二日目.5 体術
ドンッ! という音がして、足が軽くなった。一歩、二歩、三歩、跳ねるように駆けると、四歩目に――やばい――躓き、五歩目で転倒。
「なにやってんだ?」
滑るように転がり、気がついたらパストル先生の前だった。幸いな事に怪我らしい怪我は無い。ただ服は汚れて少し解れてしまった。
「全力で走ったら、身体の動きに頭が追いつきませんでした」
自分で言っていて意味がわからない。力は強くなってもその身体に馴染むのは別らしい。少しずつでも慣れていこう。
先生は呆れたようだったけど、手を差し伸べ僕が起きるのを手伝ってくれた。
「ありがとうございます。遅れてすみませんでした」
「体術の時間は適当だからな。気持ちをしっかり入れて動かせば、身体は応えてくれる。オラシオ先生の所も良かったろうに、なんでこっちに来たんだ?」
パストル先生もさっきまで教室にいたので、僕の魔法の技量も見ていたんだろう。僕も魔法は覚えたいけど、あくまでも使えれば良い程度にしか思ってない。この世界だと使えるのが当たり前だから……自転車を持ってるのに乗らない、みたいに思われてるんだろうか?
「僕が神様に望んだのは、仲間達と一緒に居られるだけの力ですから、魔法はお願いしていなかったんです。折角授けて貰った力なので、使い熟してみたいと思ったからこちらに来ました」
「そういうもんか。まぁ、神様に選ばれたんだ、報告出来るぐらいには身体を鍛えないとな」
俺も神様に認められた奴を鍛えるのは初めてだから、面白そうだしなと物騒な事を言われたけど、必要以上に強くなろうとか思ってませんから!
僕は先生に言われて、今日も中庭を走る。昨日走ってわかったけど、僕は意外と持久力が無い。もしかすると、身体の強化に合わせて、食事量も増やさないと駄目なんだろうか?
今日はノエリアもいないから、無理しても回復してくれる人はいない。昨日より速めに走れと言われているから、ちょっと不安は残る……
学舎の中庭はおよそ五十メートル四方、殆ど正方形みたいな土のグラウンドで、それを一周すると、百五十メートルぐらいだろうか。今日はそれを二十周。三キロメートルぐらい。速めに走るという事で、頑張って走ってみると思っていたより速く終わった。
え? 十分ぐらいしか走ってないと思うんだけど、時速二十キロメートルぐらいあるって事? マラソン選手ぐらい速いんですけど……
これだけ速かったら、朝の遅刻騒ぎなんて起きなかった筈だ。
「先生、身体が急に成長するってあるんですか?」
「ん? なんだ『パワーアップ』でもしたか?」
なにそのゲーム的なキーワードは。まさか地道な努力が好きな先生が、そんな言葉を出すと思ってなかった。
「『パワーアップ』って急に成長する事ですか?」
「そう言う言葉が昔の本に書かれていたぞ。身体を酷使して回復した後には、今まで出来なかった事が出来るようになった、とかな。言い出したのは、お前みたいなチキュウの人らしいな」
あ! これ、超回復だ。
今朝は遅刻しそうになったから、全力に近いぐらいで走ってる。途中、背中のテクラに回復魔法をかけて貰って、学舎では疲労も残っていなかった。通常一、二日かけて回復するのが魔法を使う事で短時間で終わり、元々身体を強化されていた事もあって、その影響がすぐに出たんじゃ無いだろうか?
もしかして、さっきのスタートダッシュも予想以上に速度が出たのもそれが理由?
