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本当の自分

作者: 市原春季

 夏の暑さも終わりかけ、時折涼しい風が吹く。だが、車の窓を閉め切っているとさすがに暑いので、運転中は窓を軽く開けて走らせていた。

 僕は珍しく遠出をしていた。と言っても、昔はよく来ていた場所なのだけれど。

 平日の昼間だからか、道路は案外すいていて、割とスムーズにここまで来ることができた。

 車から降りて背中を伸ばす。天気も晴々としていて気持ちが良い。

本日は散歩するにもってこいの日である。ということで外を歩いてみようと思ったわけだけれど、ずっと日向を歩いていると汗が滴り落ちてくる。度々ハンカチで汗を拭いつつ、反対側の歩道に日陰を見つけては道路を横断し、できるだけ陽の当たらない道を歩く。

 今日は仕事が休みだから外出した、というわけではない。

現在の僕は「無職」なのだ。

最近、ほとんどの時間を自宅で過ごしていた。そのため、「たまには外に出よう!」と思い切って(半ばヤケになって)家を飛び出したのである。


 以前の元気な自分はどこへ行ったのやら。

 まぁ、年相応に活動範囲が狭まったと考えれば、仕方のないことなのかもしれないが。

本当は家の中に居たくない。実家以外の場所に身を置いていたい、というのが本音である。でも、仕事もしていないし、貯金も底を尽きそうだし……、車のガソリン代だってタダじゃないんだから、本来なら遠出するべきではないんじゃないかとも思ってはいる。それに、実家で暮らしているとはいえ、払うべきものは払わなくちゃいけない。

 もちろん求職活動もしているが、仕事もそう簡単には見つからない。それも一日中仕事探しをしているわけではないので、時間だって持て余す。そんな時間をどう過ごすかと考えてみたところで、お金が無いとくればやれることだって限られてくる。

 あぁもう。僕は、ただ周りに迷惑をかけているだけじゃないか。迷惑をかけて生きていくぐらいなら……、私という存在に意味が無いのだとしたら、死んだほうがマシだ。何もしていないと、そんな考えが頭を過る。

これまでの僕の人生には、これといって心から面白いと思ったことは無かったように思ってしまう。事実、「あれは本当に楽しかったなぁ」などと強く印象に残っている思い出は無い(元々、自分の記憶力が悪いということも起因しているのだろう)。そして今後も「楽しい出来事が待っている」などという想像もできない。これからも苦しんで生きていくぐらいなら、いっそのこと死んでしまいたい。そんなふうに思うことが多くなった。

 そもそも、心から楽しんで仕事に勤しんでいるという人は、一体どのくらいいるのだろうか? いるとしたら、「その人は本当に幸せな日々を送っているんだろうな」なんて思う。ただ、そういった人も実際は生活のどこかで苦難に合っているかもしれない。しかし、生活の主となるものは仕事である。時間の割合もそうだが、生計を立てる上でも最も重要なものが仕事。それが楽しいものであれば、その人の人生は幸せなものなのだろう。と、想像力の乏しい僕は安易にそんなふうに考えてしまう。

 外出する機会はそこそこある。そして行く先々のお店で、笑顔の無い従業員を見かけることが多くある。無表情で淡々とレジを打ち続け、感情のこもっていない、お決まりの挨拶をする店員とか。逆に、そんな店員に対して笑顔で応対している自分が馬鹿みたいじゃないか。中には珍しく、笑顔で丁寧に接してくれる人もいるけれど、目が笑っていない。口角をあげて、無理にでも笑顔を作ろうとしている。僕にはそう見えてしまう。でも、それはそうだよなぁ。仕事だもの。忙しかったり、本人も疲れていたりするのだろう。そんな中でも頑張って笑顔を作りながら仕事をしている人に対して尊敬の念を抱く。勝手に感動したり幻滅したりと、僕の心は忙しなく揺れ動く。日本という社会はなんでこんな世の中になってしまったのかねぇ、とぼやきたくなるが、人生の先輩方の前でそんなことを口にしたら「若造が何を言う」と怒られてしまうと思ったので口外はしていない。僕が幼い頃は、もっといたるところで笑顔を目にしていた気もするのだけれど。

 とにかく。そんな、笑顔も無く、楽しいとも思えないところで働くなんて嫌だというワガママな私は、長いこと同じ職場で働いてる人ってすごいなぁと感じているところである。僕だってこれまで働いてきたわけだけれど、無職という体裁を気にして職に就いていたのであって、たまたま縁のあった会社にいただけの話だ。

「無職」という言葉の響きは、僕にとってかなりの恐怖だった。その割には、自分がどうしたいか、どうなりたいか、なにがやりたいのか。そんなことは、これっぽっちも考えていなかった。だって、「楽しんで働ける会社に就くことができる人や夢を実現できる人なんて、ほんのわずかしかいなんだ」ということは、昔から無意識の内に悟っていたような気もするし。ただそれも、他者からの受け売り(洗脳?)だろうが。多くの人から、何度も同じようなことを言われていた思い出がある……ような無いような。

 そして、なんといっても。近年は特に、正社員として採用してくれる会社がなかなか見当たらない。履歴書などの書類を送って、それから連絡が来て、面接をしてもらって、試験などがあればそれらをこなしたりして採用されるかどうかが決まる。だが僕の場合は、まず書類審査の時点で不採用通知が家に届く。契約社員として応募しても落とされる。パートタイムやアルバイトならまだ採用の可能性は高いだろうが、できることなら「正社員」として働きたい。しかしその関門はとても厳しく、いまさら「就職」の難しさを痛感している。

 僕はどうしてこんな状況に陥ってしまったのだろうか。努力が足りなかった? 運がなかった? それとも……。まぁいいや。考えたらキリが無い。今やれることをやるしかないし、これからのことだってなるようにしかならない。

 疲れ果てた。添え状(挨拶文)、履歴書、職務経歴書を書くのだって一苦労なのだから。添え状はパソコンで入力して印刷すれば問題ないのだけれど、他の手書きのものはしんどい。僕は字が汚いから、慎重に書くと力が入って疲れるし、しかも力が入ることによって手が震えてしまって、より字が汚くなることもある。採用担当者にも、字の丁寧さでなんとなくその人の印象を察する人もいるだろう。ダメ元で送るような感じになっていた僕は、そんな繰り返しに疲れて、何件も書類を書いているうちに応募することも嫌になってきていた。


 なにか良いこと無いかなぁ。あぁ、早く死んでしまいたい。

 最近、こんなことばかり考えている。

 食欲も無く、人と顔を合わせるのも億劫で、あまり外出する気にもならない。

たまには外に出かけるけれど、その後の疲労が激しくて、一旦外に出たら「しばらくはもう外に出たくない」という気持ちになる。もう少し若い頃の自分だったら、仕事後だろうが休日だろうが「思い立ったが吉日!」という勢いでいろんなところへ外出していただろう。そんなことは今じゃあもうできやしない。

 何かをしていてもしていなくても、胸の辺りがモヤモヤする。呼吸も自然にできなくて息苦しいときも多々。そんな時はまず、「思い切り空気を吐く」という意識をする。でないと呼吸が止まってしまいそうな気がするのだ。いや、実際、「気がついたら息をしていなかった」という時もあった。また、酷いときは吐き気をも催す。むしろ吐いてしまった方が楽になると思い、大量の水を飲んで、手の中指と薬指を喉の奥まで入れて、胃の中のものをすべて吐き出す。すると、これがなかなかにすっきりするのだ。それから、頭も痛くなったり、何かがぎゅうぎゅうと詰め込められたように重く、破裂してしまうのではないかと感じるときもあったりして、自分の頭をどうにかしてカチ割りたいと考えたこともある。

イライラしたり、勝手に涙が出てきたり、もぬけの殻になったように体を動かすことができないときがあったり……。自分の身体が自分のものではないような気がしてしまう。最近では特に、そんな状態に陥ってしまうことが多くなった。そのため、外に出るだけでも相当の労力を要し、外出後は肉体的にも精神的にも疲れ果てて帰ってくる。そして徐々に疲労感が増し、食欲や元気も無くなり始め、自分でもわかるぐらいに情緒不安定になっていった。

 そんな調子であるために、仕事も休みがちになってしまい、「これじゃあまずい」と思って病院にも行った。

 病院の先生が言うには、今の私の状態を「うつ病」だという。

 「やっぱりそうなのか」と、腑に落ちた感じがした。以前から、自分でもなんとなくそんな気がしていたから。

近年、うつ病患者が増加の傾向にあるとか、それはどんな症状だとか、様々なところで情報を見聞きしていた。「こんな人は、うつ病かもしれません」なんていうキャッチコピーが書かれた本を見たり、友人や知人から話を聞いたり。すると「うわー。今の自分にほとんど当てはまってるじゃん」と、苦笑いしつつ思っていた。……が、笑い事では済まなくなってしまっていたようだ。周りの人が「元気が取り柄のあんたが?」と言いたくなりそうな、自分自身でさえ疑問に思うところではあるけれど、その事実は認めざるを得ない。

