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 冷たい鍾乳洞の小川をぷかぷか流れていって、出っ張りに引っかかって、春はようやく外界に出た。

 ぶにぶにのビニールの壁を尖った石に押し当てて破いて脱出したのだ。

 そして水の流れを遡って元いた場所を探してとぼとぼ歩いた。ようやく得た涼しい夜の空気とパトラの首の曲がった死体にもはや泣く気力も残っていなかった。数メートル距離を取った場所で手を合わせて、覚束ない足取りで土壁の扉を探した。


「この鋭利な骨の反り具合、歯に引っかかって気持ちがいい。それにべっとり絡みついた半生の肉が糸のように伸びていつまでもわたしを誘ってくださる。舌を撫でるような濃厚な油が繰り返しわたしの喉を鳴らしてやまず…」

「黙って食えないのか」


 道の奥で人食い女装男とルゥマが食卓を挟んでいた。

 春はマリーを放り投げて驚いた。


「食べてはいけません、ルゥマさん! 病気になります!」

「鳥の肉だ」


 春は肘をルウマの首に引っかけて力の限り後ろへ退いた。大した抵抗もなくルゥマは春に引きずられた。持ちっぱなしのフォークに刺さった肉を口元に差し出された。ルゥマが食べている方の肉はきちんと火が通っていて胡椒などで味付けもしてあるようだった。しかし、春はとても食べる気にはなれなかった。パトラの首肉に見える。


「わたし、空腹でして、お肉とお骨しか食さないものだから、そう申し上げたら、肉なら食わせてやるから襲うなとご進言賜り、こうしてご馳走になっているの」


 内容の理解に時間を要したが、春はルゥマがこの異常人物を宥め賺すことに成功したのだと把握した。

 食卓はそう広くはなかった。辛うじて席には着いたが、春はなるべくルゥマにくっついて、逆隣にマリーを置いて正座する膝で踏みつけて無理矢理固定し、左右を守らせた。


「僕を食べようとしたので交渉した」

「この人おかしいですよ!」

「お可愛らしい」


 自分を見て深まった笑みに春はぞっとして更にルゥマに寄り添った。ルウマは食べにくそうに身じろぎしたが、それは拒絶の動きではなかった。


「これは僕の身内だから、食べちゃ駄目だ」

「ええ、一飯のご恩だもの」


 骨が付いたままのもも肉を男は骨ごとごりごり食った。

 男は、女奴子(メイヤコ)と名乗った。


「ガーリなの」

「メイヤコ=ガーリさん?」

「なり損ないという意味だ」


 この国の言葉に慣れていない春のためにルウマはすぐ説明をしてくれた。

 なり損ない(ガーリ)魔法使い(オトナ)だったけれど、魔法を使う力を剥奪された者のことをさす、別用語らしい。


「何故剥奪されるのですか?」

「魔法を使って悪事を働くと治安維持班が拘束して五尊師に裁かれる。結果的に、持つ力を刺奪されることもある。そうなってしまうと役立たずと同じような存在に成り下がる」

「成り下がるだなんて…」

「そうなの、シャリアール規則にもあるとおり、魔法ようの手段を以てとあるの。でもわたしは、ご覧になったでしょう、今は持つ力(アルカ・ハル)は持ちませんけれど、今と同じように人様を頂いていたの。それで剥奪されるというのも、酷いお話でしょう? 魔法は悪用しておりませんもの」


 男―――女奴子は、悲しそうな瞳で手を頬に添えた。

 やはり纏められたお団子から落ちる後れ毛も、顔を彩る化粧も、女性のそれだが、間違いなく男性らしい。しかし仕草はまったく女性そのものだ。これで声が高かったら骨格のいい女性だと判断していただろう。


「それでお家の偉い方に名前を取り上げられて、その古い昔に森に居たという妖怪の名称を刻まれて、追い出されたもので、森の動物などを頂いて腹を満たしておりましたけれど、やはり人に勝るご馳走はなく、私をトンペと言って森に入ってきた治安維持班の肩を少しばかり頂いたら、そのご馳走のありがたみがまるで湧き水のようにわたしの胃にぶくぶくと湧いてきて、もう食べずにはおられなかったの」