「そうかもしれません。急に足が速くなっててびっくりしました」
「おう、そんな事が本当にあるのか? 本には載ってたけど、実際に『パワーアップ』した奴は見た事が無いからな」
「ええと、地球の運動で筋肉を鍛える方法なんですけど、全力で訓練した後は、一、二日休みを取るんです。そうすると、訓練で筋肉は壊れそうなぐらい損傷しますけど、休みを取る事でそれまで以上に力を持つ事ができるようになるそうです。僕が『パワーアップ』したと思ったのは、今朝遅刻しそうになって、全力で走りました。その筋肉の疲労、損傷をテクラの魔法で回復してもらったから、短時間で足が速くなったんだと思います」
「待て、『キンニク』とはなんだ?」
「あ、はい。筋肉は身体の骨と骨を繋ぐ細い肉の束です。その細い肉が太くなればなるほど力が強くなります。腕を曲げると丸い山みたいなものが出てくると思います」
僕は右腕を曲げて、軽く力こぶを作る。日本にいた時よりも大きいのでちょっと嬉しい。
「この膨らみが筋肉です。そして力を入れると硬く大きくなります。これは筋肉に力が加わった事で細い肉の一本一本が太くなって現れたんです。身体を鍛えて力をつけると言うのは、この筋肉を育てる事だと教わりました」
いつの間にかロルダンやビト、ベルタもやって来て、右腕を曲げて力こぶを作ってる。体育の授業で習った事がこんな所で興味を惹かれると思っても見なかった。
「この山が『キンニク』の強さか?」
「はい。人によって肉の、筋の数が違うそうですけど、太くなれば力が強くなるのは一緒だそうです」
ベルタはパストル先生の力こぶを握り潰そうとして、力を込めてるみたいだけど、パストル先生はニヤニヤして耐えている。
ロルダンとビトは二人で潰し合いをしたのか、ちょっと雰囲気が剣呑だ。
「そうか。『キンニク』については判った。だが、休みが多いのは身体が鈍るんじゃないか?」
「はい、筋肉を鍛えるのと、身体の動かし方を訓練するのとは別です。えと、合っているかわかりませんが、力をつける訓練と、技を覚える訓練が別々という事です。今日、力をつける訓練をしたら、技を覚える訓練は少なくするか、しない。次の日は力をつける訓練をしない代わりに、技を覚える訓練をしっかりする。みたいな感じです」
「なるほどな。それじゃ、チキュウの場合、ずっと同じ訓練ばかりしているのはどう言われてるんだ?」
今までの指導が間違っているかもしれないと思ったんだろうか? 身体を鍛える方法は適度に休息を取れば色んな方法がある。パストル先生も昨日、僕に合わせたやり方を考えてくれたから、間違っていないと思う。
「同じ訓練を続けると、急な成長はないですが、その分持続力が高くなったり、その人に合った成長になると思います。特に技術が必要な訓練は欠かさずやらないと形が崩れてしまうので、素振りは準備運動みたいに必ずするそうです」
僕の意図に気が付いたのか、パストル先生は大きな手で僕の頭を撫でてくれた。
「リョウ、お前は真面目で良い子だな。もう少し子供っぽくしてても良いんだぞ? このベルタみたいにな」
先生はそう言うと、力こぶを掴んでいたベルタを脇に抱え、身体を横に回転させる。一回回るごとにベルタの位置が変わり、五回転ぐらいすると両手を捕まえ、放り投げた……先生、それ足だったらジャイアントスイングって呼ばれてます。
ベルタは五メートルぐらい飛ばされている間に身体の向きを変え、しゃがんだ体勢で着地する。すごい格好良い!
着地と同時にその反動で走ってくる。低い姿勢で走って、落ちてた木剣を拾い、先生に斬りつけた。
「先生酷い!」
「木剣は駄目だろう?」
難なく躱すと、先生は足元にある木剣を蹴り上げ、右手に取ってベルタの次の木剣を受ける。その一連の動きが滑らかで、先生の訓練に僕の言う余計な言葉は必要なかったんじゃないかと思う。
ベルタは疲れて大の字のように倒れていた。幾ら打ち合っても、擦りもしないのは悔しいんじゃ無いだろうか?
でも意外に笑顔だった。からかう時の笑みじゃなく、本当に楽しそうな顔だ。
僕は昨日の続きで先生と短剣を使った身体の動かし方を教わる。突き、払い、斬りつけ、受け、投擲。短剣は他の剣と違い、複数持つ事も多いので、一つに拘らず、相手を崩すのに必要であれば、投げて隙を作らせると良いと教えてくれた。
パストル先生に教わっていると時間もあっという間に経って、お腹も空いてきた。もうすぐ五の刻も近い。
そんな頃にロルダンとビトが寄って来て、先生に許可を取る。
「先生、俺たちもリョウと手合わせしたいです」
「リョウは短剣だぞ?」
「でも、先生の木剣は剣です。それをリョウは受け止めてます」
「そうだが……」
「先生、僕が剣を持てば良いんじゃ無いでしょうか?」
ロルダンと手合わせをすると約束してから、一度も力比べをしていない。剣を振ったのは最初だけだけど、五の刻までの短い間なら、少しは出来るんじゃ無いかな?
