三日目.21 謎の人
「あの、菜穂子さんって――」
「お兄ちゃん帰って来た!」
階段の上からマコが覗き込んでいたようで、顔だけを出している。
マコの声の後、もう一つ顔が増えたと思ったらペルラさんだった。
「リョウマくん、お帰りなさい。マコトちゃんが寂しがってたわよ」
「べ、別に寂しかった訳じゃないから。退屈だっただけ!」
「マコの相手、ありがとうございます」
タンタンタンと階段を降りてくると、マコが僕の腕を引っ張る。
「お兄ちゃんのご飯、部屋に持って行ってるよ。もしかして、食べて来た?」
「まだ食べてないよ。さっきまで学舎に居たから、お腹ペコペコだよ」
「それじゃ、諒真くん。またね」
菜穂子さんはペルラさんに挨拶すると厨房へ向かって行く。
聞きたい事があったはずなのに、何故か呼び止める事は出来なかった。
「ペルラさん、さっきの菜穂子さんって、ここで働いているんですか?」
「ナオコ? あぁ、ナホコね。この店の常連さんよ。食事が美味しいからって、時々来るわよ」
「常連さんがどうして受付に居たんですか?」
「夕飯食べる人は全員終わったから、残ってるのはリョウマくんだけ。だから任せちゃった」
「任せたって、あの人とは初対面ですよ? どうして僕が判るんです?」
「彼女、リョウマくんの事、知ってるって言ってたわよ? マコトちゃんの事も知ってたみたいだし」
「あれ? お兄ちゃん知らないの? わたしの名前知ってたから、お兄ちゃんの知り合いと思ってた」
お兄ちゃんは女の子の知り合い多いから、と余計な事は言わなくていい。
菜穂子さんとは会ったのは昨日、受付に居たのを見ただけだ。それもペルラさんが戻って来たからすぐに居なくなっちゃったし、話したのもさっきの言葉だけ。
菜穂子って日本の名前だと思うけど、姿格好はヴェストラの人だ。茶色い髪に、少し肌の色が濃いから、日本人には見えない。でも、名前を呼ばれたのは淀みのない日本語、こちらで生まれた人かもしれない。でも、騒ぎを起こしてる僕の事はともかく、目立っていないマコの事まで知っているのはどうしてだろう?
今日は疲れたし、考えるのは後にしよう。
ペルラさんに受付の仕事をして貰って、階段を上ろうとする。すると、ペルラさんも後ろに付いて来た。
「ペルラさんも上に用事ですか?」
「ええ」
タン、タン、タンとフローリングの階段を上がっていく。
僕の横にはマコがいる訳だけど……
「後ろを気にして、どうかしたの?」
「いえ、ちょっと気になっただけです」
ペルラさんはどの階に用事があるんだろう。
コツ、コツ、コツと遂には僕達の泊まっている部屋に到着してしまう。
「ペルラさん、僕達の部屋に何か用事ですか?」
「ええ、リョウマくんが『オフロ』出してくれるんでしょう? マコトちゃんから聞いて楽しみにしていたのよ」
「お風呂って服を脱いで入るんですよ。それにお湯の罰は怖くないんですか?」
「熱湯の罰ね。大丈夫よ。何度もされたら慣れちゃうわよ」
何度もって、この街の女の人って子供の頃はお転婆な人が多いんだろうか。
仮に火傷しても、皮膚の成長魔法とかかければ治りそうだし、怖さを通り抜ければ案外キツイ罰じゃないのかもしれない。
「……服を脱ぐのはどうなんですか? マコだけじゃなくて、僕がお風呂作ったら、その場にいないといけないんですよ?」
「聞いてるわ。一緒に入れば良いのよ。お姉さんが身体を洗ってあげるから、任せなさい!」
なんでそんなに楽しそうなんだろう。
ペルラさんから見たら僕は子供だし、洗濯ついでに洗うみたいな気持ちなのかもしれない。そんな僕にも、さすがにプライドがある。
「お断りします。僕は疲れているので、ゆっくり休みたいんです」
「マコトちゃん、お兄ちゃんが冷たいんだけど?」
