二、道楽 「虚無」「痛切」「苦汁」
「人生とは虚無だ!」
川辺の段ボールハウスから出てきた男が、突然両手を天に向けて叫んだ。見窄らしい服、ぼさぼさの長い髪と無精ひげ。早朝の散歩やジョギングをしている通りすがりの人々は、怪訝な顔をして遠巻きに男を見ていく。
──頭のいかれた浮浪者。ああはなりたくないな。
男から距離をとり、足早に通り過ぎる人々。その憐れむような軽蔑するような視線を、男は痛切に感じる。それは、春のなごり雪を運ぶ風よりも冷たく男の体を突き刺す。
だが、寒々とした空を見上げる男は、満ち足りた顔をしている。
「俺は一度でいいから、虚無の世界を味わってみたかった。願いは叶ったな」
と、ニンマリと笑った男の前に、一人の薄汚れた老人が現れた。老人は寒さで体を震わせながら、じっと男を見つめる。
「ん? じいさん、この段ボールハウスを使うかい?」
老人は無言で頷き、男を拝むように両手を合わせる。もはや話す元気もないらしい。
「この家はじいさんにやろう。ついでにこれも取っておきなさい」
男は老人の前に、ドサッと紙の束を投げた。老人は目を丸くしてそれを拾い上げる。それは、一万円の札束。百万はありそうだ。男は驚く老人を見て豪快に笑うと、そのまま立ち去って行った。
川辺を上がった道路に一台のロールスロイスが止まっていた。運転手らしき男が車のドアを開け、頭を下げる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ご苦労」
さっきの浮浪者が運転手に片手をあげ、車に乗り込む。
「たまには苦汁をなめることも必要だな。だが、段ボールハウスの生活もなかなかいいぞ。また、あそこで暮らしてみることにしよう」
男は声を立てて笑い、薄汚れた服を脱いで、アルマーニのスーツを羽織った。
三つのお題が物ではなくて、しかも暗いイメージの言葉ばかりだったので、最初なかなか思いつきませんでした。
大富豪の究極の「道楽」という設定にしてみました。