 お行儀よく、喋る時は食べる手を止めて、女奴子は言いたいことを全てさっぱり言い切った。それからまた丁寧な手つきで骨を持ち上げて、ごりごりと食べた。


「自分をなり損ないに堕とした治安維持班を恨んでいるのか」

「まさか」


 食べかけの肉は彼の手元の皿に一度置かれて、女奴子は髪を飾っていた薄い布で指先をちょいちょいと拭いた。


「あの赤い衣装が美味しそうだっただけよ」


 とうとう春はルウゥマに抱きついた。

 寄り添っているだけでは己を保っていられそうになかったので。


「可愛いものは胃がもたれるほど肉が粘ついて後味が強い」


 好みなの、という言葉が、粘りつくほどの強い後味をもって耳の奥へと流れ込んでいった。


 ***


 女奴子はたらふく食べた後、鍾乳洞の出入り口で放置されていたパトラを片手で持ち上げて森の奥に去って行った。

 それから20分くらい経った後に、また風のような呻り声が再開した。


「生きたまま食べるのがその食材にとって最も美味しい状態であり、敬いと慈しみを以て食べるためには先に殺してはならないと言っていた。まあ間違って死んでしまったとしても食べるらしいが」

「あの人おかしいです…」

「本当に」


 ルウマはどうしても腹が減った時は食事を与えてやる代わりに、自分たちを襲わないと約束を交わした。

 女奴子は少し残念そうではあったが、「同じ森に住む、持つ力を持たない者同士だものね」と了承した。

 シャリアールは一つの島ではあるが、それはとても広大で、女奴子はこの森からはずいぶん遠い場所で人食いをして、最近この辺りに逃げてきたらしかった。彼の行動一つでこの森が警戒されるのは避けたい。ルゥマは、あまり目立ったこともしないでほしいと言うには言ったが、どこまで聞き入れられるかは分からない。


「パトラさんは今度こそ亡くなられてしまったんでしょうか…

「前回は瀕死状態で発見されたから助かったんたろう。もう、死んで時間が経ったから、蘇生はない。今生きている"御馳走"が食べ終わったらあの死体も食べるのだろうし」


 春は改めて冥福を祈った。

 ご遺体すら残らないとは…。


「今日はベッドを寄せて眠りませんか?」

「は? ………い、やだ」


 哀れなマリーは春のベッドに括り付けられて一晩中暴れたが決して逃げられなかった。

 夜中に目が覚めて暗くて怖いと言う春に綿が飛び出るほど抱き消されて、中身の綿はどんどん抜け落ちて痩せていった。


 ***


 目が覚めたらすぐ傍に化粧で整えられた顔が自分を覗き込んでいた。

 狐色の髪が一房二房、顔の横に落ちてきて帳となり、少し面長の白い顔に影を作っていた。


「目で頂いていたの」

「ど、ど変態です!」

「食べないと約束した」

「口ではなく、目でならよろしいかと…」


 朝ぼらけの淡い光が土から漏れるまだ早すぎる朝に、就寝中だったにも関わらずベッドに乗り込んできて背中に張り付いた春をルゥマはとんだ変態女だと思った。しかしそんな変態行為に及ぶも致し方ないど変態が居たので、ルゥマは眠気を振り払って庇ってやった。

 お腹を空かせたど変態と背後で怯える変態を待たせて、ルゥマは何故か一番ぼろぼろのマリーを治してやった。取れた目と無くなった綿が戻ってきて元通りのふくよかな状態を取り戻し、布切れのようだったマリーは喜びで壁中を駆けずり回った。


「あの生き物の中身は肉と骨ではいらっしゃらないのね」

「私の中身も違います」

「あら! ミャアなの? お珍しい。一度、食べてみたいと思っていたの」

「みゃあ?」

「下手な嘘を吐くな」


 この世界ではぬいぐるみのことをミャアと呼ぶのだと認識し、春はちょっとほっこりした。なかなか可愛い感性ではないか。

 約定通り、女奴子は二人を襲うことはなかった。ルゥマの用意した朝食を、お行儀よく黙々と食べた。

 今朝はパンとサラダと冷製スープと、女奴子のために豚の丸焼きだ。


「泉から皮の剥けた豚が出てきて私は驚きました」

「豚肉の作成方法は覚えたか? 僕がいない内にこの化け物が来て肉の用意がなかったらお前が食べられるぞ」


 糸をニセンチほどの長さに刻んで入れて、綿生地をビリビリに破いて燃やす。鳥の骨を煮た出汁を一滴ずつ落としながら、手の平サイズの牛脂をルアーにして泉に入れたら、豚が釣れた。綺麗に皮の剥がれた豚の形をした肉の塊が。綿生地を破くのを手伝いつつ春が釣りをする様子を見ていた女奴子は、その驚きと喜びを春に抱きついて表現した。二重の驚きと苦しみに春はつい手にカが入り、竿をあらんばかりの力で折った。


