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海の底から  作者: 涼華
5/7

3-1

「なんてことを言うの、罰当たりな!」いくら異端の神とは言え酷すぎる。

「島の連中は魚を取って暮らしている。だが、お前たちは土地に縛り付けて暮らしてるじゃないか。」

「土地を耕していることね、それは当たり前のことだわ。島の人間が怠け者なのよ。」

「上がりをかすめ取っているお前たちに言われたくはないだろうよ。」

 彼女は怒りのあまり言葉が続かない。

「島の連中も俺たちの仲間も、魚を取っている。腹が一杯になるまで食って、食い終わると、また腹が減るまでのんびりしてるさ。」

 何と怠け者なことだろう。

「怠け者かも知れんが、毎日あくせく働くのがそれほど大事か?」

「当たり前でしょう。勤勉は美徳だもの。」そう言いつつも、自分が何もしていないことに気がついた、陸でもここでも。

「美徳か。でもなぜ働かなければならないんだ。」

「それは、土地は耕さなければならないのよ」

「なぜ?」

「なぜって、枯れてしまうからよ。」

「なぜ枯れるんだ?」

「それは・・・」なぜだろう。彼女は言葉に詰まった。

「弱いからだろう。」

 思っても見ない言葉だった。

「弱いから、人のそばでないと生きていけないのさ。その弱いものを生かすためにお前たちは、土地に縛り付けられるのさ。」

「それと神と何が関係があるの?」

「雨が降り続いたり、全く降らなかったらどうする?島の連中だったら、別の島に行くだろうが。」

「土地を捨てることなどできないわ。」

「じゃあ、どうするんだ?」

 彼女は言葉にできなかった。

「神に祈るんじゃないのか?」

 その通りだった。

「島の連中みたいに暮らしていれば、俺たちはすぐそばにいる。島の連中だって祈るさ。魚が取れますようにと、でも、取れなくてもさほど苦にならんのさ。取れれば幸せ、取れなくても幸せ、晴れてれば幸せ、雨が降っても幸せなんだ。連中が苦しむとしたら、恋の悩みぐらいだろうよ。だが、プランセス、お前たちの祈りは違うはずだ。」

「そうよ。そんな怠け者たちと一緒にしないで」

「お前たちの神は、お前たちが土地に縛り付けられてからやってきた。お前たちは自然に逆らうようになった。だから、許してもらいたくて祈っているのさ。」

「そんなこと・・・」彼女は小刻みに震えた。神がいないなどとそんな怖ろしい言葉は聞きたくない。しかし、人間から言われたことならば、嘘だと一笑に付せられるが、相手は海の精なのだ。

「可哀想に、こんなに震えて。」海の精は、彼女をそっと抱きしめ、震えが止まるまで、髪を撫でた。

「あなたは意地悪だわ。本当に神様なの?」甘えたような口調になり、彼女は戸惑った。

「打ち解けてくれて、嬉しいぞ。」大ザメはニヤリと笑った。

 テーブルサンゴの周りに、かつて沈没船の中で見た青い光が煌めいている。まるで星空のようだった。そう言えば、星空を眺めたのは、一体いつのことだっただろう。陸にいた時も、船の時も、星をゆっくりと見る時間など無かったのだ。

「星が見たいわ。」思わず言葉が出た。

「じゃあ、行こう。」海の精は彼女を抱き上げた。

「いいの?海面に出ても?」

「行くなとは一度も言わなかったぞ。ただ、お前はもう海のものなんだ。長くは居られない。そこは気を付けてくれ、陸に上がった魚がどうなるか、お前も知ってるはずだ。」

 彼女はかすかに震えた。

 海面に出る。海も空も深い藍色に染まり、海の底と同じ色だ。潮風が頬に当たる。少し寒いぐらいだ。彼女は空を見上げる。本当に降るような星空だった。沈没船の宝石の輝きよりも強く星が煌めき、眩しい。陸で見た時はこんなに眩しかっただろうか?

「美しいだろう?」

「ええ、こんなにきれいだったのね。」陸にいる時に気づいていれば別の人生があったのだろうか。

「お前はいつも無いもの強請りだな。」彼女を背に乗せたまま大ザメは話しかけた。

「あ・・・そんなこと」彼女は口ごもった。でもそれは、大ザメの言う通りなのかもしれなかった。


「もう帰ろう。」大ザメが促した。

「昼間も外に出てもいい?」まるで子供だと彼女は思う。

「いいさ。気を付けてくれるのなら。」


 次の日、大ザメは彼女をサンゴ礁の海の外に連れ出した。太陽が白く輝き、どこまでも青い空が広がっている。彼方に白い雲が見える。サンゴ礁はエメラルドグリーンに外海は、群青色に染まっていた。楽園とはこんな世界を言うのだろうか、彼女は息をのんだ。

「美しいわ。サンゴに登ってもいい?」

「ああ、いいとも」大ザメがあっさりと許したので、彼女は戸惑った。

 海面につきだしたサンゴ礁には、くぼ地があり小さな魚たちもいる。凹凸のあるサンゴを歩いていると、なぜか体が重かった。髪の毛もべたりと張り付き、潮風に固まって重い。彼女はサンゴに腰かけ休むことにした。

 どうして体がこんなに重いのだろう。

 潮風が優しく吹き、さざ波をサンゴのくぼ地に立てている。彼女は固まった髪を指先でほどき、潮風に靡かせた。濡れていた髪はすぐに乾き、風に舞っている。太陽の光に染められ、見渡す限り青く美しい世界が広がっている。澄み切った大気、芳しい潮風、海の外も中もこれほど美しい所だったのか。陸にいたころ、暗い広間であの重いドレスに身を包み、なんと息をひそめて自分は暮らしてきたことだろう。

