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恋愛ものと、多分それに含まれるかもしれない短編たちです

我がままに生きてみました

作者: 茶屋ノ壽

 生まれた時から、独善的だとか、自分のことしか考えていないとか、言われていました。赤ん坊なんだから当然でしょう、という真実は、とにかく子供が嫌い、という親たちの前ではなんの免罪符にもならなかったのです。ならば、子供を作るなよ、というまっとうな意見は、周囲の圧力によって作らざるおえなかった、両親の愚かさとか、精神的な弱さからの防衛本能によって、彼らには、届かなかったのでありましした。

 ほとんど育児を放棄していた両親でしたが、さすがに世間体が悪いので、最低限の面倒はみてくれていたようです。伝聞なのは、当時の記憶があまりないからでありますが。どうも、複数の保育士的な誰かに代わりばんこに育てられたようです。保育士さんたちは、結構丁寧に、報酬に見合う程度に、愛情をもって育ててくれた、という気がほんのりといたします。両親の気まぐれで入れ替わりが激しかったので、保育士さんの顔はよく覚えていませんが、10歳くらいまでは、彼ら、もしくは彼女らによって、育てられたようです。

 あまり人との付き合いが上手ではなく、教育機関では孤独で浮いていました。しかし、微妙に大きな両親のもつ権力によって、自身がいじめにあうということもなく、はれ物にさわるかのように遠巻きに見られている、そのような感じでありました。

 学習そのものは特に問題もなく、といいますが、かなり優秀であったようです。一度見た資料はほとんどすべて記憶しており、暗記が中心の学習内容であれば、満点の連続でありました。そうとは言え、創造的な何か、も特に苦手ではなく、自身のオリジナリティにこだわるということなく、模倣を躊躇なく行っていたので、無難に課題をクリアしていった、ような覚えがあります。表記があいまいなのは、このころまでの記憶があいまいであるからなのです。

 私の原初は、鮮烈な多種多様な色彩でした、それは花畑でありました。白い大きなスケッチブックに描かれていった、技術的には稚拙な風景画。そして、次の記憶は、それを楽しそうに描いていた、少年の笑顔でした。

 少年は、旅人でした。父親の仕事の都合で、いろいろな街へと引っ越しを繰り返していて、あまり長く1つの場所にいないので、ぼくは旅人なんだ、という口癖の少年でした。教育機関には所属してなく、父親の仕事の手伝いをしているんだと、聞いたのは、知り合ってから少したってからでした。

 少年との出会いは冬の河原でした。土手に腰かけて、冷たい風が吹く中、かれは、白いキャンバスを地面に置いていたのです。私は、おそらく登校途中であったのでしょう、ようやく上ってきた朝日の光に、目を細めながら、土手に座っている少年を見かけたのです。

 彼の創作を見たのは、偶然でした。なんともなしに、視界に入ったのです。少しの間、周囲の風景を観察した彼は、いきなり絵具を手に取りました。そして、にゅるりとそれをひねりだし、赤を白に叩きつけたのです。いえ、乱暴にそれをおこなったということではなく、そう見えるくらいに力強く、豪快に、指でぐりっと、塗り付けます。指紋がきれいに残るように、そして、またぐり、ぐりっと、続けざまに赤色を白い紙へとのせていきます。そして、一通り思うところに色をのせたら、バケツで指を洗い、布で絵具をふき取り、こんどは、また別の色を取り出します。そして、再度ぐいっと、豪快に、しかし丁寧に塗り付けていくのです。真剣な表情ではありますが、私は少年が楽しそうに笑っていると感じました。絵はどんどんと色が増えてきます。不思議なことに、乱雑に色をおいているように見えて、先に置いておいた色と次に色が、うまく重なりあって、きれいな文様へとなっていっていきます。

 私は、それに、目を完全に奪われていました。時間も忘れて、少年の創作する姿に魅入られてしまったのです。彼が、豪快でありつつ繊細な花畑の絵を、冬の土手で完成するまで、ほとんど息をするのもわすれて、見入っていたのです。

 最後にちょい、っと絵の端に指で記号を入れた少年は、にかっと笑い。こちらを見ました。顔には絵具がちょいちょいとついていました。

「できたよ」その声は、本当に嬉しそうで、そして、人懐っこいものでした。

「うん」私は、知らずに流していた涙をふくこともなく、うなずきました。

「ふきなよ」少年は、泣いている私にむかって、絵具をふいていた布の比較的きれいな部位を渡します。

「うん」受け取りって、かるくふきます。水彩絵具の少し酸っぱい、においがしました。

 少年は、ちょっと自分の描いた絵と、私を見比べていました。

「あげるよ」きれいな笑顔をその、幼さの残る顔に浮かべると、ひょい、と絵を私にわたしてくれたのでした。わたしは、茫然と、それを受け取りました。気が付くと、少年はもういってしまった後でした。私はまた泣いてしまいました。嬉しくて、寂しくて。その日は、もうなにもする気にならなくて、家へと帰ってしまいました。少年の描いて絵をよく見えるところに置いて、一日中眺めていました。


 私は、次の日から、少年の姿を街で探すようになりました。おりしも冬期の長期休暇が始まりましたので、時間は山のようにあったのです。少年は、結構すぐに発見することができました。彼は、いつもどこかで風景を眺めていました。そして、今度は、小型のスケッチブック片手に、さらさらと写生をしています。私は、それを、そばでじっと見ていました。私は少年にどうやって話しかければわからなかったのです。少年はそんな私を嫌がることなく、楽しそうに絵をかいていました。

