〇日目.3 お昼休憩
あの後、僕は会長さんと別れて一度家に戻ることにした。
ベスの散歩にしては長過ぎるし、何よりお腹が空いたので、お昼ご飯を食べたい。
これから下見に行けると聞いた僕のテンションは上がったんだけど、グゥと鳴るお腹には勝てなかった。
食事を終えた後に会長さんともう一度会って、異世界に連れて行ってもらう手筈だ。
「ただいまー」
ベスも同時にワンワンと吠えて帰宅を告げる。
ベスの声を聞いて、妹の真琴がリビングから顔を出した。
「おっかえりー」
足を拭き終えるまで大人しくていたベスは、真琴目がけて飛び掛かるように駆けた。
玄関マットが皺くちゃになるのはいつもの事だ。
リビングでは真琴のうひゃーとか、笑い声が聞こえているけど、お母さんの怒った声もするから、もう昼の準備が整っているんだろう。
僕も怒られる前に散歩の始末と、手洗いを済ませてリビングに向かった。
「今日は昼から遊びに行ってくるよ。帰って来るのは夕御飯ぐらいかな?」
ちょっと酸っぱい冷やし中華を啜りながら、僕は今日の予定を伝える。正直に言うにはまだ抵抗がある……
「遊びに行くのは良いけど、夏休みの宿題は終わってる?」
夏休みの残りもそろそろカウントダウンに入っている。
そこそこ勉強はできているつもりだけど、母さんは普段から少し足りてないんじゃないかと心配している。
僕は遊ぶ時間を作るのに、出された宿題は早めに終わらせているけど、友人達はまだ終わらせていない奴が多い。
そんな理由もあって、ご近所の母親コミュニティでは子供の宿題はまだ終わってない子が多いと結論付けているらしい。
小学六年生の真琴も、まだ残しているようで、勝手に遊びに行かないようにリビングで勉強してたんだろう、夏の友が開いている。
「終わってるから、大丈夫だよ」
「お兄ちゃんだけ終わらせててずるい!」
理不尽な真琴の言葉も、今日の僕には届かない。
「頑張って終わらせたら、面白いところ連れて行ってあげるから」
そう、会長さんから異世界への旅行にもう一人連れて行っても良いと許可をもらったんだ。
ベスを連れて行けないのは残念だけど、知ってる人が一緒だと楽しいと思う。
「今日はもう無理だよー」
真琴は情けない声を出して食卓に顎を付け、両手両足を伸ばしている。そんな姿を見咎められて行儀が悪いと怒られていた。
しぶしぶ椅子に座り直すけど、面白くなさそうに顔が膨れたままだ。
「母さん、今度真琴連れて何日か旅行行きたいんだけど、良いかな?」
「何処へ行くの? 場所は近く? 諒真達だけで行くの?」
「えっと、今日帰ってきたら一緒に行ってくれる人を連れて来るよ。その人が詳しいからその時に説明する」
僕は残っていた冷やし中華をかき込むと、ごちそうさまを言って部屋に戻る。リビングからは、待ちなさいと言う声とパタパタと足音が聞こえた気がする。真琴が片付けるふりして逃げようとしたんだろう。
会長さんは人間じゃないって言ってたけど、待たせるのはなんとなく気まずい。
お気に入りのボディバッグにタオルと塩飴を幾つか放り込み、家を飛び出した。
待ち合わせは、さっき会ったあの公園だ。
「お待た、せして、すみま、せん…!」
近いとはいえ、家から走って十分かかる場所にある公園。さすがに全力で走り続けると息切れもする。
会長さんは別れた時のまま、同じベンチに座って待っていてくれた。
こちらを見つけると、ニコニコとして息を落ち着けるようにベンチに座ることを勧められた。
「随分と早いお戻りでしたね。ご昼食は終わられましたか?」
ふぅ、と大きく息を吐くとようやく普通に話すことができるようになった。
「はい、食べて来ました。それで、えっと、お願いがあるんですが、聞いてもらえますか?」
「構いません、何なりとどうぞ」