そして僕はなぜか、先生の前で涙を流していた。理由もよくわからないまま。自分でも気がつかないうちに。

 ちなみに、周りの人達の僕の定評は「たくましくて力も強くて根性のある、責任感が強い人」という感じらしい。昔から知っている人ならともかく、初対面の人もそんな印象を受けるらしかった。僕は初対面の人に、どんなふうに接していたのだろう? それとも接し方ではなく、私の履歴を見聞きした上で言われていたのだろうか? 相手の心中はわからない。ただ、昔の僕のイメージや先入観でそう思われているとしたら、それは間違いである。現在の僕に、若い頃の僕であったらこなすことができるであろう期待をされているとしたら、それはとてつもなく高いハードルだ。もしそんな期待をされても、それに応えることはできないし、精神的に押し潰されてしまうことになりかねない。

昔は昔、今は今。年を重ねれば人間も変わるのだということを知っていただきたい。僕だって、人間なんですから。昔のように、元気でやんちゃな子のままではいられないですよ。まぁ、僕も表面上は格好をつけて、本当の自分(弱いところや、悪どいところ)を隠して、良い顔ばかり振り撒いていたことも病んでしまった一因となったのだろう。自業自得である。

 もし、昔の自分が今の僕を見たら、「精神的にも肉体的にも弱くなったもんだなぁ」なんて思うんだろうな。それに、昔だったら本性を隠し続けても、周りに何を言われても、今の自分以上には耐えていくことはできたはずだ。

 話を戻そう。

「うつ病」ということを本当は認めたくなかったのか、それともショックだったからなのか。なにが原因で涙が流れていたのかは僕自身もわからなかったけれど、とりあえずハンカチを取り出して涙を拭く。また、看護師さんが気を利かせて持ってきてくれたティッシュを手に取り、鼻をかみながら先生の話を聞いた。

 専門用語はよくわからなかったけれど、とりあえず、薬(「抗不安剤」と言ったか?)を出すので毎晩寝る前に飲むようにと言われた。それから、「その薬の量は徐々に増やしていくけれど心配しないようにね」とも。薬が一定の量まで達したら、その後は様子を見ながら、落ち着いてきた頃を見計らって徐々に減らしていくらしい。それと、いざというとき(今回の場合は、急に不安に駆られたときなど)に飲むための薬(頓服薬)と、「夜、なかなか眠りにつくことができないんです」という話をしたら、睡眠導入剤も処方されることになった。最後に、「薬の効果が現れなかったり、異変を感じたりしたらすぐ来るように」と告げられて面談は終わった。

会計を済ませて、薬を受け取りに行く。飲用時の説明や注意事項などを聞いた後、それらの薬は印刷された説明文と共に白いビニール袋に入れてもらって手渡された。コンビニなどで軽く買い物をしたかのような多さである。まぁ、一ヵ月分ともなればこのくらいにはなるのか。今後が恐ろしいな、と思いながら薬の入った袋を手に持った僕は、病院を後にした。


 突然だが僕は、これまで勤めてきた会社をついに辞めることにした。

病院に通い始める以前から感情の起伏が激しく、精神的に不安定なときは連動して体調も悪くなる。それは自分自身の力ではどうにもできないことだった。心も体もコントロールが効かない。それで仕事を休みがちになっていた僕は、社長とも相談をしていた。私の心身の状態に理解を示してくれていた社長は、僕が退職を願い出た際、なんとか続けてくれないかと引き留めてくれた。その思い(優しさ? 期待?)に応えようと、僕はもう少し続けてみることにした。……が、限界はすぐに訪れた。

 小さな会社ではあったが、居心地が良い職場だった。だからこそ、他の人に気を遣ってもらうことに気が引けて、迷惑をかけないようにと無理に元気に振る舞い、むしろ逆に、他の人に対して気を遣うようにしていた。心配をかけたくなかったから。

それが逆効果だった。精神的なエネルギーの消耗も激しくなり、無理に張り切り過ぎてしまったことで体力的にも疲れ果て、今まで以上に欠勤が増えてしまったのである。

申し訳なく思ったが、結局、僕は会社を辞める決意をした。


 本当なら、ここで休養を挟んだほうが良かったらしい。心と体の休養。趣味に没頭するでも睡眠時間を長めに取るでもなんでもいいから、と(後日談)。しかし僕は、一刻も早く職に就きたかったがために、すぐに次の仕事を探し始めてしまった。外にいるときよりも家にいるときの方が、ストレスが溜まるから。仕事を辞めて家にいる時間が増えたと同時に、今まで以上にストレスを感じる時間が増えた。元々、家族とはギクシャクしていて上手くいっていなかった。……そう感じているのは自分だけなのかもしれないけれど。僕の性格上、身内とはいえ、言いたいことがあっても話すことができなくて聞き手に回ったり、嫌なことがあっても怒ったり反論したりせずに、我慢に徹してばかりだった。家族にでさえ他人行儀になってしまうのである。それなら家族よりも他人と話していた方がまだ楽でいられる。職探しは、「お金を稼ぎたいから」という理由はもちろん、「家族と顔を合わせる時間を、より多く減らしたかった」という理由も大きい。親と顔を合わせる度に、何か言われるのではないかという不安もあったし、家の中で物音がするだけでも落ち着きを失う、などということが多々あった。そのため、仕事でもなんでもいいから、とにかく家の外に出たかったのである。

もしかすると、仕事を始めることによってそれをきっかけに親との話題を作ることができるかもしれないが、そこまで上手く関わることは出来ないと思う。これまでの家にいるときの思い出というのも、嫌なことばかり思い出してしまって、「また嫌な思いをするに決まっている」と避けたくなってしまうから。良い思い出もあったとは思うが、その思い出は脳内の引き出しのどこにしまったのか。……探す気にもならなかった。

もう家の中にいるのはうんざりだけれど、外出するにもお金が必要だ。それに、周囲の目も気なったり、なにか余計なトラブルを起こしてしまったりするのではないかと、しなくてもいいような心配事をして、自分自身で自らの外出願望を削いでしまう。誰も私のことなんて見てはいないし、トラブルだってそうそう起こるものでもないと思うようにしても、ついつい勝手に怯えてしてしまうのであった。そんな僕がまともに仕事を続けられるはずもなく、なんとか入社することができた会社もすぐに辞めてしまった。

元々、あまり人と話をすることを好んでいなかった僕は、自ら誰かに話しかけるも気力もどんどん衰えていった。結果、何も行動することが出来ずに、これまでと変わらない生活を送っている。つまるところ、未だに新しい仕事を見つけられずにいるということだ。


 気がつけば、自分がここにいる価値なんて、生きている意味なんて無いなどと考えていた。どうやったら楽に死ぬことができるか、とも。怖いのも、苦しいのも嫌だから、一瞬で済むものか、または、すー……っと、それほど苦痛を感じずに、意識が遠退いていくような感じで死ぬことができるものが望ましい。

 死ぬということは一体どういうことなのか。死んだらどうなるのか。

 幽体離脱したかのように、魂が抜けて、自分で自分の死体を見ることができるのか。そして、三途の川を渡ることになるのか。それとも花畑の中にたたずんでいるのか。はたまた、急に別の命に生まれ変わっていたり、天国だか地獄だかに身を置くことになったりするのだろうか。それか、死んだらすぐに生前の意識が消失し、死後は無になり、なにも無くなってしまうのではなかろうか。……などと色々と考えてみたが、脳の許容量を超えそうになったのか、頭がパンクするんじゃないかという感じがしたので、そこで考えるのをやめた。

 丁度そのとき、部屋にあった小刀が目に留まった。確か、小学校の図工の時間に使っていたものだったと思う。「よく残していたなぁ」と自分に対して感心すると共に、「このタイミングで小刀が見つかるなんて、誰かが私を死へ導いているんじゃないだろうか」なんて勝手な想像をしていた。

