一日目.13 取引
そろそろフォンス・フローレスを出ようかと話をしていると、エミリオが店主と言うディエゴさんを連れて戻って来た。
僕のせいで騒がせて迷惑かけた事を謝ろうと思ったら、逆にお礼を言われてしまった。お客さんにいつも以上に喜んで貰えて、売り上げが伸びたらしい。喜んでもらえたのは嬉しいけど、売り上げが伸びた理由が分からない。聞いてみると、リンゴを使ったタルトやケーキがとても良く売れたらしい。これからはパラソルの色を変えて、売り出したい果物やデザートの色にしようかと、考えていたそうだ。
パラソルだけじゃなく、入り口にお勧めの食べ物や料理の絵を描いた看板を置けば、お客さんもわかりやすくて良いですねと言うと、手をガッシリと握られた。文字がまだ読めない子供でも自分で選ぶのは楽しいと思います。
ディエゴさんは別れ際、僕とレイナに今日の主役だったからと言うことでお土産を持たせてくれた。今日一番人気だったリンゴのタルトだそうだ。
僕が貰った分は不機嫌にしてしまったマコにそのままプレゼントすることにした。フォンス・フローレスで食べたデザートが美味しかったので、マコはご機嫌だ。
レイナはぼーっとしたままで、受け取ったお土産を危うく落としそうだった。テクラに聞いても、首を振って判らないと言われたので、お土産はテクラに預け、後でレイナに渡してもらう事にした。
しかし、どうにも様子がおかしいようなので、今日はそのままレイナを連れて帰るそうだ。レイナ達がいなくなるのは少し寂しいけど、また明日、と言うことで二人と別れ、僕達は買物に向かった。
「レナトくんが使ってる紙やペンは何処で買えるの?」
フォンス・フローレスを出るとマコが尋ねた。レナトが書き込んでいた筆記具が気になっていたようだ。
「サムエル商店ですね。エミリオの所ほど品質が良くて品揃えがあるわけじゃないですが、安いのに乱雑に扱っても破れたりしないのが気に入ってます。ペンはそこでも買えますよ」
「カナレス商会が扱っているのは高級品です。その分見た目に気を使っているので、満足度は高いです。お値段も高いですけど」
レナトとエミリオは紙の質でペンの書き心地が違う、インクの質で紙に書いた文字が滲んだり、引っかかったりすると教えてくれた。そして驚いたのが、インクを消せる液体があるらしい。
「ええ、エラゾーレと言う液を付けた筆でなぞると、インクを消すことが出来ますよ」
インクを作る工程で僅かに出来る液体だそうだ。インクの倍ほどの値段はするけど、修正できるのは便利ということで購入する人が多いらしい。レナトは家に帰ってから別の紙に書き写して、今の紙を全部消して再利用する。部分的に消すよりも、筆で一気に消す方が無駄な液量を使わず結果的に少ない量で済むそうだ。
インクで書くというと、失敗はどうしてるんだろうと思ったけど、ちゃんと消せる液体が用意されているのは、こちらの文化が優れてるところだと思う。インクには色もあるらしいけど、それは絵画用で、文字を書くときにはあまり使わないらしい。
「それじゃ、まずはサムエル商店へ行ってみよう」
サムエル商店は、フォンス・フローレスから徒歩五分もかからないぐらいの距離にあった。煉瓦の造りは色が統一されていて、真面目な雰囲気の建物に見える。
面白いと思ったのは、大人が五〜六人横に並んでも入れるぐらいの大きな扉。そんな扉だと、子供の力じゃ開けられないんじゃないかと思ったんだけど、凄く軽くて、マコ一人でも十分開けられるぐらいで驚いた。
「驚いただろ、この扉凄く軽くて、初めて来た時は力加減がわからなくて転びそうになったんだ」
「びっくりした。取っ手を引こうとしたら、中から押されたのかと思ったよ」
マコが自分も開けたいって言うので、場所を変わって扉を開けたり閉めたりを繰り返して、パッタンパッタンと小気味の良い音が繰り返されていた。
僕達が入り口で騒いでいると、笑みを浮かべたお店の人が出てきて、声をかけてきた。
「ようこそいらっしゃいました。当商店の……扉はお気に召しましたか?」
「あ、はい。すみませんうるさくして」
僕が謝っていると、お店の人は豪快に笑って、構いませんと言う。
その人はルーベン・サムエルと名乗り、店主である事を告げた。
サムエル商店は周りと比べて新しい店だったので、他と違う事を印象づけるために大きな入り口を造り、その扉は大木を使って継ぎ接ぎのない一枚の扉に仕上げた。その見た目の重厚さは道行く人にも注目を浴びるぐらい好評だった。しかし、客が買物をした後、扉が重くて開けられない。客の一人に『逃さないつもりか!』と文句を言われたのを、当時の店主が畏まり、自ら開け閉めするようになった。初めの数日は少し疲れた程度だったのが、日が経つに連れて、遂には店主が起き上がれないほどになったと言う。
このままでは扉の為に商会が傾いてしまうと、中を空洞にして出来るだけ重厚さを残した扉に作り直した。そして、見た目以上の軽さになり、それが話題となり、話の種にと気軽に立ち寄ってもらえるような商店になったと言う。
