夏の終わりの大きな三日月
お盆も過ぎ、秋に大分近付いた八月の一夜。ついさっきまでこの夏最後の花火が打ちあがっていた。花火が終わっても祭りはまだまだ終わらないようで祭囃しと人々の喧騒が聞こえる。そんな祭りの喧騒から少し離れた川沿いの道を着流しの青年と浴衣の女性がのんびりと歩いていた。
「和馬君お祭り楽しかったね」
「そうですね。わたあめ美味しいですか?美月さん」
「甘くて美味しいよ」
そんな他愛もない会話を交わして二人は三日月に照らされながら帰路につく。
美月はのんびりとした足取りで進んでゆくが、和馬は何故か落ち着きなく月と美月を見比べている。だが当の美月はわたあめに夢中で気付く気配がない。それを見た和馬が口を開いた。
「月が綺麗ですね」
その一言、たった一言で二人を囲む空気が変質した。祭囃しも喧騒も二人の息遣い以外は何も聞こえなくなる。わたあめに夢中だった美月も顔を赤くし立ち止まり、和馬の後ろ姿を見つめる。和馬は目を細めて、三日月を見上げて五月蝿く鳴る心臓を落ち着かせようとしている。
「うん。月が綺麗だね。でも、どうしたのいきなり」
「俺、死んでもいいんです」
「私も死んでもいいわ。今日の和馬君は妙に風流だねぇ。君もそう思うよね」
美月は金魚掬いで和馬が取ってくれた黒い出目金に話しかけて、熱くなる顔に気付かない振りをしている。
見知った和馬がまるで全く知らない別人のようで落ち着かないようだ。不意に下駄の音が聞こえ顔を上げると和馬に抱き締められた。その拍子にまだ少しだけ残ったわたあめが地面に落ちてしまい、もったいない等とどうでもいい事に思考を移す事で混乱をなだめようとしているようだ。
耳につく五月蝿い心音は一体どちらのだろうか。
「かの文豪達は『I love you』の訳し方は遺しても、プロポーズの仕方までは遺してくれていません。なので、これは俺自身の言葉です。俺は美月さんより年下で頼りないかもしれません。でも、貴女を幸せにして見せるので結婚してください」
痛い位に強く抱きしめられて、このまま和馬と一つの生命体になってしまうのではないかという錯覚に美月は捕らわれる。肌蹴た着流しから触れる胸板越しに聞こえる速い心拍数と高い体温に眩暈がしそうになる。
「喜んで和馬君のお嫁さんになるよ。幸せにしてね。でもいきなり風流も何も無くなったね」
はにかみながら美月が応える。その途端抱きしめられる力が強くなったがすぐに離される。頬に和馬の熱いてが添えられ、触れ合う唇。それはすぐに離れたが、二人の距離はいつまた唇が触れても可笑しくないほど近かった。
「悲しい事に俺に文才は無いようです」
少し拗ねた様子の和馬を可愛らしいと思って美月は笑ってしまう。
その後、再び二人の唇が触れ合ったのを見ていていたのは綺麗な三日月だけだった。