間の日.4 父と子 side アクアルム
昨晩、神使様とリョウマ殿がチキュウに戻られてから、ルーシアは部屋から出てこなかった。
詳しい話を聞こうにも、夕食にも出てこず、アデラに失敗したと告げて部屋に篭ったままだった。
神使様が連れて来られた人物であるし、実際話をしたところ、誠実そうな少年だ。
「何か酷いことをされたわけでもないだろうに……」
ルーシアは真面目な子だ、失敗したと言うのは恐らくリョウマ殿にアクアルムの魅力を全部伝える事が出来なかったんだろう。僅かでも興味を引いてもらえればそれだけで良かったというのに。
元々、マルケスを付き人にする予定だったのは、話をしやすいように街でお金を使って、露店で買い食いでもさせれば友人ぐらいにはなれるだろうとの思惑だった。
しかし、蓋を開けてみればマルケスはアデラに囲い込まれ、ルーシアは男装してルースアを名乗り、付き人になっていたという。
報告を聞いた時は何を言っているのか理解できなかった。神使様の前で、予定していた付き人がすり替わっていたなんて、無礼にも程があるだろう。
幸いなことに、リョウマ殿はルースア……ルーシアに嫌悪を持つこともなく、逆に気遣われた言葉を貰うなど、本当に頭が上がらない。
見送りの前だったので、あの場ではきつく叱る事も出来ず拳骨で許したが、今日は何をしたのか聞き出さねばならない。
もし、リョウマ殿がアクアルムに来ていただいた時には、お詫びも含めて対応をしないと、神使様に申し訳が立たない。
「……もう、どうしたら良かったの‼︎」
ルーシアの部屋に着くと、扉越しに不満そうな大声が聞こえていた。
すぐに立ち直る事は無いか……
「ルーシア、私だ。扉を開けなさい」
「……嫌です」
まさか断ると思わなかった。私がここに来たのも意図が分かっているはずだ。与えた仕事が終われば仔細報告するのがいつものルーシアだ。しかし、昨日から顔を合わせておらず、その報告がされていない。
「……半刻ほどお待ち下さい。身を整えて執務室へ参ります」
部屋の中でゴソゴソと音がする。年頃の娘だ、衣服や髪の乱れをそのままで会うのは抵抗があるのだろう。わかったと告げて、私は執務室へ戻る事にした。
それから半刻より少し短い時間が経過すると、二階の執務室にルーシアが訪れた。
「ルーシアです、入ってよろしいでしょうか?」
ルーシアは妻であるエリシアが教育、礼儀を教え込んだので、この街ではとてもしっかりしたように見える。若干、父親に対しても距離を置いたような態度をとるので、もう少し甘えてくれても良いのだが……
ルーシアを執務室に入れると、昨日の出来事を報告させた。
まず、ルーシアがリョウマ殿を敬称を付けずに呼んでいたのを咎めるところから始まり、聴き取りは難航した。
最初のうちは、リョウマ殿がこの世界では非力であったろうと言う事も理解が出来たが、そのうち何かおかしな事になっていた。
リョウマ様が爵位のあった時代の礼をして、対応に困った。
リョウマ様が付き人ではなく、友達として同行する事を願った。
リョウマ様にアクアルムの街を紹介する前に、じっくり話をしたいから泉へ連れて行こうとした。
リョウマ様が小麦畑で立ち止まって迷子になっては困るので、休まず森まで入ったら倒れた。
リョウマ様の休息を確保すると共に、ヴェストラの歴史を語った。
リョウマ様に言葉遣いから私の男装が見破られそうになった。
リョウマ様はルースアの女言葉を、姉妹による強要と受け取った。双子の姉にルーシアがいると説明し、事なきを得た。
リョウマ様が泉で水を飲むシーミャやキャニスを見て、近付こうとしたら逃げられた。
リョウマ様は森に入ったのは初めてだと仰った。
リョウマ様がシーミャやキャニスについて聞くのに、動作を模していたのがとても可愛く滑稽で、大声で笑ってしまった。
リョウマ様と口喧嘩になってしまった。
リョウマ様と一緒に泉に向かった。
リョウマ様は喉が渇かれていたようで、泉で水を掬い飲んでおられた。
リョウマ様が泉に頭を入れられ、苦しそうな顔で水面から頭を持ち上げたのが微笑ましかった。
リョウマ様が頭の水を私に飛ばして来たので、お返しに水を蹴り、リョウマ様を泉に落としてしまった。
リョウマ様に……
「待て、今リョウマ殿を泉に落としたと言ったか?」
「はい、リョウマ様の動きが大袈裟でしたので、泉の縁に追い込んだ所、足を滑らせて、腰から泉へ落ちました」
「……それで、リョウマ殿はどうされた?」
娘はなんでも無いかのように言葉を続ける。
「リョウマ様は少々ご立腹でしたが、最初に水を掛けたのがリョウマ様と指摘すると、謝罪していただきました」
「……それで、お前は謝罪したのか?」
「あ……し、しておりませんでした……」
今更落ち込む娘に、叱っても仕方が無い。リョウマ殿が来られる事があれば、きちんとお詫びしなければいかんな。
「報告を続けよ」
昨日の事を思い出したのだろう、先ほどより目元に力を感じるな。そんな所は妻そっくりだ。
