三日目.13 買い物
「ちょっと寄り道するつもりが、時間かかったね」
「リョウさんがあんな事を言うからですわ。魔法を扱う人なら誰だって知りたいと思いますもの」
僕がカミラさんに魔力の仕組み、更には身体の中で作られる理由と、その素材について教えられるかもしれないと補足すると、眼の色が変わってすぐに教えて欲しいと僕の肩を揺すった。お陰でテクラが驚いて泣き出すし、いくら宥めても怖がって僕の陰に隠れるものだから、カミラさんが落ち込んでいた。
「テクラのお陰で、カミラさんも引き下がってくれたから、感謝してるよ」
頭の上のテクラは少し機嫌を直してくれたようだけど、左手は髪の束をぎゅっと握ったままだ。
カミラさんは怯えるテクラの気を引こうと、お菓子があるよと、クッキーを渡したまでは良かった。その時にサラサラになった髪を見て、力が入ったんだろう、髪ゴムを引き抜いてしまった。今日の機嫌がいい理由になっていた髪型だ、当然テクラは泣き出してカミラさんは根負けした。
テクラの髪を束ね直すと、カミラさんには買い物してから学舎に戻るので、時間があれば来て下さいと声をかけた。診察室を出る前、アデラさんに「ルーシア様とまたお会いしたいです」と告げて治療院を出てきたところだ。
「これから何を買いに行きますの?」
「えっと、レイナはコーンスターチって判る? ケーキやクッキー、プリンを作る時に使えるんだけど」
「ええ、知ってますわ。コーンから製粉されて出来たものでしょう?」
良かった。デザートがこれだけ豊かな街だから、きっと似たようなものがあると思ったけど、同じものがあると話は簡単だ。
「それを買いに行きたいんだ。後はココナッツオイルがあればいいんだけど、なければオリーブオイルとか……」
「リョウさんはお菓子屋さんを始めるのですか?」
確かに欲しいものを挙げていけば、料理やお菓子を作る素材ばかりのように思えてしまう。でも、使い方は別だ。
「さっき二人に助けて貰ったから先に教えるよ。皆にはまだ内緒にしててね」
レイナ、テクラが聞き取れるように少ししゃがむと、買う物、どうやって使うのか、どういう意味があるのかを説明する。初めは不思議そうに聞いていたレイナも、話が最後まで進むと目をキラキラさせていた。テクラもコーンスターチが今日のドライシャンプーで使ったものだと分かると、早く買いに行こうと言い出した。
衛兵区から大通りを過ぎて商業区に移ると、昨日も来た調味料の商店に到着した。
「コーンスターチとナッツオイルと……」
レイナがテキパキと欲しい物をお店の人に告げ、カウンターにはいろんな色をした瓶が並んでゆく。ここでは必要な量を小分けにして用意してくれるので、日本のスーパーのように自分で商品棚を探さなくていいのは楽だ。
前以て必要な物はレイナに頼んであるけど、香料に使うから、好きな油があったら試してみようと言ってある。
僕はテクラの両手を取って、上げたり降ろしたりを繰り返しながら遊ばせているけれど、今のうちに調べた事を思い出さないといけない。宿屋に戻ればメモしたノートがあるけど、取りに行っている時間が無い。
この世界でも似た素材は同じ様な性質を持つみたいだから、難しいものより出来るだけ簡単で、今あるものを使える方が良いと思う。シャンプーが無いのは乾燥させる魔法があるから、髪の保水とかパサつきには注意しないのかもしれない。髪に脂があればブラッシングだけで良いらしいけど、テクラみたいに髪が軋んでいるのなら、洗った後にはリンスやトリートメントも欲しい。だけど、トリートメントは必要だと思わなかったから、調べていない。元はマコの機嫌取りをするのに調べただけだから、そろそろネタ切れだ。
「リョウさん、他に買う物はありませんか?」
声を掛けられて気がつくと、カウンターには予想以上に瓶が並べられていた。
「あれ? こんなにたくさん必要だったっけ?」
「香り付けのハーブと植物油ですわ。オリーブオイルも種類がありますので、選んでいただけませんと」
オリーブオイルに種類があるなんて知らなかった。食用に使えるものでも四種類、調理のタイミングで使うオイルが違うらしい。使える温度が違うと言われたけど、チンプンカンプンだ。
「一番純度が高いのってどれだろう?」
「エクストラバージンです。高級品ですわ」
今日の食事代はミレイア先生のお陰で浮いたけど、無駄に使えるお金を持っているわけじゃ無い。購入するのは少しだけにしよう。
レイナに全部で三〇ヴィで買えるだけの物を選んで貰うと、出てきたのは親指二本分ぐらいの小さな瓶だった。子供が使う美容品にしては高価過ぎるだろうか?
オリーブオイルが高価という事だったけど、購入する数は変わらなかった。僕が頼んだ物以外も譲れないらしい。
買い物にあまり時間もかけているわけにもいかない。刻の魔法はもう直ぐ六の刻になりそうだ。皆には学舎で待って貰ってるから急いで戻らないと。
カウンターに並べられた小瓶を計算してもらうと、全部で二十九ヴィになった。さすが宿屋の娘、無駄の少ない買い物だ。
レイナに三〇ヴィを預け精算を任せた後、テクラに普段の話を聞いてみた。テクラは自分用の髪を梳くブラシを持って無いらしく、宿屋に置いてあるものを使っていると言っていた。テクラに合っていないのか、使うと痛いから、あんまり使いたく無いみたいだ。真琴が持って来たブラシは動物の毛の物だけど、それは気持ち良かったらしい。この街に似たようなものはあるだろうか?