「釣り竿を作り直さなくては」

「すみません、すみません。手伝います」

「当然だ」

「本日の肉は少し舌触り荒く歯に残る。油に偏りがあり骨に残る粘り気も薄く」

「文句があるなら食うな」

「ございませんとも。このようなお肉もとても好み」


 殺し屋と妖怪と食卓を囲んでいることをよくよく考えながら食べていると、味がしない気がしてくる。

 豚肉は確かに上等なものではないけれど、ルゥマが味付けしてくれて充分美味しいはず。でも布を噛んでいるようだ。


「食べ終わったら出て行け」

「お二人は本日をどのように過ごされるので?」

「釣り竿を直して錬成術の素材集めに行く」

「お家の番をして差し上げてもよろしくってよ」

「出て行け」


 ルゥマは女奴子を追いだした後、一度寝直した。変態どもに囲われてつい朝が早まってしまったので、体力を回復させるためだ。

 すっかり目が覚めてしまっていた春は何かしようと今日の予定を確認したいと呟いたら、突如として机の上でマリーが痙攣し始めたのでそこを確認してみると、ルゥマが引き受けたらしい仕事の一覧が引き出しから出てきた。その量は20件ほどあり、依頼者の情報はほとんどなかったが、ターゲットとなる人物の名前や職業のようなものがずらりと記載されていた。


「こんなに人の死を望む方がいるんですね」


 卓上でごろんと腹を出したマリーを撫でて褒めると、マリーは再び体を小刻みに痙攣させて喜んだ。

 名薄の後ろには分厚いファイルが置いてあり、どうやらそれぞれのターゲットの行動やどのようにして仕事を遂行するかの方針が詳細に記載されているようだった。仕事内容はともかく、春はルゥマのことをとても仕事熱心で丁寧な人間だと感じた。


「この、一番上の人の書類の、『必要となるもの』を買いに行きましょう。殺しそのものはとても出来ませんが、お世話になっているのですから、出来ることはしなければいけません」


 春は当然のようにマリーを抱えて出発した。

 このぬいぐるみが自分と付き合う意思があるかどうかなど考えもしなかった。体をねじ切れんばかりに振り乱していても、決して離さずに洞窟を出た。一人での外出は初めてなので、ぬいぐるみへの気遣いよりも不安を少しでも抑えることの方に神経が集中していた。

 森を歩いている間中、昨日も聞いたような風の呻きが聞こえていた。

 実際に風の声だったかもしれないし、女奴子に食べられている人の声かもしれない。

 春はあまり考えないようにして、早足で街を目指した。


 ***


 さっさと終わらせてほしいのか、春が街で迷い始めるとマリーは目的の店の方に体を捻ってみせて案内役をしてくれた。

 正しい道を歩いている時に高速で前屈運動していたのを春は直進しろの意味だと信じ微笑んでお礼を言っていた。走って進んで早く帰るか解放しろという希望が込められていることなんて一瞬も想像できなかった。


「裁縫屋でまち針を20本…。あれですね、カモフラージュで糸も買った方がいいですよね」


 お目当ての裁縫屋に着くと春は腰を屈めて入った。

 動くぬいぐるみを持っているなんて目立ってしまうかもしれないと思ったが、中には数名の客がいて、彼らの肩には鳥や猫が乗っていたり、激しく鼓動する鞄が下がっていたりしたので、むしろ持ってきて良かったと思い改めた。

 商品は当然、棚の上に設置されていたが、注目商品は宙に浮いていたり、大型の商品は天井に貼り付いていて、なるほどここは魔法使いの商店だと春は実感した。好奇心のあまり特に必要もない宙に浮かぶ商品を触ってみようとしたら、横から手がっと伸びてきて、それを阻んだ。


「いけないわ」


 大声を上げそうになったのを、女奴子が人差し指を春の口に当てて留めた。

 整えられた爪の先からふんわりと鉄の匂いがする。


「これは成す力(アルカ・キリシュ)によって魔法で浮いているから、魔法に触れてしまう。役立たずやなり損ないが魔法に触れると、成す力を与えている者に持つ力(アルカ・ハル)がないことがバレてしまうわ」

