三日目.5 準備
「セベロくんとレナトくんはエミリオくんを連れて、先に蔵書庫で調べてきなさい」
「エミリオ、早く来い。時間が勿体無い」
「僕も一緒でいいんですか?」
「ちゃんと謝ってたでしょう。それ以上を僕達は求めていませんよ」
「ありがとうございます!」
オラシオ先生はセベロとレナト、エミリオに指示を出してミスリルに関する書物を探しに行くことになった。先生の許可があるので、蔵書庫からの持ち出しも許可されるらしい。
「ロルダン、ビト、ベルタ。お前らは採掘場に行くぞ」
「先生。あたしはノエリアの荷物運びをするよ。遠いのは男の子に任せたい」
「屑石だけなら、俺とビトで十分です」
「袋さえあればいい」
パストル先生は体術組を採掘師が居るという採掘場まで走っていくらしい。ベルタは真っ先に抜けたけど、二人は体を動かすことが逆に嬉しそうだ。
「レイナさん、テクラさんはノエリアさんを連れて、買い物をお願いします」
「レイナ、起きて。先生に怒られるよ」
「レイナさん、何が必要なのか知ってるのはあなただけなんです。早く起きて下さい」
ミレイア先生はレイナ、テクラ、ノエリアに買い物に行かせる指示を出すけど、レイナはぼーっとしたままだ。ベルタはケラケラ笑ってるけど、ノエリアはお冠だ。
「お兄ちゃん、なんか凄いことになってきたね」
「そうだね……」
ノエリアに蜂蜜レモンの秘密、魔力回復を促進する謎を教えて欲しいと言われて、僕は困ってしまった。
蜂蜜レモンを食べた後、僕を真似てこっそり魔法を使ったら、消費した魔力はすぐに回復したと感じたらしい。
地球では疲労回復に効果のある蜂蜜とレモンを、食べやすく吸収しやすくしたものだ。そんなものに秘密があるなんて思ってもいなかった。
答えに困っていると、四の刻の鐘が鳴り、三人の先生が入ってきた。いつもならオラシオ先生とパストル先生だけだから、ミレイア先生がいるのには驚いた。
先生方は、ミスリルを混ぜたインクで書いた魔法書で、魔法が使うことが出来るのか、と言う疑問を実践しようと思ったらしい。本当ならパストル先生は自粛の予定だったけど、鉱山にミスリルの屑石を貰いに行ってくれるそうだ。
ミスリルは大戦の後、何百年も研究が止まっていて、詳しい人がいない。オラシオ先生はこの街にある蔵書庫を調べる許可を取り付け、現状わかっている資料を集めることにしたらしい。
ミレイア先生はこの学舎の責任者らしく、先生不在では困るのでこの場に居合わせる必要があるらしい。三人が一緒にいるのは珍しいので驚いてしまったけど、言われてしまえば疑問の持ちようもない。責任者で偉い人って言われると、教頭先生が教室に来たみたいで落ち着かなくなってしまったけど。
先生が挨拶を終えた所で、ノエリアが蜂蜜レモンを見せ、一つずつ食べて貰った。ミレイア先生と、パストル先生は直ぐに分かったようだけど、オラシオ先生は少し遅れて回復を感じたらしい。
ノエリアに続いて、オラシオ先生も蜂蜜レモンの秘密を教えて欲しいと言われた。僕はレイナに作り方を教えているので、調べて欲しいと伝えたのが、さっきの先生方の行動だった。
先生に連れられた皆は半刻後に学舎に戻ってくると予定を告げ、教室を出て行った。残っているのはミレイア先生と、僕とマコだ。
「随分と静かになりましたね」
「本当ね。皆帰ってしまった後のようよ」
「先生、わたし達が来る前の学舎って、どんなだったんですか?」
マコの額にはミレイア先生の掌が当てられている。今は刻の魔法を頭に取り込んでいる最中だ。先生の説明だと、刻の鐘に反応する魔力を頭に用意する。それだけは身体の他の魔力とは別の扱いになるらしい。脳の中に置いている感じかな? その準備が整っていると、鐘の音に魔力が反応して、時間を記憶する。五の刻、十の刻の鐘の音が違うのは、リセットさせる役目があるらしい。体内時計がまだできていない僕達には、先生の魔力で擬似的に時間の経過を身体に覚え込ませている。生活をし続けることでその体内時計は精度を増していき、成人になるぐらいには誤差はほとんど無くなるらしい。
「皆授業は真面目に受けてくれるから、今とそんなに変わらないわ。でも、そうね。リョウさん、マコさんが来てからは皆少し落ち着きがなくなったかしら?」
「わたしは何もしてないです。騒ぎの中心はお兄ちゃんです」
「そうね。でもオラシオ先生の授業の時は、凄かったんですってね」
マコの額にはミレイア先生の掌が当てられているので、身動きができない。僅かに動こうとしていたようだけど、反対の手で抑えられてしまっていた。
「あ、あれは、まだ慣れてなかっただけだもん!」
「マコは優秀だからしかたがないね」