「力だけはあるから、振り負ける事はないか。良いだろう。ただし、俺の目が届かない所では絶対に手合わせしない事。それは学舎を離れてもだぞ?」
僕、ロルダン、ビトは判りましたと返事をする。
初めの相手はロルダン。ビトは持っていた木剣を僕に渡してくれる。渡された木剣は使い込まれていて、握り手の部分が凸凹としていた。
しっかりと木剣を握ると、最初の素振りを思い出して持ち上げる。上段から振り下ろし、持ち上げ、再度振り下ろす。剣を振るたびに短剣では味わえない風を切る音が気持ち良い。
僕とロルダンは三歩ほど離れた位置で向かいに立つ。剣道の試合みたいでちょっとドキドキして来た。防具は無いから、基本的には剣を目掛けて打ちあうのがルールだ。でも、フェイントはありだから、身体に当たるかもしれない。怪我をしても回復魔法があるから、大袈裟なことにはならないだろう。
――始めっ!
パストル先生の声で、ロルダンは大きく一歩を踏み出し、僕との距離を縮める。僕も一歩を踏み出して打ち合える距離に近づく。セイッ! 大きな声で剣を振るのは力を込める為だろう。その雰囲気に圧されて、僕は無言で受け止めてしまった。ロルダンの剣は重かったけど、パストル先生ほどじゃ無い。そう思うと、少し余裕が出来た。今度はこちらからだ。
僕もセイッ!と声を出し、ロルダンの剣目掛けて振り下ろす。ロルダンは息を吸って、受け止める。バシッ!と二つの木剣が交わり、反動で離れてしまった。
ニヤリとするロルダンに、僕も興奮して来た。反動で離れてしまったのは、僕の力が押し負けたからだ。
ロルダンほど綺麗に剣を振れるわけじゃ無い、でも力だけならそんなに劣ってないはずだ。
次のロルダンの木剣を少し前で防ぐと、力が入り切らなかったのか、ロルダンが少しフラついた。チャンスだ! 半歩進めて、ロルダン目掛けて振り下ろす――が、しっかりと構え直されて、余計な力が入った僕の剣はロルダンに弾かれ、手から消えた。
「参りました」
短い打ち合いだったけど、初めてでとても興奮した。結果は負けだったけど、もう少し剣術を学んですぐには負けないようにしたい。
ロルダンも楽しそうにしてくれたから、次も相手してくれるかな?
「リョウはまだまだだな。次も俺が勝つぞ」
「僕はまだ二日目だよ。すぐ追いつくさ」
もちろんそんな事は無い、でも言い返してやりたい気分だった。ロルダンは剣を左手に持ち、右手を差し出すと僕と握手をした。握った手は汗をかいていて、僕相手にも力を出してくれた事が嬉しかった。
飛ばされた木剣を拾い、ビトに返す。握りが僕と似ているのか、とても持ちやすかったと思う。
「ビト、次は短剣にしたいんだけど駄目かな?」
僕は思っていたよりロルダンに負けたのが悔しかったらしい。剣より少しでも慣れた短剣なら彼らに近付けるんじゃ無いかと思ったぐらいだ。
「俺は、構わない。リョウの好きなようにすればいい」
「ありがとう、ビト」
僕達は先程と同じように三歩ほど離れて立つ。ビトは雰囲気は静かなのに、正面に立つと威圧感が凄い。これほど近づき難いと思っていなかった。でも――
――始めっ!
ビトがロルダンと同じく踏み込んでくる。同じ先生に教わってるから、最初の動きは同じだ。僕は短剣だから、さっきと同じように防ぐわけにはいかない。決して身体の中心で受け止めずに流す。
剣を短剣の腹で逸らし、そのまま身体を前に動かして間合いを詰める。長い剣の間合いでは絶対に不利だ。
ビトが剣を戻そうと力の向きを変えた所を狙って短剣で斬り払う。しかし、それには予想していたようで、引いていた剣を更に押し下げて短剣と鍔迫り合いになる。
後ろに跳ぶように下がって、仕切り直す。ビトはロルダンと違って、声を上げて剣を振って来ないから、タイミングが難しい。
後ろに下がったのを見て、ビトが圧してくる。身長差はあまり無いはずなのに、ビトが大きく見えてしまう。勢いに乗ったビトの木剣が振り下ろされる。僕はその速度を見て、短剣で凌ぐ――あ、軽い――短剣だと頭ではわかっていても感覚が狂ったんだろう。剣の間合いで振ってしまい、ビトの木剣が届く前に短剣は通り過ぎる。
目の前に振り下ろされる剣なのに、随分と時間がかかっているように感じる。まだ引き戻せるか――
――ボキッ