そして、リョウマ殿の報告が続いた。
リョウマ様は泉に落ちた後、濡れるのを気にせず、空を仰ぐように身体を泉に浮かべ寛いでおられました。
リョウマ様は私が声をかけても反応してくださらなかったので、また水を掛けてこちらを向いていただきました。その時に水を飲まれたようで、少々咽せられました。
リョウマ様は起き上がって、再び謝罪をされようとしましたが、ご遠慮いただいて風魔法で衣服等を乾かせていただきました。
リョウマ様は魔法にとても興味を持たれていたので、まだ疲れているだろうと水魔法で疲労回復をさせていただきました。
リョウマ様は大変興奮されたようで、魔法について熱心に考えられておられたようです。
リョウマ様は治癒魔法について興味を持たれたようで、大昔の極魔法についても幾つか質問をなさいました。
リョウマ様は私の魔法に大変感謝をくださいまして、チキュウのお菓子を分けて頂きました。
リョウマ様に刻についてご説明さし上げると、すぐに把握し、現在の刻を読まれました。
リョウマ様は七の刻前と理解すると、チキュウに帰ると仰られて……アクアルムに戻ることにしました。
リョウマ様に、アクアルムについて全くお話できなかった事に気が付き、せめてお別れまでは笑って過ごしていただこうと、冗談等を言いながら、館まで帰ってきた次第です。
目の前でリョウマ殿の事を報告する娘は、本当にあのルーシアだろうか?
街の事を第一に考え、何か起きれば真っ先に駆けつけ、役に立たないと言われても必死にその場で役割を見つけようとする、あのルーシアだろうか。
これではまるで普通の少女ではないか……いや、悪いわけではない。今まで男っ気が全く無く、色恋とは無縁の滅私奉公がその信条と思われていた娘が、リョウマ殿に好意を持っている。どうやら本人は気がついていないようだが、言葉の最初に必ずリョウマ殿の名前を加え、口にすることが嬉しいように語る。
「それで、お前はリョウマ殿の為人をどのように思った?」
娘は少し考え、思ったであろうことを口にする。
「はい、リョウマ様はこの街の人々と比べ、少々頼りなく思いました。体力や能力をみるに、マルケスよりも虚弱であるかもしれません。しかし、誠実であろうとし、力ないことを卑下するわけでもなく、出来る者を引き立ててくださる、立派な方だと思いました。頼りないところは一緒にいるものが助力し、足りない知識を補えば、この街でも有数の者となり得ると思います」
頭を抱えたくなる。執務室に二人だけとはいえ娘からこのような事を聞くつもりで呼んだわけでは無かったはずだ。しかし、娘は確実にリョウマ殿に想いを寄せているようだ。私はリョウマ殿の為人を聞いたが、返って来たのは、この街に居住する時の事を想定して、だ。
だが彼はこの街を選んでくれるかは判らない、神使様も態度は変わらなかったが、今回の不手際、どう思っておられるのかわからない。もう二度とリョウマ殿には会えぬかもしれないのだ。
「リョウマ殿はアクアルムに来てくれると思うか?」
娘は明らかに動揺した。それは自分の失敗か、それともその好意故か。
「……わかりません。私はアクアルムについて何も話すことが出来ませんでした。森や動物などはこの街でなくても何処にでもいる獣です。歴史にしても、多少口伝が違ったとて共通の知識ですから、この街に特別の好意を持ってもらえるようには何も示すことが出来ませんでした。今回のような無礼を働き、あまつさえ人の役目を奪っておきながら何事も為さしめず、自分の力不足を思い知りました。本当に申し訳ありませんでした。今後は領主様、役目の者の言葉を受け止め、余計な真似をしないよう努めます」
ふむ、重症だな。
「そこまで考えなくても良い。お前が今までこの街の為にどれだけ頑張ってきたのかは、住民含めて全てのものが知っておるのだ。まぁ強引な所は多少控えれば、これからも自分のできる事を考えて行えば良い。駄目なら私がお前を止めるのは今まで通りだ」
ルーシアは頭を下げたまままだ納得していないようだ。
「ただ、今回に関してはそれなりの罰も必要だろう。三日ほど謹慎しておくように」
「……わかりました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
少し刺激を与えておくか。
「ところでルーシアよ。リョウマ殿にルースアの正体が、領主の娘であるルーシア・イエニスタと告げたのか?」
「!?」
「リョウマ殿には会えないかもしれないが、神使様はまた来られる。お願いを聞いてくださるかは判らぬが、告げておきたい事があるなら考えておくと良いぞ」
ルーシアを下がらせると、リョウマ殿が来られた時にどれだけの謝罪が必要か考える。
指折り数えているぐらいでは間に合わないかも知れないな。
古くなったソファーに深く体重をかけると、さっきまでの娘の姿を思い出す。
「ふぅ、ルーシアもまだ子供か」