「お兄ちゃんはペルラさんのお兄ちゃんじゃありません。そんな訳で、お兄ちゃんが断ったので、お風呂は無しです」
ペルラさんは、えぇ〜と不満そうにマコに抱きついている。マコが大人しかった理由は、僕が断ると思ったからか。学舎では目隠しされたり耳を塞がれても、皆が入りたいと言ってくれたから我慢できた。でも宿屋では勘弁して欲しい。
「ペルラさん、ベネディクトゥスには湯を張れるような大きな桶か、浴槽は無いんですか?」
「普通の大人は熱湯の罰を怖がるから、浴槽は無いわよ」
やっぱり、普通の大人じゃないって思ってるんだ。せっかくの美人なのに、なんか色々残念な気がする。
「ペルラさんって年齢は幾つなんですか?」
「あら? 歳上の女性に興味があるのかしら?」
「いえ、ただ気になっただけです。今日は遅くまでありがとうございました。それじゃマコ、後はお願いね」
捕まってるマコを生贄に、僕は部屋に入り、戸を閉める。
廊下からはマコトちゃんを頂いていきましょう、お兄ちゃん助けてと声が聞こえてくる。
「学舎の時間には遅れないようにね」
廊下に聞こえるぐらいの声を上げて、僕はベッドに倒れ込む。
魔力を使うのって予想以上に疲労が溜まるみたいだ。
学舎で作ってもらった蜂蜜レモンを一瓶貰ってくれば良かった……
「……ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
ゆさゆさと身体を揺らされて、眠りから起こされた。
えっと、部屋に戻ったらそのまま倒れて寝たんだったかな。
起こそうとしたのはマコだよね?
もう朝になったのかな?
「マコ? おはよう?」
「まだ九の刻過ぎだよ。御飯食べれない?」
刻の魔法を確認すると、確かに九の刻を少し過ぎた辺り、帰ってきてからそんなに経っていない。
ペルラさんから逃げ出して、直ぐに僕を起こそうとしたのかな?
「そうだね、折角だから食べるよ」
ぐっと身体を伸ばして、身体に力を伝えていく。まだちょっと眠い。
部屋の隅に置いてある桶を取ると、中にお湯を溜めて手拭いを沈める。一度顔を拭った後は、上着を脱いで汗を拭いていく。
やっぱり水だけで拭うよりお湯の方が気持ちがいい。現状、一人の魔法だけじゃお風呂に入るには無理だけど、もう少しアイデアを詰めればなんとかなるかもしれない。それに、折角だから魔石も使い方を考えないと、わざわざ持ってきてくれたエミリオに申し訳が立たない。
ちょっと考え込んでいたら、マコが背中を拭いてくれた。お陰で汗の気持ち悪さも消えて、冷めていく肌が心地良い。
「ありがとうマコ、お陰でスッキリしたよ」
「お兄ちゃん、今日はいっぱい魔法を使わせて、ごめんなさい」
「そこはありがとう、で良いんじゃない? 僕がマコに怒ったりした?」
マコは首を振るけど、気にしているのか顔を下向けたままだ。長くした三つ編みはちゃんと約束通り、肩から下ろしていて白いリボンも付いたまま。走って帰ったりはしてなかったみたいだ。
「マコは今日、たくさん魔法を使って楽しくなかった?」
「……楽しかった」
「僕も楽しかった。僕達が考えた魔法がセベロやレナト、先生達を驚かせていたって凄くない?」
「考えたのお兄ちゃんだもん」
「最初に思いついたのは僕かもしれないけど、マコもすぐに僕と同じか、それ以上の事に使いこなしていたよ。水玉投げるのって、あんなに沢山投げつけてくるって思わなかったよ」
「お兄ちゃん、オモヒカネ様に強くして貰って逃げるの速いから、当てなきゃって」
「マコはその分、魔法が強いよね。フェイントもあったから逃げ切れなかったよ」
「中庭は狭いから、先読みが出来たんだよ。速いの投げた後、遅いの投げたら当たったりって、ゲームより面白かった!」
「この世界の魔法って面白いよね。ゲームと一緒にしちゃ駄目なんだろうけど、思いついたことが実現できるって良いよね」
