながらルゥマの帰りを待った。


 しばらくして、廊下から光が近付いてきた。

 開きっ放し、というより、扉のない入り口が少しずつ光で満ちてくる。

 春の心臓はもう口から出てきそうだった。


「誰かいるのか!」

「うわあい! すみません、すみません、すみません!!」


 警備の人に見つかるのは想定内、というより、作戦の内だ。

 見つかった時の言い訳をルゥマと考えておいたのだが、反射的に春は椅子を床に倒して立ち上がり、謝罪を繰り返した。

 入ってきたときは怒っているようだった警備員は面食らったように構えていた杖を下げて、春をまじまじと観察した。


「生徒か?」

「す、すみません。どうしても読みたい書物があって…」

「………ふうん」


 目深に帽子を被った警備員は、体格や声からして若い男性のようだった。手に春が持っているものと似た手燭を持っている。


「本当に生徒?」

「え、え…、はい」


 うそつきの素質がないことは自覚していたので、春は机に置かれた自分の灯りをちょっと遠ざけた。

 表情が見えなければ嘘もバレにくいかもしれない。

 でも、相手の光が一歩近づいてきて、さっきよりもずっと辺りは明るくなってしまった。


「………その髪、自前?」

「は?」

「染めているの?」


 何を聞かれているか分からないなりに、春は自分の肩ほどまでの髪を一房つまんで毛先を見た。

 いつも通り黒くて細い髪だ。量が多くて重たい。その分まとまりがある。


「いえ、生まれつきです」

「ふうん」


 警備員は手の灯りを円を描くようにぐるりと回して春の顔の周囲をよおく観察したようだった。

 上半分が帽子に隠れた瞳が見える。

 金色に揺らいで見えたけれど、おそらくそれは手燭に入った蝋燭を映しただけなのだろう。本当の色はちょっとよく分からない。

 どうにも気味の悪い人だ。


「瞳は?」

「もちろん、自前で…………………」


 目の色をどうやって変えろというんだ、なんという質問だとちょっと苛立って、春は瞳を見せつけるように瞼を指で開いてみせようとした。

 その時に、警備員の彼が首を上の方へ傾けたので、彼の瞳がようやくはっきりと見えた。


「あ………」

「ん?」


 思ったより優しげな人だ。

 怒ってはいなさそうで、ほんの少し微笑みながら、動作の止まった春を小首を傾げて見た。

 見下ろしてくる赤い瞳に炎が照りかえる。

その中に、まあるい金色が薄く円を描いて見えた。


「………綺麗な黒だ」


 男は黒い手袋をはめた指先で春の頬を撫でた。

 髪が僅かばかり持ち上げられる感覚に、悲鳴を上げたくなった。


「………現れてはいけないものが現れました…!」

「なんだって?」


 春は大慌てで机に置いていた手燭を取り、胸に寄せて、三歩ほど後退りした。


「わー! お母さん! 破滅へと導く金の輪です!! 悪い人がいます!!」


 そう叫んで春は一も二もなく後ろへ走り出し、予めルゥマから聞いていたもう一方の出口から外へ出た。

 図書館の正面ではなく、学園の中庭へ繋がる方の出口だ。

 そして殺し屋と共に来たことも、自分が魔法使いの力を持っていないことを知られたら殺されてしまうなんてことも、すっかり忘れて、手燭を空へ振り回しながら「悪人がいます!」と中庭で叫びまわった。


 図書館を通り抜けて学園の第三棟で無事に仕事を終えていたルゥマは窓からその様子を見て慄いた。


 夜勤に入っていた他の警備員も飛び起きた。


 幸いにして春に寄ってきた警備員のおじいさんは持つ力(アルカ・ハル)の有無を確認せず、生徒の制服たるローブで春をすっかり信用してくれた。そこら中の葉っぱが見る間におじいさんの足下にまとまって乗り物となり、図書館へばひゅんと飛んでいった。

 春はすわ追いかけてあのおじいさまが無事に悪人をひっ捕らえるか、応援せねばなるまいと立ち上がったが、迅速に窓から降下してきた半ギレのルゥマによって担ぎ上げられて学園を立ち去った。


 春は、ルゥマにやってきた警備員が悪人だったと弁明したが、ルゥマは怒り滾っていて聞く耳を持たず、金の輪については言えなかった。


「あれは悪い人だったんです!」

「僕にとってはお前の方がびっくりするほど害悪だ! 害虫め!」

「ひどい!!」


 あんまりの言い草に春は抱いていたマリーを上下から引っ張って伸ばした。

 春の腕から逃れようと捕まってからしばらくその柔らかい全身を振り乱していたマリーは一転して震えた。ぬいぐるみの身でありながら命の危機を感じたのかもしれない。少なくとも縫われて付けられたボタンで出来た瞳は今にも飛んで行ってしまいそうだった。


「警備員なんて、ほとんどが教員を退いた老体ばかりだぞ。お前が怖がるだろうと特に弱っこそうなよぼよぼ爺さんが警備の時を狙ったのに…」

「え?」


 ため息交じりのその言葉を、春はもう一度聞こうとした。

 しかしルゥマはもう言い訳は聞かないと言ってさっさと寝床に進んでいってしまった。

 少なくとも老人ではなかった…。そう記憶を辿ってみたけれど、思い出されるのは金色の輪ばかり。正直、それ以外どうだったかなんて覚えていなかったようだ。


「確かに細身だった気もするけど…、お腰も曲がっていなかったし、ねえ…?」


 同意を求めるようにマリーを見たが、伸び切って歪んだ顔と目は合わなかった。

 あの怒りようでは寝首をかかれるに違いないと思った春はせめてもの抵抗にマリーを自分の首の上に置いて寝た。

 ルゥマの言う通り、あの金の輪の持ち主が老い先短い人ならば再会するまでに天命を迎えることもあるだろうし、そう危ぶむこともない。そんなことより、ルゥマの怒りが朝には沈下していることを祈る方が、春にとっては重要だったようだ。