 ふと、過去の記憶が甦る。


 幼い頃はやんちゃだった僕にも、悩みはあった。

 怒りを感じることもあったし、誰かを恨んだこともあった。

 暗い自分もいた。

 だけど、心の内に潜んでいる負の感情を隠し続けた。

 自分の闇の部分が見つかって、人に嫌われるのが怖かったから。

 だから僕は、明るい自分を作り続けた。

 僕は元気だよ。優しいんだよ。強いんだぞ。と、主張し続けた。

 そんな八方美人な、表の自分が、僕は嫌いだった。

 もちろん裏の(本当の?)自分も嫌いだし、それを隠す自分にも嫌気が差した。

でも、いまさら本性をさらけ出す勇気もない。

どうしよう、と悩みながらも隠し続けた。

 故に、皆は言う。

 「あの子は強いから大丈夫だよ」と。

 僕も我慢しながら、平気なふりをしていた。

 本当は平気なんかじゃないのに。

 平気ではない自分に気づき始めた頃からだろうか。

 血を見ると落ち着く気がしたのは。

 痛みを感じると怒りがおさまる気がし始めたのは。

 傷が治っていくと同時に悲しみも消えていく気がしたのは。

 なにがきっかけで自分を傷つけるようになったのかは覚えていない。

 僕は自ら、体中を切り刻んだ。

 他の人に気づかれないよう。

 服で隠れている部位の、いたるところを。

 それでも、満足できなかった。

 血が足りない。

 もっと、滴り落ちるぐらいの血が見たい。

 僕が切った部位からは、じわっと滲むぐらいしか血が出てこない。

 それでは満足できなかった。

そこで僕は、手首を切った。

 今まで切ってみたどこの部位よりも、一番血が出た。

しかも自分で確認しやすい部位である。

 そう判断して、自傷行為をする際に傷をつけるのは、大体が手首だった。

 でも、みんなに気づかれてしまうから、そんなに深く切ることはしなかった。

本当は誰かに気づいてほしかったくせに。

 自分がが隠していた、本当の自分を見つけ出してほしかったくせに。


 小学生の頃に、血を見ることや自分を痛めつけることで安堵するなんて、僕は頭がおかしくなったのだと思った。

 中学生になってもリストカットを続けていた。

 高校生になると、ほとんど自傷行為をすることは無くなった。

 大学生のときには、ふと、自分を傷つけたい衝動に駆られるときもあったが、なんとか我慢することができた。一時期、不登校になったけど。

 大学を卒業すると、だいぶ落ち着いたようで、自傷行為はほぼ無くなった。

 よかった。

 これて平穏無事な生活を送ることができる。

 ……だが、再び波はやってきた。

 「死にたい」という願望が急に現れ始め、その気持ちがどんどんと強くなっていく。突然、交通事故に遭ったり、通り魔的な人に遭遇したりして、僕の命を奪っていってくれないだろうか。そんなことを思い浮かべるようになった。

 心がざわつく。

 そのざわつきは、いつまで経っても消えてはくれない。

 そして……。僕は、ついに耐えられなくなった。

 親がいないうちに、風呂場から洗面器を持ち出し、水を入れて自分の部屋へと持ち込んだ。僕は小刀を手に取る。小刀のキャップを外し、右手で握った小刀の刃の部分を左手首に当て、切る部分を確認する。それから真横に傷をつけた。初めは軽く跡をつける程度。次は、その跡に沿うように、思い切って小刀をひいた。

 じわり、と血が滲み出てきた。

 これでは足りない。と、何度も何度も同じような部位に、力を込めて傷をつける。それでやっと血が流れ出した。

 切り刻まれた手首を、洗面器に溜めた水に浸ける。そうしないと切り口がカサブタで固まって、血が流れ出なくなってしまうから。手首から溢れ出す血はとめどなく流れ出ていく。それは洗面器の底へ向かってゆっくりと流れ落ちていき、どんどん底へ溜まっていった。自分のことではないかのように、僕はその様子を見つめていた。

 目をつむり、「このまま意識が無くなってしまえばいい」と願う。意識が遠退き始め、眠たくなってきた。

 しばらくして、つむっていた目を開いた。

 どのくらいの時間が経過したのか。洗面器に入っていた透明な水は、真っ赤な液体になっていた。若干透けているところもあれば、底が見えないくらいに真っ赤になっているところもあった。意識が遠退いていく気がしたのは、ただ単に眠たかっただけのようだ。「意外と平気なものなんだな」と思いながら、真っ赤に染まった水が溜まった洗面器を風呂場へと持っていく。血とも水とも言えない液体を、排水口に向かって流した。さようなら、僕の一部。

 そろそろ親が帰ってきそうだ。いろいろとキレイに片付けて、何事も無かったように部屋へ戻った。

 傷口を見つめる。

 ぱっくりと、そこから食べ物が摂取できそうなぐらいの傷口が開いていた。しかし、あまり痛みは感じない。傷口の中央に白い線のようなものが見えた。これが筋というものだろうか。手首を曲げ伸ばしすると、その筋(?)も動く。正気に戻ったのか、「このままだといろんな意味でまずいなぁ」と思い、結局、翌日に病院へ行くことにした。


 十四針。

 手首の傷口だけで、これほど縫うとは。

 病院へは毎日通い、ガーゼと包帯を取り換えてもらっていた。だが、二日後か三日後あたりで、黄色っぽいものではなく緑色がかった膿が出てくるようになった。「緑膿菌」というらしい。調べてみたら、日和見ひよりみ感染の一種だという。じゃあ「日和見感染」って何? ということで調べると、簡単に言うと「体が弱っている動物にかかりやすい感染症」ということのようだ(しかし僕は、未だにその意味をよく理解できていない)。僕の解釈だから間違っているかもしれないが。とりあえず、緑色の膿は黄色い膿よりタチの悪いものだということぐらいは理解できた。おかげで筋肉注射も三回ほど打たれることになった。痛いことに慣れていた僕は、看護師さんに「よくやってる注射(皮下注射)より痛いけど我慢してくださいねー」などと言われたが(僕はこの病院の常連的存在になっていたので、看護師さんにも顔を覚えられていた)、我慢するほどの痛みも感じなかった。もはや僕の身体(特に痛覚)は、おかしくなっているのかもしれない。注射を打たれ終わった私は、「ありがとうございました」と挨拶をし、処置室を出た。


 膿が黄色っぽい感じに戻り始めて、病院に行くのが二日に一度ぐらいになった。それから一週間ほど経った頃。ようやく抜糸の日がやってきた。縫ってあった糸を切って抜き取ると、見事に傷口が塞がっていた。デコボコがあったり、変色していたりしたので、元の状態までとは言わないが。抜糸にあたっては、縫ってあった糸がほぼ皮膚に埋まってしまっていたような部分もあり、先生も大変そうに糸を切っては抜いていた。これでやっと、お風呂に入る際に、手にビニール袋を巻き付ける必要もなくなるわけだ。包帯が巻かれたままのときは、お風呂に入るときが最も苦労した点である。

 もし……。もしもの話だが、今後また自傷行為のようなことをするときは、きっと死を覚悟して臨むときだと思う。餓死か、切腹か、練炭か……。色々と考えてみたが、とりあえず考えることをやめた。なるようにしかならない。今を生きるしかない。悪いことや嫌なことがあったら、運が悪かったのだと割り切るしかない。僕の人生はこんなもんなんだ、と。

 それにしてもまぁ、相変わらず薬の量は減らない。薬を処方され始めてから、どのくらいの月日が経ったのか。最も多い量まで増えたのだが、いかんせん、こんなこと(リストカット)をしてしまった僕だ。うつ病対策の薬も減るわけがない。先生と話をしていても、「これから薬の量を減らしていこうか」などと言ってもらえそうな雰囲気も感じられない。

 不安げな僕の気持ちを察したのか、先生は穏やかな口調で話してくれる。だけど、本当に心配してもらいたいのは先生じゃない。「じゃあ誰に心配してもらいたいの?」と聞かれたら、自分でもわからないから答えようもない。答えようはないけれど、「自分を支えてくれる人が身近にいてくれたらいいなぁ」とは思う。人じゃなくて、物や活動でもいい。「自分の支えになる何かがあればいい」なんて。

僕はぼんやりと、はっきりとしない考えを巡らせていた。


 そして、ある日。

僕は特に深く考えることも無く、ぱっと家を飛び出した。ぼんやりと車を運転しながら考える。「このまま事故でも起こして死んでしまおうか」などと思いながら。

 だいぶ遠回りしてしまったが、冒頭の「たまには外に出よう!」の続きの話である。

 まずはどこへ行こうか。朝食も食べていないままでお昼近くになったけれど、ちっともお腹は減っていない。というわけで、飲食店に行くという選択肢は無し。かといって、買い物をしようにもお金はあまり持っていないし、これといって欲しいというものも、今のところは思い浮かばない。人混みに入っていくことも緊張するから嫌だと思っていたが、「服装も普段は着慣れていない(最近ほとんど着ていなかった)服を着ているし、帽子と伊達眼鏡を装着していることもあって、これなら知り合いに出会っても気づかれずに済むだろう」なんて意識をしたら、割と軽い気分で外にいることができた。この状態なら街中に行くこともできるだろう。