「うん、水人形も楽しかった」
「マコは寂しくない?」
「お兄ちゃんいるから大丈夫」
「それじゃ、今日の事は楽しかったで良いよね?」
「うん、ありがとう!」
ただ、お風呂の時みたいに有無を言わせず魔法を覚えて欲しい、と言うのは無しにして貰った。ちゃんとして欲しいことがあれば先に話すようにと言う約束が追加だ。
機嫌が良くなったマコはサイドチェストを転がして来ると、テーブルに食事を並べてくれる。
今日は魔法で強制解除してない所を見ると――
「今日は素材化封印だけで封印できるようになったんだよ。指じゃなくても!」
「それは凄い。魔力を抑える練習してたんだ」
昨日までのダダ漏れ状態から考えると大きく前進だ。指先から魔法を発動させるのは魔力の放出を抑える意味があったけど、もう必要ないかもしれない。
得意げな表情のマコがなんだか格好いい。
そのマコがテーブルに配膳してくれた料理はチーズのリゾット。
メインディッシュは手の長い大きな海老が半分にされて、香りの違うチーズと香草が乗せられている。海老は火で炙ったみたいで、甲羅は赤く綺麗に色が付いている。
今日のポタージュスープは黄色で、どうやらかぼちゃらしく、甘い匂いがする。
サラダには細い茸と刻まれたベーコンが緑の野菜の上に乗っている。こちらにはチーズは使われていないようで、ドレッシングがかかっているみたいだ。
一緒に出てきたジュースには驚いた。真っ赤だ。
「このジュースびっくりするよね。トマトジュースじゃないんだよ!」
マコも驚いたみたいで、僕の反応が知りたいらしい。早く飲んでと目が訴えてる。
色は濃いトマトジュースみたいだけど、匂いはオレンジみたいに甘い。飲んでみると少し酸味が強いけど、やっぱりオレンジだ。
「これってオレンジなんだ。色はトマトみたいなのにね」
「こんなトマトだったら幾らでも食べられるよ」
マコはトマトが嫌いじゃないけど、たくさん食べるのは苦手で、ジュースは駄目みたい。この街はトマト料理が多いみたいだから、ここにいる間にトマトがもっと好きになると良いね。
僕とマコは好き嫌いの話をしながら、食事の時間はあっという間に過ぎていった。
「僕がいない間は何してた?」
学舎で話した魔力の考察、説明をした事を話すと、今度はマコの話を聞いてみた。
僕がいない時、と言うことで、昼食の後からの話だった。
「ノエリアちゃんもミレイア先生も、お兄ちゃんが何であんなに色んな話を知っているのか気になったみたいで、色々聞いてたよ。普段はお兄ちゃんがベスを散歩に連れて行って、わたしが友達と遊びに行ってるから、一緒にいるのは食事の時ぐらい。だから良くわからないって言ったらびっくりしてたよ」
日本にいる時は兄妹で遊ぶことなんて殆ど無いし、家に居ても食事の前後で話をするぐらいしかしていない。マコの説明通り、ベスの散歩は殆どが僕で、週末は友達と遊びに行ってるから、一緒にいる時間なんて限られている。家族と言っても、意外と短い時間しか一緒じゃないんだ。
「そうか、これからはマコがベスの散歩行って、その間僕が遊びに行くよ」
「そんな話じゃないよ!」
僕の知識と言っても、中学二年程度の物だから、専門的なものは何もない。それでもこの街で、皆が喜んでくれるのなら話しても良いと思ってる。
だけど、今日話したぐらいで詳しく話せそうな事は他には思いつかない。明日からは遊んで過ごせると良いんだけど。
「お兄ちゃんの風呂敷って、お婆ちゃんが教えてくれたの?」
「そうだよ。折り紙もね」
「日本に帰ったら教えてくれる?」
「いいよ。父さんに許可を貰って、母屋で練習しよう。お婆ちゃんが教えたがってたものもあるよ」
マコはお婆ちゃんの事をどのぐらい覚えているだろう?