「ええ、オラシオ先生も才能がある子が来てくれて、とても喜んでいたわ」
先生は手をマコから離すと、頭を抱えて顔を寄せる。
「マコさんの髪は良い匂いがするわね。何か付けてるの?」
「お風呂に入ってないから、髪は洗えてないです」
ぷはっと先生の胸元から顔を起こすと、鼻をこすりつけるようにマコの方から抱きついていた。やっぱりマコは母さんに会いたいのかな。
「こんなに良い匂いがするのに……ほんと?」
「昨日はお兄ちゃんにドライシャンプーしてもらいました。その匂いかも」
マコの刻の魔法は取り込みが終わったようで、次は僕の番になった。
先ほどのマコと同じように、先生の掌が当てられる。トクントクンと言う先生の鼓動が掌越しに頭に伝わってくる。僅かにピリリとしたけど、それが先生の魔力なんだろう。嫌な感じはしなかった。
刻の魔法のイメージは砂時計だ。きっと鐘の音を聞く度に砂時計がひっくり返されるんだろう。既に砂が四分の一ぐらい下側に落ちてきている。先生が擬似的に体内時間を調整して、この世界の時間に合わせてくれたんだと思う。もうすぐ四分刻が経つらしい。皆が帰ってくるまで、まだ四分刻ぐらいは時間がある。
「リョウさん、『ドライシャンプー』って何かしら?」
「お湯や水を使わずに洗えて、髪に栄養を与えて綺麗にすること、になると思います」
どうやって説明したら良いのか良くわからない。テクラの髪を見ると、シャンプーは無いようだ。それでもブラッシングはあるみたいだから、美容を全く気にしないというわけじゃないと思う。
「へ、ぇ……」
「先生、抑えてる手が痛いです」
後頭部はマコの時と同じく、動かないように抑えられている。その力がさっきより強い。先生は綺麗に髪を結い上げてるし、手入れには気を使ってるのかもしれない。
先生は力を緩めてくれて、僕の髪を撫で始めた。まるで髪の硬さを確かめてるみたいだ。
「先生、皆が戻ってくるまで時間があるので、ドライシャンプーを試してみますか?」
「お願いしてもいいかしら?」
言葉とは裏腹に、命令されてるような緊張感がある。お陰で背筋が少し伸びた。
目だけでマコを見ると、椅子には座っていない。鞄を取りに行ったみたいだ。
ふわりと額から手が離されると、先生は僕の頭を胸に抱きかかえた。ペルラさんにされた時は緊張するだけで落ち着けなかったけど、ミレイア先生は母さんみたいな感じだ。マコが甘えていた気持ちが判る気がする。
「ありがとうございます。色々落ち着きました」
「そう? もう少しそのままでも良かったのに」
「いえ、マコがブラシの用意していますから」
机の上には鞄から取り出したブラシと、ベビーパウダーが入ったスチールのケースがある。残りは三〇分ぐらいだから、ちょっとゆっくり目にブラッシングできるかもしれない。
先生は髪は解くと肩甲骨の下あたりまであり、結構長さがある。指を滑らすと引っ掛かりが少ないから、丁寧にブラッシングしてるんだと思う。
「先生、この世界で髪を手入れする薬品みたいなのはあるんですか?」
「売られているものは無いわね。好きな花や薬草を漬けたお湯で洗うことはあるわね」
「それって、皆が知っていることですか?」
今日のマコのブラシは色んな人の髪を梳いている。その中でも一番ブラシをかけやすいのは先生。マコに負けないぐらいだ。
「さぁ、他の人の美容はあまり参考にならなかったわ」
「テクラの髪がパサパサだったので、先生みたいな髪になれば良いなと思ったんですけど、簡単じゃなさそうですね」
「あの子は家族に遠慮してるのよ。自分からして欲しい事を言えるようになると良いのだけど」
ベビーパウダーを取り、髪に均していく。先生の髪は茶色だけど、影を作ると黒い髪にも見える。
「先生、失礼な事を聞いたらごめんなさい」
「何かしら?」
「もしかして、日本人の血を引いていませんか?」
手櫛も終わり、ブラシで梳いていく。艶やかな色がより黒っぽく見せている。
「どうして……そう思ったのかしら?」
「僕もそうですけど、マコも甘えてました。なんだか母さんを思い出したんです」
「そう……残念だけど、私の先祖はずっとこの街だそうよ」
先生は黒っぽい髪だから、地球から来た人と思われた事もあったかもしれない。けれど、先生は辛そうな顔をしている。
「先生、終わりました」
「……ありがとう。髪をまとめてくるわね」
ミレイア先生は、結んでいた髪紐を手に教室を出て行った。
「先生、泣いてたね」
「そうだね……」
僕の刻の魔法は、もうすぐ半刻になることを教えてくれていた。そろそろ皆戻って来る頃だろう。
大丈夫、刻の魔法はしっかりと動いてる。
いつか……僕の見ていた風景を、この世界や地球の人に見せられるといいな。