 少年は、時折、私に絵を描いてくれました。それは、花の絵だったり、小鳥の絵だったりしましたが、私の自画像を描いてもいい?と聞いて、私が頷くと、嬉しそうにさらさらと筆を動かして、描いてくれました。

「私こんなに綺麗じゃないよ」

「ううん、君は綺麗だよ」

 描かれた絵が、なんかだ自分ではないような気がして、ちょっとぶっきらぼうに言うと、素直に返事が返ってきます。綺麗なんて言われたのは初めてでした。いえ、上辺だけ、お世辞のようにいわれたことはあったかもしれませんが、最初に覚えているのは、少年からの「綺麗」という言葉でした。


 私たちは、なんだか急流に飲み込まれているような早さで、仲良くなっていました。街のあちらこちらを二人で観察して、他の季節にはここはどうなっているんだろう?と話ながら、どんどんとスケッチブックを風景画で、埋めて行きました。また、郊外へも足を伸ばして、人気の無い、丘の上などでも、二人で、身を寄せ合って、話をしたり、絵を描いている少年を見たりしていました。

 その丘には大きな木が一本立っていて、その根元には、半地下へと続くお社がありました。入り口には鍵がかかっていましたが、少年はどういう方法かは知りませんが、その地下へと続く鍵を所持していて、たまに二人でこっそりとその中で、暖をとっていたり、雨宿りをしていたりしました。もともとは、何かの祭事に使用していたらしいその場所は、もう、街の住人の意識に上がることの無い、忘れられた施設でしたが、意外と過ごしやすい所でありました。

 そこで、私と少年は、キスをしました。


「じゃあね」少年はその父親とおぼしき人とともに、駅の中へと向かいます。旅人である少年は、この街から去って行ってしまうのでした。私は涙をこらえます。私の手には、あのお社への鍵が握られていました。少年は鍵を渡すときに、私に耳打ちをしました。

「次の夏に、また、ここで会えるかも」と、なんだか恥ずかしそうに、言うのです。

「まってる」

「うん」

それが、私と少年の最後の会話でした。


 次の夏。街は鮮烈な赤い炎に包まれました。大洋の向こうの列強国に、自尊心を賭けた戦争を吹っかけた、私の住む島国が、彼の国から、報復の爆撃を受けたのです。街を彩る赤は、私にあの冬の日の少年の花畑の絵を思い出させました。私はその夏、毎日のようにお社のある郊外の丘へと、通っていました。その為に、街の災禍からは、比較的無縁でありました。轟音と、炎の熱が、遠くから聞こえ、感じられましたが、ただ、それだけでありました。街は一昼夜、燃え続けました。


 私は、あらかじめ用意していた食料と飲料水、当座の生活資金としての潰しがいのある各種薬剤や、長期的には必要となる貴金属、を、確認します。半年の間コツコツと準備してきました。野外での長期生活の装備や、食料や、生活物資を手に入れるための、軍の関係者や、裏社会の住人との人脈の形成、これは、不本意ながら両親のコネクションが役にたちました。また、各種技能の習熟も行いました、特に交渉術は、歴戦の商人からして”したたか”であると言わしめる程でした。


 負け戦ではあったのです。彼我の物量ゆえに、最初からそれは見えていました。この戦いは、列強にいいように食い物にされそうになった小国が、意地と誇りをみせるために、同じ人間であるという尊厳を守るために、大国へくらいついた、というものでした。そう、敗戦は折り込み済みであったのです。弱者であると侮ると、手痛いしっぺ返しをうけますよ、という、姿勢を訴える為だけの捨て身の対応だったのだと、私はそう思っているのです。

 であるから、負けた後が、大事になるだろうと、ぼんやりと思っていました。ただ、私自身としては、その思いが強くはなく、なんとなしに、この戦争で私は死んでしまうだろうな、と思っていました。あまり、生き残るビジョンがなかったのです。そもそも、生きているのか死んでいるのか分からない、ぼんやりとした、生活であったわけですから。

 その私に、生きる意味を見つけてくれたのが、旅人の、列強のスパイであるところの少年でした。そうです、かなり早い段階で私は察していました。少年とその父親という立場の人物のその正体を、しかし、特にそれは気になりませんでした。私にとって、少年は、素晴らしい絵を描く、ただそれだけで充分な存在であったからです。まあ、スパイですね、と少年にその正体を看破したことを言ったときは、死んでもいいかな?とかは思っていましたが、少年はひとつうなずいただけで、やはり、変わらず、絵を描き続けていました。結局私達にとって、戦争というのは、ひとつの背景でしかなかったのです。

 ただ、この戦争が終わった後、また、少年に会いたくなったのです。少年も同じ気持ちだったようです。ですから、少年から、今度の夏に大規模な空襲があることを知り、色々と下準備を開始したというわけです。


 さて、私は少年に無事再会できるでしょうか?とりあえず、少年の絵を手がかりに、手広く情報を集めてみることにしましょう。そして、あの冬の日の、お社での続きをするのです、そして、また、彼の横で、彼の描く絵を見るのです。私は未来を想像してうっとりとした笑みを浮かべました。



 卓越した予想と、大胆な行動、幅広い人脈と、それを使いこなす冷徹な頭脳。表向きは、美術画廊の主人であり、戦後最大のフィクサーとよばれた、”彼女”。その誕生は、このような個人的な”わがまま”から始まったのでありました。


 その彼女の横には、幸せそうに笑う、戦後の混乱期に、見出された一人の若い画家が、常に寄り添っていたそうです。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 純文学ですね、素晴らしいです。
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