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ラブカクテルス その77

作者: 風 雷人

いらっしゃいませ。

どうぞこちらへ。

本日はいかがなさいますか?

甘い香りのバイオレットフィズ?

それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?

はたまた、大人の香りのマティーニ?


わかりました。本日のスペシャルですね。

少々お待ちください。

本日のカクテルの名前はラスイチでございます。


ごゆっくりどうぞ。



俺は慎重に辺りを見回した。

どうやら巻いたようだ。

暗がりに隠れながら、俺はなるべく音を立てないようにして夜の街の裏通りを進んだ。

そして胸ポケットにそれがちゃんと入っているかを確認しながら、その肌触りにホッとするのだった。


近年、何だかんだとあらゆる資源が底を尽き、色々なものがなくなり深刻な問題を抱えた世の中となった、まさに世紀末。

それでも人間は頭を使い、最新のテクノロジーのおかげで食料は人工的生産物に頼ってはいたものの、どうにか混乱が起きるほどの問題にもならずにその安定さを維持できていたし、飲み水も増える一方の海水から塩を取り除くシステムで、水、塩の両方を得ることに成功していた。

しかし昔、バックや着る物を作るのに使っていた革と呼ばれる素材は今はない。

強い伝染病のおかげで全てのその元となる動物は死に絶えて燃やされてしまったため、その特徴すらデータの中でしかわからない物となってしまった。

他に岩と呼ばれるものも半世紀前には全てが砂利として使われたせいで無くなり、今はストーンハンターなどという、地底に潜っては岩石を掘り出す商売まであるが、それは極めて危険な仕事として有名で、もし岩石が見つかろうものなら、かなりの高値で取引されて、大きさによっては一生それで暮らして行けるとかいないとか。

そして、今一番消滅の危機に晒されているのは紙だった。

紙はパルプから作られ、昔はかなりの量を生産し、その使い易さ故にどこでも誰もが気軽にそれを扱い、そして処理も再生が効き、汚れれば燃やすという簡単さが、粗末に使う事を当たり前にしていた。

そして人間はパルプを全て使い尽くし、でも再生すれば大丈夫と、危機感も持たずにトイレ、はたまた鼻かみ、はたまたテーブルの汚れ拭きと使いに使いまくり、だんだんと入手が困難になってきた時、人間はやっとマズイと気付き、しかしもう遅かったのだった。

紙と呼ばれるものはこの世に最後の一枚、つまり俺が持つこの一枚となった。

俺はなんとか地下にある下水道に潜り込み、街を出ようと足元が悪いレンガでできた回廊を必死で走った。

しかし皮肉なものだ。

昔はこの汚れた下水道の川の中を紙達はポイポイと捨てられて流されていたというのに、今は俺のポケットに丁寧に畳まれた上、大事にそして貴重に扱われ、守られている。

そう、この最後の一枚を狙うあの野蛮な奴らの汚れた手から。

全身を黒いスーツで身を覆い、目には黒いサングラス、当然とばかりに足元には黒いエナメル靴、そして黒い銃。

奴らはあの欲張りで意地汚い闇の支配者に雇われた、極悪非道の手下達だ。

奴の命令のためなら人の命すら返り見ないその野蛮さは、こっちの世界では誰もが知っている事だった。

そう、こっちの世界、それは裏社会。

俺の仕事は政府御用達の運び屋だ。

いつでもヤバいブツばかりを運んできた。

そして今回はこの最後となった貴重な紙だ。

俺はそろそろの筈の街外れ辺りのマンホール下まで辿り着き、約束の場所とはかなり遠回りにはなったが、ここでルートを目的地に修正すべく、地上に出る事を考え、慎重に鉄でできた手摺を掴み、マンホールまでの梯子をなるべく音を立てずに登り始めようとした。

しかしその時、その手摺が長い年月、誰も使っていなかったせいなのか錆がひどく、ササクレ立っていたために俺の手はそれに刺さり、指からは血が出てきた。

俺は反射的にポケットに手を入れ、例の紙で出血した指を押さえようとしたがそれが最後の一枚の紙であることを思い出し、危ういところでそれをポケットの中へ仕舞うのだった。

人間の今までの習慣とは恐ろしく不注意で、反射神経と繋がって体を勝手に動かしてしまう自分自身に、俺は改めて警戒心を持った。

俺はズボンのポケットに入れていた携帯消毒保護スプレーを指に吹きかけると、腕時計にある仕掛けの一つ、立体地図を広げ、この近くに他のマンホールがあるかどうかを調べ始めた。

そう。昔はこんな地図も紙に書かれてあるものが当たり前だったが、データモジュールという立体映像がその代わりに出てきたおかげで、ものを書留る、または描く、などの書くという行為は全て紙が無くても問題なくできるようになった。

しかし実際こっちは書く、というよりも想い浮かべると言ったほうが正しい。

思考センサーに向けて描きたい、又は書きたいことをイメージすれば、センサーがそれを受け取って映像化する。

誰でも簡単に、そしてキレイに文字や絵がデータとして残せることとなる。

それに、誰もがこの装置を備えた何かを持っているため、前のように情報を一枚一枚紙で配られて見るのではなく、受信という形に変えてそれらを共有することができ、そのおかげで紙の需要は拭き取るという役目のものが中心になった。

それが簡単に捨てられるものになる大きな原因となったのだった。

そんな事を考えながらデータの地図を頼りに次のマンホール下まで俺は走り、その地点で念のために地図をリアルに設定した。

これは衛星を使って、データが見せている地図の現在の様子を映像化してそれに加え、まるで自分がそこを上から覗いているかのように、周辺の情報を細かく知ることができる仕掛けで、これは危険を伴う俺の仕事には欠かせないアイテムだった。

しかし一般の人にはあまり知られていないもので、とは言え、逃げるか追うかのこと以外に使い道はないのではないだろうか?