 とりあえず、僕が昔からよく使わせてもらっていた、無料駐車場に車を止める。ここに来るのも久しぶりだ。

 そして、日差しの強い車外へと。日差しは強くて暑いが、空気はひんやりとしていて気持ちが良い。日陰に入って強い風が吹けば、少し寒いぐらいだ。そんな気候の中、私は徒歩で動物園に向かった。ある動物を見たいがために。

 懐かしいなぁ。

 そんな気持ちで、一人、動物園へと足を踏み入れる。

 目的の動物というのは、ペンギンのことだ。僕はフンボルトペンギンが大好きなのである。あの丸みを帯びた頭や胴体、ぷるぷるっと震わせる尻尾、パタパタと羽ばたかせるが、飛べない羽。それに、あのひょこひょことした歩き方も、気持ちよさそうな泳ぎっぷりも、なにもかもが愛おしい。まったく卑怯な生き物だ。見た目から一挙手一投足まで、すべてが可愛いと思える存在だなんて。……「卑怯」とは変な言い方だった。僕が勝手に羨ましがっているだけなので。

 と、そんなことを思いながらペンギンの元に向かって歩いていた私は、ちょうどリスザルがいる檻の横で足を止めた。くりっとした目をして私の方を向いている一匹に気を取られて。そして近づいてみたのだが、その一匹はすぐに別の場所へと移動してしまった。……と思ったら、またこっちに来たり、あっちこっちに行ったり来たりで、忙しなく動き回っている。その一匹に釣られたように、他のリスザル達も走り回り始めた。

 ふと、昔の思い出がよみがえった。

別の動物園に行ったとき、リスザルに餌を与える機会があった。そのとき、彼(彼女?)は餌と一緒に僕の指まで掴んできたのである。ひたっと僕の指を握ったそのリスザルの手は、ほんの少し冷たく、しかし確かな力強さが感じられた。今でも覚えている。あの小さな手の感触は忘れることができない。指の一本一本の造りや他の部位の構造も細かく、だけどしっかりしているという、新たな発見に驚きを隠し切れずにはいられなかった。素直に嬉しかったと言っていい。あのときは本当に貴重な体験ができたと思った。

 あれはもう何年前の話だろう?

 最近、嫌なことしか考えられないし思い出すことができないでいた僕に、勇気を与えてくれた思い出を呼び起こしてくれた。小さくても力強く生きる姿。僕が見習うべき姿を。自分よりも小さな動物に憧れた瞬間。あれは衝撃だった。

 そんな思い出に区切りをつけ、彼等に心の中で礼を言い、僕は再び足を動かした。

 その後は、目的の場所に直行である。そう。ペンギンの元へ。

 昔と変わらぬ場所で、彼等は活動していた。活動と言っても、ほとんどのペンギンが静止状態にあった。立ち尽くしているやつ。腹ばいになって、水に飛び込むのかどうしようか迷っているやつ。時折くちばしで自らの体を掻いているやつ。動かない彼等を目の前に、どのくらいで動き出すのかが楽しみで、僕は彼等と同じように檻の前でじっと立ち尽くしていた。

 ふと動き出しそうなペンギンの気配を感じ取ると、僕はすぐにカメラを手に取って、シャッターチャンスを窺う。カメラと言っても、携帯電話のカメラ機能だが。

 うーん。今日は機嫌が悪いのか、少々肌寒いからか。よくわからないけれど、なかなか動いてくれなかった。だけど癒された。僕にとってペンギンは、天使のような存在なのである。そんな天使が檻の中に住まわされているのを見ていたら複雑な気持ちになったが、「これも保護の一環なんだ」と割り切った。

 思っていた以上に動いてはもらえなかったけれど、撮影と観察に満足した僕は、次なる場所へ移動することにした。

 次に向かった先は、小さな小屋(小屋というよりもう少し大きい建築物)である。その建物の中ではなんと、リスや亀、……今日はウサギを見かけなかったけれど、オシドリなど、様々なおとなしい動物が放し飼いされているのだ。入口と出口は厳重に、二重に扉が設置されている。

 僕は以前、この場所でリスに登られ、背中におしっこをかけられた経験があった。ほんわか、じわぁ~っと背中が温かくなったときの体験を思い出した。そんな過去の出来事を思い出し、その場で苦笑いを浮かべてしまった。あれはあれで面白い出来事だった。……という経験もあったので、一応車の中に替えの上着を入れてきていた。自分で言うのもあれだけれど、妙なところで用意周到だ。だが、それもただの気苦労に終わった。今日は、リスが近くに寄ってきてくれもしなかったから。ノープランで家を飛び出し、なんとなく来た動物園だったが、家を出る前から心のどこかで動物園に行きたいと無意識に思っていたのだろう。自然と着替えなどの準備をしていた自分に対して、再び苦笑いをこぼした。

 さて。

以前と変わらないルートで回るとすれば、次はサル山に向かうことになる。

 あの場所の独特な臭いは、多くの人が嫌がる。友人と動物園に行くときは、僕は平静を装ってサルを観察していた(僕もあの臭いは苦手だが、少し時間が経てば慣れてしまう)。その間に友人は休憩するだとか、別のところを回ってくるだとか、そんなことを言って、サル山から離れていく。気兼ねなく行動を共にできる友人と来ると、そんな行動もよくあることだ。

 僕は、人間も動物も、なにか生き物を観察することが好きなのだと思う。そして、自分で言うのもなんだが、協調性が無く、単独行動が好きなのが私の特徴なのだろう。集団行動はちょっと苦手。周りに合わせてばかりは疲れるし、イライラしてしまうから。もちろん、我慢するときはする。TPO(時と所と場合)は、それなりにわきまえているつもりである。

今日は少し、動物達の動きが鈍いような気がする。いつも騒いでいるサル達でさえ、大体はケンカ? 追いかけっこ? のようなことをして騒いでいるのに、今日はほとんどのサルが岩の上で静かに座って休んでいる。

 平日で人も少なく、落ち着いている動物達を見ていたら、こちらまでなんとなく落ち着いてきた。

 生き物の力とはすごいものだなぁと、毎度のことのようだがそう思わされる。それなりに動物園が好きな僕は、たまに入園してはなにかしらの感情を抱いて帰る。その思いや考えが活かせる時もあれば、何事も無かったかのように帰る時もあるわけだけれど、それでもその場では自分が癒されていることには変わりないので、何の問題もない。むしろ、損得で考えれば得をしたと考えていいだろう。それに、今日に至っては胸のあたりにあるモヤモヤ感が軽減され、僕自身としては本当に満足である。ここに来た甲斐があったというものだ。

 動物の活動を見ることによって、生きる力を得ている今の自分。動物もそうだが、様々なものを糧にして僕は生きているのだと改めて考え始めた。果たして今考えていることは、今後の生活の役に立つことがあるのだろうか。考え損だったと思うことにならないよう祈ろう。無駄な労力だった、と思うことになっても構わないが、役立てばそれはそれで幸いである。また、他にも考えていることがある。動物園で暮らしている彼等のように、悠々と、堂々と、檻の中でゆったりと生きていきたい、と。あ。でもやっぱり檻の中だけで人生を終えるというのは嫌かも。いくらタダ飯が食べられるとは言え、限られた空間で生活しろと言われたら、きっと僕は満足などしないだろう。もっと自由に生きたい。かといって、自由過ぎるのも困りものだ。はっきりとしない性格の自分にとって、選択肢の多い人生というものは判断に迷い、苦しみ、辛い道を歩んでいかなければならないということだから。

 僕は考えに耽り、脳内の整理がつかないまま、ゆっくりと歩いて動物園を出た。


 さぁ、これからどうしようか。

 まずは最大の悩みを解決しなければ、と必死な気持ちでいる私は、情報収集の脳内電波を現在歩いている街中に張り巡らせる。

 最大の悩み。それは、就職。

 仕事をして、お金を稼がなければ生活していけない。だから本当なら、「やりたい仕事があるから」なんて言って、仕事を選んでいる場合じゃない。それ以前に、自分のやりたいと思う仕事すら見つかっていないのだけれど。それに、早く家から出たい。

求人の募集をかけている会社ならたくさんある。しかし、こんな自分にできる仕事というものがなかなか見当たらないし(現場作業などの力仕事や、資格を持っていなければならないとか経験があればOKという会社は多々あったが、自分には向いていないものとか、資格も経験も持っていないものばかりで)、それに、やはりそれなりに自分がやってみたいと思うものを選択しなければ、長く続けていくことはできないだろうし。自分自身の経験上のこともあるが、今の状態の自分にとっては特に、しっかりと見極めなければならない。皆が皆、やりたい仕事をしているわけではないことはわかっている。それでも僕はほんの少しの可能性を信じて探す。だから、なんとなく街に出てきてみた。どんな仕事があるのか、職業に関する認識を改めなければならないと思ったから。

