帝都を覆う混沌2
「幽霊の酒場」と書かれた店の前で、服を着た骸骨がゴヨウの方を向いていた。
ホラー映画にはよくありそうな場面だが、実際に真に目の当たりにすると血の気が引いた。
「生身の人間がこんなところにいるとは珍しいじゃねえか」
骸骨は落ちくぼんだ眼窩を光らせながら、酒を口に運んだ。
当然ながら酒は地面にボタボタと落ちていく。
骸骨は苦笑したように見えた。
「これが『死』ってやつさ。意識は生前と変わんねえのに、飲み食いもできねえ。×××もできねえしよー。辛くても生きてるうちが花だぜ」
「……あなたは一体、誰ですか?」
ゴヨウは落ち着いて尋ねた。
彼はホラー映画好きだったから、今の恐怖にも耐性があった。
日々の憂鬱を、極上の恐怖で吹き飛ばす……
それがゴヨウのホラー映画を愛する理由であり、世のホラーファンも同様の理由であったろう。
「俺はデビットさ、いつどこで、どうやって死んだのかもわからねえ」
デビットと名乗った骸骨は再度、口に酒を運んだ。
そして酒はボタボタと地面にこぼれ落ちた。
悲しいかな、デビットには酒を受け入れる胃がないのだ。
これが死の悲しみだ。
「まあ、覚えていたら、なおさら悲しくなっちまうだろうな。これも神様の思し召しかもしれねえ。ガキや母ちゃん残してきたら、悲しすぎてどうにもならねえ。もう二度と会えねえんだから」
デビットはどうでもよさげに話すが、ゴヨウは胸が詰まる思いだ。
死しても意識を保ち、骨だけになってもまだ酒を飲む。
口は悪いが悪霊の類いではないデビットは、いつまでここで酒を飲んでいるのだろう。
「俺はまだいいさ、あいつらなんか、ほら」
デビットの指差す方向へ目を向ければ、そこでは無数の骸骨がしゃがみこんでスマホをいじっている。
「え、スマホ?」
「あるにはあるさ、生前の執着が強ければ…… だが、あれはもう使えねえよ。ここをどこだと思ってる? 地獄の底、地下777階さ」
デビットは彼らを蔑むように言った。
無数の骸骨はスマホをいじっているが、それは使えないのだ。
ただの小さな物でしかないのを、永遠に彼らはいじっていた。
ちくしょう、だの、どうなってんのよ、と毒を吐きつつ彼らはスマホをいじるのを止めない。
生前の習慣、依存が死してまで続いているという。
デビットによれば、彼らはここに来てずいぶん経つらしいが、未だにスマホから離れられないのだ。
同じことを延々と繰り返し、それでも己が執着から離れられない。
デビットのように意味を成さずとも、出歩いて酒を飲んだりする方がゴヨウにはマシに思われた。スマホをいじくる骸骨らからは、我欲の強さだけが伝わってくる。
「まあ、あいつらも自身の死にスマホが関わってるからな…… 天罰さ」
「……俺にも天罰があるかもしれない」
いつの間にか武装を解いたゴヨウは言った。聖剣「花鳥風月」は竹刀袋に、防具も防具入れに。
今のゴヨウは、剣道の稽古帰りの青年に見えなくもない。
「良かったら酒場に寄ってけよ、生身の人間なんか珍しいからよ」
デビットはゴヨウに言った。ためらいつつ、ゴヨウは「幽霊の酒場」に入店した。
ゴヨウと違う場所をさまよっていたチョウガイは、花園で一人の少女に出会った。
「お兄ちゃん……」
十歳前後と見られる少女の面影を、チョウガイは忘れるわけがない。
この少女はチョウガイの妹ではないか。
チョウガイは妹のために己を捨てて修羅となり、傭兵として戦ったのだ。
その甲斐虚しく、妹は病に倒れた。
「おおお……」
チョウガイは少女に駆け寄り、両膝をついて抱きついた。
母に甘える息子のごとく、チョウガイは妹の胸に頬を押しつけた。
永き闘争の果てに、彼は安らぎを求めていたのだ。
少女はチョウガイを胸に抱きしめた。その小さな左手がチョウガイの背を愛しげに撫でた。
そして小さな右手に握っていたナイフを振り上げた。
花園に鮮血が散った。




