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海の底から  作者: 涼華
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「本当にいたのかい?どんな女の人だったの?ミカル。」息を切らせながら島の少年は言った。

「髪が長くて、とってもきれいな人だった。早く探さなきゃ。」

「あのサメと見間違えたんじゃないのかい?」

「違うよ。絶対女の人だった。すごくきれいな青い眼だった。」

「そうか・・・」ナイアは黙って、オールを手に取った。

「何してんだい?早く助けなきゃ。」

「ミカル。それは海の花嫁だよ。外から来た君は知らないだろうけど、海の神様の捧げものなんだ。」

「何だい?海の花嫁って」

「うん。」ナイアという少年は話し始めた。島の伝説を。

「じゃあ、この海は、大ザメが治めてるのかい?でも、あの女の人が花嫁だってどうしてわかるのさ?」

「青い眼をしてるって言っただろ。僕のお祖父ちゃんのお祖父ちゃんの父さんが子供のころ、花嫁を見たんだって、やっぱり青い眼だったって。それに、サメがいたろう?あれは神様の分身なんだ。ここいらの島の海には、必ずあの分身がいて、何でも見ているんだよ。君たちのところの神様は違うの?」オールを漕ぎながらナイアは話した。

「う~~ん、そうだなあ。サメがご神体だって神社はあるけど、綺麗な女の人と結婚したら、サメだったっていう伝説ならあるけど。」

「ふ~~ん、僕たちのところと逆だね。」

「もう、帰るのかい?」ミカルは不審そうに言った。海風が、少年の赤茶の髪を靡かせた。

「うん、海の花嫁を見たってことは、大ザメの神様がすぐ近くにいるってことさ。そこに入っちゃいけないのさ。」

「祟られるのかな?俺たち?」ミカルは声を潜めた。

「大丈夫だよ。悪いことさえしてなきゃ。」ナイアはのんびりと答えた。

「黙ってた方がいいよな。」

「そうだね。」ナイアも頷いた。


 ああ、去っていくわ。彼女はほっとした。島の人間が結界のすぐ近くにくるなんて。彼女はそう思いつつも、赤茶色の髪の少年に興味がわいた。

 その次の日も、また次の日も、彼女はカヌーに出会った場所に行ってみた。しかし、何も見つけられなかった。


 南太平洋には数多くの島がある。その一つがナイアの住んでいる島だった。台風が過ぎ去った後浜辺に異国の少年が打ち上げられていた。少年の名はミカルといった。年の近かったナイアとはすぐ仲良くなった。

 しかし、ミカルの様子がおかしいのでナイアは心配していた。

 今日もミカルは、ぼんやりと海の彼方を眺めている。

「どうしたんだい?ミカル、ここんとこ、ずっとおかしいよ。」

「大丈夫だよ。ちょっと、故里が恋しくなったのさ。」

「そうか。でも、ここが新しいミカルの故郷になればいい。」

「ありがとう。ナイア。」

「でも、少しほっとしたよ。」

「なにが?」

「海の花嫁を見てから、おかしくなったみたいだったから、心配してたんだ。魂を取られたんじゃないかって・・」ナイアは声を潜めた。

「え、あの女の人はそんな怖いものなのかい?」ミカルはぎくりとした。

「そんな言い伝えはないけど。もし会ったら、大漁になるんだって。」

「じゃあ、良い人じゃないか。」

「うん。」

 ナイアはカヌーの手入れを始めた。ミカルも手伝った。


 ナイアの言う通りなんだろうな。ミカルは思った。あれ以来、あの美しい女の姿が忘れられなくなっている。目を閉じると瞼に焼きつき、夜は夜で、夢の中にちらついた。もう一度会いたい。そう思った。だが、島の人間が恐れているところに誰が連れて行ってくれようか。ミカルはこっそり、捨てるはずだったカヌーを手に入れ、サンゴ礁の干潟に隠し置いた。この事がばれれば、追い出されることは間違いない。しかし、会いたいという気持ちが罪に勝った。

