一日目.裏.4 レイナ.b
「おはようレイナ」
私は今部屋に居ます。もちろん私の部屋です。見慣れたクローゼット、姿見、壁には二年前のルーシア様を模した絵画が飾ってあります。
「おはようレイナ」
私は今日、テクラを迎えに行って、ペルラ姉さんとお話して、学舎に行って……チキュウから来られたお二人に会ったんですわ。
「おはようレイナ」
そして学舎が終わった後……リョウさんにルーシア様のお話をして、迷子のところでは心配下さったり、兄が見つかった時には、本当に良かったと言って下さいました。
「おはようレイナ」
もっとルーシア様の事を知ってもらおうと話をしていると、目的地がフォンス・フローレスだと聞かされて、テクラと大喜びをしました。
「おはようレイナ」
そう、フォンス・フローレスに行ったはずなのです……何故部屋のベッドに腰を掛けているのでしょうか?
「おはようレイナ」
あれ? テクラ?
「おはようございます? テクラ?」
「うん。レイナ、ずっと、ぼーっとしてたよ。大丈夫?」
隣りに座っているテクラがとても心配そうに私を見ています。私は自分の体を見回しても特に何も変わった所を見つけられません。
「大丈夫ですよ? ぼーっとしてたって、いつ頃から?」
「酷かったのはデザートの時からだけど、その前からおかしかったよ?」
デザート? 何か食べたかしら?
「テクラ? 私、デザートは何を食べましたの?」
「覚えてないの? クリーム・ブリュレ食べてたよ。それから、ずっとリョウさんのこと見てた」
私がずっとリョウさんのこと見てた⁉︎ リョウさんは何処でしょう? 私は何故家に居るんでしょう?
「テ、テクラ? リョ、リョウさんも来ているの? 私なんで家に?」
「覚えてないの?」
「覚えて……」
私達はリョウさんを案内するのに、学舎を出た後は大通りに出て、噴水広場に向かいました。途中、私が以前迷子になって、ルーシア様と出会った場所を見かけたので、リョウさんにお話して……私の子供の頃の話をして、リョウさん呆れていなかったかしら?
えっと、行き先がフォンス・フローレスと聞いて、テクラと喜んで……こ、言葉遣いが失礼にならなかったでしょうか……普段は気をつけているのに、まさか声を荒げてしまうなんて……
それから、フォンス・フローレスでは私の右にテクラが、左にリョウさんが座って、リョウさんはメニューを読めないから注文を……あわ、わ、私に注文……私に注文を任せて下さったのでした!
ペルラ姉さんが言ってました! 男性と素敵なお店で、注文を二人で決めたり、選べなかったら相手に決めてもらうって……! こ、これではまるで私とリョウさんが……! い、いえそんなことはありえません。まだお会いしてから数刻しか経っていないんですもの。
えっと、その後にリョウさんが『エイヨウ』という不思議な言葉を口にされたんです。
その言葉の説明は食事の時にされることになりました。お二人は買い物をしたいと言われ、その後にリョウさんがザツガクと言う、知識を私達にお話して下さいました……リンゴです。レイナ・パレンシアは真っ赤なリンゴになりました。
何度も何度もリョウさんに私の名前、レイナ・パレンシアを呼ばれ、呼ばれる度に顔が赤くなっていくのがわかりました。何故でしょう、私の名前です。他の人に呼ばれるのは慣れているはずです。限界を感じた私は、俯いたまま膝の上で手を握ったり緩めたりを繰り返しているだけでした。どうして止めて下さいとも、違う名前にして下さいとも言えなかったのでしょう……落ち着いていたとしても、言えなかったかもしれません、あの時フォンス・フローレスにいる人だけではなく、噴水広場にいる人みんなから見られているようで、私の頭の中は真っ白でした。
リョウさんの話が終わりましたので、視線が少なくなりました。お陰で緊張が緩んだのでしょう。私はリョウさんにどんな風に見られているのか気になりました。先程までのお話で高揚でしょうか? リョウさんも少し顔を赤くしています。目が合うと、少し顔を動かして視線を外すのが可愛かったです。あ、いえ、そんなつもりで見ていた訳では……ええ、違いますとも。リョウさんは私の事をどんな……
「レイナ、大丈夫?」
……心配してくれてありがとう、テクラ
「ええ、大丈夫、ですわ」
思い返して、顔色を変えていたのでしょう。今も顔が火照っているのがわかります。
それから、私、どうし……料理が運ばれてくるまで、リョウさんの顔を見ていました。ただ見ていただけで、何も考えてなかったと思います。見ていた……だけです。
料理が運ばれてくると、とても美味しそうな匂いに、フォークを取りそうになります。まだ駄目です。礼儀として、招待してくれたエミリオが先に手を付けるまでは……『イタダキマス』……?