「成す力? アル力、ハルとは違うんですか?」

「あなたはあまり言葉を知りませんのね。店主にバレたらいけませんでしょう。とにかく触ってはいけません」


 一先ず恐怖を呼び寄せる手を離してもらって、春はマリーを見た。

 マリーは相変わらず腕の中で前屈運動を繰り返していた。

 春はマリーのこの動きを肯定と捉えていたので、なるほど女奴子の言うことは正しいのだと判断した。


「どうもありがとうございます。何も知りませんで」

「よろしいのよ。あなたがつまらないことで殺されてしまうくらいなら、わたしが食べて差し上げるから、つまらないことをしてはいけないわ」


 助けてくれたせめてものお礼に、聞かなかったことにした。


「あの男の子のことは、召し上がったの?」

「なんのことか分かりませんが、私は男の子というジャンルを一度も食べたことがありません」


 おそらくルゥマのことだろうが、美味しく味付けされても食べる気はない。

 腕の中のマリーは体の動きを止め、代わりに目と鼻を動かしまくって女奴子を見上げていた。


「そうなの。きっと美味しいに違いありません。食べていいと言われた暁には、是非ご一緒しましょう。美味しいものは、美味しい方と向き合って食べると、もっともっと良い味になるの」


 少なからず人が居る店内で、声を潜めるわけでもなく、世間話のように言われて、春はぞっとして言葉を失った。

 脳が彼の言葉を理解するのを拒んでいる。


「ルゥマさんがいいと言っても、私がいいと言わなければ、彼を食べては駄目です」

「そうなの? どうして?」

「ええと、そう、決まっているんです」


 元の世界への手がかりを一緒に探してくれる唯一の味方だ。しかしそれを説明するのは面倒だったので、春は言葉を濁した。

 明確な回答とは言えなかったが、女奴子はそれを素直に受け取って、「じゃあ、お二人の許可が出たら」と約束した。

 目的はまち針の購入だが、他の物も併せて買っていくと耳打ちで説明すると、女奴子はちょうど欲しい糸があると言うので、お言葉に甘えて彼のものを一緒に籠に入れて購入した。無駄な物を買わずに済んで、春は少し女奴子に感謝した。


「見てちょうだい、ほら、美味しそうな子」

「食べちゃ駄目です」

「どうしてもいけない?」

「目を閉じて帰りましょうか。私が先導しますから」


 女奴子は暖色系、特に赤系統の服を着ている人を見ると食欲が増幅するようで、道行く人をちらちら見ては春にどんな味がするか聞いてきた。こんなやばい奴の視界に入ること自体が哀れで仕方ない。春は自分より頭一つ分高いところにある顔にマリーの腹を押しつけて視界を阻んだが、肝心の目隠しが暴れ狂って嫌がったのでままならなかった。

 目を閉じるか閉じないかで攻防を繰り広げるニ人の足元に、てんてんと毬が転がってきた。


「ごめんなさい」


 先ほど女奴子が美味しそうと指さした子だ。

 まだ春の腹ほどまでしか身長のない、くりくりの巻き毛が光に透き通る可愛らしい女の子だ。ピンクの花柄のワンピースを纏っていたばかりに目で食べられた同情に値する存在。

 つま先に当たって止まった毬を拾い上げて、春はしゃがんで女の子に物を手渡した。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 無垢な笑顔が眩しい。

 ちゃんと春にお礼を言ってから、少女はすぐに背を向けて友達たちの輪の中に戻っていった。


「近くで見るとあまり肉付きのない子のようだったわね」

「目を、閉じましょうか」


 ちょうど近場にあった薬局でアイマスクを購入して、春は有無を言わさず女奴子の目にあてがった。

 女奴子は最初こそ嫌がったが、手を引いて歩き始めると存外素直についてきて、森に入るまで静かにしていた。

 街から帰って森の音を聞いてみると、風の声は間違いなく人の声だった。それを聞いて女奴子はすぐに目隠しを外し、「御馳走を残していることを失念していたわ」 と言ってさーっとどこかへ走り去っていった。

 春の手元には女奴子が必要としていたはずの糸が残されて、 お金はきちんと折半していた手前、ルゥマにはこれは女奴子の分だと説明しなければいけないだろうと思いながら帰路についた。

