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 冷凍されていた魚は固くてぎこちない味がした。

 缶詰からそのまま出てきただけのとうもろこしもどうにもしゃきしゃき具合が足りない。

 竿が壊れてしまって、出来たてのパンも新鮮なお野菜もお肉も用意できなかったのだ。


「今日は女奴子が来なくてよかった。肉が出せないところだった」

「一刻も早く竿を作らなければ!」


 美味しい食事と身の安全のために二人は意気込みを新たにした。

 本当なら今日は仕事に取りかかるつもりたったし、錬成術が使えない時のための非常食なら備えてあるので、今すぐに錬成術が使えなくても支障はないのだが、命に関わる存在が現れた今、ルウマは優先事項を変更せざるを得なかった。


「せっかくだから、前よりも良い竿を作ろう」

「良い竿ですか」

「あれは九歳くらいの頃に枝で一から手作りしたものだったが、今は街での買い物も怖くない。魔法使い(オトナ)たちが使う釣り道具でも改造すれば魔法を使わずに使えるものになるはずだから、そちらにしよう」


 確かルゥマは七歳の頃に捨てられたと言っていた。

 魔法使いになるために必要な力を持って生まれず、親に崖から言葉そのままに捨てられた。

 その後は一人きりで生きていたそうだから、九歳の子が自分を嫌っている人たちの住む街に下りるのが怖かったとしても当然だ。

 しかし彼の口から直接その心情を吐露されて、改めて苦労を乗り越えてきたのだと知り、春は向かいに座るルゥマの頭を撫でた。

 唐突な哀れみに弱音を口にしたことに気が付いて、ルゥマは顔を真っ赤にしてその手を乱暴に振り払い、食卓も片付けずに出かけてしまった。適当に台所に食器類を運んで、壁を走り回っていたマリーを引っ掴んで春も後を追った。マリーは依頼主のところへ情報収集に行ったり依頼を貰ってきたりする重要任務を担う立場で、買い出しやルウマの殺し業務に付き合っている暇なんてない。ルゥマによって久しぶりに春の腕から解放された。荷物のなくなった腕を、春はとても寂しがった。


 ***


 釣り具の店員はとても細かく詳しく丁寧に竿の説明をしてくれたが、春にはちんぷんかんぷんだった。

 パワーの有無はまだ言いたいことが分かるが、硬調って一体なんなんだ。フルキャストとは…。

 ルゥマは魚以外を釣る目的を知られないよう気を遣いながら、分からないなりに竿を吟味していたが、春は頭が混乱し始めたので店内のベンチで休息を取った。魚の形を模したルアーがまるで空中を泳ぐように漂っていて、自分が水中にいて釣られようとしているように錯覚された。ガラス張りの床の下には実際に水が入っていて魚が泳いでいるので、それもその錯覚を手伝っていたのだろう。


 ぱしゃっという音と共に、店内に見覚えのある女の子が入ってきた。

 昨日、毬を転がしてきた女の子だ。

 ありがとうとごめんなさいが言えるとっても良い子だったので、春はよく覚えていた。

 あちらは覚えていないだろう。

 店の雰囲気に目を煌めかせて喜び、魔法の水で出来た出入り口とは違う、普通の扉から入ってきた父

親らしき男性の服を何度も引っ張りながら、空中遊泳するルアーや足下の魚群を見て喜んでいる様子だった。


「春、帰ろ…、なに、その顔」


 あまりの微笑ましさにだらけきった春の顔にルゥマはドン引きした。

 ルゥマを初心者と見た店員にあれもこれもと勧められて、違和感のない買い方を意識しているルゥマの荷物はいっぱいになっていた。

 春は騙されたな、と思ったが、哀れなので言わないでおいた。


「ふ~、やれやれ、半分持って差し上げます」

「全部持て」


 ボールをパスするように投げ渡された荷物は結構重かった。ルアーから交換用ワイヤーまでどっさり紙袋の中に詰め込まれている。飛び出た釣り竿が背後の物や人に当たりそうで危なっかしい。