平日とはいえ、さすがに街中。人が大勢歩いている。いろんな人と行き違う。スーツ姿のサラリーマンらしき人や遊びに来ている私服姿の学生? やら、工事現場で働いている人、親子で楽しそうに話しながら通っていく姿、おばあちゃん仲間三人がゆっくりと歩いて行くところ、カップルがいちゃつきながら……、等々そんな光景を目にしながら私は大通りを歩いていた。

 人間観察もなかなか興味深いのだけれど、本題はそこではない。

 「どんな仕事をしている人がいるのか」ということに焦点を絞り、ゆっくりと歩く。そして、いろんな建物やお店を観察したり、周辺にいる人達がなにを話しているのか聞き耳を立ててみたりする。また、服や装飾品を売っているお店にいる人や陳列されている商品見てみたり、飲食店やらなんやらの匂いを嗅ぎ取り、そこから何かを連想してみたり……、などなど。その場で思いつく限りのことを色々と考えつつ、なにか自分の求職活動のヒントになるものはないかと、彷徨い歩いていた。「もう、バイトでもパートでもなんでもいいや」と半ば諦めを感じながら。

 とりあえず目に入ってきたお店について検討してみよう。

 古い感じの本屋さんや楽器屋さん。……小さいお店だし、人手は足りているだろう。本や楽器に興味はあるけれど、それなら家から近いところのお店を探すよなぁ。

 服屋や雑貨屋。……僕自身、服飾やインテリア関係にはあまり興味が無いし、自分にセンスがあるとも思えない。特にアパレル関係においては、人に商品をガンガン勧めていく積極性が必要とされる。考えただけで疲労感が襲ってきた。僕、人が苦手なんです。なので当然、可愛らしい小物が置いてあるような、若い女の子がキャッキャとはしゃぎながら来るようなお店も当然無理です。

 飲食店。……アルバイトでホールでの接客業務をこなしていた時期もあった。しかし、今の自分の精神的、体力的要素を考えると、休日等の忙しい日の業務をこなすことは困難を極めるだろう。それを言うなら、居酒屋もそうだ。あのバイトも気合いで働いていたようなもので、そんな気力は当然どこかへ飛び去ってしまっている。

 アミューズメント関連。……こういった関係の仕事をしたことは無いけれど、これも難点が。私、うるさいところも苦手なので。そうでなくても「難聴?」と聞かれることが多々ある耳の悪い僕が(耳鼻科で診察してもらった結果、問題は無かったのだが)、そんなところで人とコミュニケーションを取れる自信も無い。

 というか、人を前にした時点で若干あがってしまう自分の性質も克服していかないと、何も仕事ができないのではないかと思った。いまさらだけど。しかし、自分のこの性質、そしてうつ病を治すには一体どれほどの時間を要するのか不明である。業種や職種への認識を改めるよりも、まずは自己の認識を改めるべきだった。


 今、目に映っているものすべてが、自分が存在している世界とは違う世界にあるものなのではないかと思ってしまうほどに落ち込んできた。あれも無理、これも無理。これ以上この街の中にいたら、魂が身体から抜けていってしまいそうである。やっぱり駄目か、と探すことを諦めて帰ろうとしたそのとき。僕はある場所のことを考えていた。さらには、体も自然とその場所へ向かって動いていた。藁にも縋る思い、とはまさにこのことだろう。

 その場所というのは……、占い屋である。信じる信じないは人それぞれだろうが、僕はどちらかと言うとあまり信じない。参考にさせてもらう程度の立ち位置でいた。それが、「もうここしか無い」と言わんばかりに私の足は徐々に早歩きになり、目的地へと向かった。

 占い。

 学生の頃は遊び感覚で、真にも受けず楽しんで占いの本を見たり、人に占ってもらったりしたものだが、まさかこの歳になってまで、しかも貴重なお金をはたいてまで占ってもらうことになるとは思ってもいなかった。

 以前、友人に教えてもらった占い屋。ちょっとした囲いがあるだけで、扉も無い、小さなスペース。ちらっと中を覗き込むと、今はお客さんがいないようだった。僕の存在に気がついたおじさんと目が合った。すると、「どうぞ」と言ってくれ、お店の前で躊躇っていた私は足を進ませた。

 これ以上、頼るところが無いんだ。そんな思いを胸に、占い師のおじさんに挨拶をする。

「……えっと、よろしくお願いします」

「はいはい。まぁ座って楽にして」

 言われるがまま、私は椅子に腰を掛け、隣にあったもう一つの椅子に荷物を置かせてもらった。

「それで、今日はどうしたの?」

「ちょっと、仕事のことについて……」

「今、仕事はなにをしてるの?」

「……なにもしていません」

「そっかぁ。じゃあ、とりあえず手相を見せてもらえるかな?」

 おじさんがそう言うので、僕は両の掌を向けて差し出した。おじさんは躊躇いなく僕の手を掴み、まじまじと掌を覗き込み始めた。そしてなにやら、手元の紙にメモを取っている。

「今はあれだね。動くとすぐ疲れちゃう感じでしょ?」

「は、はい」

「精神的にも安定してないみたいだけれど……。お医者さんのところには行ってるの?」

「はい。一年ぐらい前から。今も月一回とか二回ぐらいで通ってます」

「それは、うつ病って言われた? それとも統合失調症?」

「……うつ病、と言われました」

 優しげな見かけによらず、ずばずばとものを言うおじさんだなぁと思った。でも、そのほうが僕も気が楽だし、話も早く進むので丁度いい。

「もし、早めに働きたいっていう気持ちでいるなら、今は長時間の仕事はやめといたほうがいいね。すぐ疲れちゃうだろうから。短い時間の……、そうだねぇ、バイト感覚でできる仕事から始めるのがいいと思うよ。コンビニとかいいんじゃないかなぁ」

 コンビニ店員ですか。えぇ、やってました。好きでした。コンビニバイト。

 お客さんを長らく待たせないような客捌きができたときの達成感。品出しで商品を綺麗に陳列した後の満足感。常連さんとのさりげない会話のやり取り。他にも色々と楽しかった思い出が……。って、あれ? これが適職というものなのか? いやいや。決めつけるにはまだ早い。もう少しおじさんから話を聞き出してみないと。

占い師として……、また人生の先輩としてのおじさんの目を見て、僕は問いかけた。

「あの。僕、読書とか絵を描くことが好きなんですけど、そういった繋がりからできそうな仕事って思い当たりませんか?」

「うーん……。そうだねぇ」

 虫眼鏡を取り出して、僕の掌を真剣に見つめながら、おじさんは言った。

「本に関連する仕事は合ってるかもね。あ、僕の思いつきなんだけど、図書館司書の資格を取ってみるとかどうだろう? あと、もし絵描きをメインに生活していきたいなら、やっぱりそれも短時間の仕事をしながらって感じがいいんじゃないかな? とりあえず、製造業は向いてないみたいだし」

 苦笑いで言うおじさんを前に、僕も苦笑いで返した。そうですね、製造業の派遣バイトの経験もありますけど、延長手続きもせずに長続きしませんでしたから。昔は、「製造業は黙々と、ずっと同じことをしているイメージで、そういった仕事のほうが自分には合っている」と、勝手に思い込んでいた。あのときの体験は、「理想と現実は違う」ということを痛感した出来事だった。

 それにしても、図書館とは。静かな場所が好きな僕は、今までよく図書館にお世話になっていた。にも関わらず、そこで働くという発想は無かった。なにせ、若かりし日々の、元気だった頃の僕の頭の中はスポーツのことばかりで、それ以外のことはあまり考えていなかったから。そのため、スポーツをしなくなってからの僕は、特に考える物事が無くなってしまっていたのである。

「接客業とか営業みたいな仕事もいいとは思うけど、今の状態もそうだし、あなたは気を遣い過ぎちゃうタイプだから、そういった仕事はすごく疲れちゃうと思う」

 ……そうかもしれません。勝手に全力で立ち向かって、そして空回って自滅するタイプな気がします。

心の中がすべて見透かされている感じがして、緊張が走る。初対面なのに、僕のことを昔から知っているかのような……。だけど、不思議と悪い気はしなかった。

「静かなところで、自分のペースでできる仕事ってなかなか無いかもしれないけど、静かに仕事ができる職場っていうのを探してみるのもいいかもしれないね」

 なるほど。……占いが人生相談に思えてきた。というか事実、もはや人生相談になっているのだけれど。

「運動も適度にやっていくといいと思うよ。体力がつけば、できる仕事の幅も増えるだろうし」

 最近スポーツへの誘いが多かったのは、この予兆……? いやいや、それは考え過ぎだろう。でも、最近は体を動かす頻度も多くなってきているし(自発的にではないにせよ、誰かしらが僕を連れていってくれる)、悪いことではなかったのだと思う。

「仕事も安定すれば恋愛の方も上手くいくと思うよ。今、気になってる人とかいる?」

「いませんが……」

 正直に言うと、気になる人はいる。好き、とまではいかないけれど、なかなかに興味をそそられる人が。しかも複数人。そしてほとんどが年下。最近、年下の男の子に目が向くようになった。それも、おとなしめな子である。気が利いたり、優しかったり……。僕が年上だから、遠慮しつつ話を合わせてくれていたのかもしれないけれど、それが僕にとっての癒しとなっていた。それに、別に会話をするわけでもなく、遠目から見ているだけでも「あの子、可愛いな」などと思って、勝手に好意を持つこともある。僕は「綺麗」よりも「可愛い」女性の方が好みなのかもしれない、と今になって思い始めた。……というか、なぜ急に恋愛話? と、困ったような面白いような、不思議な気分になった。

「あなたは……、あれだね。いわゆる草食系の女の子との相性がいいだろうね。あなたは基本的には気が弱いから、気の強い相手はやめておいたほうがいい」

 おじさん……!