「『災い転じて福となす』ですか。その当時の店主さんは商売が上手だったんですね」
「ありがとうございます。そしてそのお姿、お噂通りの方でございますね」
さっきまでのフォンス・フローレスでしでかした事が、もう知られてるんだろうか。
エミリオを見ると自分は知らないと言わんばかりに首を横に振る。レナトとセベロも首を振るだけだ。
「噂と言うのは、フォンス・フローレスでの事ですか?」
「いいえ、それも先ほど部下から聞きましたが、領主様が三の刻に衛兵区の代表に御触れを出したのです。『黒い髪の少年と少女は賓客である』と」
見慣れない人が街中を歩いていたら、街を護る人は気にせずにはいられないのは判る。だけど、これが広まってるんだったら、領主側から干渉しないと言っていた意味がないような気がする……
「あの、その噂と言うか、僕達の事を広めないで貰えませんか?」
「何故です? どちらのお店に行かれても品物を融通してもらったり、色々と良い事が多くなるのではないですか?」
「そうかもしれませんけど、遊びに来てるのに水を差されたみたいで、居心地が悪く思うからです」
途端に顔色を青くするルーベンさん、でも何処へ行っても歓迎されて色々されるのは何か違う。
貫禄ある人だけど、本当に善い人なのか、別の思惑があったのか、肩を落としているように見える。
「エミリオ、この場合どうしたら良いと思う?」
「初めに囲い込もうとした僕が言える事じゃないかもしれませんが、リョウさんが今思った事を領主様に報告なされば良いと思いますよ。何処かの商店で居心地の悪い思いをしたと言えば、領主様が判断されると思います」
「レナトはここに良く買いに来てるんだっけ?」
「リョウさんが特別扱いされるのは判るけど、いつも買ってる店でそんな事を考えてるのは、知りたくなかったな」
たまたま噂が入って来たのか、それともそう言う事が出来たのか、それは判らないけど、僕としては嬉しくない結果だ。なんとか噂を広めず、丸く収めてもらいたいけど、レナトもあんまり良い顔してないね。
「リョウ様、大変申し訳ありませんでした。私の元に来た噂は『旅人が来られた』と聞き違いだったようです。どうぞ、御自由にお過ごし下さい」
「間違いが起こらなくてよかったです。……その聞き違いのご縁で、一つ取引しませんか?」
「何を、差し出せば良いのでしょう……」
もう諦めてしまったかのような、悲壮な顔をされるとさすがに居た堪れない。
「はい。僕からは『領主様に言わない』、ルーベンさんは『今日この店に居るお客さんに割引して販売する』と言うのはどうでしょう?」
ルーベンさんは目を丸くして驚いている。
レナトがここで買う紙はエミリオの所より安くて気に入ってると言っていた、だから他のお客さんも話の種だけじゃなく、買っていく人は多いんだと思う。こんな事でお店が不安定になったり、お客さんが減るのはなんとか避けたい。
「……それで、許して貰えるんでしょうか?」
「許すも何も、ここで扉をパタパタやってたら、親切な店員さんが扉の話をしてくれた、だけじゃないですか」
「ありがとう……ございます!」
その時のルーベンさんは、正しく商人だと言う感じで、さっきまでの悲壮な顔は全く無く、満面の笑みで店内にいるお客さんに大きな声で告げた。
「皆様、本日サムエル商店は良き友人を迎える事ができました。この事を祝して、今いらっしゃるお客様には割引して提供させていただきます!」
店の奥まで声が通ったんだろう、奥からおぉ!と言う嬉しそうな声が聞こえてきた。レナト、セベロ、ノエリアも嬉しそうな顔だ。
「エミリオ、こんな所でどうだろう?」
「カナレス商会の後継としては、もう少し削いでおきたいですね。でも、アクアルムとしてはリョウさんに感謝いたします」
よかった。変な痼を残さないで済みそうだ。
それにしても、ロルダンやビト、ベルタが何も言ってこないけど、退屈させてしまってるんじゃないかな。付き合わせてしまって申し訳ない……
振り返ってみると、ロルダンとベルタは驚いた顔をしていた。ビトは……あんまり変わってない気がする。
「ロルダン、ビト、ベルタは退屈してない?」
「ん、ああぁ、色々驚いてるだけだ」
「リョウは凄いな」
「いやぁ、行く先々で色んな事が起こるから面白いよー」
俺たちは頭が悪いから、話についていけないだけだって言ってたけど、マコも付いてきてない気がするよ。そのマコはいつの間にか出入りする人の為に扉を開け閉めしてる。何か楽しそう。
僕とルーベンさんの取引が成立したので、僕達も買う物を探す事にする。
「リョウ様は何をお求めですか?」
「えっと、マコが物書きするので、筆記具を買おうと思ってます」
「はい! 紙がいっぱい欲しいです!」
マコはレナトとセベロを連れてルーベンさんに筆記具がある棚へと案内されていた。
よく考えて見れば、僕はここで何を買うか決めてなかった。ノエリアも嬉しそうな顔をしていたけど、何を買うんだろう?