「何を見ていたんだ?」

「可愛い子です、今日は黄色いブラウスです。女奴子さんに食べられずに済みます」


 春はうふふと笑みを零しながら父親に手を引かれる女の子を見た。

 ルゥマは視線の先を追って、下げていた手をすっと上げて春の持つ荷物に添えた。


「ターゲットだ」

「うん?」

「あの男、依頼が出ている」


 大きな黒い目は店員を見ているようにも見えた。

 そうであってほしいと思ってのことだった。あの店員とはルゥマも何度か喋っているのに、今になって気付くわけがない。

 可愛い女の子は食べられずに済んだけれど、女の子の父親は、店を出て五分後にその命を散らした。


 ***


「やめましょう! お願いします。あんな小さな子を持っていらっしゃるんですよ」

「誰にでも家族はいる」

「何かの間違いではありませんか? とても人の良さそうな方です。娘さんを愛しているのが顔から伝わってくるではありませんか」

「家族とその他に見せる顔は違うこともあるし、この間のように逆恨みもある」

「逆恨みに手を貸すことはありません!」

「今回はターゲットに性的な嫌がらせを受けた被害者からの依頼だ」


 打つ手をなくして路地裏で膝をついた。

 店から出てくるのを物陰から見張るルゥマの後ろで、春はどうにかこの凶行を止められないかぐるぐると考えた。

 ルーティンな行動のどこかで殺すのが確実な方法ではあるが、イレギュラーな動きに即した方が都合が良いらしい。そんな説明をルゥマは今急遽実行することの理由として話したが、もはや春の耳にはほとんど届いていなかった。


「ちなみに嫌がらせを受けたのは被害者の娘で、十歳になろうかという年齢だ」


 でも、そんな無慈悲な情報だけはきちんと届いてきた。


「自分の娘と同じくらいの年齢だな」


 おそらく、彼の娘を見ず、彼と娘が行動を共にしているところも見ず、その話を聞いていれば、死を以て償えと春は言っていただろう。

 性犯罪者に情状を的量する余地はない。

 でも、彼はとんだ幸せな家庭を持っていて、彼のその一側面を知らずに彼によって幸福を得ている存在がいるのだ。


「ちなみに性的な嫌がらせは現在継続中で一刻も早くと催促されている」

「ひ、ひ、ひ、ひええ」


 もう反対する理由が思い浮かばない。

 せめて娘さんの目に届かないようにと懇願され、ルゥマは仕方なく承諾した。店を出てすぐに外で待っていた妻らしき女性と合流し、煙草を吸いに喫煙所に離れていった道中の人気のないところで、糸で両足首を切断され、性器に針を十数本刺されて苦しみ喘いで死亡した。

 春が昨日購入した針が錬成術の材料になるでもなくそのまま股間に刺さっていく様を近くで見て、胃液が逆流してくるような喉の痛みを覚えた。あの少女は泣くだろう。しかし長いこと泣き続けた少女が別にいることも確かだ。