 僕は感嘆の声をあげそうになった。上から目線で「よくぞ見抜いた!」と言わんばかりに。僕のことを「気の弱い人」として見てくれた人なんてほとんどいないのに。初対面の人にすら「気が強そう」と言われ続けてきた自分にとって、おじさんのこの一言は、僕の存在証明を呈示してくれたようなものだった。なんだか、自信を取り戻せてきた気がする。

 僕の身を案じてくれるおじさんに惚れそうだ。……いや、それはさすがに気のせいだな。

 僕が今まで付き合ってきた人というのは、同い年か年上で、ほとんどが気の強い人だった。そのため、消極的な僕は自分の意見をはっきりと主張することができず、お願いされたら断ることもできなかった。たとえ、自分がやりたくないことでも。ただ相手の言うことに従い、我慢の日々を送ってきただけである。それでも、相手のことが嫌になっても無理をして付き合い続けていた。それは、僕がはっきりと別れを告げる勇気がなかったからとか、いろんな意味で怖かったからとか、そんな思いがあったから。あまり思い出したくないことだけれど、思い返してみれば、限界までずっと我慢して、やっと別れることができた、という経験ばかりだ。なんとか自分から切り出したり、相手に幻滅されるのを待ってみたり……。そんな様々な、嫌な恋愛経験を経て、僕はあまり恋愛に興味を持てなくなっていったのだろう。

 おじさんは話を続けた。

「結婚線もちゃんとあるから大丈夫」

 いや、結婚願望は今のところ特に無いんですけどね。……と、話が逸れてしまっているではないか。まずは仕事の話でしょうに。

 という、私の心の声を読み取ったかのように、

「まぁまずは仕事のことだね。仕事っていう基盤がしっかりしてくれば、他のことも色々と安定していくはずだから」

 と、補足してくれた。

 なんだか上手く掌で転がされているような感じがした。だけど、それも悪くない。

 最後に。おじさんから、僕の運勢や相関図(?)などが書かれた紙を受け取り、こちらは占い料金を支払い、お礼を言って席を立った。

 生年月日からの運勢や、家族のこと、旅先は太平洋側が良いとか、いろんな話をした。なんだか少しすっきりした気がする。ただ、気になる発言が胸を霞めたが。「そのうち実家を離れたほうがいい。それほど遠くとまではいかなくても、実家と行き来しやすい場所に住まいを構えることが望ましい」と、そんなふうに言っていた。「そのほうが、あなたの心が落ち着くだろう」とも。おじさんに言われたことを鵜呑みにはしない。けれど、参考として心に留めておいた方が良さそうだ。実際、今の家族関係はバラバラで、この状況はいかがなものかと思うので。それに、自身の自立に繋げるためにも今回の話は是非とも参考にさせていただくとしよう。なんだかんだ言いながら、僕の心の奥深くにではあるが、わずかな光が差したような気がした。


 自分の力で生活していくことができてこそ大人だ。と、私は自分に対してそう言い聞かせている。だから、僕はまだ大人ではない。年齢的には大人であっても、親に頼ってばかりの、ただ体が大きいだけの子どもである。そんな自分を恥じている。悔やんでいる。なぜ、もっと早くから大人になる努力をしてこなかったのか、と。だからこそ、これからは立派な大人になるための第一歩として、仕事について真剣に向き合っていかなければならない。いや、立派でなくてもいい。せめて、自分のことぐらいは自分自身で管理、解決していけるような人間になるために。

 誰かに(特に第三者に)意見を求めるということは、大切なことだと思った。もちろん、言われたことをそのまま実行するというわけではないが、その意見や会話の中から新たな案が出てくることもあるだろうから。

 身近にいる人となると、私情で的確な判断が下せなくなったり、事情を知っているからこそのアドバイスになってしまったりするだけで、新しいものを見出す可能性が低くなってしまうため、考えを改めたいと思うなら、さほど親しいとは言い難い人と話してみるのがいいだろう。同情してほしい、話を聞くだけでも聞いて欲しいというときには、親しい人と話すことが良いのではないかというのが私の見解である。

まったく違ったもの。風変りなもの。そういった刺激を受けて人の視野は広くなっていく。その点で言えば、今回の外出や大きな出費は無駄ではなかった。大切なお金を引き換えにするぐらいの価値はあった。

 そんな自己満足に浸りながら、僕は来たときに通った道と同じ道を歩いて戻ることにした。ただ少し、来たときとは違う視点に切り替えて。「あぁ、裏から見たらこんなことになっていたのか」とか「こんなところに細い道なんてあったっけ?」というふうに視線を泳がせていた。

すると、たまたま知り合いが自転車で前から勢いよく、僕のすぐ横を擦れ違っていった。日に焼けて真っ黒な顔をしていたが、昔と変わらず元気そうな雰囲気を放っていた。僕のことにはまったく気づいていなかったようである。声をかけようにも、今の私の反応速度では無理があった。それに、久しぶりに目にする人に話しかける積極性まで失っているのだから、彼に声をかけることなんて到底できやしない。昔の自分ならきっと、素早く呼び止めて話かけていたに違いない。……と、昔のことを振り返るのはそこまでにして、いつまでも過去にすがるのはやめよう。これからは前を向いて、先のこと……、いや、まずは今のことを考えて生きていかなければならないのだから。

 帰りの散歩がてら、僕はお寺へと向かった。

 駐車場までの通り道の近くにある大きなお寺。僕は、その参道を歩いていくことにした。そこで偶然、結婚式のために使うのであろう写真を撮影している現場に遭遇した。和服に身を包んでいる新婚さん。こんな現場を見かけることは滅多に無い。結婚していった友達も、こうして気恥ずかしそうにしながら写真を撮られていたのかと想像したら、自然と笑みがこぼれた。周囲の人達も嬉しそうな、穏やかな視線を向けていた。知らない人だけど、そんな人達の幸せそうな姿を見るのも良いものだ。

 またしばらく歩いて、お寺の本堂へ。「今日の様々なご縁にありがとうございます」と五円玉を御賽銭箱に投げ入れ、今日の感謝を伝えた。しばらく振りの知り合いと擦れ違ったり、たまたま新婚さんの撮影現場を目にすることができたり、新たな発見や思いがあったり……。貴重な体験をした一日だったように思う。

おみくじも引いてみたが、なかなか引くことのないと言われる「半吉」を、また引いてしまった。「これで何度、半吉を引いたことか」と、つい笑ってしまった。ちなみに、おみくじの内容はあまり芳しくないものだった。位置付け的には、大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉……となっていくらしいので(お寺さんによっては順序が違うこともあるらしいが)、とりあえずは、内容と伴っていると言っていいだろう。

 酒はつつしめ。人とのいさかいあり。まじわりもつゝしまざればわざはいは起る。人に憎まるゝ事あり。先輩の前にてことばをつゝしむべし。みだりに人の事など言うべからず。……要するに「口は災いの元」というものだろう。

のぞみ事かなう。失物でがたし。母や伯母、または僧の助けを得るべし。神仏を念ずべし。よろこび事おそし。病人ながびく。待人おそく来るべし。あらそい事かちがたし。出家か女にたのみて吉。

 やうつり、ふしん(普請?)、むこよめどり、就職、たび立、売買……。以上が特に、半吉の運勢になりやすいとのこと。

 おみくじは、なんであんなに平仮名ばかりなのだろうと、いつも不思議に思う。毎回、読みづらいなぁなんて思いながら解読している。漢字だけで綴られている部分もあるのだが、それは一つ一つの漢字の意味を想像しながら自分なりに解釈する。その結果、なんだかんだいって最終的には良くなっていくらしいが、なんというか……、微妙な運勢である。とりあえず今のところはあまり目立たないようにしておくのが良いということだろう。今後しばらくは、ひっそりと行動していこう。

