帝都を覆う混沌16 ~虚無への供物~
白い衣に身を包んだ男は腰に刀を提げていた。
この男は帝都に住んでいる普通の人間であった。
が、彼の意識は混沌に飲みこまれ、その尖兵と化した。
今では男の家族は、彼が存在したことを認識すらしていないだろう。
男の家族の意識から全ての思い出は消え、思い出の品も消滅した。
混沌に飲みこまれるとは、そういうことだ。この男は邪心を日々抱いていたがゆえに、混沌の尖兵となった。
当人は楽しげである。己の自我のままに生きられる。法も秩序も彼には適用されないのだ。
裁く者とてない自我のみの存在になるーー
混沌に染まる者の多きことよ。
「哀れだわ」
レディー・ハロウィーンは自身の城の門前で、混沌の尖兵を眺めた。彼女の隣には忠実なる侍女フランケン・ナースが、そっと控えていた。
なおレディー・ハロウィーンは魔女のコスプレ姿だ。十代後半の美少女であるレディー・ハロウィーンは、珍しくミニスカートを披露していた。
「なーにー?」
声を出したのは、男の隣にいた小柄なセーラー服の少女だ。彼女もまた混沌に飲みこまれた一人である。
そんな彼女は、男とは出会い系で知り合っている。そして共に混沌に飲みこまれていた。
「未だに自分の行く末に気づかないようね」
レディー・ハロウィーンは静かだ。憂いと慈悲を帯びた眼差しだが、混沌の尖兵と化した男と女にはその優しさすら憎悪の対象だ。
「ふざけんじゃねえよ売女!」
少女は怒りと共に、右手に炎の球を出現させて、レディー・ハロウィーンに放った。少女自身が、現実世界では身を売っていたーー
ーーバシイ!
レディー・ハロウィーンは平手打ちで炎の球を打ち払った。
驚く少女、踏みこむ男。
男は手にした刀で斬りかかる。人間であった頃、心に秘めた暴力性が発露したのだ。
横薙ぎに振るわれた男の一閃を、レディー・ハロウィーンは跳躍して避けた。
男の一閃は、彼女の背後にあった城門の柱を両断している。恐るべき技の冴えだ。
「俺の居合いを!」
男はレディー・ハロウィーンを見上げて絶句した。己の技が避けられたのみならず、レディー・ハロウィーンが空中で二人になっていたからだ。
これは高速移動による残像、いわゆる分身ではない。
レディー・ハロウィーンがその魔力で産み出した、実体と大差ない幻影であった。
二人になったレディー・ハロウィーンは、それぞれが男と女の相手をする。
「ぬわ!」
男は悲鳴を上げた。眼前に迫ったレディー・ハロウィーンは、手刀で男の手にした刀をへし折った。
「ひい!」
女も悲鳴を上げた。もう一人のレディー・ハロウィーンが右手から放った電撃が彼女の足元に炸裂したのだ。
大理石の床には、直径五メートルはあろうかという大穴が生じていた。まともに当たれば、少女の体は粉微塵になっていただろう。
レディー・ハロウィーンの「トールハンマー」の、恐るべき破壊力よ。これでも彼女は手加減しているのだ。
「ーーまだやるの?」
二人のレディー・ハロウィーンは、混沌の尖兵たる男と女から離れたところに着地していた。
彼女の先祖はハロウィンの夜に現れる魔物から、人々を守ってきた。
身体能力のみならず、レディー・ハロウィーンは科学では解明できぬ力である魔法を使う。
幻影を産み出す力に、雷を放つ力。
いや、まだまだある。レディー・ハロウィーンの力は、これで全てではない。
「な、なめんじゃないよお!」
混沌の尖兵たる女は、怒りに顔を歪ませて極大火炎を生じさせて、レディー・ハロウィーンに放とうとする。
それに対して動いたのは、余裕で観戦していたフランケン・ナースである。
死した後に人造人間として復活したフランケン・ナースは、朗らかな笑みと女性もうらやむ豊かな胸で、帝都では人気者だ。
だが敵対する者には容赦がない。
レディー・ハロウィーンがきつめだが敵にも慈悲をかけるのに対し、フランケン・ナースは冷酷ですらあった。
ーーガバア
フランケン・ナースがナース服の前を開いた。
そこからほとばしる閃光が混沌の尖兵を飲みこんだ。
「うぎゃ……!」
女の悲鳴すら飲みこむフランケン・ナースのメガスマッシャーの凄まじさよ。
数瞬の後には、混沌の尖兵たる男と女の姿は消滅していた。
彼らは邪心ゆえに混沌に飲みこまれ、今またメガスマッシャーによって完全に消滅したのだ。
この宇宙から存在の一片すら残さず、彼らは消滅した。
全ては「なかった事」として、存在は消え失せた。
混沌に飲みこまれた者の哀れな末路であった。
「お嬢様、敵に情けは禁物です。優しさだけでは救えないものもあるのです」
フランケン・ナースはナース服の前を閉じた。彼女のメガスマッシャーを見てみたい男は山ほどいるが、見る時は死ぬ時だ。
「……わかってるわ、そんな事」
レディー・ハロウィーンは一人に戻り、天を見上げた。
彼女たちもまた混沌によって閉じた虚無空間に放りこまれている。
ここから脱出しない限り、明日は決してやってこないのだ。