 カヌーが出来上がると、夜な夜なミカルは外海に出た。結界の近くだと言われる海に、もしばれても、その時は仲間のところに行きたかったと言えばいい。そう思った。仲間をだますことを、掟で禁じている島の人間とは異なり、やはり外の世界から来た少年は、嘘をつくこともいとわなかった。いや、嘘が罪だということはわかっていても、あの美しい女に会いたいという気持ちの方がはるかに強かった。例え会えたとしても、それがどうなるものでもないとしても。


 ある夜、彼女はサンゴ礁の上に居た。今は潮が満ちている。分身はサンゴ礁の外で待機している。遅い月が登ってきた。海を渡る風が優しく髪を靡かせる。今宵は、一晩中星を眺めていたい。その時、きしむ音が聞こえた。オールを漕ぐような音だった。彼女は音のする方向を見つめた。カヌーがやってくる。島の人間が夜サンゴ礁に近づくことはないはず、一体何者だろう。彼女は分身を呼ぼうとした。侵入者の顔が見える。見覚えのある顔だった。


 少年も呆然としている。夢にまで見た女にまさか会えるとは思わなかった。急いでサンゴ礁に飛び移りカヌーを引き上げる。

「待って、逃げないで。」思わず故郷の言葉で叫び、慌てて、ナイアの島の言葉で言いなおした。

「逃げないで」

 切ない声だった。彼女は腰をおろした。

 通じたんだ。ミカルは安堵し、改めて彼女を見つめた。本当に美しい人だった。どんな言葉で飾っても陳腐に思えるほどその人は美しかった。

 彼女も少年を見つめた。白い肌、彫りの深い顔立ち、赤みがかった茶色の髪、彼女は、興味の湧いた訳を知る。この少年は、故郷の人間を思い出させるのだ。

「ごめんなさい。驚かして」少年は赤い顔をして謝った。女は微笑みを返す。

 何と美しい人だろう。ミカルはしげしげと彼女を見つめた。

「え~と、ぼ、僕はミカル。父さんの名前をもらったって聞いてます。みんなに変な名前だって言われたけど」自分でも何を言ってるんだと少年はまた赤くなった。

 彼女が驚いて見詰めている。この子は、ポルトガル人との混血なのね。大天使ミカエルの名前をもらったのだわ。

「やっぱり変な名前ですよね。」

 彼女は首を振り、にっこりと笑った。少年も微笑んだ。

「僕が生まれてすぐに母さんが亡くなったんで、僕、父さんを探しに八幡船に乗ったんです。でも、漂流して、ここまで流されたんです。みんなとも逸れて・・・」

 何だか自分ばかり話している。少年はそう思ったが、間が持てない。


 分身が待っている。それにもう、これ以上、海の上にはいられない。彼女を立ち上がり、海に飛び込んだ。

「明日また会えますか。」

 彼女は首を横に振った。

「じゃあ、明後日。」同じだ。「明々後日」・・・

「7日後」縦に振ってくれた。

「場所はここ?」彼女は頷く。やったぞ。少年は小躍りしている。

 その間に、彼女は波間に消えた。

 なんて素晴らしい。夢じゃないだろうか。しかし、少年は、急いでカヌーをおろし、帰途についた。今戻れば、ナイアたちに気づかれずに済む。


 7日目の夜、少年はそっと島を抜け出した。新月だった。カヌーを出し、音を立てないように沖に向かう。星を頼りに、海の花嫁のいたサンゴ礁に向かった。沖に出ると一気にオールを漕いだ。力一杯漕ぐため、息が苦しくなった。胸がドキドキする。胸のときめきは、オールのせいだけではなかったのだが。ようやくサンゴ礁が見えてきた。満潮のせいか、サンゴ礁は天辺が見える程度だ。ぶつけたら一たまりもない。しかし、怖さよりも会いたいという気持ちの方がはるかに強かった。