「ノエリアも何か買うの?」
「は、はい! ここで繕いの糸や紐を買おうと思ってます」
「繕いって事は、服も直したりするの?」
「えと、はい、あの、一応は……」
よく聞いてみると、ノエリアが使っている薬草採取の袋を直すと言っていた。お気に入りの袋が前回採取に行った時に綻びが出来てしまって、いつか直そうと思っていたらしい。綻びが出来ても中の物が落ちるほどじゃないから、お小遣いが貯まってからと思っていたら、割引で買えると知って、喜んだと言うことだった。
物持ちが良いんだね、と言うと、今は治癒魔法が主流だから薬師をしている母親はあまり収入が多くないらしい。残念なことに母親の治癒魔法はあまり秀でたものじゃないので、それを収入にすることは出来なかった。
ノエリアはもう少し頑張って、治癒魔法でも収入が得られるように勉強しているけど、本業としては薬師になるのが目標だそうだ。
「ノエリアは凄いなぁ。学舎のみんなも目標や目的を持っていて、それを目指すために勉強してるんだもんなぁ」
「わたしたちは十六歳で成人になります。みんなあと四〜五年で仕事に就くことになりますから、目標を決めているんです」
「異世界の成人って、そんなに早いんだ。僕達が住んでいる日本って所は成人は二〇歳で、早ければ十八歳ぐらいから仕事かな? もっと早い人は十五歳ぐらいだけど、学舎に行ってない子みたいに、仕事が殆ど無いって聞いたな」
ノエリアと僕は商店の中に用意されている長椅子に座って、日本の事やヴェストラとの違いを語り合っていた。
「リョウ様の知識は、ニホンだと普通なんですよね。そんな沢山の知識、わたしも触れてみたいです」
「ヴェストラと地球、もっと簡単に行き来出来るといいのにね」
ヴェストラでも昔の魔法の力があったら、地球に来れた人も居たんだろうか? 居たとしても、日本に来たとは限らないけど。
でも、地球には魔法がないから、ヴェストラに戻ることは難しいか……考えるだけ無駄、かな?
「僕達の知識、学舎って、少ない人で九年、多い人だと二〇年ぐらい勉強してから仕事するんだ。それまでは親に生活を見てもらってるから、あんまり誇れたことじゃないよね」
「リョウ様は十四歳だとおっしゃってましたけど、まだ勉強されるんですか?」
「少なくても後四年かな。たぶん後八年は勉強することになると思う」
僕はまだ中学二年だけど、そろそろ高校を何処にするとか、大学でどういう勉強をするのかを考え始めないといけないのかもしれない。ヴェストラの人達と比べると随分のんびりな気もするけど、それだけ準備して何が出来るんだろう。いや、何をするんだろう……
「ニホンは勉強することがたくさんあるんですね」
「そうだね。地球はヴェストラと違って、魔法がないからそれに変わるものが発展してるんだ。それを更に良い物にしようとか、新しい物を作ろうとして日進月歩……えと、日々頑張ってるって所かな」
「チキュウは魔法がなくてもこの街より発展しているんですよね」
「ある人は科学と魔法は見分けがつかないって言ってたぐらいだから、神様に与えられた魔法と、自分達で見つけた科学でそれぞれの世界で必要な物があって、それぞれで発展してるとも言えるね」
最後だけ、答えを濁すことにした。この街を僕は気に入ってるし、引け目に感じて欲しくない。それにみんなと出会えて、今ここに居る間も楽しいと思える。
僕が住んでいる町は何も不自由は無いけど、それはあるもので十分だったからだ。この街にいると、何かしたいと思ってしまうから、僕も余計なお世話をするようになってしまったのかもしれない。
「お兄ちゃん! お金!」
マコがカウンターに積まれた紙の束を前に、僕を呼んでいる。そういやお金を渡してなかったな。
あ、今までお金使ったことがなかったから、どの硬貨がどれだけの価値を持つのか知らないぞ?