今の声は横から聞こえた気がしました。エミリオはびっくりしたような顔をして、正面――リョウさんを見ていました。やはり『イタダキマス』を言ったのはリョウさんだったようです。いえ、マコさんも言っていたようです。リョウさんと二人で両手を合わせて、目を閉じていました。
お二人がフォークを取り、食べ始めようとした所でエミリオが慌てて先に食べ始めました。私も少し遅れて食べ始めましたが、頃合いが悪かったのか、誰も今の所作について聞けなかったようです。チキュウの儀式だったのでしょうか?
フォンス・フローレスでの料理はとても色々な物があったのですが、『エイヨウ』という言葉が気になった私は、一番種類が多く入っているものを注文しました。私には少し量が多かったのですが、リョウさんはとても美味しそうに食べていたので、無理をして選んで良かったと思いました。
でも、私が選んだ料理は本当に『エイヨウ』が入っていたんでしょうか?
『リョ、リョウさん、さっきの『エイヨウ』についてお聞きしたいのですけれど!』
私の口から、私の知らない声が出てきました。こんな声も出せるのですね……
リョウさんは私の変な声にも笑わず、逆に聞かれた事が嬉しそうに答えてくれました。その話の中で、リョウさんは私に料理が出来るかと聞かれました。まだお店で出せるような料理は作れませんが、手伝いはしております。それだけなのにリョウさんは褒めて下さいました。それからは私の知らない言葉が続きます。『タンスイカブツ』「タンパクシツ』『シシツ』『カルシウム』『テツブン』……チキュウの言葉が溢れてきます。普段食べているものに、そんな『エイヨウ』が入っているなんて知りませんでした。身体のために良いから、お腹がいっぱいになるから、長くお腹に残るから、そんな具合でしか知らなかった食べ物に、含まれていたものが『エイヨウ』だとわかりました。もっと知りたい、もっと……興奮していた私に、最後の言葉が告げられました。
『レイナの選んでくれた料理は、僕が必要と考えてる栄養を全部含んでいる。ありがとうレイナ』
そこからの記憶がありません。あまりの嬉しさで、夢見心地だったのだけは覚えています。
「……思い出しましたわ。でも、デザートからは何も覚えていません。どうやって帰ってきたの?」
「……レイナ覚えてないの? ブリュレ一口食べて、もう十分って、私にくれたの。何度も良いの?って聞いたんだよ?」
出されたものは全部食べるのが今までの私でした。デザートを人に譲るなんて考えたこともありませんでした。それを一口食べただけでテクラに譲ったそうです。テクラはそれからずっと心配して私の事を見ていてくれたようです。
フォンス・フローレスから出る時、お店の人からお土産を貰ったそうです。今日の主役と言われて、リョウさんと私に。その時の私は様子がおかしかったようで、お土産はテクラが預かり、私を連れて帰ると、リョウさんに言ったそうです。まだ慣れていない人に話しかけるのはとても辛かったでしょうに……
「テクラが連れて帰ってきてくれたのですね、ありがとうございました」
テクラは泣きながら私に抱きついてきました。本当に心配をかけてしまって申し訳ないと思います。
「テクラ、お土産があるんでしょう? 一緒に食べましょう」
七の刻になり、私はテクラをトラーヴェンに送り届けると、お土産の残りをペルラ姉さんにおすそ分けすることにしました。お土産の木箱に入っていたのは、大人の手のひらもあるような大きなリンゴのタルトで、テクラと二人で食べても半分ぐらいしか食べられません。フォンス・フローレスはペルラ姉さんも何度も行けるようなお店ではなかったと思うので、喜んでもらえると良いのですが。
ベネディクトゥスに来ると、ペルラ姉さんが入口前をウロウロとしていました。いつになく不安そうな顔で、何かあったようです。
「ペルラ姉さん、どうかしたの?」