 カヌーが近づいてくるのを、海底で彼女は分身と一緒に見ていた。一隻だけだ。しかし、仲間を連れてくるかもしれない。耳を澄ます。しかし、それらしい音は聞こえない。彼女はほっとした。考えてみれば、大ザメの海に住んでいる島の人間が、夜、船を出すはずもないのだ。


 少年はカヌーで待った。水が跳ねる音が聞こえ、星明りの海に女の姿が浮かび上がった。女は何かに横座りしている。目を凝らすと、それはサメだった。やはりこの美しい人は、海の花嫁なんだ。少年は改めて思った。

「こ、今日は。」ミカルは口ごもりながら言った。そして、今晩はじゃないかと思い、真っ赤になった。

 そんなうぶな様子が可愛らしく、彼女は笑った。無聊をかこつために、気の置けない友達を作ったとて、何が悪かろう。

 笑った顔も何と素敵な人だろう。少年は見つめている。

「あなたのことが知りたいな。」ミカルはそう言ってから、不躾かなと不安になった。

 私も外から来たのよ。彼女はそう言った。しかしそれは声にならなかった。ああ、自分はやはり海のものなのだ。陸の人間と友達になれるはずがない。彼女は海に潜った。

「待って、行かないで、海の、海の姫君」ミカルは思わず叫んだ。

「どうして姫君というの?」大ザメと同じ呼びかけに、彼女は思わず答えた、海の中で。

 低くしっとりとした声に、少年は聞き惚れた。

「だって、とても気品があって、優雅で」ああ、もっとなんで気の利いたことが言えないんだ。ミカルは自分が情けない。

「ありがとう。でも、会えないわ。会わないほうが良いのよ。」

「そ、そんな・・・」やはりこの人は、大ザメのものなんだ。ミカルは覚り、かつて経験したことない気持ちに襲われた。

「最後にもう一度だけあってください、次の新月の時に、お願い。」

 彼女は思わず頷いた。


「大丈夫かい?ミカル?」ある日ナイアが話しかけた。

 ミカルは黙ってカヌーの手入れをしている。

「少し前元気になったと思ったら、また落ち込んでんの。やっぱり故里病って、酷いのかなあ」

「何だい。故里病って」

「君みたいに故郷が恋しくて、病気になっちまう奴が多いんだよ、流されてきた人間には」

「ふ~~ん」ミカルは上の空だ。彼の悩みは故里病ではないから「故里病にかかるとどうなるんだい?」

「沖にふらふらって出て行って、戻ってこない。」ナイアは眉をひそめた。「君がそうなったら、やだよ。せっかく友達になったのに。気晴らしに、漁に出ないかい、伯父さんたちも一緒に行くんだ。君もおいでよ。」

 そうだ。気晴らしになるに違いない。ミカルは頷いた。


 その日、空は澄み渡り、素晴らしく良い天気だった。澄んだ海に、魚の影が良く見える。

「ミカルは目が良いな。」ナイアは感心している。

「俺の故郷の海は、こんなに澄んでなかったからね。」ミカルは元気よく言った。やっぱり外に出てよかった。ミカルはそう思った。

 その時だった。急に黒雲が沸き上がり、闇が立ち込める。

「な、なんだ?」カヌーに乗った島人の怯えた声が響く。

「うろたえるんじゃない。」長の声が響く。「嵐も一瞬じゃ。船を立て直して、オールを流すな、バラバラになっても、星を見て帰ってくるんだぞ。」

 これはただ事ではない。ミカルはそう思った。カヌーは木の葉のように揺れている。渦が巻き起こった。飲み込まれれば一たまりもない。あの難破した時化以上の恐怖が、ミカルを鷲掴みにする。と、渦の中心に黒い影が浮かび上がってきた。それはミカルが見たこともない大ザメだった。