小さい頃に亡くなってるから、あまり覚えてないかもしれない。それでも母屋に行けば色々残ってると思うから、話しながら思い出してもらえば良いか。
「学舎に戻ってきて少ししたら、カミラ先生が飛び込んできてびっくりしたよ。治癒院でルーシア様が休んでるって言ったのに、責任者のカミラ先生が学舎に来てたから、ミレイア先生がすっごく怒ってた。お兄ちゃんがカミラ先生を誘ったと言って、それじゃ来るまで怒るのは保留しましょうってなったんだよ」
ルーシア様を放ったまま来ちゃったんだ……そりゃミレイア先生も怒ると思う。
あの場ではアデラさんも居たから任せられたのかもしれないけど、治癒院の一番偉い人が居ないのは何かあった時に困るかもしれない。
「お兄ちゃんが来てからは、レイナちゃんとノエリアちゃん、ミレイア先生で蜂蜜レモン作って、後は魔法の授業?」
あの時、蜂蜜レモン作ってたのは四人だったのか。いつの間にか出来ていたと思ったわけだ。
「レモンを切る時に、怪我とかしなかった?」
「レモンを切ったのはレイナちゃんとミレイア先生。わたしとノエリアちゃんは見てただけ」
ノエリアとカミラさんもいたから、どんな怪我をしても治してくれそうだけど、何事もなくて良かった。でも考えたらレイナばっかり手伝いをお願いしている気がする。明日からはもう少し自分で動くようにしよう。
「学舎から帰る時、ノエリアちゃんを最初に送り届けたんだけど、その後、ベルタちゃんがレイナちゃんと話がしたいから、テクラちゃん連れて先に帰ってって言われて、わたし達だけ先に帰ってきたんだよ」
「二人だけで帰ってきたの?」
「あ、パストル先生もいたよ。付いてくるんだけど、元気なかった」
パストル先生はどうしたんだろう?
学舎でもミレイア先生達は不機嫌で、パストル先生に対してぞんざいな扱いだった。あの時、ミレイア先生は怒ってるように見えたし、カミラさんなんかは分かりやすく怒ってた。
「ミレイア先生とカミラさんが怒ってた理由知ってる?」
「知ってるけど、お兄ちゃんには話したくない」
マコの口から聞けないとなると、知ってそうなのはベルタぐらいか。でも、マコだけじゃなく、女の子達で秘密にしてることだったらベルタに聞いても教えてくれないかもしれない。それに、無理して聞いて不興を買うのは遠慮したい。
パストル先生には悪いけど、今日の事はそっとしておこう。
「ここに戻って来てもお兄ちゃん遅いから、食堂でご飯食べて、菜穂子さんと今日遊んだ事をお話して、そしたらペルラさんも来たから、しばらく一緒にお話してた。ご飯食べ終わって、お兄ちゃんのご飯をペルラさんが運んでくれるって言うから、さっきまで部屋に居たんだよ」
「そうだったんだ。菜穂子さんはどんな感じの人だった?」
「普通の人? でもこっちの世界と言うより、日本の人みたい。お兄ちゃん狙って当てるの、射的みたいねって言ってた」
マコも菜穂子さんの事は日本人みたいに思ったのか。
ペルラさんも菜穂子さんは常連と言うぐらいだから、この街の人なんだろう。
昔の地球の、日本の事を知っている人なら話をしてみたい。
「あ、そうだ。伝言忘れるところだった」
「誰からの伝言?」
「ペルラさん」
マコはなんだかんだ言って、ペルラさんの事も好きだよな。弄られてるけど、嫌いじゃないみたい。
だけど、僕に伝言ってなんだろう?
「十八だって」
伝言するぐらいだから早く伝わった方が良いんだろうけど――
「ペルラさんの歳は十八歳だって言ってたよ」