テクラの話が聞けたので、そろそろ店を出ようとレイナに声をかける。レイナはお店の人――確か昨日手土産を持たせてくれた人――と話をしていた。彼女は褒められたのか、髪を抑えながら照れている。受けが良いのなら僕も嬉しい。
レイナから風呂敷バッグを預かると、次は石鹸を買いに別の商店に向かう。しかし、案内してくれるはずのレイナが遅れてついてくる。テクラのお陰で道には困らないけど、ゆっくりペースなのは少し困る。
「レイナ、早く買い物を済ませないと、遅くなるよ」
声をかけても顔を伏せてしまうレイナに、少し腹が立った。レイナにも何かあるのかもしれないけど、学舎で皆が待っていることは知っているはずだ。次に声を出すときっと声を荒げてしまう。僕はレイナの右手首を掴むと早足で歩かせる。戸惑っているようだけど、置いていくわけにはいかないから僕も無言のままだ。
「……リョウさん、痛いですわ……」
力を入れたつもりはなかったけれど、僕の左手はじっとりと汗をかいていた。レイナもきっと不快だったんだろう。掴んでいた手首は少し赤くなっている。それを見て更に罪悪感が増す。
「ごめん……」
テクラは僕から離れると、レイナが擦る手首に何か魔法をかけていた。痛みを和らげる魔法だろうか。
レイナの手首から赤味が消えると、テクラは僕の右手首を取り、両手でぎゅっと握った。精一杯握っているんだろうけど、力が弱いので痛みは感じない。少し赤くなる程度だ。でも、テクラにはそれで十分だったらしい。
「……二人とも、喧嘩は駄目」
これはテクラなりの仲裁だった。お兄ちゃんをやると言ったばかりなのに、年上らしくないことをしてしまった。ちょっと情けない。
「レイナ、ごめん。なんか気分がささくれてた。テクラも怒ってくれてありがとう」
「い、いえ。私の方こそ、ぼーっとしてごめんなさい」
僕達の謝罪を見てテクラは満足したのか、右手に僕を、左手にレイナの手を取ってニコニコとしている。
「それじゃ、さっさと買い物を終わらせて学舎に戻ろう。マコが遅い!って怒ってるよ」
「マコさん、リョウさんの事を怒ってましたわ」
レイナに「妹だからってあんな風に言ったら駄目です」と窘められた。軽い冗談のつもりだったけど、機嫌を損ねてしまったのは変わりない。後でちゃんと謝っておこう。
レイナがぼーっとしていたのは、さっきの店の人に髪が綺麗だと褒められたのと、僕の事でからかわれたらしい。
「えっと、あの……リョウさんがテクラと親しく遊んでいたので、二人の娘なのかって……だ、大丈夫です! か、揶揄われただけですから、ちゃんと誤解しないように言ってきましたから!」
そんなにテクラは僕の娘に見えるんだろうか?
テクラが楽しそうだったから色々やってしまうけど、日本人的な接し方は凄く甘やかしているように見えるのかな?
「テクラ、もう肩車しないって言ったらどうす……あぁ、ごめん、うそうそ。またやってあげるから」
じわっと目に涙が浮かびあがり、最後まで言葉が続けられなかった。
泣く子と地頭には勝てぬとの言葉通り、テクラを泣かせてそのままになんて出来るはずがない。
……カミラさんの気持ちがちょっとわかった気がする。次に会ったら少し丁寧に対応しよう。
テクラはもう一度肩車するまでぐずり続け、背中から離れてくれなかった。
テクラはこれだけ甘えん坊なのに、引き取った大人達は相手してくれないんだろうか?
レイナは今の家族にも良くしてもらっていると言ってたぐらいだから、どんな人なのか知っていると思う。何かテクラが甘えられない理由があるのかもしれない。
「レイナ、テクラが引き取られてる家族って、どんな人達?」
「ラスコン夫妻ですか? 優しい方ですよ。宿屋の評判も良いですし、テクラにも良くしてくれていますわ」
「うーん、それがわからないんだ。テクラはこれだけ甘えん坊なのに、そのラスコン夫妻には甘えられないのかなって思って」
「そうですね、ラスコン夫妻にはリョウさんみたいに甘えられませんわ。お二人とも高齢ですから、背負ったり、肩車とかは難しいと思います」
高齢と聞いたから、日本のように八〇歳ぐらいと思ったら、六十二歳と六十四歳だそうだ。この世界での寿命は六十五から七〇歳で、八〇歳まで生きられる人は殆どいないらしい。百歳なんて、魔女とか、生き神様扱いかもしれない。
夫妻がテクラを引き取ったのも、成人過ぎれば二人とも亡くなっているだろうから、面倒を見る事を考えなくてもいい。宿屋を継いでもいいし、好きな事をしてもいいと言われているらしい。
「本当にいい人達なんだ」
「はい。息子さん夫婦も他で仕事を持っていますし、トラーヴェンは人も雇ってますから、宿屋に関しては続ける事も出来ると聞いてますわ」
レイナの家、オーティウムは人を雇わず家族だけでやっているので、サボると大変らしい。先日帰りが遅くなった日は、家の仕事を手伝わなかった事も合わせて食事を抜かれた。タルトのお陰で空腹が凌げたと言ってたけど、結構逞しい。
レイナの家族は父親とレオンが頑固で、なかなか意見を変えないから母親と一緒に苦労している。そんな不満そうな言葉だけど、仲は良いんだろう、本気で怒ってるような顔じゃない。レオンとの喧嘩も普段はあまりしないのかもしれない。
レイナは商店で石鹸を買い、学舎に戻るまでずっと家族の話をしてくれた。テクラもその話に出て来るので、本当に小さい頃から仲が良いんだろう。
しかし、あまりに長く話すものだから、六の刻は遠に越えた。そのうち、テクラがウトウトしていたので背中に負い、僕達は学舎に向かった。