 当然のように洞窟への道が分からなくなった春のために、マリーはとうとう春の腕から逃れて、森の中を飛び跳ねながら道案内していった。


 ***


「一人で、外出、するな」

「………すみません」


 帰ってきたら思いの外空気が重かった。

 居間には食卓の横に囲炉裏が備えられているが、本来なら鍋がぶら下がっているはずのところに人の足がぶら下がっていた。 ルゥマは光を失った目でそれを見つめながら微動だにせず座っていた。

 これは尋常ではないと思い、春は即座に隣に正座して買ってきた物を差し出し、土下座した。

 それを受けてルウマはじっと春の足を見た後、単独で洞窟を出たことを責めてきた。


「お前は僕のたった一人の味方なんだから、言うことを聞かないと駄目だ」

「すみません」

「僕の頼んだことをすれば良いのであって、勝手なことをしては駄目だ」

「すみません」


 食べ物があるべき場所に人の足があることに恐怖が勝って、何故怒られているのか理解できていないままに春は叱責を受け入れていた。人を食べる妖怪が存在するのだ。自分を食べる人間がいてもおかしくはない。食べられないためになるべく従順を装っていた。


「鍾乳洞の外にこれが転がっていて…」


 ルゥマは怒るのをやめて、 囲炉裏にぶら下がっている足を見た。


「お前のかと思った」

「それで何故囲炉裏にぶら下げようと思ったのですか?」

「女奴子に他の部分を食べられたならせめて足は僕が食ってやろうかと」

「他の部分が無事かもしれないんですから助けに走るべきだったと思います」

「でも…、どうしても食欲が湧かなかった。むしろ減退する一方で」

「正常な神経が残っているようで安心しました。これは片付けましょうね」


 春は足を見えないように布でくるんで囲炉裏の針から下ろし、なるべく自分の持っているものを意識から外しながら鍾乳洞の外へ置いた。元あった場所に戻しておけば、その内本当に必要な存在がこれを回収に来るだろうと信じて。


「…変なことをして悪かった。居なくなったと思ったら足が捨ててあって、……脳が、止まってしまったような感じで」

「良いんです。私も足が捨ててあったら女奴子さんに食べられたと思って、あんは恐ろしいものなのに、抱きしめるくらいするかもしれません。囲炉裏には下げませんけど」

「……悪かった」


 戻ってくるとルゥマはいくらかいつも通りに戻っていた。

 顔面の筋肉が死滅したかのような先ほどの暗い表情は消えていて、足を見つめてばかりで動かなかった瞳もきょろきょろと彷徨っていて、春は安心した。


「薬とか、治療のための錬成術はあるが、僕は殺し屋に必要な方の術を優先して学んできて習得し切れていないし、やはり魔法には劣る。学んでいてそれは分かる」

「ルゥマさんの錬成術はすごいですよ! 私から見れば、魔法みたいです」


 ルゥマは春のことをたった一人の味方だと言ったけれど、春からしてみても、ルゥマはたった一人の頼れる人だ。

 カがないと分かるや否や殺してくるような人ばかりの世界で、恐ろしい妖怪まで現れて、身寄りもない今、身の安全だけではなく食事や寝床まで必要なものを与えてくれるかけがえのない存在だ。だから、彼まで人肉食するような人外になられては困ってしまう。


「私がこのまま魔法とやらを見なかったら、私にとってはルゥマさんが一番凄い魔法使いですよ」


 半分は紛れもない本心だったけれど、半分はご機嫌取りだ。

 相手からの反応はほとんどなかったけれど、とにかく通常通りの彼にほとんど戻ったように見えたので、一安心だ。


「ルゥマさんもルゥマさんで、奇っ怪な存在が現れて不安に違いありません。私たちでしっかりお支えしましょうね」


 夜の寝床で声を潜めて春はマリーにそう提案した。

 肯定を示す(と春が思い込んでいる)前屈運動はしなかったけれど、マリーは短い手足で腹を何度も叩いて目鼻をぐりんぐりん動かした。

 春はちょっと首を傾げた後、眠りについた。

 そういえば竿を直すための材料のメモも机のど真ん中に置かれていたけれど、そんなことは、ニ人ともすっかり忘れていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは! そろそろ普通の小説のフリするターンが終了かも的な気配を察知したので感想書きに来ました〜。 前回のルゥマはちょっとツンデレっぽくて可愛いかったですけど、今回は心配があらぬ方向…
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