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シャリアール中央総合学園は学業を学ぶ場でありながらシャリアールにおいて最も権威がある存在である。魔法使いになるためにあらゆる魔法使いの卵たちがここで魔法を学び、自分の持つ力を知り、知る力を学び、成す力を身に付けていく。
この島に魔法をもたらした五人の魔法使いが創設されたとされており、”原始的”だったシャリアールが”文化的”になったのはこの五人の功績と言われている。それ以来、魔法使いたちの文化的な生活を守るため、この学園を卒業した魔法使いの中から特に優れた五人がこの島を統治している。島の治安を守り街の整備を行い、生活の発展の中心となっている。
彼らは、通称五尊師と呼ばれている。
「リネ―ル、パトラは戻ってきたのか?」
「ううん。また行方不明。せっかく治してやったのに、また妖怪とやらに捕まったのかしら」
「捜索に加わった治安維持班員が消えてもいるそうだな。対象が島民に移らなければいいが」
「あそこに近付く人なんてそうそういないわ。そんなに深刻にならなくてもいいでしょう。他にしてもらいたいことはたくさんあるのだし」
「ど、ど、どうせ自分の雑用に使うんだろ」
「何よ、ルベラッタ。治安維持班の統括は私の所掌よ。口出ししないでちょうだい」
学園出身の魔法使いの内、最も優れた者が五尊師となるとされているが、その実、ほぼ家督制だった。
五人の内三人は創設者の子孫だ。
一人は四代前から五尊師の仲間入り。
残る一人は当代からだ。
「治安維持班員不審死の方にもう少し人員を割いてもいいんじゃないか? 必要であれば学園の教師たちにも協力させるが」
「マーリン、マーリンったら。あなたが五尊師の中で最も権力を持っている、というのは島民の妄想よ。実際には違うんだから。私に指示しないで」
「そんなつもりは」
「リネ―ル、マーリンは協力を申し出ているのです。僕にもできることがあれば、何でも言ってください」
「うっさいわよ、メヨンド。この若造」
五尊師の紅一点、リネ―ルは物言いが悪くて性格がきつい。
学園の創設者の一人の子孫であり、五尊師の順位としては三番目。この順位は島民が好き勝手に付けている威厳の順番であって権威に準じたものではないが、島民から三番目と思われている限り、彼女は三番目だ。
シャリアールの治安を守る治安維持班の総まとめ役を担っており、役立たずが大嫌い。
「まあ、メヨンドが手伝いたいって言うなら、仕事をあげないこともないけど」
「おい、こら、リネ―ル。押し付けようっていうんじゃ」
皆の中立を保つマーリンは五尊師の中心的存在で、学園の初代校長の子孫。
シャリアールの魔法使いで彼を尊敬しない者は、もしくは羨まない者はいないだろう。
魔法に関わるあらゆる力は誰よりも優れ、人格者でもあるという。もちろん、五尊師の中での順位はトップだ。
「ええ、是非。手伝わせてください」
「そ、そう。じゃあ明日私の家に…」
「あ、明日は…、すみません。イオと約束があって」
「メヨンド、妹を大事にしてくれて嬉しいが、仕事を優先するべきだ。イオには私からよく言っておこう」
イオとは、マーリンの妹だ。
五尊師の四番目、メヨンドの婚約者である。まだ若く学園の生徒であって一人前は言い難いが、もう社交界にもデビューしている花の乙女だ。華奢で小さいその姿に男女を問わず心を惹く。
学園を卒業して早々に五尊師の仲間入りをした新入りのメヨンドは、四代前からその魔法の実力を認められて五尊師の仲間入りを果たした実力派。まだ祖父も父も健在だが、将来を有望されて家長を継いだ。純朴で従順、シャリアールを愛すその姿勢が愛される所以だろう。
「お、お、俺は手伝わないぞ」
「頼んでないわよ」
「ルベラッタがいれば心強かったのですが。ルベラッタは忙しいですからね」
五尊師の二番手はルベラッタという見た目も悪いし滑舌も悪いし印象も悪いし人気もない男だ。
年齢はマーリンと変わらないはずなのに腰が曲がっていて、手入れの行き届いていない荒れた髪や肌が顔色を暗くしている。学園の成績はすこぶる悪かった。学業に臨む態度も悪い。彼の先代も、先々代も似たようなものだった。
そんな彼の家が五尊師に残っているのは、創設者の子孫というだけではない。