 出掛ける前にもらった道具を落としてしまっていることなんて、ちっとも思い出せない程度に。


 ***


「もも、なに、そのおもちゃ」

「なんだろう? 拾い物」


 指にしっとり馴染んだ黒い手袋の上に、手の平サイズの硬いお餅のような固形物が乗っていた。

 今日盗む予定のものは冊子だったはずだが、どう見ても違う。


「なんかのボタン?」

「うーん、なんか、スピーカーみたいな部分はあるけど。何も音はしない」

「捨てなさいよ、そんなもの」

「ええ、ダメだよ。大事なものなんだ」


 ももは隠すようにそれを胸に抱いて、戦利品が並ぶ棚に置かれた小箱にそれを丁寧にしまい込んだ。

 あの小箱には、彼の宝物がごっそり入っている。

 金目のものや歴史的価値のある物品が並ぶ中で、あの小箱だけはさほどの価値もないだろう。

 ぺらぺらのハンカチや使い終わったティッシュ、爪とか髪…、一番古いのはへその緒だ。どれもこれも、ももが母親からもらったもの。


「そこにしまうってことは、お母さんからなの?」

「そう」

「…そう………」


 この会話は続けてはならない。

 そう察して、彼から離れていった。

 あの小箱の中身が増えることはもうないんだ。一年前に、ももの母親は死んでしまったのだから。

 つまり、何かイレギュラーなことが起きたのだろうが、想像するだに恐ろしい。なので考えるのをやめておいた。


「肝心のものを盗むの忘れちゃった」

「あんたね、一応、このチームのリーダーなんだから。そんなバカなことないでしょう」

「ごめん、ごめん。もう一回行くよ」


 予定にないことがあったとは聞いていたけれど、場数を踏んだももが目的を果たさずおめおめと戻ってくるとは思えない。

 本当に母親の幽霊にでも会ったんだろうか。

 そうだとしたら、あそこに戻りたくてわざと忘れてきたのかもしれない。


「やっぱりこれは持っておこう」


 一度しまった謎の白い物体を、ももは箱から取り出して懐にしまった。


「これは別の箱にしまうべきだ」


 赤い瞳が心底愛おし気に謎の舞台を撫でるように…、舐めるように見ている。

 もしかしたら、何か、盗まれたのかもしれない。


 ***


 まだ少し眠気が残る。

 昨日の夜は遅くに働いて、遅くに寝たのだから、いつも通り朝焼けと共に明るくなる部屋に起こされてしまっては、当然寝不足だろう。

 ルゥマはしゃっきりしている。ふらつきながら食卓につく春とは大違いだ。

しかしそんな春の瞳も、朝食の並びを見たら開いて輝きを取り戻した。


「今朝はずいぶん豪華ですね!」

「べ、別にいつもこの程度だろ」

「朝からローストビーフがあります! これはおいしいですよ! はい、マリー、あーんです」


 縫いつけられた目を吹っ飛ばしそうにぐりぐり動かしながらマリーは喜び勇んでフォークの先の肉に食いついたが、如何せん口がなかった。白い布で出来た皮膚をべちゃべちゃに汚しただけで終わってしまい、マリーは小さな手を床に叩きつけて悔しがった。


「き、……昨日は少し、怒りすぎたかと思って」

「昨日?」


春は首を傾げた。

その様子に、目の前の女が何も覚えていないことと何も感じていないことを察して、ルゥマはあきれたように溜息を吐いた。

しかし同時に、どこかほっとしていた。

 昨晩、何度彼女に崖からぽいっと投げ捨てられる夢を見たか分からない。


「そうだよな…。お前ちょっと馬鹿だもんな」

「私は今罵倒されましたか?」

「まあ…、これは保険だから」


 その日は何故か一日中足が痺れて、春はまともに手伝いもできなかった。

 いつも逃げていくマリーが今だと言わんばかりに足に飛び乗ってくるのが憎らしい。痛いというより、電流が走るような何とも言い難い震えが足の指先から襲ってきて、一日中身悶えていた。

 そんな春を、ルゥマはとても甲斐甲斐しく世話してくれた。

 夕飯を食べると痺れはすっかりなくなって、マリーは少しつまらなさそう。


「全快です!」

「そうか、よかった」

「ご心配かけてすみません。明日はきっと役に立ちますからね」


 ルゥマは口では「期待していない」と言ったが、彼は嬉しそうだった。


「あ、ルゥマさん、髪にゴミが…」


 そんな彼の前髪におそらく土の小さな塊らしきものが見えて、春は手を伸ばしてそれを取り払ってやった。

 ろくに切りそろえられていないざんばらな前髪が持ち上げられて、黒い瞳がいつもよりずっと顕になった。

 きらん、と光が走った。

 電球を跳ね返したような光が円になって瞳孔に光っている。

 この洞窟に、春のよく知る電球なんてないはずなのに。

 金色にも見えたその輪は、一つまばたきをしたら、真っ黒な瞳の中に溶けるように消えてしまった。


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