「買っておいてもらって助かった。たまには役に立つな」


 被害者も知らず殺害現場も見なければ、自分の貢献を喜んだだろう。

 ルゥマにこんなに穏やかな笑みを向けられるなんて、記念すべき日だっただろう。

 堪えていた涙は、帰着した洞窟で女奴子が昨日の美味しそうな人間を題材に話し始めたことで決壊し、見た目よりずっと固い膝に頭を投げ出してわんわんと泣いた。




「まあ。あんな可愛い子のお父様が。お可哀想に。どちらもお可哀想。被害に遭っていたという女の子も、その父親の娘さんも!」

「ええ! その通りです、女奴子さん。その通りです!」

「悪いのはそのお父様といえ、可哀想な女の子が二人も存在するということに対し、わたしたちは悲しみを捧げなければならないわ」

「まったく仰るとおりです! 私もこの悲しみをお二人に捧げます!」


 宗教じみた熱量に早めの夕食を用意するルゥマは耳を塞ぎたくなった。

 別に誰もルゥマを責めてはいないのだが、暗に責め立てられている気がする。

 それとは別に、感情を共有したせいか二人が仲良くなっているようで、どうにも気に食わなかった。

 心にもんやりと湧いた雲の原因は分からないまま、それを晴らすためにルゥマは今にも抱き合いそうな二人に横槍を入れた。


「おい、そいつはこの間人を食っていた奴だぞ」

「ルゥマさんは人殺しではありませんか」

「生きたまま食べて殺したりしない」

「それもそうです。女奴子さんは恐ろしい方です」


 春は思い直したように女奴子の膝から離れ、不在のマリーの代わりに座布団を抱いて食事用テーブルの反対側へ回り込んだ。


「生きるために頂いているのよ」

「動物でも済むのに食べているじゃないですか!」

「そりゃ、リスも美味しいし、こちらで頂くお肉も美味しいけれど…」


 リスという単語に、彼との出会い一番でリスが皿の上のステーキのように切られていくシーンがフラッシュバックした。

 この機会にあれがどれだけ恐ろしい体験だったのか、距離を取りつつ説いてみた。

 女奴子は春の言葉を聞く内にみるみる悲しげに表情を変えて、長い袖で隠した手を口元に持っていって俯いた。骨格が服に隠されて、今にも泣きそうな女性にしか見えない。


「春が怖いと仰るなら、わたし、もうリスは頂かないわ…」


 しおらしい姿に、春の心は揺れた。

 こ人の少女の境遇を嘆く共感性を持ち、自分のために三大欲求を堪えてくれようとしている人を責めるなんて、まるで自分が悪者のようだ。


「おい、騒されるな。そいつ普通じゃないぞ」

「お黙りなさい、人殺し」

「正面からいい度胸だな」


 こうなってきては最早しなだれる女性のような男性より、それを糾弾するまだ年若い男性の方が悪者に決まっている。そうは思ったが、春は女奴子の隣にはもう移動せず、ルゥマの定位置となっている席の隣に陣取り続けた。


「新しい竿の具合を確かめたいから、さっさと食ってさっさと帰れ」

「冷たい物言いをなさる方の肉は三口に一口ほどの確率で鋭い辛みが舌を貫いてきて、刺激的で飽きがない」


 女奴子が何を言いたいのか分かりたくもないが、彼からこんな得体の知れない発言が返ってくるとなるともう話しかける気力がなくなってくる。たぶん肉なら何でも好みなんだろう。


「そういえば、女奴子さんが購入した糸を、今日少し使ってしまいました」


 ターゲットの足を引っかけるために張った糸は、女奴子がお金を出して購入したものだ。

 普通の縫い糸だったが、ルゥマが強化すると言って錬成によって作った軟膏のようなものをぬるとピアノ線のようにピンと張りつめてすっぱり人の足を綺麗に切ってしまった。数メートルほど、その糸を使ってしまった。


「ああ、構いません。お食事の切り口を縫い合わせるためのもので、まだいくらか保管は残っているの。持ち帰るのを失念していたわ」


 余計な情報が入ってきた。

 生きたまま食べるために満腹になった後の食べ残しは適切に治療して寿命を稼いでいるらしい。


「わたし、持つ力を持っていた頃は医療を担っていましたの」

「世も末だな」

「人様の肉が見たいために外科の方向へ…。失敗でした。手術の度に食い汚い胃が泣いてしまって、とうとう堪えきれず食いついたらなり損ない(ガーリ)に堕ちていたの」


 よく死罪にならなかったと春は感心した。こんな奴が近場にいたなんて近所の人はさぞかし恐ろしかっただろう。

 ルゥマは使わなかった分の糸を女奴子に返却してから早々に追い出した。

 てして食卓を片付けると落ち着かない様子ですぐに二枝の泉へ走って行った。新しい釣り竿を試したいと言っていたのは本心だったのだろう。精度が変わるものなのか、春も気になって後をつけていった。