そんなことを考えながら、お寺を出て、近くの売店で数珠を買った。身内や知り合いが亡くなることが増えてきて、その度に、数珠は母から借りていた。ふくさは持っているので、数珠のみを購入。この歳になって初めて、数珠にも男性用と女性用があるということを知った。まだまだ知らないことが多々あるのだろう。やはり僕は、ただの体が大きいだけの子どもである。そんな子どもが死について考えるなどとはおこがましいことかもしれないが、死というものを身近で感じることが多くなってきている今、僕にとって「生死」というものは、考えずにはいられない事柄なのである。売店を出てから「帰りぐらいは、あまり深く考えないようにしよう」と、敢えて周囲の様子や風景などを客観的に見ることによって自分のことを考えないよう努めていた。

……が、車の元に着くと、自分のことを考えないように努める必要もなくなった。「とりあえず目にしたものに集中する」どころか、車内の暑さに身体の感覚をすべて持っていかれることになったからである。こんな晴天の日に、しかも日向に車を長時間置いておくものではない。陽の当たる場所のことを考えていなかったり、サンシェードを付けることを忘れていたり。そんなことがこれまでも多くあった。変なところで考えが浅いのである。学習能力が無いとでも言えばいいだろうか。

 その帰り。

車の窓を全開にして運転しながら、急に、元バイト先の飲食店に寄ろうと思い立った。歩き疲れてお腹も減っていたし、ちょうどいいタイミングだと思って、そのお店の方面へと車を走らせた。

 久しぶりに来たけど、変わらないなぁ。……と思っていたが、それは外観の話だ。まぁ、店内もさほど変わった様子は無かったが、驚いたのは以前よりもメニューがかなり豊富になっていたことである。人も物も変わっていくものだ。諸行無常。

注文しようと思ったら、丁度、見たことのある面影が目に映った。僕がここでのバイトを辞めてからこれまでも長く勤めている人だった。相変わらず元気でやっているようで、その人と少し話をしたが、バイトとして働いていた人も今では社員として働いているという話も聞いた。逆に、私のことも聞かれたので簡潔に説明すると、

「じゃあ、ぜひここで働きなよ! 今、人手が足りなくて。それに、もしかしたら社員登用されることもあるし」

と、力強く勧誘された。確かに元々バイトしていた職場だから、気楽にできそうな気もする。しかし、一度辞めた職場に戻るということはどうなのだろう? と、疑問に思った。まぁ、僕も平然とここへ食事に来ていることだし、それはそれでいいのかもしれないけれど「これまでやってきた仕事とは違う業種をやってみたい」と考えている自分もいて、少々困惑気味であった。そんな半端な状態で決断はしてはいけないな、と冷静に判断をし、「検討してみます」という言葉で濁す。押しに弱い僕は、はっきりと断ることができず、笑顔と共にやんわりと告げて逃げ切った。

 食事を終えた僕は、なぜか突然、「図書館」という言葉が頭に浮かんだ。……図書館。本。書店。調べたいことがあるなら本屋へ行こうか。いや、ダメだ。ざっと本を見ているだけでも、何かしら気になった、考えていたことと関係の無い本を買ってしまう。この欲望を制御しなくては。お金も無いんだし、買ったのに読んでいない本もまだたくさんあるんだから。本屋に行くとしても、それらを読み終わった後にしよう。と、なんとか自制心を保つことができた。そして今度は「図書館司書」という言葉が思い浮かんだ。その資格を持つ人が就くことができる仕事というのは、どんなものがあるのだろうか。どうしたらその資格を取ることができるのか。その資格を取得したという友人もいるけれど、その友人は今、本とはまったく関係のない仕事をしている。機会があれば聞いてみるか、自分でも調べてみることにしよう。だけど、図書館関係の仕事の給与や待遇というのはどんなものなのだろうか。月給はいくらぐらいもらえるのか。また、昇給や賞与ボーナスはあるのか。そして、交通費、残業代は出るのか(そもそも残業があるかどうか)。退職金制度はあるのか。それから、社会保険について。厚生年金や健康保険、その他諸々の社会保険には入れてくれるのか。

 最近、仕事を探していると驚くことがある。それは、正社員にもかかわらず社会保険に加入させてもらえなかったり、交通費を支給してもらえなかったりする会社が多々あるということだ。それに友人の話を聞けば、残業代は出ないわ、日付が変わりそうな時間帯まで働かされることがあるわ……、などという会社もあったという。恐るべしブラック企業。……なんて、他人事のように考えている場合ではない。再就職できた! と喜んで行った先の会社も、聞いていた以上に待遇が悪かった、などということもあるかもしれないのだ。面倒だろうが、求人情報も注意して目を通したり、自分なりに情報収集に努めたりすることも必要であろう。

 そうなると確かに必死になりますよね、笑顔も出なくなるほどに。いろんなことを考えていたら、接客業にもかかわらず無表情で接客する従業員の方々を許せそうな気がした。

 

僕の求職活動のほうはというと。やはり色々と探してみても、自分が思っているような条件の会社は少なく、応募しても書類選考で落とされ、面接までたどり着いても採用されることはなかった。

 なぜだ……。良い条件を求めすぎているのか? それとも、たまたまタイミングが悪かったのか? 運が悪かっただけのか? ……考えれば考える程、次に受けてみようかという会社に手が出しづらくなっていく。「どうせ応募したって、また落とされるんでしょ」とか、採用されたとしても、思っていたよりも待遇が悪かったとか、人間関係のいざこざに巻き込まれるんじゃないかとか、悪い方にばかり考えが向かっていってしまう。職に就くということが、こんなにも大変なものだとは思っていなかった。

 これでも僕は一応、四年制大学を卒業した。それにも関わらず、僕は新卒として就職するでもなく、大学卒業後はフリーターとして、バイトを掛け持ちして生活していた。大学在学中もアルバイトをしていたが、フリーター時代なんかはコンビニから飲食店、居酒屋、ホームセンター、市場での仕分け作業、配達員……、その他の短期バイトなど、様々な仕事をしてきた。それはさておき、就職相談セミナーというものにも行ってみたのだが、僕は就職活動自体しなかったのである。「社会人」というものに実感が湧かず、不安に思って活動しなかった……、というより「できなかった」のかもしれない。一時期の不登校から人が苦手になったという経験もあったので、「社会」という、より多くの人達が動いている世界に入っていくことが怖かったのだと思う。しかも、また「初めまして」から始まる世界なんて……。恐ろしくて堪らなかった。けれど、相手側からすれば、そんなことは関係ない。大勢の中の一人一人の詳細など知る由もないのだから。僕にとって重大な出来事だったとしても、それはただの言い訳のように聞き流されるだけだろう。

 理由はともあれ、就職の機会を逃した僕は、フリーターとしてなんとか生活してきた。家族に迷惑をかけていることも重々承知の上で。様々なアルバイトをしながら、趣味として文章の読み書きをしてみたり絵を描いてみたり。また、友人と共にスポーツをしたり外へ出かけてみたりと、自分が本当にやりたいことやこれまで好きだったことの他に興味が湧くものはあるのかどうか模索していた。結局それが見つからず、ハローワーク(職業安定所)で紹介された会社に縁あって就職した。結局、辞めてしまったけれど。

 フリーターや正社員として働いていたときは、それなりに楽しく仕事をしていたように思う。しかし、諸事情により仕事を辞め、無職になり、やりたいことも見つからず、求職中という状態が長らく続くと、その楽しかった思い出さえ薄れてきた。そろそろ「仕事を探そう」という気力さえ失ってしまいそうだ。そうなったら、本格的に「ニート」ということになってしまう。だが、将来的なことを考えれば働かなければならない。仕事をするとか仕事を探すなどの気力が無くなってしまったら、それこそ私は死を選ぶことになるかもしれない。

 僕が思うに、楽しくできるとかやりがいがあるとか、自分が本当にやってみたいと思うものぐらいしか長期間の勤務は難しい気がする。しかし最近は、笑顔で仕事をしている人なんて、そうそう見かけない。というか、やってみたいと思う仕事を見つけても、採用にまで漕ぎ着くこともできないのだが。それでもとりあえず、楽しくなくても、やりたいことじゃなくても、なんとか仕事を見つけなければ。