魔法使いから、魔法を使うのに欠かせない力、持つ力を奪うことができるのだ。
この能力は産まれ持たなければ備えることのできない特殊な力だ。
この島で赦されざる行いをした者からその力を剥奪するために、彼の力は欠かせない。そして、この特殊な力を放置することはできない。そうして彼はここにいる。
あと、もう一人、五尊師というからには五人目がいるのだが…。
「アンネカルヴァからは…、何か報告や相談はないか?」
「…」
「そうか。何かあれば言ってくれ。今日はこれで解散しよう」
アンネカルヴァは彼の代から五尊師の仲間入りを果たした。
年齢はもう数えられない。おそらく島の誰よりも永く生きている。
車椅子からぴくりとも動かない。
車椅子を押す孫のテイモンも車椅子を押す以外の行為はほとんどしない。
口も動かない。
彼の過去の話は腐るほどあって、全て真偽は不明だが、どれもこれも耳を疑うようなものばかりだ。そのせいか、彼が五尊師の中では最も権威があって発言力があると信じる島民も少なくない。実は死んでいるという噂もある。
「ああ、それから、リネ―ル………」
「なによ、マーリン」
ほとんどお茶会と化している定期会談はマーリンの邸宅で行われていた。
差し入れに持ってきた茶菓子の箱を片付けながら、リネ―ルはメヨンドと共にこれから自宅に帰ろうとしている。心なし、浮足立っている。
「昨晩、お前のペットが庭に出ていて、うちの使用人を驚かせた。人の趣味に口を出す気はないが、躾はきちんとしてくれ」
「あら、やだ、ほんと? ごめんごめん。ちゃんと叱っておくから」
最後にルベラッタが頭を掻くだけ掻いて部屋を出て行って、ようやくマーリンは一息ついた。
ルベラッタのいた机に白い屑が散らばっている。マーリンはそれをとっても不愉快な顔で人差し指をくるりと回して消した。机はお茶会をする前より綺麗になった。
頭のフケだとかクッキーのカスだとか紅茶のシミとか、魔法で消したものはどこにいくんだろう。
この島で一番の魔法使いであるマーリンにも、そんなことはわからない。考えてみたこともないから。
***
リネ―ルの家はマーリンの家の西隣にある。
東隣はルベラッタの家だ。
彼女はそれが気に食わない。正式な場では中央が上座、東側はその次、西側は更にその次なのだ。御先祖様が決めた位置とはいえ、とても納得のいくものではない。ルベラッタが遠隔魔法の授業で14,430位の成績を取った時、彼女は一位だったのだ。それだけで十分、五尊師で一番と謳われる男の東側は自分であってしかるべきなのだから。
「お邪魔します」
「いらっしゃい、メヨンド。客間にいて。私はペットの様子を見てくるから」
「僕も行っていいですか?」
「あなたがいたら叱りにくいわ」
「リネ―ル女史は少し厳しいですから、僕がいて手加減がされるなら何よりと思って」
「そういう下心なのね。もう」
二人は連れ立って地下へ行った。
光の届かない地下も使用人のおかげで整理整頓が行き届き、明かりが灯され、暗く淀んではいない。
でも彼女が階段を降り始めると、途端に空気がどんより重くなる。
彼女のペットが彼女を恐れて不快に鳴き始める声のせいだろう。メヨンドはこの声を何度か聞いて、痛ましく思っていた。
「ちょっと、あんた、昨日、庭に出たらしいじゃない。もう! 悪い子ね! 本当に頭が悪いんだから」
「まあまあ、リネ―ル。ちょっと散歩がしたかったんですよね?」
「覚えてなさいよ、次はないからね」
紐に繋がれたペットは部屋の端っこで震えながら何度も頷いた。
見た目はリネ―ルやメヨンドと少しも変わらない、手足に五本指があって、丸い頭があって、全身ではなく頭に毛が生えた、まるっきり魔法使いの卵たちとおんなじように見える。
でもこの生き物には、決定的に足りないものがあった。
生まれながらに手足が欠けていたり、内臓が足りなかったり、言語などの能力の欠如がある者は存在するが、彼らは立派な魔法使いになれる。
でも、このリネ―ルのペットのように、持つ力を持たずに産まれたものは、オトナにはなれない。だから、可哀相に、砂の海に捨てられなかった役立たずは飼われなければもっと可哀相な目に遭うのだ。
「怯えていますよ、リネ―ル、もう少し優しく…」
「し、してるわよ。外に出たら人によっちゃ殺しちゃうんだから、私は優しい方よ」
