帝都を覆う混沌29 ~魂(ひかり)の剣~
混沌の闇の中で、ゴヨウはただ一人佇んだ。
手にした鎖ラグナロクは、混沌の闇に潜む何者かを攻撃した。
が、手応えは浅かった。
ゴヨウは敵の反撃に備えていたが、未だに何の攻撃もない。
それがたまらなく不気味であった……
「……チョウガイ様」
油断なく身構えていたゴヨウは、闇の中から戻ってきたチョウガイの姿を認めた。チョウガイは苦渋に満ちた顔をしていた。
「……逃がしたわ」
チョウガイは混沌の魔大公ネロを、あと一歩まで追い詰めたが、逃がしてしまったという。
四千年の間、小さな傷一つつかなかった雷鳴剣の六つの牙のうち、五つまでへし折ったがーー
「見よ、ゴヨウ……」
チョウガイは黄金剣の柄をゴヨウに見せた。四千年の間、小さな傷一つつかなかった黄金剣もまた、柄に亀裂を生じさせていた。
チョウガイの持つ黄金剣は、不動明王の持つ降魔の利剣に等しいものだ。
その黄金剣に亀裂が入ったということは、一時的に力の大半を失ったということか。
「チョウガイ様まで……」
ゴヨウは蒼白になった。百八の魔星の守護神チョウガイだからこそネロを追い詰められたが、同時にその力の大半も封じられてしまった。
「ゴヨウ、お前がやるしかない。虚空蔵菩薩の力を借りるのだ」
チョウガイは苦渋に満ちた顔のまま言った。ゴヨウの持つ神秘の鎖ラグナロクも、虚空蔵菩薩より貸し与えられたものだ。
「そして、あとは…… 人の内に在る光を信じるしかあるまい」
チョウガイはそれだけ言った。珍しく疲労感が全身からにじみ出ている。混沌との戦いが痛み分けになったことが、たまらなく悔しいようだった。
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時間も空間も越えた慶安四年(1651年)の江戸。
夜の闇の中に刀を右手に提げて佇むのは、蘭丸であった。
着流し姿の美男である。
美女のような顔立ちに、後ろで無造作に束ねた長い黒髪。
そんな蘭丸が刀を手にして夜の中に佇むのは、非常に絵になる立ち姿であった。
左右に武家屋敷の並ぶ通りの真ん中で、蘭丸は右手の刀に命を預けていた。
彼の持つ刀は、刀身に無数の女の姿を刻んだ妖刀、紅だ。
紅は蘭丸の意思に応え、彼の命をも力に代えて魔性を討つ。
蘭丸はすでに死を覚悟している。
用心棒として人を殺めたこともある蘭丸は、幾度となく死を覚悟してきた。
その精神は、恐れも迷いも遠く離れ、菩提の境地に達していた。
そんな彼だからこそ、人知を越えた何者かが力を貸しているのだ。
同時に、大いなる使命も与えられていた。
人を斬った償いのため、人の心より産まれた魔性を斬れと。
それが蘭丸が産まれる前から定められていた運命なのだ。
“選ばれし者よ、望むままを行え”
闇夜から艶かしい女の声が響いた。武家屋敷の屋根に蠢く人影が発したものだ。
月明かりに照らされたそれは、正しく魔性であった。
背には透明な羽を、頭部には蝶に似た触角を持つ全裸の女ーー
魔性はそのような外見を持っていた。
男女を問わず魅了する蠱惑的な姿を持つ魔性。
この魔性は人の悪意から産まれてきた化物だ。
「魔性、死すべし」
蘭丸は紅を肩に担いで魔性を見つめた。
一瞬で敵を倒す。
その気迫が蘭丸の心身に満ちていた。