 そして今。

 ここにきてまた迷子になり始めた。嫌でも厳しくても、なんとか雇ってもらえる仕事をしなければならない。だがここで、パートでもアルバイトでもなんでもいいから、僕自身がやりたいと思える仕事を探してみるというのはただのワガママなのだろうか、と考えるようになった。それに、嫌な思いをする会社で働き続けられる(仕事内容や人間関係などに耐えていける)自信も無い。しかし、これからのことを考えたら、これ以上ああだこうだなんて言っていられないし……。

 悲観的。否定的。消極的。

 ほらね。結局こうなっちゃうんだ。

 自分の性質や考え方というものは、そうそう簡単に変えることはできない。それでも、ちょっとずつでも変えていってみたい、という自分もいる。やってみたら「意外に上手くいった」なんてこともあるかもしれないが、それこそ賭けだ。そしてなんといっても、その一歩を踏み出すのが怖い。

 学生の頃に何かしらの資格を取っておけばよかったとか、もっとよく考えて、将来を見据えた進路を選ぶべきだったとか、大学なんて行かずに高卒で就職したほうが良かったんじゃないかとか……、いろんなことを考える。過ぎてしまったことだから、もうどうしようもないのに。

 どんどんと深みにはまっていってしまいそうで、結局、僕は書店に足を運んだ。見て回るだけでも気分転換になるだろうと思って。いつも書店に行くと、まずは四六判の文芸書が並んでいる棚を見て、それからエッセイ、文庫、新書、そして漫画などを一通り見て回り、それで欲しい本があれば買うし無ければそのまま帰る。今日は我慢して、見るだけ見て帰ろうと思っていた矢先、ふと友人に言われた「パズル誌」の件を思い出した。

「いい気分転換にもなるし、懸賞品もわりと良いのがあるし。まぁ私は懸賞には応募しないで、解くだけで満足してたけど。家にいる時間が多いなら、パズル誌でもやってみたら?」

 と、勧められたことがあったのだ。その友人が「このパズル誌はいいと思うよ。私も友達から勧められたんだけど」と言っていた雑誌を手に取り、パラパラとめくってみる。……ちょっとやってみようかな。そんな気になった僕は、結局、そのパズル誌を購入して書店を出た。

 本の購入は控えようと思っていた僕の自制心は、一体どこへ行ったのやら。


 家に帰って早速ページをめくり、簡単な問題から手をつける。慣れてきたら、今度は難しそうな問題だけども欲しい景品が当たる問題を探して解き始めた。

 はっきりとわかったことがある。それは、僕が普段いかに頭を使っていないかということ。雑誌に載せられている問題なのだから、解けない問題ではないはず。なのに、始めてからしばらくすると、すらすらと動いていたはずの手が止まる。これは、頭を使った生活をしていなかった証拠だろう。

 思考停止。そうなったら違うページをめくって、「これなら景品も良いし、解けそうな気がする」と思った問題をやり始める。友人は、問題を解くという充実感に軸を置いていたが、僕の場合は懸賞品目当てである。かといって、友人に解いてもらって応募するなどということはしない。それは自分の努力でなんとかするというのが僕のポリシーだから。そう勝手に心に決めている。欲しい物は自分自身の力で手に入れる。それがいかに確立の低いものだとしても。当たりはずれの運もあろう。それはそれで僕の運命だ。運も実力のうち。それに、数を打てばいつかは当たるかもしれない。

 様々なことを考えながら、パズルに没頭していた。


 ある日、僕はふと思った。パズルと人生は似ている、と。

上手く繋がっていくときもあれば、滞ってしまうときもある。自分の考えに合う合わないもあるし、じーっと考えて様子を窺うときもある。一旦離れて、考えを一変させる(固定観念を捨てる)ことが必要なときもあるかもしれない。拒んでいたことを拒む必要があるかもしれない。つまり、「これは絶対に×だ」と考えていた思考を捨てるのである。疑いもせずに×だと思っていたものが違っていたら? そうしたらその×は×ではなく、○になる。

 仕事もそうなのだろうか。

 この仕事は自分には合わないだろう。だからやらない。……実際にやってみたら合うかもしれない。

 あの職場は暗い雰囲気だと聞いた。そんなところで働くのは嫌だ。……他の人にとって合わない雰囲気だったとしても、もしかしたら、自分にとっては気楽にいられる居場所となるかもしれない。

 物事を偏見で固めてしまわないように、「実際に、自分で見聞きしたものしか信じない」などと言っていた私は、「偏見なんか持っていない」「周囲の意見には左右されない」と宣言していたにも関わらず、見事にそれらに捉われていた。とりあえず、それらを認めよう。結局、「僕は偏見を持っていた」と。「自分の気持ちを素直に受け入れず、ただそれを拒んでいただけだ」と。それならば、逆にそれらの思いを拒めば素直になることができる、ということになる。そう受け取ることができれば、何かが変わるかもしれない。これまでの僕は拒むどころか、遠ざけ、逃げていただけである。

 良い仕事が無いと言って嘆いていないで、なんでもいいからやってみるとか、自分の欲する条件を有する会社に、未経験なことだとしても手当たり次第ぶつかってみるとか。とにかく行動。怖くても踏み出すしかない。職場の人間関係だって、実際に勤めてみないとわからない。それこそ運に任せるしかないのだ。数打ちゃ当たる(かもしれない)。今、私がやっているパズル誌の懸賞のようなものだ。

 うつ病だからと嘆いているばかりでは、なにも始まらない。怖がっていてもなにも変わらない。泣きたいときは泣けばいいし、迷惑だってかければいい。きっと、わかってくれる人もどこかにいるはず。バイトでもなんでも、できそうなものをやってみたらいい。胸に抱えたモヤモヤはどうしようもないけれど、もし死にたくなってしまったら、死ぬ前にやりたいことを想像してみようか。そうしたら、いつの間にかそのモヤモヤが軽くなっていたり、別のやりたいことが見つかったりするかもしれないから。「僕の人生は下手したら、まだ半分以上を生きてかなくちゃならないのか」と、ため息が出そうなぐらい憂鬱になっていたけれど、今回のパズル誌の教訓(?)を経て、少しは生きる気力が回復してきたような気がしなくもない。

 もしもまた落ち込んでしまったら……、落ち込んでしまいそうになったら、ペンギンに癒してもらおう。

 羽はあるが飛べない鳥。

 鳥類であっても飛べない鳥はいる。そんな彼等の居場所は、空ではなく、陸。

 これまでの僕は、ずっと空に居続けようとしていたのか。翼が折れても、崖や木の枝にしがみついて、地に落ちないよう必死だったのだろう。今の僕に、そんな努力はもう要らない。翼なんて切り捨ててしまえ。再び空へ舞い戻ろうとする努力をするぐらいなら、地べたを這いつくばってでも生きる努力をしてみてもいいんじゃないか?

僕がペンギンに惹かれるのは、「鳥らしくない鳥類だから」という理由も関係あるのかな。

身の丈に合った生き方は大事なこと。でも、自分らしくない自分もまた一興かと。

つまるところ、「もう、どんな自分だっていいじゃないか!」と開き直った。

僕は「うつ病」といっても「双極性障害(躁うつ病)」といった類なのだろうか? 急にテンションが上がったり、たまに積極的な行動をとったり、えらく肯定的な考え方になったり。結局はその後、どーんと落ち込むことになるのだが。要は、ポジティブなときとネガティブなときの差が激しいのである。もう、その時はその時。

だから今は、今の自分が考えているように開き直る。


 体力や精神力の衰えを感じるのは、年を重ねていくにあたって仕方のないこと。今までのように頑張るというのは無理な話だ。僕は、若い頃のままの気持ちで、そのまま頑張ろうとしていたのだと思う。それこそ人は変わるものだから、今まで通りなんていかない。それを、まずは自分自身が認めるべきだった。

 ここで一度、人生をリセットしたと考えて、もう一度新しい人生を歩んでいってみようじゃないか。これまでの人生では、良い人達に巡り会え、それなりに良い事もあったろう。それはそれで良しとして、次のステップへと踏み出そう。また「いつネガティブの波がやってくるか」という恐怖も、「本当の自分がわからない」なんていう答えの出ない不安もあるけれど、それらと闘いながら、なんとかやっていくしかない。

 今日までの自分は死んだ。

 ただ昔の記憶が残っているというだけで、今の僕はこれまでの自分とは違う。そう考えて生きていかなければ、なんとなく、やってられない気がする。自分を作ろうが作るまいが、ありのままでいようがいまいが、自然に流されようが抗おうが……。どの自分も全部が自分自身なのだ。僕自身が自分自身を認めてやらなくてどうする。人にどう思われようが、自分がこれでいいと思うのならいいではないか。優柔不断なところも、周りに流されてしまうところも、強がってしまうところも、実は弱いのだということも……。どれもすべては自分という存在。

 「私」という人間の人生は、今日から始まる。

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