俺は青く光るその立体液晶を覗き込んだ。

周囲500M、どうやら上には怪しい人影は無さそうだ。

俺はまた手摺りの錆がササクレ立っていないかを確認しながら地上へと上がり、目的地に向けて細心の注意を払いながら、そろそろ夜が明けそうな青白くなってきた空の下、ゴツゴツした舗装もない道に足取りを急かして走り出した。


朝が来ると俺は、安いモーテルに潜り込み、身を隠した。

しかしモーテルといっても普通の部屋に入るのではなく、そこにある隠れ家なる秘密の別室が毎回任務ごとに俺には用意されていて、そのリストは依頼の時にデータとして送られてくる。

店の主人は俺がそこに近づいてくると、そのデータが例の腕時計式の装置を通して発するサインを受け取ることにより、スムーズな受け入れ態勢をとって迎えてくれる手筈となっていた。

俺はトイレとバスタブがある、狭いが体を休めるには十分な部屋でしばし仮眠をし、また夜が来てからの移動に備えようとした。

奴らから身を守るには闇に隠れての方が明らかに安全だからだった。

俺は着ていた服をそのままに、ポケットにそっと手を入れ、紙の感触を確かめながらそれが放つ、言いようのない安堵感に何だかホッとしてベッドに横たわると、なるべく緊張をほどかずに眠りに着こうとした。

するとドアをノックする乾いた音が静寂の中に響き、俺はベッドから床に転げ落ちると、もしもの時に備えてそのベッドの影に身を隠した。

腰に忍ばせた銃に手を当てて、しばらく様子を伺っていると、そのうち小さく、か細い子供の声が食事を運んできたと告げているようだったので、俺は用心しながらドアの覗き窓に顔を近づけると、確かにそこには歳が十歳くらいだろうか、青いワンピースを着た女の子が軽い料理の二皿程載ったトレイを持ったまま、ドアの前に立っていた。

俺は周りの様子や、彼女の表情をしばらく観察してみた。

しかしどうやら問題がなさそうだった。

俺は確かに空腹である腹が食事を求めている事を思い出すように気付き、それを受け取ろうとドアを開けた。

女の子は丁寧にお辞儀をすると、父親からこれを持って行くように言われたと、私にめいいっぱい背伸びをしながらそのトレイを俺に差し出してきた。

俺はそれを片手で受け取ろうとすると、女の子は少し早くトレイから手を放したせいでそれが傾き、俺は反射的に両手でトレイを持つと、女の子はナゼかにこやかな顔をした。

そしてその瞬間、俺に強烈な痛みが走り、体からいきなり力が抜けると、そのま

ま食器が割れる音と共に俺は倒れ込んだ。

女の子はそんな俺を上から覗き込み、ニヤニヤ笑っている。

俺は何とか動く口を開いて、その女の子になぜだと聞くと、その子は俺に知らないのかと不機嫌な顔で言った。

どうやら彼女はあの闇の支配者の娘らしい。

そして俺に紙を渡すように言うので、俺はそれを何に使うつもりか教えろと言った。

女の子はいたずら好きな顔で、パパが鼻をかみたいって言ってたと笑いながら言ったので俺も最後の力で笑った。

二人はしばらく笑っていたが、その子はいきなり恐い顔をして俺に何がそんなに可笑しいのかと訪ねてきたので俺は笑うの止めずにその子に言った。


残念だった。お前のパパが使う前にお前が俺の胸を刺したせいで紙は俺の血を吸って真っ赤なクズになってしまったよ。そんなガビガビな紙で尻を拭くのも悪くないかも知れないがな。


俺のそんな皮肉に女の子は、クソッと悪態をついたみたいだったが、俺の記憶はそこまでだった。



政府の要人が、闇の支配者に運び屋が仕留められた事を聞いて、そのモーテルにやって来た。

入り口からそこの主人であろう亡骸が倒れていて、その先の秘密の隠れ家には横たわる無惨な姿の運び屋の体があり、その男は運び屋の胸を探り、例の最後になった紙を取り出した。

それは血で染まった真っ赤な色で、しかし丁寧に畳まれていた様子から、運び屋が必死になって任務にあたっていた事を物語っていた。

政府の要人はしばらくその紙を見つめると、なんとその紙をビリビリと破き始めてこう呟いた。


間に合わなかったか。

紙によって人の命が捨てられるなんて、ひどい世の中だ。


そして片膝を降ろした政府の要人は、運び屋に向かって手を合わせると、そのやるせなさに被っていた帽子を深く下ろし、また呟いた。


先ほど分かった事だが、この世の中にいる本当の、赤い血を流す生身だけの体を持つ人間は俺一人となってしまったらしい。

この運び屋が貴重な一人だったなんて。


おしまい。



いかがでしたか?

今日のオススメのカクテルの味は。

またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。

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― 新着の感想 ―
[一言] 妙にリアルでそして危機感を覚える作風と、二重の「ラスイチ」が隠されていたのがとても巧妙で楽しく拝読できました。 ただ、バーテンの科白と、本編は できれば****のようなもので 区切ってもらえ…
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