「今回の旅行、妹を連れて行きたいんですが、親に説明と理解して貰うのを協力をお願いしたいんです」
「諒真様、お気遣い感謝致します。先程もお話しさせていただいた通り、養育を受けていらっしゃる方をご招待するには、正しく説明をさせて頂く事が地球の神々との約束です。ご心配なさらなくとも、説明に伺わせて頂きます。それは何時が宜しいでしょうか?」
「今日の下見が終わってから、一緒に家に来て貰えますか?」
「了解致しました」
まだ少し息切れがするので、落ち着くまでの間、会長さんは何をしていたのか聞いてみた。
「少しばかりこの世界の人の営みを見ておりました。皆様、健やかに暮らされていて、大変結構なことと存じます」
会長さんは異世界と地球を行ったり来たりしているけれど、ゆっくり地球を見ることは無かったそうだ。短い時間だったけど、こういう時間が作れたことは好ましいと言っていた。
雑談のような話を幾つかすると、僕の方は十分落ち着いた。
その様子を見た会長さんは、ベンチから立ち上がり、僕の正面に立つ。そして左手を胸に置き、恭しく礼をする。
「では、異世界へ参りましょう」
ワクワクする僕は会長さんに連れられて異世界へ……じゃなく、公園の日陰となる植樹されてる場所まで移動する。
人目に付く所は避けたかったのかもしれないけど、何もない所だったのでちょっとテンション下がった。
「ご期待に沿えない演出で申し訳ございません」
「いえ、まだ、出発してないですし……」
顔に出ていたんだろう、会長さんは凄く申し訳なさそうだ。
よく見ると移動した先では、等間隔に小石が置かれていて、円形に配置されている。
その中央部分に呼び込まれると、会長さんは聴き取れない言葉を紡いだ。
すると置いていた小石が光を放ち始め、石と石の間を光の線が繋がり、五芒星を描いた。
普段見ることはない非日常的な光景に、おぉと声が出るのは止められない。
「では、参りましょうか」
「はいっ‼︎」
「────!」
一瞬強い風が吹いて、何度か目を瞬かせると、真っ白で何もない空間に立っていた。
あれ? と、後ろにいる会長さんに顔を向けると、少しばかり険しい顔をしている。
「転移失敗、ですか?」
恐る恐る聞く僕に、会長さんは首を横に振る。
「いえ、正しくこの場所に来ていただいたので、失敗ではございません。こちらでお待ちいただくことになっていた、地球の神々のお一人がいらっしゃらないのです」
いらっしゃらない? 留守?
「本来、この場所は異世界へ行った際の注意事項や、特別に付与される力などについてのご説明がなされます。今回は下見ですし、次回はご挨拶が出来ますでしょう」
ここに居るはずだったのは、会長さんの話に出てきた日本の神様だったんだろう。急に決まった事で、忙しかったのかもしれない。それとも何か理由があったのかもしれない。でも正式に来る時には是非会ってみたい。
「わかりました。でもこの場所って、普段というか、いつもこんな何もない空間なんですか?」
「いえ、神々がいらっしゃる場合には、その方の色や装飾がなされております」
会長さんが『地球の神々』と常に複数で話をしているのは、担当地域によって呼び出される神様が違い、責任者はいるものの、担当は持ち回りで変わるらしい。
その為、常に同じ神様に逢うとは限らないので、特定の約束は出来ないそうだ。
この場所は昔で言う所の関所で、神様の質疑によっては許可されないこともある。その場合は、地球に戻ってここでの記憶を失う代わりに、ささやかな幸運が齎されるらしい。
今回の場合はどうなんだろう?と聞くと──
「担当者不在ですのでお答えしかねます」
と、何やら聞き覚えのある返事を頂いた。まぁいいか。
僕と会長さんは再び転移を行い、ようやく異世界への第一歩を踏み出した。