「おお、」人々の声が上がる。「海の神が・・・」

 大ザメはひたと少年を見据えている。

「大ザメ!」ミカルは叫んだ。「悪いのは俺だ。島のみんなを巻き込まないでくれ!」

 ミカルは荒れ狂う海に飛び込んだ。渦が巻き起こる。少年は悲鳴を上げ、渦に飲み込まれていく。

「ミカル!ミカル!」飛び込もうとするナイアを、大人たちが押さえつけた。

「ミカルはもう助からん。お前まで死ぬぞ。」

 ミカルを飲み込んだ渦は消え、海は何事もなかったかのように凪いでいた。雲も晴れ、青空が広がっている。

「ああ・・・」大人たちはうめいた。「大ザメさまが連れて行った。何があったんだナイア?」

「海の花嫁をミカルは見たんだ。僕と・・・僕と漁に出た時、僕は見なかったけど・・・」

 ナイアは泣きじゃくった。

「花嫁の所にでも連れて行ったんだろか?」大人たちは顔を見あわせた。


 しかし、次の日、ミカルは島にうちあげられた。

 サメになってしまったのかと心配したナイアだったが、その印はどこにもなかった。そして、ミカルは海に入ってもサメに変身することはなかった。ただ不思議なことに、海の花嫁のことはほとんどミカルの記憶から消えていた。

「あった。ってことは覚えているんだけど、」ミカルは照れくさそうに言った。「どんな女の人だったか覚えてないんだ。」

「あの後、故里病になったんだよ。」ナイアは言ったが、ミカルはそれも覚えていないようだった。

「そらお前、」ナイアの伯父がナイアの肩を叩きながら笑って言った。「故里病じゃねえ、恋煩いだ。大ザメさまに治してもらったんだろうよ。」



「人間の小僧にちょっかいを出すなんて」その夜、大ザメは彼女を腕に抱きながら、意地の悪い笑いを浮かべた。「とんでもない女だ。」

「友達になりたかっただけよ。」彼女はバツが悪い。

「友達?友達なもんか。あの小僧、夜な夜なお前を探し回ってたんだぞ。」

 彼女は思わず起き上がった。

「小僧の初恋だ。一目惚れだろう。」俺と同じだ。大ザメの眼がそう言っている。彼女は赤くなった。

「あのまま会ってたら、おそらく小僧は生きてはいまい。」

 恋に身を焦がし、寿命を縮めた話はいくらでもある。

「お前が小僧に惹かれた訳も分からないでもないがな」

「あの子は、ポルトガル人との混血よ。私とは同じ外の世界の人間だったから」

「違うさ」大ザメは笑い、彼女を抱き寄せた。「あいつ、この俺に向かってきた。悪いのは俺だ。みんなに手を出すなって、出会ったころのお前そっくりの気の強さだったよ。」

 彼女の頬が染まる。

「でも感謝してるわ。」

「何が?」

「あの子を・・・殺さなかったから。」

「そんな事をしたら、お前二度と俺と口も聞くまい?」大ザメはニヤリと笑った。そして真面目な顔になって付け加えた。

「プランセス。お前が悲しむことを、俺ができると思っているのか。」

 その通りなのだろう。彼女は自分が恥ずかしくなった。

「もう、人間とかかわるなよ。」

 彼女は頷いた。

「焦らなくても、いずれは返るんだからな。」

「わかってるわ。」涙があふれ出した。

「バカだな・・・」

 泣いている女を海の精は、そっと抱きしめた。テーブルサンゴの上に、その夜も青い海の光が瞬いていた。

 夏があまりにも暑かったので、スキューバをやりたいなあ・・・と、サンゴ礁の写真を見ながら、思いついた話です。ポリネシアの伝説だと、サメが神様で美女を誘惑するらしいので、こんな話もあったかもしれないと思って書きました。

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