 数時間後には、釣り師のテンションは異様に上がっていた。

 どうにも釣られたものの出来栄えが全く違っているらしい。要はとてもよくなったということだそうだ。

 相槌を打ちつつもよく分かっていなかった春も、以前食パンが出てきたレシピでクイニーアマンが出てきたときは興奮した。砂糖がどこから加えられたのかなどどうでもよかった。少々砂糖の配分に偏りがあったが控えめではない甘さが春の階好にぴったりたった。


「すごいです!! 美味しい!」

「ふふん。これが本来の力なんだ。すごいだろう」

「すごいです! 魔法のようです!」

「…魔法はもっと凄い。材料もいらないし、釣り具もいらない」

「でもすごいです美味しいです!」


 春はルゥマのことを落ち着きのある人だと思っていたが、先ほどまではまるで子供みたいに釣り…錬成術を愉しんでいたので、趣味に熱い人なのだと認識を改めていた。しかしその楽しそうな姿は、ふと消えてしまった。


「魔法を見たらお前も考えが変わる」


 釣り竿の先は音もなく水の中に沈んでいて、春の砂糖の塊を噛み砕く音だけがやたら大きく洞窟の壁に弾いて響いた。

 こんなに業味しいものを作れるのに、彼は自分の才能を見るのをやめて他の人の才能にばかり気を取られているのだと思い、春には彼がとっても可哀想な子供に見えた。


「約理が得意な方も居れば、掃除が得意な方も居ます。私はどっちも尊敬しています。私はどちらも出来ませんから」

「本当に出来ないよな」


 春にはここに来て一度居間の掃除を頼んだことがあったが、やる気を持って張り切ってやっていたのは伝わったがとっても下手くそだった。棚の上の挨をはたいて落とすが飛び散ってくしゃみをしてその勢いで足場にしていた椅子を蹴飛ばしぶち当たった棚から物を散乱させるし、机の上の整理はどんどん縦に積み上げていって崩れさせるし、かといって机の下を拭き掃除させたらそのまま立ち上がってやっぱり机をひっくり返すし…。料理は消し炭を作るのだけはうまい。

 そのことを思い出して、ルゥマはしみじみ春の言葉に同調した。


「でも、私は実を言うと洗濯だけは得意なんです。私が干したものはアイロンをかけなくても皺一つないんです! まあ、アイロンがけも得意ですけどね! 洗濯機の台頭で私の得意な面は少し霞みましたが、手洗いが必要な物はいくらでも存在しますから、私はその点で人より優れているんです。新しい就職先もクリーニング屋さんです」


 正直、魔法があれば洗濯にてこずることはない。

 ルゥマには"アイロン"が何かさえ分からなかった。シャリアールでは水洗いから乾燥、形状回復まで一手に担ってくれる魔法道具が存在していたし、アイロンという存在がない以上ルゥマは皺にならない服を選んで着用していた。そもそも二着しか持っていない。

 だから、春の主張はルゥマにとって何でもないことを誇示しているようで愚かしかったが、清々しいほど堂々と胸を張るので、とにかくこいつが自信に溢れていることだけは伝わってきた。

 春の話は徐々に逸れていって、ボタンは外して洗濯しろとかいう持論を語り出す始末だった。


「ルゥマさんも私の洗濯能力を美ましがっても良いですよ!」

「お前は結局何が言いたいんだ」

「ルゥマさんの錬成術は偉大です! 魔法も凄いのでしょうが、それはそれ、これはこれです」


 とりあえず自分を慰めようとしているのだと分かって、ルゥマはどう応えて良いかさっぱり分からなくなってしまった。

 慰められることなんて今までの記憶の中で一度もない。

 じっとしていられないような、目を見ていられないような落ち着かない心の動きがどういうことか分からず、とこかく向き合っていられないような面映ゆさにルゥマは春ごとその感情を追い払って錬成術に集中することにした。

 居間に戻された春はクイニーアマンを三つほどぺろりと平らげて、幸福の内にすやすやと眠った。

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