「そうですが…」
「いい子にしていなさいよね、ルベラッタ」
「うう、その名付けが…。ルベラッタに悪いですよ、リネ―ル」
「あいつには秘密だからね」
「とても言えません。役立たずにあなたの名前を付けていますよ、なんて、ルベラッタ本人にはとても」
メヨンドは役立たずの肩を撫でていた手をズボンで軽く拭いて、リネ―ルの後に続いて地下を出た。
役立たずを生かしておくことの善悪は、人それぞれだろう。パトラは良しとしなかった。
でも役立たずなんかに人の名前を付けるなんて、それは誰も悪いことと言うだろう。メヨンドは、ルベラッタに心底同情していた。
***
鈍感な春の目から見ても明らかにルゥマは落ち込んでいた。
今日もさっくり手際よく終えた仕事のターゲットの名前がルゥマだったからだろう。
しかも殺害理由は名前が気に食わないだった。
「ルゥマの…、なにが、何が気に食わないというんだ…」
「何も気に食わないことないですよ! いいお名前です! うん、私は好きです!」
「殺したくなるほど気に食わないのか」
出掛けた時から暗かった表情は更に暗さを増していく。
春は誠心誠意心を込めて作ったサラダを机の真ん中にどんと置いて、腹を満たして悲しみを追い払おうと提案した。
「どうして火を使っていなかったのにこのキャベツは焦げているんだ?」
「不思議です。魔法でしょうか」
「僕が魔法使いになってもどうせ名前によって嫌われるんだ」
指の先だけで持ち上げた黒いキャベツをルゥマはぺいっとその辺に放り投げて床を見つめた。
もう何がトリガーになるか分からないほど落ち込んでいる。
仕方なく春は黒いサラダたちをじゃきじゃき音を鳴らして食べた。
「いいお名前ですよ。私は好きです」
「産まれた時から持つ力を持っていないと親は知っていたから、それでこんな間抜けな名前を付けたに違いない」
「格好いいじゃないですか。マリーもそう思いますよね?」
白い綿で出来た猫のようなものはいつも通り何も答えなかった。春の膝に押し潰されながら目鼻を忙しく動かして彩の悪いサラダを見つめている。
春はそんなマリーを持ち上げて小さな手をルゥマに向けて動かし、幾分高い声で「うん! そう思うー」と間延びした台詞を吐いた。
「………マリーがどう思っているかはどうでもいい」
「私は好きですよ」
「…本当に?」
「はい! 好きです!」
「よし。もう一度」
少し顔色が華やいできたように見えて、春は喜んで何度もルゥマの名前を褒め称えた。
やり取りはしばらく続けられたが、最終的にルゥマが御馳走を作って夕飯となったので、春は飽きずに続けてよかったと満足した。
春のサラダは捨てられた。
***
一方、こちらの今日の夕飯は胸肉だった。
三日前に捕らえたこの魔法使いもいよいよ声を上げることもなくなってきて、空気が漏れるような音が口から吐かれるばかりだった。もう手足もないから仕方ないだろう。傷痕はしっかり治療したが麻酔や痛み止めは施していない。痛みに抗うのに疲れてきているのかもしれない。
「そろそろ心臓に到達してしまいそう。次のお食事を探さないと…」
女奴子はちらりと横に目を逸らした。
先日、友人の家の前で殺した治安維持班員の死体がぶら下がっている。
魔法も使えない、設備も整っていない今となっては、虫も寄ってくるし匂いも悪くなる。早々に食べてしまいたいところだけれど、今はまだ活きのいい御馳走が目の前にあるのだから、どうにも食指が動かない。
それでも動物の肉やその他の食物に比べれば貴重な御馳走そのものではあるのだけれど。
「味の悪い畜生の肉でも…、とびきり良い匂いを嗅ぎながらであれば…」
細い骨を噛まずにごくりと飲み込んで、今日の最後のデザートに、とっておきの眼球を一つぐるりと取り出してぽいっと食べた。
久方ぶりにつんざくような悲鳴を聞いた。
これも素晴らしい味付けの一つだ。
「明日は、またあのトンペさんたちのところに、ご相伴に預かりましょう。そうしましょう」
食卓を綺麗に拭き掃除して、食べ残しの御馳走を悪くならないように処理をして、女奴子はふさふさの葉っぱが生い茂る木の上で眠りについた。
明日は甘い実を付けようとして虫を誘う花のような芳醇な御馳走を目と鼻と耳で堪能しながら、ちょっと質の悪い御馳走を食べるのだ。
それはとても楽しみな予定だった。