「戻れ!早く!」大ザメの声がした。

 ただならぬ口調に、彼女は立ちあがったが、足がふらついてうまく歩けない。大ザメが呼んでいる。早く戻らなければならないのに、なぜか体が動かない。いったいどうしたことか?彼女はよろめきながらサンゴ礁の上を歩いた。

 大ザメは舌打ちすると、半人半魚の姿に変わり、サンゴ礁の上に飛び上がった。大股に彼女に近づくと、すぐさま抱え上げ、海の中に放り込んだ。すぐに彼も海へ飛び込む。

「何をするの。」

 大ザメの姿に戻った彼は、彼女を背に乗せ、海に潜ると、サンゴ礁から離れ始めた。

「どうしたの?」

「引き潮だ。俺も迂闊だった。」

「それが何か・・・」いけないことでもあるのだろうか?

「大いにまずいさ。サンゴ礁にお前は取り残され、息ができなくなる。」

 彼女はぞっとした。

「可哀想な目に遭わせたな。もっと注意してやればよかった。島の女たちとは違うのだから。」

 島の女は、引き潮を知っていて、帰る時期もわかっているのだわ。でも、海の精なのに、引き潮を操れないのだろうか。

「残念ながら」大ザメは笑った。「引き潮は月の精が起してるのさ。俺たち海の精の範疇じゃない。」

「俺たちが操れるのは、潮の流れや天候なんだ。全部できる訳じゃない。」

 不思議な話だった。精霊とはいえ万能ではないのだ。

「なぜあんなに体が重かったのかしら。」

「お前はもう、海のものだから」

 彼女は頷いた。そしてとても疲れていた。

 テーブルサンゴのベッドではなく、その下の海底の白い砂の上に彼女は横たえられた。深く交わったあの夜のように。はしゃぎ過ぎて熱を出した子供のようだ、と思い、彼女は恥ずかしくなった。

「疲れたか?」海の精は彼女の額をそっと撫でた。「ゆっくりお休み、俺のプランセス。」

 その声は彼女には届かなかった。深い眠りに捕らわれていた。


 可哀想な目に遭わせてしまった。

 海の精は、彼女の寝顔を見ながらため息をついた。こんなに疲れさせてしまって。サンゴ礁の上の、髪を靡かせる様があまりに美しく、見とれていたために、引き潮の時を忘れてしまったのだ。俺としたことが。彼は思う。この娘は島の女ではない。改めて思い知らされた。島の女たちならば、潮を知り尽くしている。帰る時期もわかっているのに。しかし、この娘は本当に何も知らないのだ。海のことはもちろん、陸のことさえも。薄く額に汗をかき、女は深く眠っていた。女のもつれた髪を手で梳きながら、彼はその寝顔から目が離せない。眼を離したら、その間に泡のように消えてしまいそうだった。俺も焼きが回ったのかと苦笑しつつも、一抹の不安がどうしてもぬぐえない。それは彼女が結界の外から来た女だからかもしれなかった。


 その日以降、晴れると、時々彼女は海面に出るようになった。彼女のお気に入りの場所がもう一つ増えたのだ。ただ、サンゴ礁には近づいても、分身の背から降りることはなかった。分身は決まった時間だけ彼女を乗せて海の上に漂い。それが過ぎるとすぐに海中に潜った。彼女もそれに従った。きっと、大ザメが私を疲れさせないようにしているのに違いない。


 その夜、空は曇っていた。降り出した雨はすぐに土砂降りとなり、海面が泡立っている。しかし、テーブルサンゴのベッドの辺りには、何の変化も見られない。海は静かだった。月も見られないため、深い闇が広がっている。隣にいる大ザメの姿もよく見えない。彼女は手を伸ばした。

「どうした?」手が触れると大ザメは、彼女の手を取り抱き寄せた。

「何も見えないから」彼女はささやいた。

「お前、言いつけを守ってサンゴ礁には近寄らないんだな。」からかうような口ぶりだった。

「私は臆病だわ。」なぜか悔しくなる。

「臆病なのは悪いことじゃない。ここで生きるには用心深さが必要なんだ。」

 交わりの日はまだ先だったが、こうして相手の腕の中にいると、身も心も満たされるような気がする。彼女は眼を閉じた。


 その夜以降、空は曇るようになり雨の日が多くなった。空も海も鉛色になり、彼女は陸の故郷の空を思い出した。雲や霧がかかり、憂鬱だった日々のことを。

「曇り空ばかりだわ。」

「台風を呼んでいるのさ。」

「台風?」

「嵐のことさ」不思議な名前だった。

「どうして?」また帆船が入ってきたのだろうか。自分の時のように。そして、海の底に沈める気だろうか。

「いや、違う。季節を回しているだけさ。」

「嵐が必要なの?」

「そうだ。」

 不思議な話だった。雨は必要だけど。嵐は・・・

「これからずっと曇りなのね。」

「晴れる時もあるだろうさ。」

「でも、月が見えないわ。」

「交わりの日を気にしてるのか?」大ザメは笑った。

 彼女は恥ずかしくて仕方がない。

「俺たちは、月が見えなくても満月は探知できる。心配するな。」

 何と不思議なことだろう。月の満ち欠けは、暦を使えば自分でもわかるけれど、ここで暮らすようになってから、彼女は今が何月なのかわからなくなっていた。それどころか、今が春なのか冬なのかすらわからない。南太平洋の海はいつも暖かく日差しも強い。時が止まってしまったような感覚に襲われる。

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