「あぁ! レイナ、いい所に来たわ。ちょっと受付変わってくれないかしら?」
ベネディクトゥスは人気のある宿屋なので、その受付となると競争する相手も多かったと聞いています。普段ならペルラ姉さんも私の仕事だから、と誰にも変わろうとしなかったと思います。
「構いませんけど、何かあったんですの?」
「それが……」
今朝のやり取りの後、マルケスが男の子、女の子を連れてきて、ベネディクトゥスで宿を取ることになった。マルケスが来てくれたのが嬉しかったので絡んでみたり、男の子に粉をかけたり、女の子をからかったりして……いつものペルラ姉さんですね。
あまりに反応が良かったので、つい身内みたいに感じて、宿屋の案内番号を伝え忘れたそうです。その二人は今日来たばかりで、道に不案内のはず。ペルラ姉さんは、受付を誰かに代わってもらって、探しに行こうと思ったそうです。
「そこに、私が来たということですか」
「ええ、半刻もかからないと思うから、お願いできないかしら?」
私も宿屋の娘ですから、受付がどんな仕事をするのかは知っています。ベネディクトゥスでもあまり違いはないと思うので、代わるのは容易です。私がここへ来たのはペルラ姉さんにおすそ分けを持ってきただけですし。リョウさん、マコさんなら……
「あ、あの、ペルラ姉さん。そのマルケスに連れて来られた方って、リョーマさんとマコトさんですよね?」
「よく知ってるわね。……あぁ、学舎に行くって言ってたから、会ったのね」
「はい、お友達になりました。ですので、私がお迎えに行きましょうか?」
ペルラ姉さんは少しばかり怖い顔をしました。すぐにいつもの顔に戻りましたが、ちょっと不審がっているようです。
「今日の昼、リョーマさんに失礼をしてしまったので、お話をしたいと思っていたんです」
……間違ってはいないはずです
「まあいいわ。お願いできるんだったらこちらも助かるし」
「わかりました。リョーマさんとマコトさんをお連れしますね。あと、これフォンス・フローレスで戴いたタルトです。良かったら貰って下さい」
木箱をペルラ姉さんに押し付けるように渡すと、そそくさとその場を離れていきます。
タルトのことは後で絶対に聞かれますわね……
この街の宿屋の数は三十九。およそ七百人が宿屋に泊まれる数になっています。しかし、それだけの数の宿屋が近くに集まっているので、一度来ただけでは覚えきれません。しかもリョウさん、マコさんは文字が読めませんから、ベネディクトゥスの案内が書かれていても、読み取ることが出来ないでしょう。
文字が読めない方も迷わないよう、宿屋には案内番号が割り当てられました。ベネディクトゥスは三〇番。オーティウムは十三番、トラーヴェンは十四番。少し距離は離れていますが同じ宿屋同士で仲が良いです。
それぞれの宿屋の位置を記した案内板が大入口と言われる宿屋街の入り口に置かれています。まずはそちらに向かいましょう。
大入口まで来ると宿屋を探す旅人や商人風の人達を多く目にするようになります。その中で、黒い髪の男の子と女の子を見つけるのはとても簡単でした。ペルラ姉さんが半刻もかからないと言った理由が良くわかります。案内板が置かれている所から一歩離れ、宿屋が立ち並ぶ街並みを見て、呆然としているようです。
……少し様子を見てみましょう。
リョウさんは何人かの人にベネディクトゥスが何処にあるのかを聞いているようです。しかし、宿屋のお客さんは殆どの場合、自分の宿以外の番号を知りません。知っていても左右の建物の番号ぐらいで、名前と番号を一致して覚えている人はいないでしょう。
……あ、リョウさんが宿屋の方に行かれますね。店員に聞かれるとすぐに分かります。さすがリョウさんですわ。
では、今来た風を装って、近づきましょうか。
「そこのお二人様、宿をお探しのようですが、道案内が必要ですか?」




